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笑う門には福来る          第3話 惚れた病に薬なし

 南雲は藤原家に向かいながら、茂の親がどんな人かを想像していた。家庭訪問である。あれほど明るい子なら、きっと父か母が陽気な人なのだろう。どちらが出迎えるかとドキドキしながらインターホンを押すと、出てきたのは青年だった。聞くところによると、母が仕事のため早めに学校を切り上げたという。
 リビングに入ると、左手にはボードとカレンダーが壁にかかり、その下には整頓された封筒や、ファイリングされた書類が棚にしまわれていた。テーブルに案内され、椅子に腰かけると、お茶が置かれた。
 淡々と答える青年と、普段の茂を比べると似ても似つかないが、顔立ちは兄弟なのだとわかるだけの親近感があった。長男と名乗る青年は、年上と錯覚するほど落ち着いている。
「学校ではどうですか? 茂、あの性格だから友達には困ってないと思いますけど」
「ええ、すっかりクラスのムードメーカーです。成績も生活態度も申し分ないんですが……」
「ボケ倒して迷惑かけてますか」
「できればもう少し控えてくれたらと……家でもそんな感じですか?」
「ことあるごとにボケてますね。お笑い番組を貪り見て、真似してネタ書いているみたいで」

 兄ならボケ倒す理由を知っているかもしれない。南雲が疑問を口にすると、青年は他人事のように答えた。
「あー、うち兄弟多くて……父親は単身赴任中で、母も働いているし、末っ子に構っている分、寂しいのかもしれませんね」
「いつからああなんですか?」
 開いた窓から風が入り、カーテンが揺れた。
「気づいた時には……末っ子が生まれる頃にはそうだったと思います」
「お兄さんからは茂くんのこと、どう見えていますか?」
 青年は表情を変えることなく答えた。
「すごく助かってます。気遣いのできる弟で、ふざけすぎるところはありますが、ボケとツッコミでコミュニケーション取ってると思えば、悪いことではないかと」
「茂くんの趣味というか、好きなものはわかりますか? どうもクラスメイトにはボケて返しているみたいで」
 記憶を掘り起こすように、青年は天井を仰いだ。
「俺も詳しくは把握してないですけど、アルバムをよく見てますね。家族の写真を飽きもせずに眺めてます。あと、雑貨屋行くとかつらとか小道具買ってたり」
 青年は茶をすする。
「悩んでいる節はありませんか? 違和感とか」
「俺が見た限りでは特に」
 南雲には茂が何の反動であんな言動をするのか、わからなかった。お笑い芸人を目指しているのだろうか。その疑問を感じとり、青年は口を開いた。
「気になるようなら、直接聞いてみたらどうですか? ボケるかもしれませんが。他に質問がなければ、この辺にしましょうか。先生も忙しいでしょ」
「ええ、そろそろお暇します」

 なんとなく冷たい印象を受けた。弟の話で全く表情が変わらなかったからだ。「あいつ○○なんですよ~」といじることもなく、終始興味なさげに応答していた。難しいお年頃かと、ひとりでに納得する。
 笑顔の裏に何か影があるような気がしてならない。あの異常な明るさは何のサインなのだろう。家族ですら知る由もないことを理解できるとは思えないが、ツッコミで返すだけでは担任として役目を果たせている気がしない。振り回されてばかりの俺に、一体どうしてやれるだろう。
 頭を悩ませながら帰路を歩く南雲を、梅の花が見下ろしていた。


 登校班の最後尾を歩く松本は、本日十回目のくしゃみをした。鼻水が止まらず、ティッシュが手放せない。
「松本くん、花粉症?」
 茂が振り返って声をかけた。
「だったら何だよ?」
「箱ティッシュいる?」
「何で箱で持ってんだよ。お前も花粉症か?」
「違うよ。ほら、明日遠足でしょ? だから、当日晴れるようにてるてる坊主を作ろうと思って。でもあげるよ!」
「いらねえ」
「そんな遠慮しないで!」
「いらねえって言ってんだろ」
「ホントは血涙出るほど欲しいんでしょ? ありがたく受け取っときなよ」

