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【小説】中二病の風間くん第14話 失踪

 文化祭から数日が経過した。担任は戻り、加護もしっかり授業を受け、礼央の下僕として威張っていた二人組が大人しくなったことで、宮下の顔も晴れやかになった。だが、内海には物足りない気分が拭えなかった。
 風間が風邪で欠席しているのだ。元々虚弱体質ではあるが、演劇とバスケによる疲労が祟ったのだという。
 あのやかましい中二病が不在なだけで、こんなにも寂しくなるのかと、内海は実感していた。自席で弁当を取り出し、孤独ごと飲み込んでいると、声優志望の前原が声をかけてきた。
「内海さん、ここ座ってもいい?」
 戸惑いつつも了承すると、可愛らしい弁当を手に腰を下ろす。内海は気まずさを隠せず、黙々と箸をつけていた。風間への好意を聞いてしまってから、どんな顔をすればいいのかわからなくなっている。元々妬んでいたことも相まって、口を閉ざす意外の逃げ道が見つからなかった。
「……風間くんってさ、内海さんといる時が一番楽しそうなんだよね」
 演劇の役に印象が引っ張られ、内海は思わず身構えた。嫉妬でナイフを向けられるのではと。その不安も束の間、前原はへらっと笑う。
「私、気づいちゃった! 内海さんと一緒にいる風間くんが好きだったんだって。あの演技見せられちゃ、納得だよ」
「……前原さんはどうしてヒロインをやらなかったの?」
「内海さんがこれを機に、演劇に興味を持ってくれたらと思って」
 頬を染めながらカミングアウトされ、内海は開いた口が塞がらない。
「実は気になってたんだよ? 内海さんの声。もう私のドストライクでさ~! こうして話してるだけで耳しあわせ……風間くんと歌練してるところ偶然聴いちゃったけど、あれはもう神の領域だよ!」
「そんな大袈裟な……」
「もっと早く声かければよかったよ~。いつ演劇部誘おうかモジモジしてた自分がバカみたい。先生から聞いたよ。内海さんも声優科受けてるって。ずっとクラス違ったし、すぐ帰っちゃうし、三年でようやく同じクラスになれたと思ったら、学校来ないし……」
 実は同じ声優が憧れだということ、前原が重度のアニメオタクだったことで、思いの外話が弾む。
「前原さんってもっと高嶺の花って感じの人だと思ってた。人気者だし」
「フォロワー多くてもアンチはいるよ~。応援してくれてた人が急に寝返るなんてザラ。ずっと演じてたんだ。みんなに優しくできる明るい子。嫌われたくなくて必死だったから……ひとりクールに過ごしてた内海さんがかっこよく見えた」
「ただの悲しいぼっちだよ!?」
 内海は本音を打ち明けた。
「ウチ少し前まで、人気者が羨ましくて、妬ましくて……前原さんのことも一度傷つけた。いくら頑張っても応援されない自分が、嫌で仕方なかった。前原さんみたいなきれいな声が欲しかったんだ。でも今は、こんな掠れた声でも好きって言ってくれる人がいるってわかったから、もう人と比べるのはやめた」
 さらに内海は続けた。
「一番自分が自分を否定してたんだ。自己肯定感が低いと、周りのもの全部嫌になるんだよね。嫌なら見聞きしなきゃいいんだって、こっちから縁切ってやるって、孤独に塞ぎこんでただけ……全然クールじゃないでしょ?」
 自嘲気味に笑いかけるも、前原の瞳が輝く。
「……惚れた」
「へ?」
「クールかと思いきや笑顔クソかわいいしその反面男気あるって、何それちょ~萌えるんだけど! もう好きが止まらないよ!」
「止まって! そういうのたいてい熱に浮かされた一時的なもんだから!」
「内海さんは私のこと人気者って言ったけど、実は追っかける方が好きなんだ~。こんな限界オタク、引くよね? ごめんね」
