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【小説】中二病の風間くん第13話 和解の儀

 幕が上がり、宮下のナレーションが体育館に響く。
『ブルータス。それはあまりにも知られた名だが、これからあなたが目にするのは高校生の彼。原作とは異なる世界線で描かれるこの物語は、果たして悲劇か。喜劇かーー』
 賑やかな教室で礼央ブルータスと風間シーザーが語らう。
「ポーシャって男装してるのになんであんなに可愛いのかな。罪深いね」
「そ、そうかァ?」
「そうだよ! 最近ますます体つきがエロくなってきてーー」
「お前なァ……」
「僕もだいぶ大人になってきただろう?だからそろそろ頃合いだと思うんだ」
「何の?」
「結婚」
「すっ飛ばしすぎじゃね?」
「いいや僕は確信している。ポーシャは必ず僕を選ぶ! そうだろう?」
「どっから湧いてくるんだァ? その自信」
「なんだ? 脈なしとでも言いたいのか?」
「そうじゃねェけど」
「けど?」
「……まあ頑張れよ」
 急な役の変更でも対応できる礼央に、宮下は感心する。
『その日の放課後、さっそく意気揚々と告白したシーザー。翌朝ブルータスが聞いた結果はーー』
「どういうことだ!? ポーシャは君が好きだと言った! 答えろブルータス。君はポーシャのことをどう思っている」
「そうだなァ……強いて言うなら弟?」
「ポーシャはレディだよ! 全く君は見る目がないね。だが安心した。これで心置きなく求愛できる」
 扉の傍らに立つ内海ポーシャが、目を閉じて憂いを歌う。風間と散々練習した曲だった。その時、確かに人魚姫は二本足で立ち、見る者すべてを魅了した。
『その会話を密かに聞いてしまったポーシャは、ブルータスの友・キャシャスに相談した。するとキャシャスは激怒し、ブルータスを叱咤した』
 加護キャシャスが礼央ブルータスを睨み、見下ろす。
「いいのかよ? このままで。シーザーのやつ、強引に迫ってウンと言わせるまで付きまとうぞ」
「……いいんだよ。俺あいつに一度だって勝てたことねェし」
「相思相愛なのになんで助けてやんねえ」
「俺はただ……三人で笑ってたいんだよ」
 礼央の脳裏には中学時代の光景が浮かんでいた。
「そういうとこだぞお前……目の前のことただ見過ごして、関係ないみたいな顔してよ! お前の気持ちは!? なんで全部フタしちまうんだよ。一度くらい伝えたっていいだろ」
「俺の気持ち知ったらシーザーは加速する。あいつを守るためでもあるんだ」
「何言ってんだ。嫌われるのが怖いだけだろ。シーザーの目、覚まさせてやれよ。好きならポーシャのこと泣かせんなよ。守りてえならちゃんと直接行動しろ!」
 大根役者の加護は鬼気迫る声音を発して、礼央ブルータスを殴った。演技ではない。役を通して本音をぶつけているのだ。
 シーンが切り替わり、スポットライトがシーザー風間とブルータス姉の前原を照らす。
「聞いたよ? フラれたんだって?」
 ニヤニヤする幼馴染みの姉にシーザーは苛立ちを見せた。
「何が言いたい?」
「仕方ないよ~。ポーシャとブルータスは昔から両片思いしてるんだから。あんたが入る隙なんてない」
 シーザーは睨んだが、ブルータス姉には痛くもかゆくもない。
「ああ可哀そうなシーザー!」
「からかいに来たなら去れ! この僕が愛されていないはずがないだろう!」
 立ち去ろうとするシーザーの首に細い腕が回される。
「そうだね~。少なくとも私はあんただけを見てるよ?」
「……」
「私じゃだめ?」
 内海の胸に黒いものが一瞬波紋を広げた。役だとわかっていてもなお、どこかモヤモヤしていた。
「ダメだね! ポーシャに比べて魅力を微塵も感じられない! 冗談は程ほどにしておけ」
『ブルータス姉は思った。ポーシャさえいなければ』
 再びスポットライトがブルータスに当たる。今度はシーザーと共に照らされていた。
「君は知らないだろうね。恋という病の恐ろしさを。ポーシャが他の男と話してる時、どうしようもなく相手を殺したくなる。君もだよブルータス。隠し事をされるのも耐えられない。僕の知らないポーシャがいてはならないんだ。彼女の全てを知りたい。誰にも渡したくない……君にはわかるまい」
「わかるよ。俺だってあいつのこと、お前よりずっと前から想ってる」
「ブルータス、君もか。君も僕の邪魔を……あの日君は応援してくれたじゃないか!」
