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【小説】中二病の風間くん第5話 虚

 セミが鳴かなくなった頃、内海は一人で登校していた。風間が朝練のため先に行くと連絡してきたからである。
『あんた部活入ってたっけ?』
 そう送ったメッセージに反応はない。たどり着いた教室には鞄だけが鎮座している。探し回っていると、聞き覚えのある声がして演劇部と書かれた扉を開けた。そこには、眼帯の代わりに眼鏡をかけ、涙目で赤面している風間が椅子から転げ落ちていた。
 お前は誰だ。内海は内心叫ぶ。
 中二キャラはどこへやら、しっかり役に入る風間は部員の熱い視線を受けていた。可愛い声にしぐさ、そして顔立ちの良さも相まって庇護欲を駆り立てる。
 これが魔眼の力か。内海は思わず現実から逃避した。声優志望で部長の前原が内海に気づき、輪の中に誘う。渡された台本の通り声を出したものの、日頃の練習成果よりも人前で演技ができない特性が存分に発揮された。
「初心者にしては上出来だよ!」
 その優しさが内海を暗い海底に引きずり込む。チヤホヤされる風間がひどく遠く感じた。
 教室に戻るまでの間にも、謎の敗北感を思い知らされた。風間はすれ違いざまに声をかけられては応える。
「入部いつでも待ってるよ!」と写真部に勧誘され、
「昼休憩に勝負してくれ!」と将棋部に挑まれ、
「また今度ギター教えてね!」と軽音部に頼られ、
「風間くん、背景ありがとう。ギリギリ間に合った」
「君なら金賞も容易いだろう。健闘を祈っているよ」
 漫画研究部にも感謝される始末だ。道場破りのごとく部活を制覇している。
「……あんた何部?」
「僕はどこにも染まらないよ」
 席についてペンを持ち、風間は体育祭の競技表と睨み合う。
「どうした? 漆黒のマーメイド。覇気がないようだが」
「……ハヤブサくんってさ、なんでもできていいよね」
「ほう。君には僕が何でもできるように見えているのか。だが実のところ、僕はすべてが平均以下だった。六年前までは筆を取ることもなければ、盤上で駒を動かすことも、何かになりきることもなかった。徐々に積み上げてきたにすぎないよ」
「……それでもあんたは天才だよ。あれだけできれば、何にだってなれる」
 風間は微笑を浮かべた。
「僕が天才だというなら、僕が認めた君も天才だよ。僕はね、少し低いあのハスキーな歌声がたまらなく好きなんだ」
「いいよお世辞はもう……」
 風間は頬杖をつく内海の手に触れた。優しく重ねて頬を包むように添える。
「違うよ。暗い場所を知っている君だから、夢を追いかけている君だから、僕は惹かれたんだ」
 憂いを帯びた声に思わず瞳が揺らぐ。
「それに君は知っているはずだよ。僕が万能でないことを」
 うるさく鳴る内海の心臓に気づくことなく、風間はプリントに目を戻した。
「ところでパン食い競争はどこだ?」
「ねえよ! 小学生じゃあるまいし!」
「ないのか!?」
 白目を剥いた風間は、妥協して騎馬戦に丸をつけた。
「リレーに空きがあるようだが?」
 控えの方は埋まっているにもかかわらず、肝心のアンカーが空白だった。
「あー、加護くん? 最近学校来ないから控えになってんの」
 風間は即座に空白を埋める。内海には魔眼がなくてもわかった。ヘロヘロになっている風間の姿が目に浮かぶ。
 早速、午後の授業で騎馬戦の練習が行われた。風間は赤いハチマキを包帯の巻かれてない手に装着していた。
「頭に巻けよ!」
「ふっ、この僕から紅蓮の鎖を奪おうなど片腹いたいね! 食らえ突風拳!」
「暴れんな! 落ちるぞ!」
 ほどなくして、内海が肩を貸して保健室に連れていくはめになった。正直アンカーが務まるとは思えない。だが内海は、挑戦したくてもできない苦しさを痛いほど理解していた。無理だと他人が言ってはいけない。それが本人にとってどれだけ残酷な言葉か、身をもって知っている。
 風間をベッドに座らせると、宮下が自分で手当てしているのが見えた。腹の傷は赤く痛々しい。背中にもあざが目立っている。内海が声をかけると、困り顔で誤魔化された。
「誰にやられたの?」
 優しく聞いても目を伏せるだけだった。たまらず風間が口を挟む。
「おそらくこれは、ベルフェゴールによる悪夢の咆哮。この傷には見覚えがある。やつには、寝返りを打っただけで街一つを滅ぼした前科がーー」
「悪魔のせいにするな」
「け、けんかですよ! 僕からふっかけておいて無様ですよね……」
 その割には拳も足も赤くなっておらず、傷がない。明らかに一方的に受けていた跡だった。
「誰とけんかしたんだ? 僕にもふっかけてみるか? 受けて立つぞ!」
 宮下は目を泳がせ、遠慮すると苦笑した。
「ご存じないですか? 最近噂の『虚(うつろ)』」
 聞くところによると、暴力で停学になった生徒が通りすがりのサラリーマンや、十数人の中学生を叩きのめしているらしい。大人だろうが子どもだろうが関係なく、良し悪しも問わず虚ろな瞳で狩るという。いわゆる不良である。
「ぜひ手合わせ願いたいね。その不良の特徴は?」
 宮下はスマホの画面を見せた。
「……加護くんじゃん」内海が呟く。
「この顔には見覚えがあるね。確か彼、オリンピック候補にあがった選手だろう」
 暴力事件によってその権利を剥奪された報道は、まだ記憶に新しい。
「ちょうどいい肩慣らしだね。左手が疼く」
「その過剰な自信、ウチにも分けてほしいわ」
 宮下はいつもの二人組に呼ばれ、慌てて立ち上がり深く一礼して去っていった。まるで意思を託すかのように。

