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『あなたの「音」、回収します』 第14話 海を越える桜の音(2)

 トラブルの張本人は、「スティール・おっさん・シングラー」を率いるスティールパン奏者、音道おとみち豊海ゆたかだ。

「また卓渡たくとの指揮を見なかった」というわけではない。

 なんと、嫁をもらったのだ。しかも楽団内で。

「あんなやつ、シングラーの名折れだ! 追放だ追放ー!」

「リーダーのくせに裏切り者がァー! 後任のスティールパンが決まるまでの命だと思え!」

「てゆうか、もうスティールパンにこだわる必要なくね? ピアノかサックスあたり入れちゃえば、俺たち普通のジャズバンドになるぜ?」

「検討の価値ありだな。もちろんシングラーに限る。これからはジャズ・おっさん・シングラーだ」

 と、初めはバンドメンバー(ドラムとコントラバス)によるたわいもない嫉妬しっと混じりの冗談(?)で済んでいたのだが、そのうち嫁の方が「演奏ができない」事態となり、音道の演奏まで釣られて崩れ始めたので、冗談では済まなくなってきた。

「えーと、なんか、ご結婚されたそうで。おめでとうございますー」

「知らん間に」とか「人騒がせにも」といった言葉を遠くへ飛ばしつつ、卓渡は新婚ほやほやの二人に祝辞を述べた。

「今、きっと色々お忙しいんでしょうね(それはそれとして演奏はきちんとお願いしたいです)」

「す、すみません。私、ご迷惑かけちゃってますよね」

 卓渡の前で、音道の「嫁」はひたすら恐縮している。

 瀬野田せのだ里琴りこと、改め音道里琴。三十二歳。

 関川せきかわ率いるアイリッシュ・バンド所属の、アイリッシュ・ハープ奏者。
 細やかな美人、しかも音道より十歳以上若いところが、余計にバンド仲間たちの嫉妬と羨望せんぼうあおっている。

「本当にすみません! 一刻も早く立て直すようにします。私、実を言うと今、『おこと』のことで頭がいっぱいで……」

「……お琴、ですか?」

「卓渡さん、今、木琴もっきん鉄琴てっきんにも使う字を思い浮かべませんでした? 王二つに今と書く方」

「あ、そうですね」

「違うんですーッ!!!!」

 突然のフォルティッティッティッシモに、男二人がビビって飛び上がる。

「正しくは『こと』です。と呼ばれる、白い可動式の部品を左右に動かして音を変える楽器が『こと』。がないものが『こと』です」

「あっ、そっそう言えば、伝統芸能で箏曲そうきょくって言いますね。琴曲きんきょくとは言いませんね、すみませんっ」

 自分が何に謝っているのか、なぜこんなにムキになられるのかわからない。音道は横で頭を抱えている。

 里琴は、外せない用があるからと帰ってしまい、男二人が取り残された。音道がハァ〜と大きく息を吐く。

「いきなり何の話かと思うだろ? リコちゃん、俺の母親に同じことを言われたんだよ」

「そう言えば、あんたの家は――」

 音道家おとみちけ。箏ならびに三味線・尺八の伝統流派を継承する、日本伝統芸能音楽の名家だ。
 音道豊海の母は、流派を代表する箏の名手であり、和装の似合うたおやかな淑女である。

 ただでさえ結婚・しゅうとめという言葉に対し過剰な緊張を強いられていた里琴は、出逢いがしらに

「わ、私も名前に『琴』がありますので! ご縁をいただけてとても嬉しいです!」

「『琴』と『箏』は違う楽器です」

という会話をかましてしまい、混乱のあまりオケの演奏どころではなくなってしまった――というわけだ。

「つまり、あんたが二人の仲を取り持ってやればいいんだろ? それとも結婚自体反対されてんの?」

「いや、『あなたには過ぎた娘さんです絶対に手離してはいけませんよ』って、前のめりに賛成してもらってんだけどさ。リコちゃん、テンパり過ぎて糸が切れちゃって、もう俺や母親が何を言っても頭に入らないみたいなんだよ」

 つまり、里琴を落ち着かせない限り、せっかく築いた卓渡のオケもピンチ真っ只中というわけだ。

「冗談じゃないぞ。スティールおっさんと心中なんかしてたまるか」

面僕めんぼくねぇ。リコちゃん、せっかく母親に箏を習おうとしてたのにな。もう何を言っても、正座できないからムリー、爪が合わないからムリー、つって錯乱さくらんしちまうんだよ」

「ひょっとして、自分も箏が弾けるようにならんとダメだと思ってるとか?」

「そんなことはないって、何度も言ってんだけどなー。そりゃ、兄貴の嫁さん二人と姪っ子は箏習ってるけど、みんな好きでやってるし。音道家の嫁だからって、絶対邦楽に関わらなきゃいけないなんてことはないの。俺という、いい見本がいるでしょ」

 音道豊海の本職は、公務員だ。
 本人いわく、「余暇よかをのんびりダラダラ過ごしたいからこそのカタい職」なのだそうだ。
 のんびりダラダラの結果が、あの疾風怒濤しっぷうどとうのスティールパン演奏なのだとしたら。邦楽から離れた彼にも、少なからず「音道家」の血統と音楽的環境の恩恵おんけいがあった、ということだろう。

