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【小説】中二病の風間くん第16話 追憶

 風間の過去を聞いてからも、内海たちは絶やすことなく何度も病院に足を運んだ。数回にわけられる手術がいつ終わるのか知る由もないが、姿が見られなくても、担当日を決めて何かしらのメッセージや見舞い品を残していった。
 年を越しても音沙汰はなく、風間の席は空いたままだった。対して、内海の机は大量の写真で埋め尽くされていて、加護が物申す。
「……寂しいからって犯罪に手ぇ出すなよ?」
「誰がストーカーだ!」
「アルバムですよ。風間くん専用の」
 宮下はフォローしながら、分厚い本を手に写真を貼っていく。加護が一枚手に取ると、小学生の風間が映っていた。制服姿は入学式以降全くなく、ほとんどは水色の病衣を纏い、見知らぬ青年と共に笑っている。
「これお前の兄ちゃん?」
 加護の疑問に、写真を整理していた成上が答える。
「ああ。譲り受けた兄の机に入っていた。私が持っていても仕方ないのでね。ハヤブサくんの母上からも写真の提供があった。これなら十分アルバムになるだろう」
 散らかった写真には、小さな夢を一つ一つ叶えてきた痕跡が確かにあった。ギターで弾き語りする姿や満点のテストを掲げる姿、将棋対決の様子、手作り魔導書の完成。真剣にイラストと向き合ったり、ゲーム対戦をしたり、犬を拾った日のものまで様々である。
 そんな中、加護が目を止めたのはバスケットボールを持つ風間だった。日付は、加護が人為的に起こされた事故で足を折った頃。
「……お前だったんだな」
 病院の敷地内、壁に向かって一人バウンドパスを繰り返しているヘタクソを見かけたことがあった。地面に転がしてはボールを追っている様子を見かねて、足元にやってきたボールを拾い、胸元にパスした。
 すると、風間は目を輝かせて隣に腰掛け、加護が纏うピリピリとした空気にも臆することなく声をかけてきた。
「バスケやってるの?」
「……全然」
「バスケって楽しい?」
「さあな。やってみれば? オレはあんま好きじゃないけど……」
 自覚するほど無愛想な返答だったが、風間は嬉しそうにしていた。加護はその訳を今知った。
 体育祭で走る姿、文化祭の小道具作り、衣装をつける姿……。不可能だと思われていた青春の日々を、彼はほんの僅かながら送っていたのだ。
 各々進路関係で忙しくなる中、時間を見つけては写真を貼っていった。礼央に手紙を書いて知らせれば、風間宛の封筒を寄越した。風間が復活する前提で皆が奔走する一方で、当の本人からの知らせは一つもなかった。内海が声優科に受かったことをメッセージするも、既読すらつかない。募る不安をかき消すように作業に没頭した。


 病室に一人の患者が横たわっている。病衣を纏い、眼帯と包帯をつけたまま天井を見上げていた。
 もう朝が来てしまった。風間はついに最後の手術日を迎え、鬱々と思う。内海とあいさつを交わし、登校していた日々が夢だったのではないかと思うほど、不調が続いている。起こすべき体は重く、熱い。額と後頭部が同時にぎゅっと圧縮される感覚が、ここ最近拭えない。じわじわ体全体に纏わりつくような熱が、鳥籠に戻ってきたことを痛感させた。手足の痺れを感じながら、いつもよりうるさい動悸を抑えるように優しく胸をなでる。
 これまでたくさんの夢が叶った。悔いはない。そう言い切ってしまいたいが、人は自由を知ると欲が出るもので、視界が滲んで目頭が熱くなる。
 用意されたたくさんの薬は、終わらせたいと願っていた日々を思い起こさせた。以前と違うのは、見舞い品が毎日増えていくことだった。果物や花、本、手紙、はにわ、ぬいぐるみ、お菓子。中にはボイスレコーダーまで差し入れられていた。
 孤独と死だけが友達だったあの頃とは違う。あたたかい気持ちがこみ上げる一方で、苦しみも顔を出す。風間はその痛みから逃れるため、スマホを封印していた。贈られた手紙は一つも開いていない。
 カーテンが呼吸して、瓶に生けられた花を揺らす。不調を訴える体から意識を逸らそうと、ボイスレコーダーを再生すれば、みんなの声が聞こえた。保護観察中の礼央の声まで入っている。そして最後には、今は亡き師匠が語りかけてきた。古く雑音混じりだが、あたたかい。風間は記憶に意識を沈ませた。