 放課後、風間が生徒会室を訪ねると、探偵は書類とにらめっこしていた。
「やあハヤブサくん。加護くんのことなら宮下くんに聞いた方が早いよ」
「生憎その宮下くんは、下僕を全うしているようでね。手が離せないらしい。ぜひ名探偵の力を借りたい」
 成上は手を止めて顔を上げる。
「いいだろう。何が知りたいのかね?」
「ハゲタカの止まり木について」
「動物園の飼育員に聞きたまえ」
 ストレートに受け取られ、言い直す。
「加護くんの行きつけの場所だよ」
「最近入り浸っているのは、青山南のゲームセンターと噴水広場のコート、それから河川敷だね」
 そう口にすると、成上はまた書類に目を戻す。
「やけに忙しそうだが、それは体育祭のものか?」
「私は学校行事に興味がなくてね。体育祭のことなら伊達くんに聞きたまえ。これは、キミが以前指摘したイジメについての資料だよ。加護くんの件も対処したいところだが、手が離せそうにない」
 探偵はメガネをくいっと押し上げる。
「情報を与えたからには、捜査に協力するのが筋だ。頼まれてくれるね?」
「いいだろう! 僕が君のワトソンになってやる」
 意気揚々と風間が去った後、成上は呟く。
「キミにはワトソンよりも、アイリーンの方がふさわしいと思うがね」

 月が嘲笑うゲームセンターの駐車場。そこには、制服を着崩したがたいのいい高校生八人が意識を失っている。唯一立っていたのは金髪ピアスの青年だった。倒れている男たちを冷たく虚ろな目で見下ろしている。
「……味気ねえな。この世界は」


