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弥生が丘の鏡作神

 鳥栖市柚比町(通称・弥生が丘)に、鏡作神を祀る「愛宕山神社」がある。古墳神社で山頂に祠があり例の馬に乗った像が安置されている。 このあたりでもちょっと異様な「聖方位」を持つ”巨大古墳”である。鏡作女神「石凝姥命」を追ってきたわけだが、 無文土器の研究でも有名な、後藤直(東大考古学)氏によると、「日本で青銅器生産がはじまるのは、鳥栖市と春日市である。その後周囲に広がった」という。
「筑後川の女神たち」でも述べたように、鏡作麻気神社、鏡作坐天照御魂神社、中山神社の「鏡作神集団」の存在は、逆に北部九州特に筑後川流域の神々の「輪郭」を際立たせてくれる。そうなると天之御中主神ファミリーが鳥栖地域でも関わりがあるのではと思うのも無理からぬ事。さっそく調べて見ることにした。

「青銅器生産」工場があった箇所は、本行遺跡の青銅器工房(2018/9/1)として佐賀新聞が報道した 「鳥栖市内の青銅器工房は、柚比遺跡群だけではなく、南西部の江島町本行遺跡からも12点もの鋳型が出土しました。しかもめずらしい ヤリガンナや、銅剣・銅矛・銅鐸(どうたく)の鋳型も出土しています。」とした『本行遺跡』。 当時ブリジストン工場の建設に合わせた発掘調査で判明した場所である。

  ※2020年郷土史会用論文のメモ

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本行遺跡(鳥栖市)大量の土器類が埋められていた。遺跡の終焉とも..

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        本行遺跡の石鋳型、砥石に転用された


もうひとつは、「柚比弥生遺跡群は、紀元前後に最盛期を迎えた後、倭国大乱の時代に、急速にその規模を縮小している事が、 遺跡の発掘調査からわかっています。(鳥栖市史 古代編より)とされる、見事な「赤い鞘」や魚型石鋳型の『柚比弥生遺跡』である あたかも集団で何処かに移動したかのように。そう、瀬戸内海経由で畿内に移動している。

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安永田遺跡(鳥栖市)、柚比遺跡群の南 左の丘が愛宕山神社

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安永田遺跡

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安永田遺跡・石鋳型(鳥栖市)

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柚比遺跡 朱塗りの剣の鞘(鳥栖市)

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魚の石鋳型 柚比遺跡(鳥栖市)

・愛宕山神社 祭神 金山彦(軻遇突智)
・水影天神社 祭神 菅原道眞 八龍大神(彦火々出見) 石堂神(大国主!)
・八坂神社(本町) 祭神:素盞鳴、櫛稲田媛 大己貴 生目(金山)猿田彦(饒速日)
・八坂神社(田代)祭神 素戔嗚、稲田姫 大己貴、大山咋、菅原、軻遇突智、倉稲魂
・泉神社(鳥栖)?素戔嗚 大己貴 又は、天速玉姫命(阿蘇都姫=天比理刀咩命)
 * 祭神は推定
・船底宮 祭神:表津綿津見命、中津綿津見命、底津綿津見命 
 ※境内:豊玉姫 四阿屋神社の元宮「熱田神宮の勧請で、東屋明神と称えたり」とするので、四阿屋神社と同体でよさそうだ。
・四阿屋神社 祭神:日本武尊、大山祇尊、住吉大明神、志賀大明神、豊受大神
・日子神社 天之忍穂耳命(天目一箇命=天御影命)境内:弁財天(市寸嶋比売命)・荒穂神社 祭神 瓊瓊杵尊、五十猛命(山幸) 住吉大神、春日大神、加茂大神、八幡大神、寶滿大神 (明治)木花咲耶姫

 詳細はさておき、「鏡作神」が、揃っています。金山彦・石凝姥命(豊受姫)饒速日、天目一箇命(彦星)、大糠戸(素戔嗚)

詳細はさておき、「鏡作神」が、揃っています。金山彦・石凝姥命(豊受姫)饒速日、天目一箇命(彦星)、大糠戸(素戔嗚)

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愛宕山神社の金山彦(鳥栖市)

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水影天神社の石堂さん(大国主)(鳥栖市)櫛田(博多)にも祀られれている

 鳥栖と基山にまたがる弥生が丘は、古墳群が広がり、金山彦を祀る神社・祠が多い所でもある。泉神社は、唐突な感じで 天比理刀咩命とは聞き慣れない女神だが、天之忍穂耳命と栲幡千千姫の娘である。 上の神社リストはもう「鏡作神」及び関係者の一覧になっています。炉の跡がある安永田遺跡と金山彦を祀る愛宕山神社は、目と鼻の先、金山彦、石凝姥命、天御影神がそれぞれ 、金属、石鋳型、磨き(水銀)の担当を彷彿とさせる場所ではある。
また荒穂神社を中心とする基山は契り山伝説でも有名な木花咲耶姫(罔象女神の妹)の4大聖地の一つでもあるところです。
 日本武は、年代は下がるが景行天皇と同行して筑紫-佐賀にも来ています。彼が持っていた、草薙剣は熱田神宮の神剣となり、天叢雲剣ともよばれた剣です。この神剣には、伝承があり、
「素戔鳴尊が暴れられて、天照を困らせられました。それで周囲から反発を食らいまして、素戔鳴はそれを後悔して、 天叢雲の剣を打って、それを天照に献上なさいました。その時、天叢雲剣を打ったのが叔父の金山彦、献上の使者となったのが、 素戔嗚の孫、若き大山咋・天葺根命であった。」(*)

 この歴史の舞台は、定かではないが「青銅器制作は鉄器制作の練習」とも言われるので習熟・熟練をへて 天叢雲の剣を打ったのは、北部九州であったと考えられる。何よりも鍛治師集団と材料が揃っている。鉄は、天之御中主神系伽耶国からの直輸入である。宗像には、貿易港があり、参考資料のように採石もしていた可能性があります。大山咋の息子椎根津彦は、舵取りとも言われ、大幡主一族ともども航海術も持っている。
 一応途中経過まで、加筆修正があります。本論は郷土史会・故郷の花で!

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