見出し画像

【小説】中二病の風間くん第11話 仕合せ

 文化祭に備え、朝礼前にクラスの垣根を越えた演劇メンバーが集結した。成上が宮下脚本のストーリーに目を通す。
「ふむ。物語の本筋は学生の恋愛模様といったところだが、シェイクスピアの『ジュリアスシーザー』から名を借りているのか。敵対するシーザーとブルータスが幼馴染み……それもヒロインは男装少女ときた。なかなか興味深いね」
 成上は稽古中の演者たちに視線を向ける。
「どうして男装してるの? 可愛いのにもったいないよ」
 ブルータス風間が難なく役に入る一方で、ヒロイン内海は本領を発揮できずにいた。
「あははー、が、ガンカ行った方がイイとオモウ」
「もっと肩の力抜いていきましょう!」
 フォローに入る宮下に風間が訊ねる。
「しもべくん、君の主人は来ていないのか? 彼も役をもらっていたはずだが」
「所用のため欠席と……」
 その時、教室の扉が音を立てた。入ってきたのは、ピアスを外し黒髪になった加護である。気絶した生徒二人を引きずり、平然と仲間に加わる。生徒会長の目が光った。
「加護くん、それは何だね?」
「奇襲してきたから、ちょっと背負い投げしただけ」
 不在のシーザー礼央に代わり、加護がセリフを読み上げる。
「ブルータス、オマエモカー」
「下には下がいた!」
 内海よりひどい大根役者の誕生である。成上は惨状を見かねてスマホを取り出す。
「全く……この子を見習いたまえ」
「誰?」
「今年最も活躍した子役だ。その実力を買われ、名家の養子に引き取られた。キミの元相棒、富沢くんをも食らう勢いだよ」
「こんなガキに食われるたぁ、礼央も焼きが回ったな。あんなチビ、食ったところで腹たまんねえだろうけど」
 加護は鼻で笑ったが、その後皮肉も言ってられない状況が待っていた。
 チャイムと共に入ってきたのは、担任ではなく知らない男。教卓の前に立ち点呼を始めた。
「守谷先生は?」
「しばらくの間、家庭の事情でお休みされると」
 男の怪しい笑いに加護が眉を吊り上げた。代理の先生は、異議を申し立てた三人に罰則を与えた。風間は服装を、加護は気絶させた二人のことを指摘され、内海は巻き添えを食らった。
 腹の虫が鳴く頃、三人は校舎中の窓と対面することになった。宮下が見かねて手伝うと名乗り出る。
「僕が窓ガラスを割らなければ、守谷先生も目をつけられることはなかったので」
 終わりの見えない罰則を淡々とこなしていると、招かれざる来訪者が現れた。
「ほう、ボールよりよっぽど手に馴染んでるじゃねェか。落伍者にはお似合いだぜ」
 礼央である。ピクリと眉を動かし、加護が煽る。
「何だよ。お前もやりてえのか? 無理だよ。その身長じゃ」
「あ"?」
「つーかお前、中学から全然変わってねえよな。いい牛乳飲んでんじゃねえの? いやむしろ縮んでね?」
「あァん? お前の目がおかしいんだろ。眼科行って来いよ。紹介すんぜェ」
 礼央は青筋を浮かべた。二人の軽口は止まることを知らない。
「小学生!」
「デカブツ! 巨人は大人しくうなじ削がれて駆逐されてろ」
 そこに風間も参戦する。
「君は獅子を名乗りながら小物のように鳴くね。実は子猫なのか?」
「噛み砕かれてェのか」
『【噛み砕かれてェのか】を検索します』
 反応した風間のスマホに、礼央はさらに苛立った。

