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【小説】中二病の風間くん第12話 この瞬間だけは

 登校前、宮下は墓地に立ち寄っていた。曇天の下、姉の名が刻まれた墓前で手を合わせ、目を閉じる。管をつけられ、弱々しく横たわる姿は、十年経った今でも脳裏に焼きついている。
 細い腕を伸ばし、頭を撫でてくれた過去の温もりに浸っていると、物音がした。視線を向けると、風間が別の墓前で花を生けている。声をかけようとしたが、憂いに染まった瞳に思わず言葉を飲み込んだ。
 宮下はそのまま登校し、礼央の姿を見つけて声をかける。だが返事はない。殺伐とした空気を纏い、ただ黙っている。何か怒らせるようなことをしたのではという疑念も、すぐになくなった。加護がいくら挑発しても反応することなく、歩き去ったからだ。
 今日の礼央は、刺々しさがない代わりに禍々しさが増していた。この世の闇を体現しているようだった。何かがおかしい。宮下と加護は危機感を抱いた。
 一方、内海は別件で危機を感じていた。
「風間くんってさ、かっこいいよね」
 文化祭で使う小道具を作りながら、声優志望の前原が呟いた。ヒヤリとしたものの、その感情には蓋をする。これまで接点などなかったが、一緒に作るうちに向こうから声をかけてくるようになり、だいぶ話すのにも慣れてきたところだ。嫌われるのは避けたいと、内海はさりげなく制止する。
「……顔は確かにイケメンだけど、中二病こじらせてるよ?」
「でも自分を曲げないっていうか、こないだ重い荷物持ってくれたし……あととにかくドヤ顔が可愛い」
 真顔で言い切る前原に「ベタ惚れか」とクラスメイトが冷やかす。仲間に質問攻めにされ、照れたように笑う前原を見て、内海の表情に影が差す。
 噂をすればなんとやら。校内放送が流れ、風間の声が響き渡る。
『富沢礼央くん、加護真孝くん、どうか耳を傾けてほしい。君たちを誰よりも想う宮下くんの言葉に』
 宮下は手紙を持ち、口を開いた。
『僕には夢がある。何度も無理だと諦めて、蓋をしてきたそれを、僕は今ようやく口にすることができる。あの頃のように、三人笑ってコートを駆ける日をもう一度迎えたい』
 その声に加護は突っ伏していた体を起こし、礼央は足を止めた。
『僕は一度、抗うのを辞めた。いつかその日がくると思って、流れに身を任せてじっと耐えた。これ以上、思い出を壊したくなかったから。だから見てるだけで何もできなかった。でも、何もしなかったから変われなかった。僕も二人も』
 先生たちが動き出す中、凛とした主張はさらに続く。
『あの時は、二人がいつもチームを引っ張ってくれたから、今度は僕が……引っ張れなくてもせめて背中を押す。二人がやり直すための舞台を用意してみせる。この命が枯れるまでは、何度だってね』
 礼央は怒気を隠しもせず、一直線に発信源へ向かっていく。放送室の前では先生たちが声を張るも、風間の仕掛けで立往生していた。
『消せるものなら消してみろ。富沢礼央! みんなじゃなくて、この僕を! 何を踏み潰しても消せなかった君の後悔も全部、僕は受け入れるよ』
 礼央は駆け足で放送室へ急いだ。
『風間くんに言われて気づいた。君たち二人はもっと、僕ももっと、自由でいいんだ』
 その時、放送室の扉が蹴破られた。
「おい宮下ァ……いつからそんな大口叩けるほど偉くなったんだァ?」
 沸点が限界に達して、声が震えて掠れていた。
「どいつもこいつも楯突けばどうにかなると思ってやがる。夢があるだァ? お前が一番知ってんだろうがァ! この世の現実ってやつをよ」
 そのままズンズンと宮下に迫るも、風間が立ち塞がる。
「ああ、知っているとも。宮下くんに比べれば付き合いは短いが、君は決して自分の拳では殴らない。そうだろ?」
 礼央は机を蹴飛ばして詰め寄り、瞳孔を開いて殺気を放つ。
「関係ねェやつは引っ込んでろ。消されてェなら喜んで手ェ貸すぜ」
 血走った目に風間は怯むことなく、口笛を吹く。駆けつけた吠える声に、礼央は青い顔で振り向いた。そこには黒い大型犬が馳せ参じていた。先生たちが困惑の声を上げる中、犬は礼央の腕に噛みつく。
 ふだんの傲慢な態度はどこへやら。礼央は焦りを露わにしてもがき、パニック状態で声も出せずにいた。縋るように一瞬、宮下に視線を送る。
「主君というのはね、しもべの分も責任を負うんだ。君は彼に何の責任も果たしちゃいない。……残念だったね。僕は彼と契約を交わしている。君にはもう従わない!」