 少し肌寒い朝、扉を開けて出てきた風間の様子に、内海は目が点になる。リーゼントに赤いシャツ、そして着崩した制服。
「何ガン飛ばしてんだコラ」
「……それ不良のつもり?」
「やはり金髪にするべきか?」
「中二病でもお腹いっぱいで吐きそうなのに、これ以上付け足さないでよ。ほらそこ座って」
 このまま隣を歩かれるのは阻止したいと、内海は髪を直す。
 六限目終了後、二人は噴水広場へ向かった。
「加護くんの居場所ね……行きつけ知ってても無謀じゃない? 魔眼で探せないの?」
「これは千里眼ではないからね。人探しには不向きだ。でも心配ない。僕なりに策はある」
 何かやらかしそうで怖いと、内海は仕方なく同行する。
 広場のバスケットコートでは、三人の中学生がボールをついて楽しんでいた。いくら待っても加護は姿を現さない。
「アテが外れたね」
「来ないのなら誘い出せばいい。エサがあれば向こうからやってくるだろう。ふっ、どんな手を使ってでも加護くんを釣ってみせるよ」
「頑張るのはいいけどケガしないようにね」
 中学生に混ざる風間を母のような気持ちで送り出す。風間がヘロヘロになりながら戯れていると、大柄の高校生五人がコートに足を踏み入れた。
「ここは俺らの縄張りだ。雑魚は失せな」
 見知らぬ不良が釣れた。内海は白目を剥き、中学生は一目散に逃げ出す。風間は泣きそうになりながら抗議した。
「こ、ここは公共の場です……! みんなのものです!」
「生意気言ってんじゃねえよ中坊が!」
「ひっすいません……!」
 僕の縄張りだと主張しそうな彼は小鹿のように震え上がる。内海は声の出し方に違和感を覚えた。腹を蹴られ、うずくまる風間を見下ろし、男たちは笑う。
「こいつ患ってんな。包帯取ってやろうぜ」
「おいおい封印解く気か?」
「や、やめてください……!」
 悲鳴のような抵抗は、演劇部で聞いた声とそっくりだった。ボコボコにされ、血を吐く風間の姿を見ていられず駆け寄ろうとしたその時、彼は現れた。
 背の高い金髪の青年は、中学生が置いていったボールを拾い、流麗な動きで弧を描くように放る。吸い込まれるように入り弾むボールに、男たちの意識が逸れた。風間は青年を見て口角を上げる。
 青年は不良に向かって歩き出す。
「なんだお前?」
「おいアイツ、最近噂の虚じゃねえか?」
「堕ちたもんだな。元オリンピック候補」
 下劣な笑いを浮かべて男たちが殴りかかってくる。
「ボールも持たねえやつがコート使ってんじゃねえよ」
 ドスの効いた声が狩りの始まりを告げた。青年は拳をどてっぱらにめり込ませ、さらに背後から襲ってくる相手の顔面は肘打ちで対処し、ナイフを取り出した最後の一人を背負い投げで片付ける。
 青年には傷一つない。男たちは立ち上がることもできずに呻く。
「なんだよ手応えねえな。図体でけえくせに脂肪ばっかじゃねえか。そんなんで力つくわけねえだろバーカ」
 嘲笑と共にピアスが夕日に照らされる。青年は拾ったナイフをリーダー格の腕に突き刺した。悲鳴を上げる男を光のない目で見下ろしたまま、グリグリとめり込ませる。
 我に返った内海がその腕を掴んだ。
「ちょっと! やりすぎなんじゃ……」
「あ? うるせーよ」
 鋭い眼光と拳を前に、内海は避ける余裕もなく目を見開く。刹那、小さな背中が視界を遮った。身代わりとなった風間は腹を殴られ膝をつき、大量の血を吐く。
 その異常な量にぎょっとして、青年は救急車を呼ぼうとスマホを出す。風間は青年の手を掴み、息絶え絶えに言った。
「君が加護くんだね……? よかったら連絡先を……」
「どんな状況で頼んでんだアホ!」
「安心しろ。これは血のりだ!」
「ムダに心配させんな! 演技ばっかしやがって!」
「敵を騙すにはまず味方からと……」
「おい」低い声が風間の言い訳を遮る。
「コート汚してんじゃねえよ」
「すいません! この子ちょっと常識外れなところあって……」
「自己紹介がまだだったね。僕は疾風の渡り鳥・ハヤブサこと、風間颯太! 君と同じ青の使徒だ。コートはきれいにしておくから、どうか僕の頼みを聞いてはもらえないか?」
「チビがオレに何の用?」
「さっきの三ポイントを教えて欲しい」
「……ムリ」加護は背中を向けて歩き出す。
「せめてもう一度手本を!」
 足を止める気配はない。
「連絡先だけでも!」
 振り返ることなく加護は帰っていった。
 ただいまを口にすることなく、テレビから流れてくる次世代オリンピック選手の特集に耳を傾ける。加護の後輩にあたるバスケ選手がマイクを向けられ、目標や意気込みについて語る。
 加護は苛立ち、ごみ箱を蹴り倒した。声をかけてきた母の後ろには、体づくりに配慮された献立が並んでいる。
「なあ、オレもうプレイヤーじゃねえんだぞ」
 冷たく地を這うような声に、母は口をつぐんだ。気まずくなり、加護は水を一気飲みして自室へ向かう。父の姿に目もくれず、ドアノブに手をかける。
「……お前はここで折れるようなやつじゃない。大人の事情はこっちでなんとかする。だからーー」
 扉が乱暴に閉められ、その反動で飾られたトロフィーが落ちた。


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