 礼央は、放課後の稽古にも姿を現すことはなかった。先に帰ったと聞いた内海は不満をこぼす。
「文化祭実行委員のくせに……何あの態度」
「あいつの家は金の力で世界を手玉に取る。そりゃ態度もデカくなるだろ」
「ほう。金の力と僕の力、どちらが先に世界を滅ぼすか見ものだね」
「世界滅んだら金いらねえだろアホ」
 加護のツッコミを気にすることなく、風間は台本のキャスト一覧を眺め、呟く。
「しかし甚だ疑問だね。劇とはいえ、なぜ彼はやられ役を選んだのだろう」
 天気予報は外れ、帰る頃には巨大な水たまりがあちこちにできていた。内海はバイト、加護は補習のため、風間は一人で帰路を辿る。
 一方、宮下は河川敷に一人、傘もささず佇んでいた。濁流を見てぼんやりと、毛先からこぼれる感情に身を任せる。走馬灯のように流されていく輝かしいあたたかな記憶が、現状をさらに惨めにした。
 ここは三人の始まりの場所だ。バスケ部のなかった中学で、宮下は創立のため奔走していた。そこに声をかけたのが礼央だった。もう一人アテがあると加護を呼び、部活は始動した。三回戦敗退の苦い思いも、全国制覇の喜びも分かち合った。
 そんな面影はもうどこにもない。拗れていった関係は、次第に周囲にも影響を及ぼしていった。宮下は下唇を噛みしめる。
 庇った人はみんな不幸になった。償うこともできず、友人を救うこともできず、その上親にも心配をかけて……。もし自分がいることで不幸を招くというのなら、喜んで命を差し出したい。
 ーープライドは捨ててもいいけど、命だけは自分で捨てちゃダメ。最期の約束だよ。
「こんな地獄で生き続けろって言うの? 姉さん……」
「天の哀しみを浴びていたいだなんて、とんだ物好きだね。入るかい?」
 突如現れた風間に、宮下は精一杯笑いかける。
「大変ありがたい申し出ですが、お気になさらず」
「傘はどうしたんだい?」
「……忘れました」
「いつも鞄に入っていた折りたたみを?」
 驚きで何も返せない宮下を、降りしきる雫から守った。
「荷物検査の日に見かけたんだ。快晴の日も常備していたんだろう。やつらに献上したのか?」
「困っている人に手を差し伸べるのは、当然のことです」
「いい心がけだね。実は僕、今困っているんだ。赤点を取らない方法を教えてほしい」
「僕なんかでよければ喜んで」
 二人は天の涙を踏みしめ、歩き出す。
「主人は一緒じゃないんだね」
「今日はおひとりで帰りたい気分だそうで」
「君は彼らといて楽しいの?」
「……そう見えませんか?」宮下は弱々しく笑う。
「うん。ひどい微笑だ。一点も上げられないよ」
「え……」
 引きつる宮下を穏やかな声色が包む。
「人はね、笑顔でいられないところを居場所とは呼ばないんだよ」
 数分後、二人は風間宅に足を踏み入れていた。上がるよう促すと、宮下は遠慮がちに靴を脱ぐ。風間は宮下を座らせ、タオルで髪を拭き始めた。
「あ、あの……自分でできますよ?」
「だろうね。君は大いなる力を秘めている。なぜ下僕に成り下がっているのか、甚だ疑問だよ」
 宮下にタオルを預けると、今度は着替えを持ってくる。
「サイズは同じくらいだよね」
「いえお構いなく!」
「服くらい乾かそうよ。風邪ひいたら主人のお世話もできないし、怒られてしまうだろう」
「……ではお言葉に甘えて」
 二人はお菓子と文具を広げ、課題に取り掛かった。
「この因数分解は、公式が四つありましてーー」
 プリントの空白が次々と埋まっていく。
「君はとてもいい頭と心を持ってるね。僕と契約しない?」
「お褒めに預かり光栄です」
「……しもべクンは甘いの苦手?」
「好きですよ」
「これサクサクで美味しいんだ。ぜひ食べてほしい」
「いいんですか?」
「もちろんだとも! むしろ食べないと失礼というものだ。客人は客人らしく振る舞えばいい。それに敬語は不要だ。よそよそしくて逆に傷つく。僕を傷つけたくなければ、敬語を外してくれ」
「変わった脅し方……だね」
 苦笑しながらクッキーを頬張ると、懐かしい味がした。
 ーーほら食え負け犬ども!
 ーーお前も負け犬じゃねえか。
 三回戦敗退の日、礼央が大量の差し入れを持ってきた。加護と競争するようにクッキーを詰め込み、同時にむせた。その様子を宮下はクスクスと笑って眺めていた。
 宮下の頬に思い出が伝う。拭っても拭っても溢れ出てくる。宮下はそれでも笑みを崩さない。
「君さえよければ、涙ついでに教えてくれないか? 君が仕えている主人について」