 二人がそんなやりとりをする前方で、坊主の石川が「モテる男」について熱弁していた。
「顔はやっぱ松本と坂口と藤原だよな。性格でも、坂口は面倒見いいし、藤原はノリがいい。松本は毒舌がマイナス。つまり、顔より性格なんだよ! 傷つけたら女子は離れていく。毒舌なイケメンより、フツメンゆるふわな藤丸の方が、俺の予想では好感度高い! 親しみやすさなら、俺も持ってる。ノリもいい。よって俺は頑張ればモテるタイプの男!」
 胸を張る石川に爆弾が落ちる。
「親しみやすさっつーか、お前うるさいじゃん。声でかいだけだろ」
「希望を持たせてくれよ! この哀れな坊主にもよ!」
「石川うるさい!」と女子の声がすると、哀れな坊主は黙った。


 教室から聞こえる「おやつ何持って行く?」談義に、南雲は懐かしさを覚え、笑みを浮かべる。扉を開ければ、当然のように茂が出迎えた。
「おひとり様ですか?」
「そうだけど」
「申し訳ございません。ただいまお席がいっぱいでして、四十五分待ちとなっております」
「大胆なボイコットだな」
 席に着くように促し、国語の授業を始める。
「先生!」
「どうした? 石川くん」
「バナナはおやつに入りますか?」
「今聞くことかそれは」
 茂も便乗して主張する。
「おやつの定義について知るのも、国語のうちだと思います!」
「できれば自習で頼むわ」
 さらに藤丸も参加してきた。
「豚の丸焼きはおやつに入りますかー?」
「どこの部族だ!」
 そして茂のボケが炸裂する。
「生肉はおやつに入りますか!」
「腹壊すぞ」
「じゃあベニテングダケは!」
「死ぬぞ! せめて普通の食べ物にしてくれ。遠足のことは、休憩時間にでも聞いて欲しい。今は授業だ」

 それでも三人は主張を続けた。
「先生! おやつの定義がわからないままじゃ、授業に集中できません!」
「おやつとは何なんですか! 曖昧なまま次世代に伝えるつもりですか」
「先生、授業内容を変更してお届けしてくださーい」
「楽しみなのはわかるが、授業中だ」
 頑なに答えようとしない担任に、石川はニヤつく。
「もしかして先生、おやつの意味知らねえんじゃねえの?」
 南雲は咳払いして返答した。
「おやつとは、おさんじとも呼ばれる間食のことで、二時ぐらいに食べるものをそう呼んだらしい。興味があるなら図書室で調べてみるといい。石川くん、二十三ページの最初から音読してください」
「教科書忘れました! 藤丸、持ってる?」
「持ってなーい」
「じゃあ代理でわたくし、藤原茂が音読させていただきます!」
 席を立った茂がボケないはずはなく——。
「むかしむかし、あるところに……」
「絵本じゃないんだぞ。本文!」
「みなさんはご存知だろうか。この奇怪な料理店の話を。これは、とある山奥で若い紳士に起こった出来事である」
「前置きが長い。そしてなぜオカルト風?」
 南雲は諦めて、別の子に当てて読んでもらうことにした。

 休憩時間ーー。
「なぐもん先生、話ってなんですか? もしかして僕のこと好き? 僕も先生のこと好き! きゃー、両想い!」
「告白だったら、わざわざ職員室にしないから。藤原くんのそういうボケ、みんなを明るくしてくれるのはすごく助かる。芸人目指してるの?」
「いや、みんなが笑ってくれたらと思ってやってます!」
「将来の夢ってある?」
「公務員!」満面の笑みで言い放った。
 いや現実見すぎだろ。
「どうして公務員がいいの?」
「母さんが喜んでくれるかなって」
 この子は自分の意思を口にしない。誰かを喜ばせたり、笑わせたりするための回答ばかりで、本当のことを言わない。
「藤原くん、人を喜ばせることができるのは立派だと思うよ。だけど時には本音を言ってくれ。じゃないと自分が苦しくなるよ」
「先生は僕が嘘をついているように見える?」
 茂は顔色を変えることなく返した。
「嘘ではないと思う。でも、自分を殺しすぎている気がするよ」
「似たようなこと、松本くんにも言われました。でも、みんなが笑ってくれるなら、いつだって冗談言っちゃいます。それが僕の生きがいです! 僕から笑いを取ったら、何が残るって言うんですか? 骨と皮しか残りませんよ」
「剥ぎ取りすぎだろ!」