 礼央から表情が消えた。俯き、抵抗をやめた標的に、メフィストフェレスも大人しくなる。
「……そうかよ」
 大人しく踵を返して去っていくその背中は、どこか弱々しく見えた。心配そうに見送る宮下へ、風間は笑いかける。
「大丈夫だよ。僕は彼とも契約するつもりだからね」

 長い補習を終えた加護は、思わず足を止めた。校舎裏で雨に打たれる礼央の姿が視界に入ったからだ。天に顔を向け、虚ろな目をした礼央は着信音に従いスマホを耳に当てる。
「はい……礼央です。お父さま……」
『校門前に迎えを寄越した。今夜には会場に向かうぞ。毒の用意はできているな?』
「ええ……もちろんです。必ずこの手で……殺します」
 通話が切れた途端、ズルズルと壁に身を預け、腰を下ろして俯く。いつもの覇気がない。捨てられた子猫のような姿に、加護は声をかけることも、恨みをぶつけることもできずにいた。
 礼央は自分の髪を引っ掴み、ため息と共に弱音を吐く。
「……もう終わらせてくれ」
 一方、帰宅していた風間にも着信が来た。
『哀れな獅子を救済する気はないかね?』
「獅子? 子猫の間違いだろう。拾ってくれと言わんばかりに鳴いているじゃないか。僕もそろそろエサくらい与えようと思っていたところだよ」
 車で待機していた成上の手には、パーティーへの招待状が握られている。格式高い服に着替えた二人を乗せて、運転手はアクセルを踏んだ。
 眼帯を外し、カラコンとカツラをつけて、シークレットシューズを履く。風間の中二装飾は首飾りのみになっていた。
「正装が必要なほど重々しい案件なのかい?」
「手短に話そう。富沢家は代々、選手育成やマネジメントを担っていてね。有望な人材を見つけては、世界へと羽ばたかせた。手段は問わず、相手選手を故障させるくらいは朝飯前。加護くんもその対象になった。そして今や、敵対財閥をも食らうほど凶暴化している。今回のターゲットは彼だ」
 スマホ画面には、いつしか見せられた人気子役が映っていた。
「パーティーという公的な場を選ぶとは、ずいぶん派手な演出だね」
「暗殺にはそれくらいのカモフラージュがちょうどいいのだよ。相手が有名人なら尚更だ。メディアの前で起こす方が陥落が容易になる」
「疑われるリスクは?」
「とある条件を満たせば、ぐんと減る。この子役は養子だ。本来継承すべきは嫡男。だが、あいにく一人息子はプー太郎でね。内乱勃発中の今なら、真っ先に疑惑の目を向けられるのは嫡男派だ」
「恐ろしい父親を持ったものだね」
「全くだ。その上今回の実行役は礼央くん自身。直接手を下すことで継承の儀を行う変わった家だよ」
「……君はいつからこのことを?」
「四年前、父から潜入捜査を託された。同年となる礼央くんの監視。進学先はその時点で決定したよ。学校ともなれば、大人が出入りするより自然だからね」
 成上は雨の伝う窓ガラスを背に、鋭い視線を相棒に向ける。
「キミには囮になってもらいたい。私の役目は礼央くんの隔離。一歩間違えば誘拐・監禁だ。やれるかね?」
「僕を誰だと思っている。悪目立ちは朝飯前だよ。文化祭の予行演習と行こうじゃないか」
 会場は煌びやかな大ホールだった。多くの財閥親子があいさつを交わしている中、二人も声をかけられたが、成上父の協力と演技で乗り切った。会話の中で人気子役の居場所を特定し、立食で夕飯をいただきつつ、礼央を待つ。
 礼央はふだんの乱暴な雰囲気をしまいこみ、愛想よく礼儀正しく振舞っていた。オーケストラの演奏が始まる頃、礼央は大人に囲まれた標的と接触し、するっと打ち解ける。兄弟のような雰囲気に大人は微笑ましく思い、二人きりにした。
 バーカウンターに向かった二人はドリンクを頼む。メニューは全て英語で書かれてあり、ノンアルコールとの見分けがつかず子役が唸る。
「ココナッツミルクとジャンジャーエール、どっちがいい?」
「ミルクでお願いします!」
「フローズン・チチ二つ」
 礼央はさりげなく助け船を出し、グルの店主へ支払いと同時に毒を渡す。出されたグラスは全く同じ。ストローも同色である。見分けがつかないのは当然だった。どちらにも毒を入れるよう仕向けたからだ。
 これは、巻き込まれた被害者として振る舞うための作戦である。子役が飲んだことを確認し、礼央はストローに口をつけ飲むふりをした。
 ホール内のライトが消え、ステージ上にスポットが当たる。照らされているのは、風間だ。歌い出しの透き通った声に、会場中の視線が向く。その隙に成上は、眠気に誘われる礼央を回収した。ウエイトレスに扮した警察が、薬を仕込んだドリンクを配っていたのだ。