 同級生より一足早く帰宅した礼央は、自室で演劇の台本を読んでいた。ミルクティー片手に、時折書き込んだり線を引きながら、ボソボソとセリフを口にする。
 その声を聞いているのは、苦楽を共にした数多の書物だけだ。三つの大きな棚には、本が隙間なく敷き詰められている。本の間には、ユニフォームの仲間と共にトロフィーを掲げた写真が一つ。バスケットの本は隅へ奥へと押しやられ、経営やスポーツマネジメントのマニュアルがずらりと並んでいる。
 ノックと共に使用人が入室した。パーティーの日付が決定したことを知らせにきたのだ。十一月十日。文化祭と同日である。父親から呼び出されていると言伝を受け取り、礼央は素っ気なく返事して、台本をゴミ箱に投げ捨て部屋を出た。
 礼央は廊下を一歩進むたび、思い出を切り捨てていく。
「おいおいどうしたァ? その程度かよ。うちのエースが聞いて呆れるぜ」
 煽る礼央に加護はニヤッと笑い返す。
「お前こそへばんなよ? キャプテン」
 休憩中まで競争する姿に、仲間たちは苦笑をこぼした。
「どっちもバケモンかよ」
「いやガキだろ」
「おーいオーバーワークすんなよ?」
 礼央は父の部屋の前で立ち止まった。この一線を越えれば、もう二度と手を伸ばせない世界。居心地のいい過去に別れを告げて、扉をノックした。

 宮下は鼻をすすりながら風間に打ち明けた。
「ーー全国優勝を果たした直後でした。礼央くんが部を去ったのは。ちょうど加護くんの選手勧誘の話が出た時期で……」
 思い出を反芻する宮下の顔は哀しみに満ちていた。
 亀裂の入る二人を止める力はなく、ただ眺めることしかできなかった。
「バスケできることが当然だと思うなァ! あんだけ恵まれた環境にいて、なんでそんなツラができんだよ……!」
「疑問に思うならお前も来いよ。あそこは『楽しい』とか『好きだから』じゃ済まされねえ生き地獄だ。称賛の雨と同時に毒塗った槍が降ってくる」
「ほう。天才が見る景色は大層狭いんだなァ! 空ばっか拝んで足元がてんで見えてねェ! お前、何のためにバスケやってんだよ。辞めちまえ。そんなツラするくれェなら」
 その翌日、暴力事件の噂が流布され、三人はバラバラになった。
 宮下は目を伏せ、膝の上で握りこぶしを震わせる。
「全部見過ごしてきました……! 昔も今も、僕はただそばで見ていることしか……」
 じわじわと侵食する罪意識を止めたのは、優しい鳴き声だった。クーンと近寄ってくる黒犬に、宮下は思わず言葉を失う。風間の愛犬がひと吠えすると、宮下は笑い出した。
「しもべクンは犬の言葉がわかるのか!」
「いえ、礼央くんが飛び上がるほど苦手だったなと……いつも無敵みたいな顔してる礼央くんにも、弱点があったんだって安心したのを思い出して」
「変わり果てた友のため、己の苦しみを飲みこみそばにいる。素晴らしい精神だよ。誰かのために尽くす。人はこれがなかなか出来ない。仕えて合わせる。君は文字通り人を仕合わせにできる。望みを叶えてやれる。いわば神さまだよ」
「そんな大層なものでは……僕ができることなんて、限られてますしーー」
「敬語」風間は宮下の頬を摘まむ。
「うっ」
「常人はね、離れていくものなんだよ。あんな風に友人が横暴になったら。離れないで耐えた君は、立派だよ」
「……ただの自己満足にすぎないんだ。僕が一番弱い存在でいれば、ムダに気を張らなくて済むんじゃないかって。どんなに周りから噛みつかれても、僕を従えることができれば、礼央くんは独りにならないだろうって」
 穏やかな顔で想いを口にする宮下の瞳に、心なしか光が戻る。
「もし僕に神さまみたいな力があるなら、三人でまた笑える未来を手に入れたい」
「何を言ってるんだ。君はもう神さまじゃないか」
 そう言って風間が取り出したのは、演劇のシナリオだった。
「この台本、彼のために書いたんだろう。ならハッピーエンドにして見せようじゃないか。あの哀れなシーザー、いやブルータスの物語を」


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?