本の寝台(短篇小説)
Chapter01
自分の身長より大きな書物を寝台にしている。眠ると、その日の経験が本に吸い取られていき、また他者の記憶が流れ込んで来る。
Chapter02
おそらく類書が複数存在し、私と境遇を同じくする者たちがいるのだろう。直接会ったことはないが、本の内容が部分的に並列化されており、現在や過去の情報を共有している。
Chapter03
彼等を友人のように思うことはあるが、むしろ、自分自身だと感じる方が多いだろう。方々の見知らぬ土地で、私と同じ顔をした、私ではない私たちが暮らしている。
Chapter04
私や私たちが、いつから本の上で眠るようになったのか、判然としない。以前の記憶がページにコピーされ、私の頭からは消去されているのかもしれない。しかし、それも憶測に過ぎない。
Chapter05
不安に押しつぶされそうな夜も、本の寝台に仰向けになれば、自然に心が安らいでいく。たぶん、思うこと、考えることを放棄できる。
Chapter06
もしかすると、思ったことや、考えたことも、コピーのあと消去されている可能性もある。
もちろん、コピーなどされずに、ただ単に消されていたとしても、確かめる術はない。
これは起きているときに脳裏に浮かぶが、寝台に横たわると、どうでもよくなる。
Chapter07
私の仕事は写本師である。カメラやスキャナーがある時代に、何故こういった仕事が存在するのか、理由を知らない。
文字を書くという手間や身体性に、重きを置く文化があるのかもしれないし、筆写の際に込められる祈りに、需要があるのかもしれない。
Chapter08
写本をする際、原本は貸与されず、対象のページの画像がタブレット端末に送られてくる。
なお、どの本を制作するかは組織が決め、自分で選ぶことはできない。
Chapter09
こうやって複写を続け、老いて死ぬのも悪くない、と考えている。
わずかな対人関係だけを必要とし、没頭して無心になれるのもいい。自由な時間もある。散歩や買いものや読書や人と会うことをしてきたし、これからもできるだろう。
Chapter10
自ら転写した本を読む。それらの本は東側、購入した一般的な本は西側の書架に置かなければならない。
Chapter11
眠るとキメラの記憶を見るようになった。
これは変化、と言えるものだろう。
彼人(かれ)は人と本とのキメラ(合成生物)であるが、合わさるときに不手際があったのか、不格好な印象を与える。また、右側頭部から本(一般的なハードカバーよりやや大きい)が飛び出ている。
そして、その書物には悪魔が宿っている。
Chapter12
彼人は悪魔と一時的な契約を結んでいるようだ。死後、頭や体内の蔵書を譲り渡すことを条件に、ある程度自由に使役できるらしい。
キメラの視点の夢であるにもかかわらず、キメラの外見がわかるのは、悪魔の視点が交じっているからだと推測している。
悪魔には角と尻尾があり、見るからに悪魔である
Chapter13
普段、あまり他人を気にしないが、写本室から人が減っているように感じる。しかし、それを話題にする者はいない。
Chapter14
寝台の上で夢に浸(ひた)り、一日の経験が本に溶ける。また、他者の記憶の波が押し寄せて来る。
キメラを見るのは何度目だろうか。
その日、キメラは悪魔に命じ、写本師の部屋の書架を燃やした。
そして、写本師を殺害した。
Chapter15
殺される側の記憶は共有されない。おそらく、死亡すると寝台に乗らないのが理由だろう。
キメラは、再び悪魔の炎で本を焼き、別の写本師を殺める。
その映像は、断片的にしか見ることが出来ない。何かプロテクトがかけられているのだろうか。
Chapter16
写本室から、あきらかに人が減っている。
Chapter17
大広間に集合するよう命じられた。かつてこのような事態などなかったはずだ。
キメラに対する注意を喚起される。自室のドアを開けてはならないと言われたが、子ども騙(だま)しだと感じる。
Chapter18
眠ると、当然のように、キメラが誰かを殺す映像を見る。写本師ではないが、その半身だろう。
燃えさかる書架には写本があった。
Chapter19
日に日に人が減っていく。理由はわからない。
キメラのせいかもしれないし、違う理由かもしれない。
未だ、具体的な対策は講じられない。
Chapter20
寝台の本の中からキメラは現れた。悪魔が本を開き、ドアなどノックされなかった。
キメラは私と同じ顔をしている。
キメラは私の写本の書架を見る。
私は、どうして写本師や、その係累を殺しているのかと問う。
キメラは、自分が写本だからだと答える。魔的な力を有した書物を寄せ集め、合成させられたのだと語る。
眠りの幻視により、私はキメラが自らを忌み嫌うのを知っている。写本と写本師を敵視し、異形の肉体にした者たちを呪詛している。
私は復讐かと問う。
キメラは、そんな単純なものではないと語る。
私は、あなたの夢を見るようになったのは、私の分身の誰かを殺し、その褥(しとね)を奪ったのが原因かと尋ねる。
キメラは、おそらくそうだと答える。
複数の本の上で眠り、さまざまな現と夢、光と影を体験したと語る。
しかし、知りたいものすべてを知れるわけでもなく、見たいものすべてを見られるわけでもないようだと語る。
だが、ようやく、自分と同じ顔の写本師を探し当てたと語る。
Chapter21
キメラは命じ、悪魔の炎が部屋を焼く。私の蔵書は、市販の本も写本も瞬く間に燃えていく。
だが、寝台の本だけは発火しない。いくら周囲に火を纏っても、それが石か幻であるかのように、変化は起こらない。
Chapter22
私は死を覚悟する。
そうして、最後をしかと見定めようと決心する。
目を見開いて、部屋全体を見渡す。
寝台以外が灰(かい)燼(じん)に帰(き)していく中、写本の灰が仄かに光を放って集束し、球形になる。
火の内から火が突き破り、小さな翼を広げ、一羽また一羽と産声を上げる。
驚嘆すべきことに、火の鳥が誕生したのだ。
転生した雛鳥たちは、羽ばたき、円舞し、赤い軌跡をつくる。
Chapter23
悪魔は生まれたばかりの一羽を捕らえ、大きく口を開いて放り込む。
それから、両手を使い引ったくるように自由を奪い、胃の腑に収めていく。
喰わせたのではなく、捕獲したのだと、キメラは語る。
また、ある種の書物は消滅しにくいのだと語る。忘却される本や半永久的な本もあるが、生まれ変わるものもあると語る。そして、自分もそうなるのだと語る。
笑ったようにも悲しんだようにも見えるキメラの表情を、読み取ることはできない。
悪魔がすべての火の鳥を食い尽くし、キメラは再び命令する。
炎火が視界をその色で染め、周囲が圧縮し、軋み、張り裂ける。
それ以後のことは、もう私にはわからない。
<了>
書籍代にします。