「でも俺は! お前にも笑ってて欲しかった……だからこの好意は墓場まで持っていく。頼む……あいつを幸せにしたいなら、泣かせないでくれ。俺はお前の味方だから」
 礼央はセリフを口にしながら、宮下の想いを痛感した。
「十五年もしまっておいたんだ。今更どうってことねェよ。ポーシャが笑えるならそれでいい」
 場面はクライマックスへ移る。
『ブルータス姉はポーシャを刺そうと駆け出した。だがーー』
 血を吐き倒れたのは、風間シーザーだった。緊迫感のあるシーンに一同は役に入り込む。そんな中、内海だけがヒヤリとした。血のりだとわかっているはずなのに、どこか現実味のある光景に思えたのだ。
 咳き込むシーザーにポーシャが寄り添う。血を流し続ける風間の顔は青ざめ、苦しそうに息をしていた。内海は素で心配になり、思わず手を握る。シーザーはポーシャの頬に手を添えて微笑んだ。
『ポーシャ……そんな顔をしないでくれ……。いつだって君は、僕のわがままに苦笑しながら付き合ってくれた……。どうか恨み続けてくれ……君を笑顔にできなかったこの愚かな男を……」
 内海は涙を浮かべた。本当にどこか遠くへ行ってしまいそうな、慈愛に満ちた目だった。
「そしてブルータス……最期まで友人でいてくれてありがとう……。墓になんて持っていくなよ……? このチャンス、絶対無駄にするな」
「最期だァ? ふざけんじゃねェよ。俺たちはこれから……!」
「……ポーシャを頼んだよ。僕の尻拭いはいつだって君の役目だろう」
 シーザーは力なく手を下ろし、瞳を閉じた。発狂して自害しようとする姉をブルータスは止めた。
「死んだって、あいつと同じとこになんかいけねェよ。悔しかったら、苦しかったら、許されたいなら、生きて償えよ」
 礼央は隠された宮下のメッセージに、瞳を潤ませた。
 シーザーの墓参りで幕を下ろした劇。舞台袖にはけると、宮下がすぐにハンカチを持ってくる。
「何べそかいてんだよ」加護が小突く。
「うるせェ。演技だ演技」

 各々の役を演じきった一同は、屋台の並ぶ校庭を歩く。
「散々迷惑かけたからなァ。たらふく食え」
 礼央が奢ると言い張り、テーブル席は大量の屋台飯で埋め尽くされた。加護と礼央はどちらともなく競い始める。
「ほらよ。遠慮なく食え」
 礼央が青のりまみれの焼きそばを差し出す。
「もう老いがきてんのか? 知ってんだろ。無人島でもそんなもん食わねえよオレは」
「好き嫌いしてんじゃねェよ」
「心配すんな。嫌いなもんあっても背伸びるし」
「嫌味かコラァ! これ以上デカくなったらマジで狩り取るぞ」
 宮下はその様子を微笑ましげに眺めている。
「何ニヤニヤしてんだァ? 見てねェで食え」
 礼央がポテトを押し付けると、苦笑をこぼした。
「もう十分なんだけど……礼央くん半分食べてよ」
「うるせェ。吐くまで食え」
 そう言いつつ、礼央は半分減らしていく。ポテトを掴む箸にちゃっかり左手を添えて。暴言の絶えない礼央の手元は汚れておらず、口元にはケチャップ一つついていなかった。対して風間は、頬についたソースに気づくことなくモリモリ口に運んでいる。
 家柄出てんなおい。内海はそう思いながら風間にティッシュを渡した。
「二人とも、身長の割に食べるのだね」静観していた成上がふと呟いた。
「あ”?」礼央の目が鋭く光る。
 加護は風間にフランクフルトを勧めた。
「ほらもっと食え。そして礼央を追い抜かせ」
「冗談も大概にしとけよコラ」

 テントが解体され、日が暮れる中、体育館に明かりがついた。そこにはビブスを着た六人が向かい合っている。
「では和解の儀を始めよう」
 口火を切った風間は内海と礼央のチームへ。加護は成上と宮下を率いている。
「いやおかしいだろ! ハンデつけすぎじゃねェか!?」
「何言ってんだよ。平等だろ? 三人ずつ」
「戦力差考えろや! 体育とは訳が違ェ。こいつら倒れたらどう責任とんだよ!」
 ボールが放たれる前から怒号を飛ばす礼央を、成上が諭す。
「心配いらないよ。私と宮下くんには重りがついている」
「それこそ危ねェだろが! 外せ。こんくらいのハンデ、すぐ覆してやるよ」
「さすが堕天使ルシファー。僕の見込んだ男」
 感心する風間に加護が便乗する。
「相変わらず口だけは達者だなルシファー。余裕ぶっこいてると足元すくわれるぞ」
「俺が天使に見えてんならその目腐ってんなァ……!」
 交代なしの十五分勝負。同点の場合はフリースローでサドンデス。勝った方が一つ言うことを聞く。そんなシンプルなルールで試合は開始した。