 六年前にいた病室は共用だった。白いカーテンで仕切られただけのプライベート空間に、簡易冷蔵庫や小さなテレビと収納が鎮座していた。時折、足音が近づいては別の患者へと声がかかり、カーテン越しに聞こえる見舞い人と患者の楽しそうなやりとりは、風間の心を黒く染めていった。
 看護師の目を盗んでは点滴を外し、屋上へ逃げた。いつものように連れ戻されると、その日は見慣れない青年が看護師と口論していた。その手には、激辛カップ麺にポテチ、コーラが抱えられている。
「没収です」
「見るくらい許してくださいよ~!」
 青年は眼帯をつけ、包帯を巻いていた。
「見るだけじゃ済まないでしょ。あなた自分が病人だってことわかってる?」
「そりゃ健康だったら入院してないでしょうね」
「百歩譲っても激辛はダメよ」
「ちぇ~」
 風間は看護師に点滴をつけられ、ベッドに座った。すると、カーテンが開き青年が覗く。
「ねえ山根さ~ん、激辛じゃなきゃ許してくれる?」
「コラ! 他の患者さんのスペース入ってこない」
「入ってないじゃん! 覗いてるだけ」
 青年と目が合った。
「ポテチ食う?」
「……いらない。生きる気のない人間に『食べる』っていう行為は必要ないし」
 青年は目を丸くして、ポテチをパリパリ頬張りながらそばに置かれた封筒に視線をやる。
「坊さんみたいな考えしてんのな。えっと……風間クン?」
「お兄さん、イタイってよく言われない? その格好恥ずかしくないの?」
「ふっ、羞恥心などとうの昔に捨て去った」
 風間はアホらしくなり、瞬時にカーテンを閉めた。
「退屈になったらいつでも呼べよ~」
 その日から病室が賑やかになった。カーテンという仕切りが意味をなさず、青年によって交流の輪が広がった。食事中はもちろん、手術前に将棋をさしたりして、老人も活気づいていた。時折、風間のカーテンも開けられた。
「何の用?」
「暇だった!」
「お兄さん本当に高校生?」
「ふっ、まさかもう見破られるとはな。何を隠そう、俺は閃光の白きイカヅチ・ブラックサンダー! この世に初めて雷を落とした男!」
「白なのか黒なのかはっきりしなよ」
「人間は何かと境目をつけたがるな~」
 相変わらず点滴をつけられる日々。読書すら暇つぶしにはならない。ピコピコとゲーム音を鳴らし、その場に留まる青年の手元を覗いてみる。ちょうどお坊さんが忍者を倒す絵面が見えた。
「……お兄さん、生きてて楽しい?」
「何? お前死にてえの?」
「もう死んでるも同然だよ……だって僕、大人になれないもん」
「奇遇だな。俺もだ」
「……お兄さん、中二病で入院してるんじゃないの?」
「中二病は病じゃなくて薬なの~」
 その夜、風間の病魔は暴れまわった。寝静まる部屋の中、何度もぐさりと刺されるように腹が痛んだ。身をよじっていると動悸も激しくなり、呼吸が速くなる。汗が止まらず、体はどんどん冷えていった。肝心な時には大抵、両親も医者もいない。蝕まれるこの体ごと破壊してしまいたい衝動に駆られる。
「だれか……」
 か細い声を書き消すように咳と共に血が吐き出される。その時、カーテンの開く音がして温もりに包まれた。
「大丈夫だ。すぐ先生来るからな」
 風間は苦しみから逃れたくて、青年に縋りついた。青年は絶えず声をかけ、抱きしめ撫でてくれた。医師に処置をされる間も、ずっと手を握ってくれた。薬を打たれて症状が落ち着き、眠気がやってくる。意識が薄れる中、優しげな笑顔が視界に入った。
「よく耐えたな。あの地獄みてえな症状」
 その言葉を合図に夢の中へと沈んだ。
 翌朝、目を覚ましても青年はそこにいた。
「おはよ」
 体がだるくて返事ができない。起こすことも難しい。
「先生から聞いたよ。風間クン、俺と同じもん持ってんのな」
 青年は独り言を続けた。その声が心地よく、薬のように風間の気分を楽にしてくれた。
「……お兄さんはどうして生きようとするの?」
 青年は悲しげに笑って答えた。
「俺、お前くらいの弟がいるんだけど、中々見舞いに来てくれなくてさ~。治らなきゃ会えねえと思って」
「いいな……」
 思わず心細さがにじみ出る。一人っ子の風間には眩しく見えた。
「では盃を交わそう」
 青年はニヤッと口角を上げ、いちごオレを紙コップへ注ぎ渡した。
「兄貴になってはやれないが、相棒にはなれる。共に内なる悪魔を滅ぼしてやろうではないか」
「どうやって?」
「人間が使える魔法が一つだけある。言葉だ。表現一つ変えれば絶望から一歩抜け出せるんだ。それほどに力が宿ってる」