「いや風間くんで散々変人耐性ついてるし、今更って感じ」
「さすが漆黒のマーメイド! この程度じゃ動じないってか」
「その異名は記憶から抹消して!」
 思いがけず同性の友人ができて、内海は柄にもなく浮かれていた。風間の見舞いへ行かないかと誘えるほどに。だが、呆気なく断られてしまった。
「私の使命は二人をくっつけることだから! 進展聞かせてね~」
 笑顔で送り出された内海は、耳を赤くしながら自宅の隣室を訪ねた。これから仕事に向かうという風間の叔母から看病を託され、中へ入る。
 病人は額にシートを貼りマスクをつけ、ソファで動画を再生していた。
「ちょっと寝てなきゃだめじゃん」
 風間は咳き込みながら微笑む。
「君の方からくるなんて珍しいね。さては僕のことが恋しくなってーー」
 立ち上がった途端ふらつく風間を支えると、高い体温が伝わってきた。布団へと促しても首を横に振るだけだったため、座らせて買ってきたスポドリやゼリーを渡す。
 差し入れを口にする間も汗がにじんできて、内海はタオルで拭い世話を焼いた。今日一日のことを聞かせてくれとせがまれ語っていると、呼吸が乱れ始めた。中二モードも仕事をしていない。弱々しく笑う風間を見かねて、膝を貸す。
「ほら横になってちゃんと休んで。期末テストまで一ヶ月切ってるし」
「期末で九十点取ったらクリスマスデートしてくれるって約束、守ってくれるんだね……」
「あんたの成績じゃ相当勉強しないとでしょ? 早くその風邪治しなよ」
 横たわる風間は、熱に侵されながらも嬉しそうだった。
「想い人の膝枕……これでまた夢が一つ叶ったよ」
 だが風間は一向に寝ようとしない。
「君の歌が聴きたい……」
 憂いと熱を帯びた目に、それで楽になるのならと応える。ゆったりとしたメロディにつられ、風間は寝息を立てた。眼帯が汗で湿っている。そっと外して拭っていると、あどけない顔が弱々しく見えて、思わず頭を撫でた。
 彼は一体、どこを目指しているのだろう。何を原動力にすれば、絶望に屈することなく前に進んでいけるのだろう。一見、頭のおかしい言動が目立つが、確かに揺るがない芯を持っている。それに感化されて、自分は今ここにいる。終わらせたいと願った日々が、嘘のように輝いて見えた。
 風間のスマホが通知を知らせる。メッセージと共に表示された、最後に再生された動画のタイトルには見覚えがあった。
「……三頭犬も眠るほど美しい音色だったよ」
 寝起きのとろんとした瞳で見つめられ、内海は思わず視線を逸らす。
「……あんた、何で中二キャラなんかやってんの? 眼帯ない方がかっこいいのに」
 すると風間は内海の頬に手を伸ばし、弱々しく微笑んだ。
「もっと早く出会いたかったな……」
「……ね、寝ぼけてんの?」
 戸惑う内海を救ったのは腹の虫だった。出所は風間である。リクエストを聞いたが、君の手料理ならなんでもと返ってきた。叔母が帰宅するのは五時間後と告げられ、恐る恐る人の家の冷蔵庫を漁り、鍋に火をかける。
 時折、咳と熱にうなされた声を耳にしては様子を窺った。名前を呼ばれて駆け寄れば、ぐったりと横たわっていた。熱の波に襲われるその姿は、拠り所がなく彷徨っている幼い子どものようだった。
 昔母にしてもらっていたような優しい手つきで、トントンと一定のリズムを刻む。風間の瞳はどこか虚ろで、縋るように眼帯へ手が伸びている。内海がつけてやると、クククと喉で小さく笑い出した。
「……僕の力はこうして時々表に出てしまうんだ。ひょっとしたら第二の人格が君を攻撃するかもしれない」
「あんた非力だからウチでも倒せるよ」
「侮られたものだね……昔は空を駆け抜けては狩りをしたものだが」
「へえ、翼でも生えてたの?」
 母のような優しい声色に、風間は安堵して語りだす。
