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ピアノと向き合う

夕方近くになると何となくピアノを弾きたくなる。

もっと早い時間に弾いたら夜に向けての時間に追われることもなくてすむのだけど、その時にやっていることにかまけてピアノにまでたどり着けず、ここんところまた弾けていなかった。

「いつだってできる」は、「いつまでもできない」に等しい。

時間に追われる生活から時間を追う生活にシフトしたつもりだったのに、時間ができたらやろうと思っていたことが多すぎて、なかなか片づかない。

一体いつ、やりたいことをやりきれるのだろう?

「やる」も「やらない」も、決めるのは自分だ。

文庫本フェアが始まると、本に夢中で、全くミシンを踏まなくなった。

まったく、両極端なのだ。
体のベクトルが今は大きく「読書」に傾いている。

アロハシャツを縫うのではなかったのか?
リバーシブル巾着やプチバッグだって作るよね?

そう自問するも虚しく、ハードルが低い本に手が伸びる。そう、読書は極めてハードルが低いのだ。

そこいらに積んでいる本から、めぼしい一冊を抜いてページをめくるだけでいい。
そうすれば、後はもうベルトコンベアに乗るように自動的に本の世界へと誘われていくだけ…。

ここ数日、積読についてのニュースが読書家さんの間で賑わっていた。そこで提示されていた「6冊」という数字については私も圧倒的に少ないと思って、「いや、そんなの積読のうちに入らないでしょ?」と、突っ込みたくなった。

と、同時に私よりずっと多くの本を積んでいる人たちを見て、積んでることへの安堵感も覚えた。

うん。本はやはり積んでなんぼのものだよね?
気になる本は出合った時に買わないと二度と出合えなかったりするよね?

そう、それは懐かしい友に再会したような気持ち。
みんな本が好きなんだもの。
だから積んでいるのだ。


話が大幅に逸れました。

ピアノの話…。

もう新しい曲に向かうほどの覇気もなく、暗譜している曲をさらうだけ。

一曲目は、ほぼいつもエンヤの「ウォーターマーク」を弾く。短いし、ゆったりしているから。

そしてベートーヴェンの「月光第一楽章」に入る。
雑念が入らないように集中して弾く。

ちょっとでも考えごとをしたら、すぐさまミスタッチしたり、次の音を忘れて飛んでしまう。

今日は、どこまでいけるか?

音の波に乗って中盤に入る頃には、特に緊張する。

そして迎えるフィニッシュ…。
やった!最後まで弾けたッ!

音の余韻を感じながら、小さな達成感に包まれる。
何でもやれる!どんとこい!みたいな気分になる。

でも、もう夕暮れの時間…。
だから午前中のうちにピアノを弾いて、達成感を携えたまま突き進んでソーイングなりに没頭せねば!

でも、最後まで弾き通せなかったら…。
気持ちもシュンとして、その後の能率も上がらないだろう。間違いない。

何だ…。結局は自分との闘いじゃないか。

明日は生協の集まりで朝から出かけるので午前中にピアノを弾くと言うわけにはいかないけど、本はお預けで帰ってから何かひとつでも縫おう。




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