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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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コーヒーはいかが?:アンソロジー

はじめに

文学フリマ大阪「猪五三一〇匹」さんで販売されていたアンソロジー。大阪までは行けなかったので、文学フリマ東京「すずめいろどき」さんで購入させていただきました。
自分もコーヒーに謎にこだわりのあるような無いようなフリゲをリリースしていたので、非常に楽しみでした。


コーヒーはいかが?:テーマ作品

ジレンマ(月野桃水さま)

この作品に登場するコーヒーは、ジレンマと呼ばれる同級生が自宅で豆から挽くコーヒー。
ジレンマは学校の中では浮いているものの、自分の考えを持っている人物で、彼にとって「人生を走り続ける」と言う言葉を体現しているよう。
主人公たる僕と人生を走り続けるジレンマ。その走り続ける人生の中、僕とジレンマがコーヒーを飲みながら語ったあの時間は、それこそ人生の休憩だったのかもしれない。
人生を走り続けた結果、彼は最後どこへ行ってしまったのだろうか。疲れたらまた、コーヒーを片手に休憩を取って欲しいものだ。

うってつけ考(夕凪塔子さま)

この作品に登場するコーヒーは、コーヒーではなくコーヒーゼリー。
コーヒーゼリーに「うってつけ」の飲み物は何か? 喫茶店で働く男女が、さまざまな喫茶店を巡りその問いの答えを探しながら仲を深めていく。
コーヒーゼリーに合う飲み物。確かに、考えたことがなかった。コーヒーゼリーにバニラアイスが乗っているのであれば、確かに牛乳などのミルキーな飲み物はちょっとくどいかもしれない。
コーヒーゼリーにコーヒー? アリかもしれないけれど、あえて? とは思う。
私も二人と一緒に、コーヒーゼリーに合う飲み物を考えながら読み進む。
そして、一つの答えが出る。
私も、試してみようと思う。

Coffee-No-Ki(n.n.さま)

文中に英語が出てくる、なんとなくアメリカンな文章。色々な文章が書けるのは本当に尊敬します。
この作品に登場するのは、様々な喫茶店の様々なコーヒー。それこそ「Coffee-No-Ki」とは何かを探す物語。
「Coffee-No-Ki」と見れば、私は「コーヒーの木」を思い浮かべた。コーヒー豆が生っている木では面白くない。もっとファンタジーだといいなと思いながら読み進める。
すると、物語ではKiとは木ではなく鬼だと考察する。
コーヒーの鬼。そして、鬼に出会う。酷く、酷く美しい鬼だ。コーヒーを飲む姿も様になるだろう。そんな美しくも怖い鬼を想像して、この物語は終わる。
まさに、都市伝説のように惹き込まれる物語だ。

カップ一杯の安息を(天野すずめさま)

この作品に登場するのは、日常的にコーヒーを挽き、嗜む男性の淹れるコーヒー。
今は亡き妻と、そして男性を「お父さん」と呼ぶ少女。しかし、男性は少女を「彼女」と呼ぶ。
物語の場面転換の際に「試作X号機」に関する報告が載る。
何度か読み返したが、おそらくこの試作X号機は少女の方だろうと私は思う。明言されていないが、男性は妻と娘を亡くしてしまったのではないか? そしてその娘の代わりとなるもの(結局代わりにはならなかったから「彼女」と呼ぶ)を身近に置いているのではないだろうか?
そして、娘の代わりにはならなかったが、「彼女」に対しても愛情を感じるようになり、自分が定年後に営もうとしている喫茶店の跡を継いで欲しいと思う…。
最後のワンシーン、「喫茶店にはコーヒーを飲んで、この後も頑張ろうと思う人もいるだろう」に「もう頑張らなくていいんだよ」と返す男性の姿に、アンニュイな雰囲気を感じる。

コーヒーについて思うこと(木村縦雄さま)

こちらの作品(と言うよりはエッセイという感じなのだろうか)はそもそも「自分の人生の中のコーヒーを考察する」という感じだ。
コーヒーとは奥深い。年齢によってその価値は変わる。場所によっても変わる。人によっても変わる。
さいごに「あなたはどうだろうか」と問いかけられる。
私のコーヒー論については、この記事のさいごに語ろう。

コーヒー屋さん(菅江真弓さま)