 青年は片腕の包帯を外し、傷のある風間の手首に巻いた。
「今日からお前はハヤブサだ。疾風の渡り鳥・ハヤブサ」
「僕まで中二病にしないでよ……」
「俺たちの病はな、ある力が目覚める時に現れるものなんだ。つまりお前はもうすぐ覚醒する」
「頭まで侵されてるの?」
「元からだこれは!」
「重症だね」
 風間に笑顔が咲く。酌み交わした甘味は、一瞬にして活力を取り戻させた。
 その後、風間の方からカーテンを開けていくようになった。ゲーム対戦をするつもりだったが、師匠はプリントと格闘中である。
「よくそんなつまんないことしてられるね」
「これがちゃんと勉強してるように見えるか?」
 高校三年生の内容だが、回答はデタラメだった。
「また怒られちゃうよ?」
「いいんだよ。俺が楽しいんだから! 人生なんて誰に怒られようが、自分が楽しけりゃそれでいいの~」
 風間はそのうち、手を付けなかった勉強に取り組むようになり、食事も一緒に摂るようになった。人参を残せば、師匠は見舞い品のりんごや桃と共にミキサーへぶち込んで、技名を叫びながら粉砕してくれた。
 不安な夜には就寝時間になろうがお構いなしに、二人でトランプに興じて看護師に怒られた。
「だって寝付けないんだもん!」
「あなた何歳なの?」
「ふっ歳など数えない」
「寝なさい」
「はい」
 クスクス笑っていた風間も寝るように促され、大人しく布団に潜る。いつしか明日が来るのが楽しみになっていた。
 一方師匠は、日に日に横たわる時間が多くなり、食事量も減っていった。本人は笑っていたが、顔の青白さに風間は不安を覚える。手術から戻ってきた師匠は眠り、機械に繋がれて酸素マスクをつけていた。画面には複数の線が波打ち、時折警告音がなって肝が冷えた。
 徐々に家族が顔を出す頻度が増え、顔を出しにくくなった。そんなある日、師匠が風間を呼び、二人きりにするよう頼んだ。カーテンを開けると、やせ細った姿で浅い呼吸をしていた。師匠は空色のネックレスを握り、震える拳を弟子の胸に突きつけた。
「……俺が戻ってくるまでお前に預ける。なくすんじゃねえぞ?」
 小さく、それでいて強い意志を持った言葉だった。
 機械の警告音が鳴りやまない。数値が下がっていく。受け取れば、どこか遠くに消えてしまうような気がした。
「いかないで……!」
 泣きそうな顔をする弟子に、師匠は力なく目を細め、口角を上げる。
「……明日を諦めるなよ。相棒」
 細い指から落ちそうになるネックレスをキャッチした途端、機械音が終わりを告げた。いくら呼びかけても、師匠は笑みを浮かべるだけで返事をしない。
 風間は耐えきれずに部屋を飛び出し、屋上へ逃げた。看護師がやってきて顔を上げれば、憎たらしいほど晴れた青空が広がっている。
「成上くんから贈り物があるの。落ち着いたら部屋においで」
 月が出る頃に戻ると、師匠のベッドは空っぽだった。風間のベッドには、段ボールが一つと遺書が鎮座している。箱の中には包帯や眼帯、設定ノートが詰め込まれていた。

 孤独な病室で、名残惜しそうに太陽が沈んでいくのを眺める。風間は古びた遺書の文字を愛おしげになぞった。時を刻む針の音が終焉へのカウントダウンのようで、妙に響く。ノックの後、看護師が新たな見舞い品を持ってきた。復活の書と書かれたそれには、これまで重ねてきた努力の痕跡がまとめられていた。走馬灯のようにページをめくる。半分を過ぎると写真が途絶え、卒業式・卒業パーティーと書かれたページと対面した。これから埋まるはずの空白に、風間は口角を上げる。
 見舞い品の中には、少し歪な形をした手作りチョコが入っていた。縁遠いと思っていたバレンタインが、歩み寄ってくる。
 風間は心に決めた。このために生きて帰ろう。お返しは何がいいだろうか。
 ぼんやりと考えていると名前を呼ばれた。風間は受け継いだネックレスを外し、看護師に運ばれ部屋を後にする。この三時間で全てが決まる。最後の手術は文字通り命がけの戦いだ。手術室で医者である父が待ち受けている。
 風間は口角を上げた。決着をつけようじゃないか。
 酸素マスクをつけられ、腕から薬が注入される。独特なにおいの後に呼吸が苦しくなり、すぐに意識は落ちていった。


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