 同時刻、教室——。
 石川を含めた数人が、ガキ大将の派閥ともめていた。
「何だよ。ドッジやりたいなら頭下げろ」
「俺らはフットボールしたいんだよ! そもそも先に取ったの俺らだからな」
 石川の意見を、相手は鼻で笑った。
「言いがかりつけんなよ」
「弱い犬ほどよく吠えるって、お前みたいなやつのためにあるんだな。勉強になった」
 石川たちは負けじと声を張る。
「いつもそっちばっか使ってるじゃん!」
「たまには貸せよ。ボール二個しかないんだからな。一つは女子が使ってるんだし、交互に使わない?」
 しかし、ガキ大将はそんな提案には乗らない。
「ドッジボールで勝負して、勝ったら貸してやるよ」
「それもう休憩終わるだろ!」
「じゃあ腕っぷしで勝負するか?」
 石川は小柄だ。対してガキ大将はお腹も含めて大きな体をしている。到底、力ではかないっこない。
「ジャンケンだ!」
 果敢に挑むも、チョキに親指を足した反則技を使われ、負けてしまった。
「お前それなしだろ!」
「勝ちは勝ちだ。諦めろ」

 意気揚々と教室を出て行こうとする派閥の前に、松本が立ちはだかる。
「なんだ? お前もドッジやりたいのか?」
「いーや、こんなクズみたいなやつらと遊びたくはないな」
「あ?」
 苛立つ相手に、松本が淡々と言葉を紡ぐ。
「力では勝てる自信があっても、ジャンケンではへっぴり腰か。ズルしないと勝てないって思ったんだろ?」
「お前は口ばっかで何もできねえじゃん。偉そうに、何様だよ?」
 一触即発の空気に、委員長が止めに入る。
「このまま横暴やって先生にボール没収されるか、もう一度公平にジャンケンするか、どっちがいい?」
 舌打ちしたものの、大将は応じた。
「もう一回だけだからな」
 ジャンケンに負けた大将は、大きな音を立てて椅子を蹴る。
「責任取れこら! お前のせいだぞ! 松本」
 拳がかすって松本のメガネが飛んだ。指示が出て、腰巾着たちが松本を押さえる。
「一発殴らないとわかんねえんだよな、お前みたいなバカはよ!」
 扉が開く音がして、大将の手が止まる。茂が帰ってきたのだ。

「げっ、修羅場? どっちも頑張れ!」
「いや止めろよ」委員長が呆れる。
 茂は空気を読まず、実況を始めた。
「さあ始まりました! 男の子あるある『殴り合いのケンカ』! 人生に三万回はやるよね」
「ヤクザの人生だよ。それ」
 松本がつっこんだ。
「冷静沈着! 唯我独尊! メガネがトレードマークの松本くん! バーサス! ぽっちゃりクラス代表! えーっと、ごめん。まだ名前知らない。誰?」
 カチンときた大将は、松本のことなど頭からすっぽ抜け、ターゲットを変えた。
「お前、新入りのやつだろ? 俺のこと知らないなんて、遅れてんな」
「え、有名人? おっかしーな。こんな人テレビで……あっ! 『メリーポコパンツ警部の事件簿 ヴィクトリアファミリー殺人事件』に出てた? あの紙おむつが勝負服で有名な警部の話! あれかな? 殺害された被害者と直前まで話してたモブの横で、荷物整理してた人!」
 それは有名と言えるのかと松本は内心思う。