「ちょっと箏に興味が湧いてきた。後学こうがくのためと、今後の方針決めのために、一度音道家にお邪魔してもいい?」

 * * *

『コンサートの出演者の名前、ざっと見たんだけどな。ひとり、ちょっと気になる名前があった』

 仕事で関わった債務者たちのオーケストラを作る手前、父親に話は通してあった。
 その日の父親からの通信時、黒玉ちゃんに花模様のペイントを描き入れてあげていた卓渡は、ちょいちょいっと花びらを塗りながら、卵を通して聞こえてくる音声に言葉を返した。

「何か問題でも?」

『債務者の他に、昔、卵に命を入れてやった人がいたんだ。その時は、相手はまだ子供で、俺も力が不安定だったから、特に「回収」を行わなかった。相手が演奏家になったんならちょうどいい。どうせ練習で顔を合わせるんだろう、ついでに音を回収してきてくれ』

「もう回収はできないって言ったよな? 俺も色々忙しくなるし。一応、名前だけは聞いとくけど。誰?」

『アイリッシュ・ハープの、里琴って人だよ』

 他ならぬ、音道の嫁。つまり音道とは、「卵に命をもらった者同士」の夫婦ということになる。

 不思議な縁もあるものだ、と卓渡は自分の頭をかいた。
 里琴に「命の音楽」を演奏させるには、まだ大きな問題が残っている。
 指揮者としても、回収人としても。自分はその問題を解決しなければならない。

 * * *

 荘厳そうごんかつ、静謐せいひつ
 古典芸能の道に名高い音道家の屋敷のたたずまいは、ほぼ卓渡の想像通りだった。

「ようこそおいでくださいました」

 流れるような所作で深々と頭を下げる、桔梗ききょう色の無地の着物に身を包んだ、品の良い女性。

 音道豊海の母・羽流衣はるえは、正座でかしこまっている卓渡の前に、桜の花びらが描かれた小物ケースを差し出した。

「この中に、私どもの流派で使用するお箏の爪を、一揃ひとそろい入れてございます。里琴さんの指に合わせてお作りしました。音廻おとめぐり様からあの方に、どうかお渡しいただけませんでしょうか」

「私から、ですか? 直接お渡しした方が、喜ばれると思いますが」

「お恥ずかしながら、私ですとあの方に余計な緊張を招いてしまうのです」

 静かに目を伏せる羽流衣の、白絹のような肌からはほのかに花の香りがした。
 六十を越えた年齢を、感じさせない美しさ。
 彼女が占める空間のどこをとっても、嫁との確執を演じる姑のイメージは見当たらない。風が流れる春の海のような、ふところの深さと温かさを、着物のように自然に身につけている。

 置かれた小物ケースの前で、黒玉ちゃんが深々とお辞儀をした。
 羽流衣に触発されたのか。この時を見越しての、桜模様のペイントか。
 母親同士がうやうやしく頭を下げている……ように見えるような、やっぱり見えないような。

「豊海には兄が二人おります。お嫁さんを迎えるのは里琴さんで三人目となりますが、これでようやくひとつ肩の荷が降りるのかと、年甲斐もなく浮かれてしまったようです。言葉が足らず、彼女には申し訳ない態度をとってしまいました」

 羽流衣の後方に、箏が置かれている。
 そこにあるだけで、ピンと張り詰めた弦のような、独特の緊張感をはらんだ空気が生まれる。
 たおやかな中にも芯の通った、持ち主にふさわしい箏だ。

「里琴さんはアイルランドでご活躍なさった、アイリッシュ・ハープの名手とお聞きしております。細やかな手の動き、指先の固さ、弦に適切な力を伝える指運び。ひとつひとつの響きを大切にする、音楽に向けた愛情の深さ。どれも、お箏の演奏にも欠かせないものです。
 無理に、お箏を演奏してほしいとは申しません。あの方には、この家のことは構わずに伸び伸びと音楽を続けていただければと思います。それでもいつか、ほんの少しでもお箏に関心を持っていただけたら、ぜひあの方の箏音ことねをお聴きしたいと。ひそかな姑のわがままでございます」

「母さん。リコちゃんは、ちゃんと関心は持ってるんだよ。実はちょっとずつ勉強もしてるしさ」

 卓渡の後ろで、あぐらをかいた音道が、普段とはまるで違う神妙な顔で言った。

「母さんのことも箏のことも、嫌になったわけじゃねえんだ。少し時間かかるかもしんねえけど、また母さんに箏を習う時がきっと来る。だから、元気出して、な」

「そうですね。ありがとう」

 このまま、ゆっくりと時間をかけて、嫁が姑と心通わす時を心待ちに見守りたい気持ちもある。
 里琴が自身の問題を乗り越え、箏の演奏ができるようになれば、間違いなく「命の音楽」が生まれるだろう。

 が、それには相応の時間がいる。残念ながら、自分にはそこまでの時間がない。

 ふと、羽流衣の箏が再び目に入った。
 無駄のない美しいフォルムをこの家の格式高い空間に調和させた、「動」を予感させる「静」の姿。まるで、羽流衣自身のように。

「音道さんのお気持ちは、必ず里琴さんに伝わります。お互いに、気持ちを伝えるにふさわしい、素晴らしい手段――音楽が、あるのですから」

「母さん、わざわざ来てくれたんだし、一曲弾いてくれないかな。母さんの音楽、こいつに聴かせてやってほしいんだ」

「ぜひ、お願いします」

 かしこまって姿勢を正す大の男二人に、羽流衣は柔らかく微笑んだ。

つつしんで、お受けいたします」


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