 成上の任務遂行に気づく者はいなかった。風間の表情と歌声に釘付けだったからだ。そこかしこから「あれはどこの子だ?」とどよめきが生まれる。

 三時間後、礼央の視界には見知らぬ二人の少年が映っていた。体は椅子に括りつけられ、口元はタオルで縛られている。明らかに自分の客室ではなかった。疑問を口にする代わりに睨みつける。
「誰だと言いたげな目だが、キミは私たちをよく知っているはずだよ」
 カツラを脱ぐ二人に礼央は目を見開く。
「獲物を狩り取ろうと集中するあまり、自分が狙われているとは考えていなかったようだね」
 礼央の視線が時計へ向かう。
「パーティーなら、とっくにお開きになっているよ。参加者はみな夢の中だ。キミの両親を除いてね。先ほど、ひと暴れした後お縄についたと連絡が入った。キミも逃れる余地はないよ」
 礼央は瞳を伏せた。風間が口元のタオルを外すと、静かに淡々と語りだす。
「そいつはどうかな。親父はサツごと買収すんぞ。調査したんならわかってんだろエセ探偵」
「無論、そのためにキミを隔離した。息子のキミがメディアの前で罪を公言すれば、彼らも言い逃れできない。明日の演説会は生中継だ。買収も編集も封じられる。パーティーの主目的である以上、中止になることもない」
「台本を書き換えろってのかァ? 俺がお前らごときに命乞いするとでも?」
 鼻で笑う礼央に風間が反応する。
「さすが堕天使ルシファー。神にすら噛みついたその傲慢さは、尊敬に値するよ。だが僕には見える。君の弱さが! 世間を欺いたって、この魔眼は誤魔化せないよ」
「ただのカラコンだろうが。お前マイペースにも程があんぞ。乗り込んできた度胸は認めるが、お前らもいずれ家族ごと消される。親父はそういう人だ」
 突如、成上が笑い出す。
「んだよ。恐怖で頭とち狂ったかァ?」
「さしずめブルータスと言ったところか。あれよあれよと周りに流され、自分の意思を持たないまま、後悔の道を歩んでいる。哀れなものだね」
 礼央のこめかみがピキッと音を立てる。
「金の力ってのは絶大だ。この世が資本主義である限り、親父に逆らえるやつはいねェ。命が惜しかったら俺を今すぐ解放するこったな」
「いいや、この世には金では買えないものがある」
 そう言い放つ風間に礼央は冷笑を浮かべる。
「なんだァ? 愛か? 友か? 命か?」
「死だ」風間はまっすぐ見据えて言い切った。
「は?」礼央は一瞬、怒りを忘れた。
「君がいくら金を積んでも手に入らない」
「そんなの、安楽死の研究させりゃーー」
「心臓を止めることはできるだろうね。だけど君の関係者は、君を忘れない。死はね、人間のものじゃないんだ」
 成上がじっと観察するように視線を向けるも、構わず風間は続けた。
「本当の死とは、誰の記憶にも残らないように命を落とすことだ。人間ごときができっこない! 記憶を消すなんて」
「関係者ぜんぶ道連れにすりゃいい」
「君が関わる人は多すぎるし、必ずニュースになる。どこかの誰かが覚えている。それだけで人は生きているんだ。だから僕は不死なのさ。僕は今、君たちに僕という存在を脳内に刷り込んでいる!」
「気持ち悪っ!」
 眉根を寄せる礼央とは対照的に、成上は面白そうに笑った。
「相変わらずハヤブサくんの意志は固いね。ところがキミはどうだ? 自分の意志を貫くこともなく、社会的に殺される寸前じゃないか。ここから先は一線越えれば戻れない。今ならまだ間に合う」
「……ったく、博打にも程があるぞ。そんなことを諭すためにお前らの人生ふいにしに来たのか。俺と取引してェなら、お互い利になる話をしろ」
 風間は名乗りを上げた。
「では望みをひとつ叶えてやろう。君が喉から手が出るほど欲したそれを、僕があげる。その代わり、僕と対等になってくれ」
「……お前が俺の何を知ってんだよ」
「バスケ部創立に助力したこと。敗退したその日に差し入れして鼓舞したこと。犬が苦手なこと」
 成上も便乗して口を開く。
「毎朝寝起きと夕食後にはミルクティーを飲み、朝食には炭水化物を入れず、卵やベーコンなどのタンパク質を主にとる。中学時代、密かに呼ばれたあだ名はレオ様。ファンクラブは入学式の三日後に発足されている。階段を上る時は左足から、不安な時は平常時の一・五倍速で歩き、思考に集中する際の顔の角度はやや左に傾いている」
「もういい! 自分でも知らねェ情報多すぎて怖ェわ!」