「テレビには出てねえけど、この学校じゃ知らないやつはいねえよ!」
「本当に? 知ってる? 松本くん」
「知らね」
「おい! 去年も同じクラスだったろうが!」
「マルちゃんは知ってる? あの人」
「見覚えはあるけどー、確か煽り運転でニュースに出てた……」
「出てねえよ! お前らまとめてぶっ潰してやろうか?」
 こきっと拳を鳴らして茂を見下ろし、大将は続けた。
「俺は西岡、一生忘れねえように体に刻みつけてやるよ。今土下座すりゃ、間に合うぜ? お前面白いしな。下っ端に加えてやってもいい」
「友達ならいいけど、下っ端はやだ」
 茂ははっきりと言った。
「後悔すんなよ? 新入り!」
 拳を振って掴みかかって来る西岡に、怯えることなく茂は叫ぶ。
「きゃー、痴漢よ! 大将のエッチ! そんなに僕のお尻が魅力的だった?」
「うわー、ないわー」藤丸が悪ノリする。
「ねえちょっとみんな、助けてよ! あの人、僕に色目使ってくんの!」
 茂は女子のグループに混ざった。女子たちは、茂にも西岡にも冷めた目を向ける。

「大丈夫―、僕が守ってあげるからねー」
「マルちゃん大好き! 結婚して!」
 おふざけモードの藤コンビに、西岡は殴る気が失せる。松本が解放され、メガネを拾う。通り過ぎざまに茂に耳打ちした。
「礼は言わねえぞ」
「あのまま鼻からケチャップ流したかったの? 物好きだね」
「いーや、あいつは俺を殴れない。何度殴られても減らず口叩いてきたからな。暴力は俺には効かないってこと、身をもって知ってる。まず力で屈しないやつがいないと思ってるのがおかしいんだよ。恐怖政治が続かないことは歴史の教科書にも載ってる。大体、一対一で挑まない時点で、たかが知れてんだ。あれで権力あるとか思い込んでんだから、脳みそ詰まってないんだな、きっと。頭の中は空洞と見た。怪我すりゃ先生に証拠を突きだせる。学校で一番偉いのはあいつじゃない。そもそもあいつの図体じゃ、隠し通せるもんもはみ出しちまってるだろうしな」
 松本は皮肉って廊下へ出た。
「ねえあの二人、仲悪いの?」
 茂の質問に委員長が答える。
「いつもあんな感じだよ。口で勝つか、力で勝つか。松本も何で煽るかね? ほっときゃいいのに」


 遠足当日——。
 リュックを背負い、生徒たちは二列でぞろぞろと先生について歩く。左手には車道、右手には川の見える歩道で、子どもたちの声が弾む。松本は、他の子と茶番を繰り広げて笑いを取る茂を、嫌そうに見ていた。
 前の子が渡った時、信号が赤になり、茂と松本は待機する。
「お前、いつも笑って道化師みたいだな」
「松本くんは怖いものなしってところが、デッドボールなんてなんその、インコースに投げ続けるピッチャーみたい」
「そういう褒め言葉も全部言ってることも、嘘くさいんだよ。俺はお前みたいなやつ嫌い」
「嫌よ嫌よも好きのうち! 僕は松本くんのズバッて言っちゃう遠慮のなさが好き」
「Mか」
「Mは松本のMでしょ?」
「もういい。お前と話してるとイライラする」
 全体的に見ればふざけてるだけで害はないが、話すと鬱陶しい。こいつがいるだけで、周りが騒がしくなる。何を質問してもふざける本音の見えないやつ。リーダー気質でもないのにいつも輪の中心にいる。
 キャラを作っているのだろうか。本当のお前はどこにいる。あんなに表情豊かなのに人間味がない。それが不気味だった。

 自然公園に到着し、各々シートを広げる。遊具はない。あるのはベンチと植物くらいだ。茂は、キョロキョロして落ち着きのない坊主を発見した。
「石川くん、シートないの?」
「藤原さま、頼みがございます」
 真剣な目だった。
「なんなりと」
「桜井誘って来てくれ!」
 土下座する石川に委員長が注意する。
「ちょっ、何やってんだよお前!」
「桜井さんとは?」
「あの三つ編みの子だよ」
 委員長の目線の先には、ポニテの子とシートを敷いている女子生徒がいた。石川は怖がられていつも逃げられてしまうため、茂に頼みこんだのだった。
「なーに? 好きなのー?」
 藤丸は欠伸を噛みしめて言うと、石川は土下座したまま宣言する。
「はい! 好きです! 愛してます!」
 委員長が慌てる。
「やめろ! この状況見たら、俺たちの誰かに告った感じになる!」

