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キリギリス、のようなもの

 キリギリスが縁側を歩いている──と書き出し、念のためと調べれば、同じキリギリス科でありながらも、クダマキモドキという名の虫で、モドキというのだから、そのクダマキとやらに似た虫だということである。

 では、そのクダマキとは何かと思えば、機織りで使う紡車のこと、その紡車を巻くような音で鳴く虫というわけで、それがクツワムシやウマオイのことだという。

 ならば、クダマキモドキはクツワムシやウマオイに似ている虫というわけで、その虫を見てみると、成程似ていて、特に聞かぬ名前のウマオイは、幼い頃、スイッチョンと鳴くので、そのままスイッチョンと呼んだ虫だと、懐かしく思い出す。

 ここで正真正銘、キリギリスと呼ばれる虫を見てみれば、どうもそれらとは違うよう、あまり馴染みのないものである。

 そういうわけで、書き出しは「キリギリスが縁側を歩いている」のでなく、「クダマキモドキが縁側を歩いている」のであったが、ここからが現代人の恥と後悔、なぜ虫の名などを調べるか、昔の人がクツワムシとウマオイを同じクダマキと呼んだよう、それに似た虫などをクダマキモドキと呼んだよう、あれはキリギリス、それで十分じゃないか、詳細な違いや名前など、学者風情が知れば良いのだ、まるでそうではない人の、縁側を歩く虫の名を、どうして知る必要がある、これが正しいと定められた名など、どうして調べる必要がある、それを何と呼ぶかなど、人の勝手でしかあるまいに。

 しかし、これが現代の常識、正しいと定められた名を知ることが、正しく、良いことである。人の定めた正しさだけが認められ、偉くなり、虫と地に這う人を嘲笑う。

 皆が皆、学者風情、そうともなればイチゴは野菜、トマトも野菜、クジラやイルカは人と同じ哺乳類、キリギリスと、クダマキとクダマキモドキは区別されねばならぬのだ。

 なお、キリギリス﹅﹅﹅﹅﹅はなぜだろう、しずしずと縁側を歩いていたのであり、本当に跳んでも跳ねてもいなかったのだという、書き出す前には、これはそんな話でもあったのだった。

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