 拘束の縄を解きながら風間がとどめを刺す。
「そして、どんなに暴言を吐いても、宮下くんと加護くん本人には、直接危害を加えなかったこと……僕のはすべて宮下くんから聞いた話だよ」
「……」
「類は友を呼ぶとはよく言ったものだが、君たちは魂で繋がっているんだね。宮下くん同様、君も現状を壊すのが怖くて父親に合わせていたわけだ。目の前にある横暴すら見過ごして……」
 風間は手を差し出す。
「過去は変えられずとも、未来は変えられる。今この瞬間、君が僕の手を取ればね」
 礼央は悲しげに目を細めた。
「……もう遅ェんだ。俺はヒト一人殺しちまった。聞き分けのいいガキの人生を奪ったんだ」
「残念ながらキミの毒はここにある。未開封でね」
 成上の手にはドリンクに入れたはずの粉があった。礼央は息を飲み、目を見開く。
「バーで注文した時、キミのポケットに入っていたのは、私がすり替えた砂糖だよ」
 礼央は涙を浮かべて安堵のため息をこぼす。
「……お前ら最高だなァ。俺の負けだ」
 そして、風間の手を取り立ち上がる。
「乗ってやるよ。お前らの取引」


 昨日の雨が嘘のような晴天下、敷地内にはテントが並び、校門では看板がドヤ顔で立っている。一般客がゾロゾロ入ってくる中、内海はキョロキョロと風間を探していた。
「遅れてくるってよ。昼前の劇には間に合うだろ」
 加護はそう言ったが、開演前四十分になっても一向に来る気配がないどころか、礼央の不在が判明した。さらには加護も姿を消した。着信の後に「オレちょっと出てくるわ」と言ったきり戻ってこない。
 メインの役者が三人欠けている非常事態に、生徒たちは不安の色を見せる。一方で宮下は落ち着いていた。内海が嘆きを口にすると、必ず来ると言って笑いかけた。
 一方、演説会ーー。
 各財閥の次期当主が、大勢のメディアの前で言葉を述べる。本来いるはずのなかった子役も元気に発言している。出番がきて、礼央は手紙を広げた。一瞬、手首に巻かれた包帯へ視線を落とす。
 ーー俺の欲しいもん、ホントにわかってんのかァ?
 ーーもちろん。歯向かう勇気だろう。これは印だよ。世間からどんなに非難されようと、親から見限られようと、僕は君の味方だ。
 口を開き、自身と親の罪を赤裸々に語った。メディアや関係者がどよめく中、深々と頭を下げる。退場する礼央の背中に無数の質問が投げかけられるも、足を止めることはなかった。
 ホールを出た先には、制服に着替えた風間と成上が待機していた。
「君も着替えなよ。みんなが待ってる」
 礼央は遠慮がちに、傍らに立つ私服警官に視線を送る。
「君がしたことは立派な殺人未遂だが、対象は無傷。入れたのも砂糖。君の意志というよりは親の意志だ。それも我々に協力し、告発してくれた。便宜は図ろう。親に強制された人生を送ってきた君に、少しだけ猶予をあげる。文化祭という、この先二度とやってこない青春と、友人とのわだかまり。すべてに区切りをつけておいで」
 制服に身を包んだ礼央は、二人と共に会場を後にする。
「いいのかよ? 警察があんな甘いこと」
「私が交渉したんだ。キミは生徒だからね。生徒会長が守るのは当然のことだ」
「……お前が生徒会長でよかったのかもしれねェな」
 成上は用意されたバイクに跨る。
「さて、開演まで二十分を切った。飛ばすよ」
 そう言った成上に掴まっているのは、風間である。
「……俺は走っていけってかァ?」
「お前の足で間に合うわけねえだろ。アホか」
 気だるげな声がした。そこにはバイクを背に立つ加護の姿があった。言葉を失う礼央にヘルメットを投げる。
「逃げんなよ。オレたちからも、過ちからも」
 あれほど軽口を叩き合っていた二人は移動中、終始無言だった。
 校門に着くと、宮下が待っていた。
「宮下……お前もかよ」
 礼央は呆然とする。なぜあれほど突き放してもなお、歩み寄ってくるのか。宮下は礼央の腕を掴み、走る。
「主役が遅れたらシャレになりませんよ!」
「は!? 主役!?」
 即座に風間へ視線を向ければ、無邪気な笑顔が返ってきた。
「先に行くがいいブルータス! 僕というシーザーを倒してみせろ!」
 途端のしかかっていた重責も、纏っていた威圧感も、すべて風に吹かれて消えていった。 この先どんな罰が待っていてもいい。ただこの瞬間だけは、お前らと対等でいさせてくれ。


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