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Dの口笛(掌篇小説)

 Dが口笛を吹くと、空気の揺れのせいなのか憂鬱な音色のせいなのか、目の前にささやかな幻覚を見せた。

 始めそれは、飴や、時計や、マグカップや、本や、カーテンや、シュレッダーや、ヘッドホンや、林檎や、アスパラガスや、ネジや、金魚など、自分の意図しないものがランダムに発生した。しかし何日かすると、ある程度対象をコントロールできるようになり、半年が経つ頃には自分の任意のものを形作ることに成功した。ペガサスやサイクロプスなど架空の生物や、サイズは縮小されてしまうが山河を作りビルディングやピラミッドなども建設した。

 最近、Dが特に気に入っているのは怪獣だった。放送を開始したばかりのアニメの一話を見て夢中になり何度も録画を再生したし、二話目以降も造形の細部まで記憶しようと食い入るように鑑賞した。アニメは一話につき一体、あるいは二体以上の怪獣が登場する構成だった。

 Dは自分の口笛で幻覚の怪獣ができあがっていくのを心の底から楽しんだ。怪獣は人型のものや、鳥の姿のもの、ティラノサウルスのようなもの、形容しがたいがこれぞ怪獣だという造形のものまでいて、実にバラエティーにあふれていた。しかし主人公の少年や操縦する巨大なロボットにはあまり興味を示さず、生み出した怪獣を戦わせたり街を襲わせることにも関心がなかった。

 アニメは全十二話が放送され、その日、ついに最終回をむかえた。Dは万感の思いで視聴を終えると、余韻や感慨が残っているうちに十五体の怪獣の制作にとりかかった。最後に登場したものを除き、すべて何度も作ったので、一体を再現するのにそう苦労はしなかった。ただし十五体まとめてとなればそれなりの時間が必要だった。完成すると、怪獣たちをコレクションのように並べて鑑賞した。口笛をやめるとたちまち消えてしまうので、なるべく長く楽しもうと酸欠になるまで吹き続けた。

 ある日、Dは息を吐き出すときではなく、吸い込むときに音を奏でるやり方を思いついた。そしてそれが可能かどうか試すことにした。多少かすれたような響きにはなるものの、唇を動かし空気の流れを調整して音色を自在に操ることができた。

 今度はその方法で口笛を鳴らし、怪獣を作ってみた。すると身体の中で核のようなものが形成され成長していくのを感じた。目では見えないが、確かにおのれの体内にその存在を意識した。この出来事はDに今まで経験しなかった感情をはぐくんだ。もっと言えば、Dは自分が怪獣になったような気がしたのだった。もちろん何かを破壊したり暴力をふるったわけではないし、Dの性格が変わったわけでもない。ただ気持ちが少し前向きになれたにすぎないだろう。だが、ささいなきっかけが人生を好転させることもあるのである。

 始めに述べたように口笛で作り出したものたちはDの幻覚である。しかしDの中に怪獣がいるのも事実であって、Dは今日も口笛を吹き続けている。

<了>

書籍代にします。