「ああ……ある時羽をへし折られて飛べなくなったけどね。ろくに生死を確かめもせず、部下を食おうとした僕がバカだった。やつは最期の力を振り絞り、僕の翼を道連れに……」
 風間はだんだん饒舌になっていく。
「ーーケルベロスはその名の通り番犬なんだ。魔界の秩序を守るために手を汚す」
「抜けてきた組織だっけ?」
「ああ。相棒が偽りの罪に問われてね。最後まで庇ったが処刑されてしまった。さらには僕にも嫌疑がかけられ、こちらに逃げ延びてきたんだ」
「それは大変だったね」
 鍋のコトコト音に、内海は慌てて火を止めに行く。いくらか顔色が良くなった風間が体を起こす。
「さて食事にしよう。腹が減っては戦はできぬ!」
 お手製の煮込みうどんに顔を綻ばせ、風間はまた夢が叶ったと箸をつける。
「いつもの儀式はいいの? サタンの……なんだっけ?」
 一瞬、手を止めるも麺をすする音はすぐに鳴る。
「……今日はサタン生誕の日でね。誕生日に追悼するなんて趣がないだろう」
 内海は気づいた。取り繕う風間が特定の野菜を避けていることに。
「にんじん嫌いなの?」
「これはサラマンダーの脳みそだ」
「ホントに人間が悪魔の脳みそ食ってんなら、それ自体が悪魔の所業だよ」
「魔界では有名だよ。グーリンダイという成分は、人間どころか悪魔をも昏倒させる効果がある。他にも、ポンポコピーやポンポコナーという、大変危険な成分が……」
「なんか聞いたことある単語出てきたんだけど!? 人間界で有名な落語だよね? あんたテキトーにしゃべってない? 食べなきゃ大きくなれないよ」
「これでも魔界では三番目に高いんだがな」
「悪魔ちっさ。魔界は小人の国か」
 今度はしっかり布団へ連行し、内海は帰り支度を始めた。鞄からはみ出た選考書類が目につき、風間はエールを送る。
「君なら立派な声優になれる」
「まだ一次選考終わったばっかりだよ? 演技審査はこれから」
「必ず受かるよ。君の声はいつだって、僕の心を和らげてくれた。感謝してもしきれない」
「それは教えてもらってるウチのセリフだよ」
 風間は立ち去ろうとする内海を名残惜しそうに呼び止める。
「……抱きしめてもいい?」
「大人しく寝とけ変態!」
 耳を赤くして内海は風間家を後にした。このままでは調子が狂う。早く治して復活しろ。そう思っていたが、翌日もそのまた次の日も風間は欠席した。しまいには連絡もつかなくなった。家を訪ねても返事がないままだ。
 冬休みを目前に控え、寒波にも雨にも負けず、生徒たちは浮き足立っている。内海は不安が募るばかりだった。先生に欠席理由を訊ねたが、体調不良としか聞き出せなかった。自殺したのではという考えが思わず過る。
 内海は加護と宮下と共に生徒会の扉を叩いた。
「やあ諸君、ハヤブサくんのことなら明日にしたまえ。会長業務の引継ぎが済んでいなくてね」
 こちらを見向きもしない成上に、加護が詰め寄る。
「お前は気になんねえのかよ? あいつ、まるで失踪したみてえにーー」
「何も不思議なことはないよ。彼は魔界に帰っただけだ」
「何か知ってんなら教えろよ」
「……諸説ある」
「逃げんな!」
 宮下が頭を下げると、渋々書類を差し出した。
「彼の小学校六年間の出席率は異様に低く、近所の卒業生を訪問したところ、誰も彼のことを覚えていなかった。中学も同様だ」
 今度はアルバムを開いて見せた。幼い風間は右上に別撮りされ、貼られている。
 遠くで雷が落ちる音がした。看病の日の弱った姿、体力のなさ、肌の白さ。
「……病気?」
 内海の心にポツポツと雨が降り始め、不安という名の波紋を広げていった。


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