この作品に登場するのは、コーヒー問屋さん。リキッド・コーヒーが登場する。
コーヒーを喫茶店に配達する時に遭遇したちょっとした不思議な話。
ネタバレすれば、なんのことないことではあるが、その不思議さが見事に描かれている。
様々な世界が混在するアンソロジーと言う舞台で、読者に「これは現実? ファンタジー?」と思わせつつ、最後のシーンは主人公と同じ感情になるだろう。

コヒフレ(貴羽るきさま)

この作品に登場するのは、会社の給湯室で休憩として飲むホット・コーヒー。明言されていないが、おそらくコーヒー粉とお湯で作った一般的なものだろう。
午後の仕事がひと段落つく、まさにコーヒーブレイクな時間、給湯室で出会う「湯本さん」との何気ない日常。
(タイトルの「コヒフレ」は「コーヒー・フレンド」なのではないかと思っている)
そんな日常にもコーヒーは登場する。
毎日のように語り合う二人をコーヒーは取りもち、やがてフレンドから関係は変わっていくのだろうか。
休憩時間とコーヒーと云うその空間に愛しみがわく作品だ。

しろくまさんとにんげん(長月琴羽さま)

この作品に登場するコーヒーは、喫茶店で小説の執筆中に飲むカフェ・オレ。
この世界観はとても好きだ。人工知能を搭載したぬいぐるみを持ち、ぬいぐるみと喫茶店で会話することが普通である世界。
可愛らしいぬいぐるみと会話する世界なんて、多くの子供の夢なんじゃなかろうか。そして私はベッドの周りがぬいぐるみで溢れるくらいぬいぐるみが好きだ。
喫茶店でカフェ・オレを飲みながら小説を執筆する。そして相談できる相手がいる。なんて甘美な空間だろうか。
AIと人間に思いを馳せるその思考の行き先も甘美だ。この空間に、自分も居たい。

バリスタにはなれなくても(長月琴羽さま)

こちらの作品も、コーヒーに関するエッセイのようなもの。
コーヒーに関する語りを読むのがこんなに好きだとは。自分でも驚きだ。
「コーヒーは好きだが、体に合わない」と云う作者さま。
だからこそ、少量しか飲めないからこそ、その一口一口を大切にしているのだろうと感じる。
そうして、文章の中に自分と同じ感覚を見つけると嬉しくなる。私も色々とコーヒーを飲み比べた結果(とはいえ、豆からではなくドリップ・コーヒーだが)、大体なんでも大丈夫だったが、酸味が強いのは苦手だった。

青空ブルーマウンテン(田んぼの恵さま)

この作品に登場するコーヒーは、ブルーマウンテン、そしてオリジナルブレンド。
ブルーマウンテンを巡る物語と云っても良いのではないだろうか。
ブルーマウンテンは高い、特別だ(私はコーヒーに詳しくないので、ブルーマウンテンが高いとは知らなかった…)。
そのブルーマウンテンを大切そうに飲む先輩。それに付き合う後輩。
後日、先輩はブルーマウンテンを再現すべく、様々な豆を使ってブルーマウンテンに近いオリジナルブレンドを作り出す。
「結局、ブーマウンテンより高いのでは?」と云う後輩のツッコミも、「どうだ?」と味を聞かれた後輩の回答も、見事でした。
だよね!!と声に出しそうになりました(笑)

君と百二十円分の成長を(五三一〇さま)

この作品に登場するコーヒーは、缶コーヒー。それも甘いやつ。
コーヒー好きからしたらもしかしたら邪道なのかもしれない。でも、この物語にはとても似合う。
不良少女と高校受験のために塾通いをする主人公。塾帰りに自販機の近くでタバコを吸っていた不良少女と出会い、勉強を教えることになる。
二人の出会いは缶コーヒーなのだ。
彼女の行きつけの喫茶店で勉強を教える、その時のお供も、主人公はコーヒーを頼む。そう、コーヒーは金欠の時、喫茶店で長居をする時に良い。
進学を諦めつつあった不良少女と、知り合いが来ない喫茶店での密会は非常に心躍るものがある。二人に幸在らんことを、と願った途端に、悲しみに包まれる。
彼女との思い出の缶コーヒー。甘いけれど苦い、過去の記憶を表すファクターとしてピッタリだ。

コーヒーブレイク(矢野無村さま)

