見出し画像

【小説】中二病の風間くん第8話 半生

 それから一週間、加護はみっちり丁寧にコーチングした。風間は徐々に走れる距離を伸ばしている。加護はその必死な姿に、世間の圧に抗っていた頃の自分を重ねた。
 頑張った先に何があるというのか。抗った先に望んだものがあるとは限らない。待ち受けているのが理不尽な結果だったとしても、お前は納得できるのか。
 時折、広場のコートでボールを放る風間を見かけるようになった。放ってはゴールに阻まれて拾いにいく。初心者に三ポイントが入れられるはずがない。そうわかっているのに、なぜか目が離せなかった。
 足掻いたって無駄だ。頭ではわかっていても、風間を見ていると抑えきれず、月の下でハイペースなランニングを再開した。
 特訓を開始して二週間が経過する頃、教え子は遅くとも一周走れるようになった。その成長に喜びを感じる加護は思う。父もこんな気持ちだったのだろうかと。
 体育祭を目前に控えた今日、特訓前に加護は広場のコートに立ち寄った。体の一部とでもいうように擦り切れたボールを操り、放物線を描きゴールを狙う。垂れ下がった網が小気味よい音を立てた。気づけば夢中でボールをついては放っていた。
「楽しそうだねペネトレイト。僕という好敵手を差し置いて」
「……悪い。没頭してた」
 すぐ河川敷にと加護は言ったが、風間はこの場を望んだ。いつものメニューをこなし、バトンの受け渡し練習も大詰めに入り、タイムを測れば十秒を切っていた。思わず加護は口角を上げる。
 風間は教えるだけ伸びる。無謀な挑戦を前に、心のどこかで期待している自分がいた。
 ベンチに腰を下ろし、喉を鳴らして潤いを補給する。しんどそうに息をする風間の視線は、バスケを楽しむ中学生たちに向いていた。
「加護くん、本当にバスケやめたの?」
「……辞めざるを得ないんだよ」
「世界に羽ばたく翼を失ったから?」
 途端、空気が冷える。
「言ったろ。オレがバスケやってると、みんな不幸になるって……」
「それでも君は、筋トレを続けている。初めて会ったあの日、ブランクがある割にシュートは乱れていなかった。バイクに乗った時に触れた筋肉も、諦めたにしては多かった」
 黙る加護に、決定打を口にする。
「それに、君のユーザー名『ペネトレイト』はバスケ用語だ」
 加護は物憂げに空を仰ぐ。
「……何が言いてえんだよ」
「君、バスケに未練があるんだよ。さっきも楽しそうにボールをついていたじゃないか」
「……きれいさっぱり忘れた方が楽なんだけどな。いっそ足でも故障すりゃ、もっと簡単に諦めたのによ」
 加護は俯き、過去を語る。
「……そりゃ最初は、権利がなくてもいつかは報われるって思ってた。けどよ、全部仕組まれてたんだ。暴力のことも、交通事故も、親父の失業も……!」
 抑え込んでいた不満が濁流のように溢れていく。
「オレがバスケを続けるほど、誰かしら被害にあった。中学のチームメイトも監督も叩かれて、活動停止と解雇。味方してくれた弁護士も冤罪で逮捕された。母さんの不倫疑惑も全部アイツの仕業だ……!」
 瞳の中に悪魔が見えた。
「何度歯向かっても、こっちが不幸になるばっかりだった。だからオレはバスケを辞めた。そしたら面白いくらいに平穏になった。笑えるだろ? 元凶はオレだったんだ」
 自嘲気味に笑う加護に、風間は言い切る。
「それは違うね。黒幕がいるなら、いつでも君を陥れることができる。バスケ以外の条件を加えられたら、悪夢の再来だよ。本当に君はそれでよかったとーー」
「思うわけねえだろ……!」
 絞りだされた声は今にも泣きそうだった。
「オレは、毎日何のために時間を割いてきたんだよ……! オレの半生はバスケでできてんだ。生きてきた全部、血反吐はいて習得した全部、意味がなかったみてえにさ……」
「半生か……バスケは残り時間が少なくても、ゴールを目指してボールをつくのだろう? なら二点でもいいから、追いつけなくてもいいから、加算してみせろ。人生という試合に」
 大きな音を立ててペットボトルが潰される。
「……お前に何がわかんの」
 風間は怯むことなく、転がってきたボールを拾って立ち上がる。
「僕の半生は退屈でできている。生まれた時から枷をつけられ、世界の理不尽になす術なく、自分の無力を呪い続けた……。こうしてバスケットボールに触れることすら、容易ではなかったんだ」
「は……? 買わなくても学校にあんだろ。ちょっとくらいいじったことーー」
「いじったところで何になる? このボールは相手がいて初めて意味を持つ。違うか?」
 風間が出したパスを、加護は反射的に受けた。
「夢なんだ。三ポイントを決めること。この手にボールがあって、そこにゴールが佇んでいるなら、僕は入れたい。それまで何度でも放って見せるよ」
 秋風が風間の髪を儚げに揺らした。
「君は言ったね。深く沈めばそれだけ高く跳べると。人生も同じだ。手本として、僕が跳んでみせよう」
 風間は、好戦的な笑みを浮かべて包帯と眼帯を外す。
「一回勝負だ。僕が三ポイントを決めたら、体育祭に来てくれ」
 加護は鼻で笑って了承し、パスを出す。
 その時、加護は風間の手首にある古傷を捉えた。姿勢は到底バスケ部に及ぶものではなかったが、足だけはしっかり沈めて、風間はボールを放った。球は高く放物線を描き、籠の付け根にあたり、ガコンと低く弾かれる。
 加護が乾いた笑いを浮かべて立ち上がった。
「お前がどんだけキレイゴト並べようが、現実は変わらず残酷だ。足掻くのやめた方がよっぽどーー」
 ところが、弾かれたボールは勢いを殺されたまま輪をなぞり、ゴールに吸い込まれた。風間は狂喜乱舞している。
 キセキを起こす力でも持っているのか、この男は。
 単に偶然入っただけ。それでも今その偶然を呼び寄せた風間に、加護は可能性を感じた。
「自由な空を恨めしげに眺めているくらいなら、片方の翼でも飛べる方法を模索する。その方が有意義だ。共に望みを鉤爪で掴んでやろう」
 加護の中で枷が一つ外れる音がした。風間のゴールは、逆風ばかりだった加護の人生がまだ終わっていないことを証明しているようだった。
 加護は優しい笑みを浮かべて、思う。
 こんなに喜んでくれるなら、もう一つくらい叶えてやってもいいと。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?