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#93 朝日記 「その職務、周りの勝手な決めつけかもよ」「職務”私”の難しさと挑戦」 (2021/05/30)

8:06起床。1:48/6:11。

昨日は夜更かし。2時前くらいまで起きていた。赤い公園の配信ライブ2周目をしていたからだ。そして、配信ライブを見ていたら、津野さんからもらったリアクションツイートを見たくて、ツイッターを開いて、お気に入りツイートをさかのぼっていた。すると思わぬツイートの数々で、気持ちがほっこりした。もちろん、津野さんからのリアクションツイートも見つけた。ありがとうございますと顔文字。きっと、このリプライをもらって当時の私は、相当浮き足立っていたと思う。浮き足立ったコトバは、他にも溢れていた。

最近になって、記録をとることの重要性を実感しているが、ツイートを見るに、私は元来、文字で残したかった人間なのかもしれないと思った。1万8000とかの数をツイートしている。何をそんなにつぶやいていたのだろうか。暇だったんだろう。それらも、全て記録である。

振り返る価値があるかどうかは微妙なところだが、少なくとも当時の私の感性がコトバになっているというのは何か発見する可能性がある。当時の哲学?から、変化したところもあれば、意外に変わっていないこともあるかもしれない。当時のコトバを引用してツッコむという企画も面白いかもしれない。ツッコむかもしれないし、深く共感するかもしれないし、教えてもらうかもしれない。だから記録は面白い。

この文章も40歳の私が自分で見て、恥ずかしいと思うかもしれない。見ているだろうか。10年後の私。きっと成功しているだろうけど、全てはこの恥ずかしい思いを発している私がスタートしているのだから、感謝してほしい。私にゆかりのある人が見ているのなら、今後とも末長くよろしくと伝えたい。

すべての習慣や行動は、今から始められるが、今から始まったのは、今に始まったことではないということだ。言葉遊びみたいになっているが、すべては伏線回収になっているということだ。所かしこに、片鱗がこぼれ落ちている。その片鱗を見たなら磨けばいい。片鱗は立ち止まらないと見えないかもしれない。そもそも、見えるところに片鱗はあまりない。見えていないオーラや仕草の奥の心の機微にある。

片鱗を見つけてくれる人は、稀だ。片鱗は見せないし、隠される、蓋をされる。だから自分で気づいてあげなければいけない。でないと、流される。

ぽい片鱗の話をされて、「君才能あるよ」とそそのかされ、流される、利用される、都合の良いように解釈される。

今日読みたい本に阿部広太郎さんの『それ、勝手な決めつけかもよ?』を挙げておく。

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