 茂は頼みを引き受け、女子二人の元へ駆け寄る。
「ねえねえ、よかったら一緒に食べない? 僕まだ顔と名前、把握しきれてないんだよね。なんと今ならクッキーがついてきます!」
「いいよ! せっかくだから何人か呼んでみんなで食べよっか」
 ポニテの子が呼んでくる間、三つ編みの子は不安げな顔をしていた。
「えっと、桜井さん?」
 桜井はびくっと肩を揺らす。
「三つ編みかわいいね! 自分でやったの?」
「ううん、お母さんが……」
「僕の妹も、母さんに毎朝結んでもらってるよ。僕の髪でもできるかな? 三つ編み」
「……無理だと思う」
「だよね!」
 茂たちはシートを寄せ合い、男女混合での昼食となった。南雲はその様子を見て思う。合コンかよ。
 さらに茂は、一人で食べようとしていた松本を引っ張ってくる。
「俺、あれに混ざるの嫌なんだけど」
「混ざらなくてもいいからそばにいて」
「それで俺に何の得が?」
「僕のおかず一つあげる」
「いらねえ」
「じゃあ嫌いなもの一つ食べてあげる」
「……」
 実はさっきふたを開けて発見してしまった。
「わかった。近くにいるだけでいいなら」
 女子四人と男子四人(プラス付近に松本)が、各々弁当箱を開ける。
「いいな! サンドウィッチ!」
「やった! ミートボール」
「唐揚げ一個ちょーだい」
「いいよ。その代わりゼリーね」
 桜井のキャラ弁に石川が感動の声を上げる。
「すげえ! お前の母ちゃん器用だな!」
 大声に怯える桜井を、ポニテ女子が庇う。
「石川、今度泣かせたらしゃべるの禁止にするよ?」
「それ俺が泣く! 泣きわめく!」

 この機会に距離を縮めたいのだ。どうしたら笑ってくれるだろう。藤原なら一瞬で……と視線を向ける。
「これ手作り?」茂が女子の弁当を覗き込む。
「卵以外、全部冷凍だよ。清々しいほど冷凍!」
「ぶっちゃけ冷凍の方がおいしいけどね」
「こらこら」委員長が苦笑する。
 二人は女子との会話を難なくこなしている。何であんなスルッと入れるんだ。顔か。やっぱり顔なのか。自分はお世辞にもかっこいいとは言えないと、石川は悔しがる。
 その時、藤丸が肩に手を置いた。
「ギャップ萌えっていうのがあるらしいよー。世の中には」
 何をすればギャップになるのか。
 悶々と考える石川の後ろでは、茂が約束通り松本の嫌いなものをもらっていた。
「僕のも一個あげる。どれがいい? これにする? それともこれ? それとも、わ・た・し?」
「黙ってくれるなら何もいらない」
「じゃあ鼻くそあげる」
「きたねーわ」