 礼央は加護より早く到達点に跳び、ボールを手にした。風間に渡り、成上が立ちはだかる。軸足を中心に上手く避ける風間に、つい口が出る。
「一度くらいボールをついたらどうかね?」
「ついてもいいが、どのみち君にこの結界は破れないよ」
「いつまで持ってんだ! はよパス回せ!」
 檄を飛ばす礼央には加護がついている。風間は内海にパスを出したが、宮下が阻止して攻めてきた。礼央は加護に渡るはずのボールをカットして反撃に出る。
 相対する成上に対し、変則的なドリブルで足元を崩す。尻をつく成上を置き去りにゴールへ跳ぶも、加護がそれを許さない。礼央は持ち手を変えて放り、二点先取した。
 宮下がリスタートに入ると、加護には風間と内海がついていた。
「初心者二人に任せてないで、お前が来いよ腰抜け」
 加護はいとも簡単に二人を振り切り、宮下からパスを受けシュート体勢に入る。
「天才はこれだから困る。自分のレベルばっかで周りを見てねェ。バスケが個人技だと思ってるやつが、オリンピックなんかいけるわけなかったよなァ……!」
 礼央はボールを弾き、指示通りゴール下で待つ内海にパスを出す。内海が高く放った先はゴールから外れていた。礼央は口角を上げて跳躍し、ダンクを決める。スキール音を立てて着地し、かつての相棒を見据えた。
「お前は昔からそうだ。自分が点取ればいいと思ってやがる。候補選手の中には、俺より優秀な司令塔がいたはずだが、ついてきたのは無様な結果ばかり……お前を一番生かしてたのは俺だった。そうだろ?」
「……」
「いつだってお前は親の背中しか見ちゃいねェ。精神ズタボロになってまでバスケ続ける理由はなんだァ? 親や世間のためだってんなら、その面ぶん殴るぞ」
 再スタートで宮下が加護へボールを回す。すぐに礼央が行く手を阻み、一騎打ちとなった。
「世間が望んだからじゃねえんだ。俺がオリンピック目指したのは。俺が何もしてなくても、金メダリストの息子ってだけで称えられた。俺は親の代替え品でも備え付けのもんでもない。それを示したかった」
「道理でぶっ壊れるわけだなァ」
「壊したのはお前だろうが……! 親の言いなりなら責任ゼロってか? それで傷つけた全部がチャラになるとでも思ってんのか!」
 礼央を抜き、加護がスリーポイントを決めた。早いテンポで進む試合に、早くも初心者二人は息を切らす。
「これは俺のケジメだ。お前らは無茶すんなよ?」
「バスケってこんなに楽しいんだね。ヘタな僕でもなぜか戦力になってる気がする」
「たりめェだろ。俺が司令塔である間は素人だろうが女子だろうが無駄にはしねェ」
 二人に作戦を伝える礼央の姿に、加護は過去を重ねた。
 三回戦敗退の日。メディアに仲間を蔑ろにされた加護は苛立っていた。数分前まで雄叫びを上げていたチームメイトは、敗北の味に俯いている。
「おいおい俺たち舐められてんぞ。あのカメラには五対一に見えてんのかァ? とんだ不良品だなァ」
 そんな中、礼央だけが不敵に笑った。
「自惚れんなよ? ここじゃお前は金メダリストの息子じゃねェ。青山南中のエースだ。カメラの向こう見てる暇があんなら、仲間にコーチングしやがれ。死ぬほどこき使ってやる」
 思い出から意識を戻し、成上に指示を出す。
「礼央は基本二点取りだ。外はねェ。来たら三人で速攻囲む」
「ああ、非力ながら加勢させてもらうよ」
 スタートから攻め込んできた礼央を総動員で阻む。
「お前、親の言いなりで部活辞めたんだろ。バスケできねえ辛さは、お前にも痛いほどわかったはずだ。やりてえなら主張しろ。オレをストレス発散に使うな」
「発散どころか溜まる一方だったわ! 噂の時点でお前が諦めてりゃ、みんな無事だったんだ。確かに俺だけ辞めなきゃなんねェのは腹立ったけどよ、あん時さえ大人しくしてりゃ、お互いまたバスケできたんだよ」
「あれが最善策だってんなら、お前相当バカだぞ」
 加護は隙をついてボールを奪取し、二本目のゴールを決めた。
「負け犬のやり方だ。卑怯な手使って引きずり下ろすなんてのはな」
「卑怯ものだってんなら、正々堂々お前のテリトリーで戦ってやるよ」
 スタート直後、スリーポイントラインから放たれたボールは籠にキレイに吸い込まれる。
「何回お前のシュート見てきたと思ってんだァ! 俺は元々シューター志望なんだよ」
 その声に加護は口角を上げた。