この作品に登場するコーヒーは、主人公(作者さま?)が研究室で淹れるコーヒー。そしてそのコーヒーの味ではなく、コーヒーを淹れると云う行為に焦点が当てられる。
コーヒーブレイクと云えば、コーヒーを飲む時間を示すものだ。だが、この作品は違う。コーヒーを淹れる時間そのものがコーヒーブレイクだと云うのだ。これは新しい視点だ。
常に何かをしている状態を求められる現代、コーヒーを飲むためにコーヒーを淹れると云うのは、簡易にコーヒーが手に入る時代、無駄にも思える。だがその時間、コーヒーを淹れていると云う行為によって無駄ではなくなる。
書いていてとても矛盾しているが、きっとこの作品を読めばわかると思う。

コーヒーを飲みながら読みたい本の読書案内(n.n.さま)

n.n.さまとは懇意にさせていただいているのですが、知識の多さ、読んだ本の多さにいつも驚く(お仕事忙しいとのことだけれど、一体いつ読んでいるんだ…)。
今回買った二冊(もう一冊はアンソロジー:あしあと)にそれぞれ読書案内が載っている。
相変わらずどれも興味深い。

テーマ外作品

以下は、テーマ外なので、コーヒーとは関係のない物語。

ゴキブリとミドリムシの間に(菅江真弓さま)

コオロギ食のお話。
自分は昆虫が大好きだし、昆虫食もある程度は抵抗がない。小さい頃はイナゴの佃煮とか食べていた(記憶にはあまり美味しくない。エビの尻尾と云う感じ)。持論では「可愛いものは美味しい」。
だが、そんな私でもコオロギ食は賛成ではなかった。作品中にある通り、コオロギはそもそも家畜に向かない。家畜化のノウハウもまだまだだ。
そもそも、昆虫を家畜化する必要ってあるのか? 食糧難に備えるなら、ノウハウが溜まっている牛豚他で良いのでは? と非常に懐疑的である。
だが、作中で語られる宗教的な視点は新しい視点であった。

小咄・コオロギは神の恥(菅江真弓さま)

「ゴキブリとミドリムシの間に」の宗教的な視点の部分が抽出されたかのような物語。神父さんと牧師さんがコオロギについて語り合う。
聖書に出てくるのはイナゴか、コオロギか。
個人的には、場所や時代によってイナゴとコオロギを同じものとして認識していた時があり、そこで混ざったり変わったりしたのではないかと思うが、きっと宗教と云うのはそう云うフィールドで話すものではないのだろう。
最後に、お坊さんが出てきてめでたし?となる喜劇である。

武田信繁とザビエル(菅江真弓さま)

歴史に疎すぎる自分は、この作品を読みながら始終「???」だったが、最後まで読み進めて納得? した。いや、そもそも歴史に疎すぎるからどれが正しくてどれが正しくないかも解らないんだが…。
新しい文学の試みとして、試行錯誤する作者さまの姿に感銘を受ける。

さいごに

様々な方のコーヒーに関する作品・考え方を堪能できた一冊だった。
本サークルさんのアンソロジーは何冊か読んでいるが、思えば「コーヒー」と云うテーマは非常に狭い解釈しかできないのではないか。それでも、全作品異なったコーヒーが登場し、「コーヒー」と云うパーツを組み込んだ素敵な作品ばかりだった。

自分でも少しコーヒー語りをしたくなる。
自分は、コーヒーが好きだ。コーヒー or 紅茶? だったら確実にコーヒーだ。一番好きな飲み方は、甘いお菓子とブラック・コーヒー。
アイスかホットかだったら基本的にはアイス。だが、家ではドリップ・コーヒーを嗜む。ホット・コーヒーとアイスクリームなんて贅沢な組み合わせにすることもある。
喫茶店では、場所代だと思っている。コーヒーを一つ。そして本やPGを片手に長時間。
仕事の合間、脳が疲れてきたら、自販機で最高に甘い缶コーヒーを飲む。お気に入りはサントリーBOSSのカフェ・オレ。
大学が千葉だった時、周りのみんながあの例の甘い甘い黄色いコーヒーを飲んでいたのは矢張り土地柄なんだなと思ったり。
一方、豆の種類にはこだわりがない。この「アンソロジー:コーヒーはいかが?」を手に取った時は、やれコーヒーの種類だのやれコーヒーの挽き方だの高尚な話が多いのではないかと思ったが、身近なコーヒーの話で非常に親近感を覚えた。

コーヒーが好きな方も、紅茶派の人も、様々な方のコーヒー感が分かるこの一冊は、楽しめると思う。

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