 藤原なら乗ってくれるはずと、石川は意を決する。ここで一つ、笑いをとって桜井の笑顔を拝もうではないか。
「なあ藤原、ミートボールやるから、しゅうまいくれよ」
「いいよ」
 箸でぐさっと刺し、自分でアテレコする。
「ぐはっ! 俺はここまでだ。みんな、元気でやれよ?」
 途切れ途切れに言葉を発し、大袈裟な演技をする友人に茂は応える。
「そんなっ! しゅうさん、あなた約束したじゃない! 一生わたしを上に乗っけて、いいもん見せてやるって!」
 茂は難なくグリーンピースを演じた。
「それならいっそ、一緒にご臨終ー」
 石川の箸に刺さったしゅうまいは、藤丸の胃にしまわれた。
「お前! それ俺が食べるやつ!」
 藤丸は、これも美味しそうと石川の弁当を次々口へ放りこんでいく。
「誰かこの暴食止めろ!」
「やめられなーい、止まらなーい♪」
 半泣きの石川が桜井の反応を見ると、笑うどころか不思議そうにしていた。せめて笑ってくれ。作戦は失敗だと思った矢先、桜井がウィンナーを一つ差し出した。
「これ、よかったら……」
「い、い、いいの⁉」
 桜井はこくっと頷いた。恐る恐る受け取った石川は幸せに浸る。もう藤丸に食い尽くされたことなんてどうでもいい。食べるのがもったいない。家に飾りたい。感動で中々食べようとしない石川の横から、藤丸がパクっといった。
「なぁぁぁ! だから! なんでお前が食べるんだよ! 俺になんの恨みが?」
「早く食べないのが悪いよねー」
「どう考えても食い尽くしたお前が悪いわ!」
 大声を出してはっとする。桜井は暗い顔で俯いていた。またやっちまった。せっかくのチャンスだったのに。
 委員長がその場を諫める。
「藤丸、お腹空いてんなら俺のあげるから、もう人の取るなよ?」
「はーい」
 同情したみんなから少しずつ分けてもらい、石川は感謝で涙する。その中には桜井の卵焼きもあった。真っ先に食べた。もう誰にも渡さない。代わりにと、石川はポテチを広げる。
「これみんなで食べようぜ!」
 藤丸の視線を感じて「お前は食うなよ?」と釘を刺す。藤丸は美味しそうに食べる茂を羨ましそうに見る。
「しげるん、どう? ポテチの味はー」
「ふーむ、ふわふわの食感にこのみずみずしさ! まさに王道! ありがとう石川くん」
「いやお前何食ってんの? ポテチにそんな要素ないだろ」
 持ち寄ったお菓子を食べながら談笑していると、お互いを褒める流れになった。順番が来て、石川は坊主頭をフル回転させる。
「尾野はたくましい。原は足早い。田所は頭いい。桜井は……」
 顔に熱が集まる。言えない。かわいいなんて。ここで言ったら公開処刑だ。
「ちょっと! 誰がたくましいって?」
 言い切る前に怒られた。

 一方、茂はオネエ風に答えてみせた。
「そうねえ、尾野ちゃんはきれいだし、原ちゃんは色気があるし、田所ちゃんはおめめがとっても可愛いわよ? 桜井ちゃんは髪が艶やかで羨ましいわ!」
 その言葉に女子一同が喜ぶ。松本は呆れてものが言えない。どこで覚えてくるんだ。そんな口説き文句。
 石川は心の中で茂を師匠と呼んだ。
「ちなみにわたしは笑顔がとってもキュート♡」
 頬に手を添えて茂は付け加える。
「ナルシスト! 恥ずかしくねえのかお前」
「しげるん、僕はー?」
 不満げな藤丸の一言で茶番が始まる。
「あらそんな顔しないで? マルちゃんはゆるふわな感じがとっても安心できるの。食い意地は引くほど悪いけど」
「てへー」
「いや『てへ』じゃねえだろ。半分貶されてんぞ」
「石川ちゃんは声が大きくて鼓膜破れそう。坊主はとっても笑える」
「俺に至っては全部じゃねえか! 褒める気ゼロ?」
 合ってるじゃんと女子たちは笑う。貶してやろうかと思ったが、桜井がクスクスと楽しそうなのでやめた。
「やーねえ! 冗談よ! リアクションくれるのとっても助かるんだから! 石川ちゃんのおかげですべらない」
 茂の撤回発言に、松本はまたも呆れる。その口調、いつまでやるんだよ。