 開始十分。ハイペースに進んでいく点取り合戦に、成上とブランクのある宮下が息を上げた。事実上、一対一である。点差は拮抗したまま、口論も加速していく。
「二世がなんだァ? あんなプレッシャーなんざ、俺がいりゃ跳ね返せた!」
「親にビビッてたやつが何言ってんだよ!」
「裏で作戦練ってたに決まってんだろが! 何のために親に無理言ってまでこの高校来たと思ってんだァ!」
 完全に二人の世界に入ってしまっている。パスなど回ってこない。だがこれは、元々二人のための試合。目論見通りの展開だと、風間と成上は視線を交わした。
「高校でまたタッグ組んで優勝して、その先で一緒に選考受けてオリンピック。お前のせいで計画全部台無しだクソ!」
「そんな夢見てたのかよ。アホらし」
「俺とお前なら実現できる計算だった。宮下もここに入るって知った時から確信してた。高校で三連覇するくらいどうってことねェってな。なのにお前は、無駄に暴れ散らかして親父に目つけられてボコボコにされてよ! あんだけ忠告してわかんねェのか」
「わかるわけねえだろ! 人のこと傷つけといて簡単に許されると思ってたのかよ? また何のしがらみもなくバスケやれるとでも? 笑わせんな」
 礼央のスリーポイントで同点になった時、終了のホイッスルが鳴り、フリースロー対決に移行した。礼央がボールを持ち、絞り出す。
「俺はお前に憧れてバスケ始めた。金メダリストの息子じゃねェ。お前にだ。噂なんざ時が流れりゃすぐ消える。傷つけあったのはお互い様だ。許せとは言わねェ」
 双方外すことなく何本も打ち続けた。
「許すわけねえだろ。死んでも恨み続けてやる。それが唯一、オレがお前にできる復讐だからな」
 消耗戦になり、礼央が外して決着がついた。加護は二コリともせず呟く。
「今思えばオレとお前は同じだったわけだ。親に敷かれた狭いレールの上で、何年ものたうち回ってた哀れな二世……」
「同情できるほど余裕あったのかよ? 自分のことで精一杯だわアホ」
 ぐったりと腰を下ろす初心者二人と成上に、加護の声が降ってくる。
「付き合わせて悪かったな」
「いやおかげでいいものが見れたよ」
 加護が労う一方で、礼央はタオルを頭にかぶり俯いている。宮下がドリンクを手に駆け寄った。
「ごめんね。今まで何もできなくて」
「何でお前が謝んだよ……苦しめてたのは俺の方じゃねェか。謝っても償いきれねェほど押し付けてきた」
 ぐびっとドリンクを流し込み、礼央は呟いた。
「俺、これからどうすりゃいいんだろうなァ……」
 孤独に生きる未来が瞳に映る。
「無事にまた戻ってきてくれればいいよ。誰も礼央くんのこと、見捨てたりしないから」
 礼央はタオルの下で瞳を揺らした。
「もちろん僕らだけじゃない。ご両親だって……」
「親父はそんなぬるくねェよ。いざとなったら俺すら切り捨てる」
 哀愁漂う雰囲気に、風間が口を出す。
「そうかな? 君はいつだって直接手を下さずに、外堀から埋めていく。本人に諦めさせるための方法を取る。それは父上も同じだったろう? 暗殺を君にやらせようとしたくらいだ。親子揃ってひどく臆病なんだね」
 加護が歩み寄り、礼央のタオルをはぎ取る。黙って見下ろしてくるかつての相棒へ、礼央はため息と共に吐き出した。
「……俺の負けだ。お前の望みはなんだァ? 煮るなり焼くなり好きにしろよ」
 加護は耐えるように下唇を噛み、礼央の胸倉を掴んだ。
「……これからも俺にパスを出せ。世界に連れていけ。そんだけだ」
「……非情になりきれねェのはお互い様か」
 校門へ向かうと、私服警官が出迎えた。礼央は大人しく従い、開かれたドアへと歩みを進める。宮下が呼び止めると、穏やかに振り返った。
「……ありがとな。ずっとそばにいてくれて」
「またバスケしようね。待ってるから」
 顔を綻ばせる宮下とは対照的に、加護は睨みを効かせる。
「オレは待たねえぞ。さっさと追いかけてこい」
「上等だコラ。地獄の底まで追っかけてやんよ」
 風間はにこやかにその様子を見守る。くしゃみを連発すると、内海に上着を被せられ、校内に連行された。
 覇気のない礼央の隣に、成上が乗車する。何でいる。そんな視線に成上は「証言者の私が同行するのは当然だろう」と顔色一つ変えなかった。
 景色の流れる窓の外を眺め、礼央は内心サヨナラを告げた。シーザーという偽りの自分に。


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