映画論評 「連合艦隊司令長官 山本五十六 ─太平洋戦争70年目の真実─」

「連合艦隊司令長官 山本五十六 ─太平洋戦争70年目の真実─」

Introduction


 山本五十六役は役所広司。山口多聞役に阿部寛。タッパありすぎるし、ふくよかじゃないんだよなぁ…。南雲忠一役に中原丈雄。クリソツすぎる、びっくりしました。あと、玉木宏とか香川照之とか出ていたけど、まあ、有象無象(と書いて、テンプレートもしくはモブと呼んでください)なんで、気にしなくていいです。

plot summary


 昭和14年(1939)夏──。
 昭和12年(1937)に勃発した日華事変の解決の目途が立たず、ナチスドイツの台頭により、欧州情勢が緊迫化する中で、帝国陸軍は日独伊三国同盟の締結を強く主張した。国民も陸軍に同調し、同盟締結を切願していた。

 そんな中、海軍次官の山本五十六は、「三国同盟の締結に応じれば、アメリカとの衝突は避けられない」とし、同盟反対の立場をとり、一人平和を願っていた。

 しかし、陸軍は内閣に圧力をかけて、三国同盟が締結されてしまう。ナチスによって、フランスの首都パリが陥落し、帝国陸軍は南方資源獲得の為、フランス領インドシナへ進駐。アメリカは、日本に経済封鎖を実行する。陸軍は南方資源強奪の南方作戦を主張し始める。

 それは、アメリカとの総力戦を意味した。

 連合艦隊司令長官となった山本五十六は、国力に於いて、日本より遥かな巨人であるアメリカとの戦争を早期に終わらせるため、爆弾・魚雷を積んだ艦載機によって、アメリカ海軍太平洋艦隊を撃滅し、早期講和に持ち込む真珠湾攻撃を思いつく。
そして、昭和16年(1941)12月8日、作戦は実行に移され、総勢三百機にも及ぶ艦載機が真珠湾の太平洋艦隊を攻撃する。誰よりも平和を願う山本五十六にとって、それは何にも耐えがたい苦渋の決断であった。

 アメリカは真珠湾攻撃の12月8日を屈辱の日とし、日独膺懲の為、欧州・太平洋戦線にアメリカ軍の派兵を行う──。

 山本五十六の真珠湾攻撃が第二次世界大戦の幕開けとなったのだ。

 連合艦隊は太平洋において、快進撃を続け、戦線がインドから東南アジアを覆うほどにまで拡充するも、ミッドウェイ海戦による正規空母4隻の喪失により、徐々に戦線は日本本土まで縮小し始める。山本五十六は正規空母の損失を補うため、航空基地からの一式陸上攻撃機による雷撃戦の意向を固める。

 前線航空基地の将兵をねぎらうため、一式陸上攻撃機に搭乗した山本五十六は、無線傍受をしていたアメリカ軍の待ち伏せに遭い、命を落とす。誰よりも平和を願った男は、慄然とした態度で死を受け入れ、南方の地で散ったのであった──。

Review


 山本五十六というか海軍善玉説に「海軍は緒戦にて米海軍太平洋艦隊を撃滅し、アメリカの士気を阻喪させ、早期講和に持ち込む算段だった」というのがあるが、真っ赤な嘘である。

 例えば、読者の車を破壊した犯罪者がいたとする「なぜ車を破壊したのか」と読者は問い、「アナタの車は私を轢くかもしれないから、その前に壊しておいた」と返す犯罪者を読者は「なんと慈悲深い平和主義者なんだ」とは思わないだろう。多くの読者は、身勝手な理由で車を破壊されたことを恨み、頭に血が上って、犯人を殴るだろう。

 真珠湾攻撃の日米のやりとりは、そういうことである。 

 しかも、車が人を轢くかもしれないから、その前に車を破壊すること、戦術的に言えば、ドイツ流奇襲開戦術(パリ不戦条約に則るならば、侵略行為と称する)は、第一次大戦後に禁止されている。約定を反故にしておいて、自衛の為だった、短期に戦争を終結させる為だったというのは、世迷言というしか他ない。(日本がパリ不戦条約違反を犯すに至った経緯は、第二次上海事変及戦前中国の影響を論じなければならないが、それはまた、別の映画批評で論じる)にこやかに握手を交わし、日米交渉に応じながら、その裏で軍隊を進め、数多の同胞を屠ったのだから、アメリカ国民の士気が阻喪せず、怒りで隆盛するのは、至極まともな思考だろう。アメリカが真珠湾攻撃の日を屈辱の日と怒りを込めて、呼ぶのは、無理もないのだ。

 江藤淳氏が「戦後日本は閉ざされた言語空間(以下、閉塞的言語空間と称する)がある」と仰っていたようだが(筆者は未読)、的を射た言葉であると言わざるを得ない。国際法を論じず、自国優先の言論で自国民を惑わし、自国民はそれを妄信する──現在進行形の形で、閉塞的言語空間の悪循環が生じているのだ。

 というか、戦後70年が経過しても、誤った言説がまかり通っているのだから、閉塞的言語空間の恐ろしさを改めて痛感する。我々は、この閉塞的言語空間から脱却し、真の国際人として覚醒すべきではなかろうか?

 押井守氏は言った──「かつて、映画鑑賞には教養が求められた」と。この映画は、我々が「国際人として、どう振る舞うべきか」の教養があるかどうかを確かめるきっかけになる映画かもしれない。

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