 各々満腹になり、辺りを散策し始めた。木漏れ日の差す生い茂った緑の広場や、小川にかかる橋で、花を摘んだり、走り回ったり、かくれんぼしたり……。
 大将の派閥は簡易的な野球を楽しんでいた。打者一人、投手一人、捕手一人で、大将が投げる。その様子をベンチに腰掛け、松本が見ている。
「ボール、フォアボール」
「外野は黙ってろ!」
「デッドボール」
「じゃあお前が投げろよ」
 西岡は松本にボールを放った。受け取った松本が、下手投げで西岡からストライクを取る。気に入らないと、大将は再び投手に戻り、松本を打席に立たせた。仕返しと言わんばかりに投げたものの、ヒットを打たれ、ボールは立派な腹に飛び込んできた。
「お前いい加減にしろよ!」
「その腹なら大した怪我ねえだろ」
 手を出す西岡と逃げる松本に、委員長は苦笑する。
「こりねえな、あいつら」

 一方、茂は南雲先生が一人ベンチに座るのを見て、駆け寄る。
「なぐもん先生、一人?」
 茂に続き、生徒がぞろぞろと集まって来た。
「先生かわいそう!」といじる生徒に聞く。
「むしろ子どもに混ざって遊ぶ大人ってどうよ? 自分の子どもならまだしも、俺教師だぞ?」
「いいパパになりそうだなって」
「童心に返ってるんだなって」
「低レベルだなって」
「ほら見ろ! こういうやつがいるだろ。子どもは子どもで遊んで来い。俺はそんなに動けない。筋肉痛になる」
「もうそんな歳?」
「じゃあみんなでお世話してあげようよ! 介護の練習」
「やかましい! 俺はまだ若い!」
「大丈夫でちゅか?」
「おなかすいてる?」
「うんち?」
「童心に戻りすぎだろ。この姿で赤ちゃんの真似ってどんな仕打ち? 赤っ恥だよ」
「赤ちゃんだけに?」
「さすが先生! よっ、シャレ上手!」
「もうほっといて! お願いだから」
 ひとしきり先生をいじり倒した後、子どもたちは遊びに戻っていった。

 一方、石川は桜井が友達と花冠を作っているのを眺めている。混ざったところで気持ち悪いと言われるのがオチだ。だが遊びたい。もっと自然に男女混合で遊べないだろうか。
 鬼ごっこはだめだ。桜井は足が遅いから楽しくないだろう。かくれんぼは飽きてきた。唸る石川に茂が声をかける。
「どしたの? 石川くん、髪生やすなら一緒に育毛剤探すけど」
「普通に生えてくるわ! あの、さっきはありがとな!」
「あれでよかったの? まだ全然仲良しって感じじゃないけど」
「そうなんだよな。何かいい遊びないか? 男子も女子もできるような、運動じゃない何か」
 茂は考える素振りを見せると「腕相撲」と答えた。
「それ完全に男が有利!」
 茂は気にせず呼びかける。
「みんな! 腕相撲しよ! 女子もおいで! ハンデあげるから!」
「いやいや無理があるだろ」
「でも、これで手握れるんだよ?」
 こいつは天才か。
 女子は案の定、文句を言った。だが茂はめげない。
「石川くんに勝ったら、あそこの自販機のジュース奢り!」
「は⁉」
 茂には策があった。実は小銭を持ってきているのだ。いつも母が何かあった時のために持たせてくれる。
「大丈夫。奢るのは僕だから」とこそっと耳打ちした。
 石川は男の友情を噛みしめる。
 ジュースがもらえるならと、まずは男子が参戦した。石川は必死で勝った。どうせ負けるなら桜井がいい。ちなみに力自慢の大将は、ジュース一本じゃ満足しないため不参加だった。
「さあ来い女子! 両手でいいぞ?」
 疲れてきたが、その後も勝ち続けた。友達につつかれて出てくる桜井を見て、ごくりとつばを飲む。ついに来た。その小さな両手が触れようとした時、「汗すごいね」と言われ、途端に落ち込む。手汗をハンカチで拭いておくべきだったと後悔した。
 無情にも集合時間になり、先生が呼ぶ。結局、石川は桜井の手を握れなかった。
「当たって砕けたな」
「ドンマーイ」
「来世に期待!」
「死ねってか!」
 一同は公園を後にする。シロツメクサがその背を温かく見送った。


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