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笑う門には福来る 第17話 賢い人には友がない

 茂はランドセルを背負い、セミの声がする中、登校班に合流した。
「石川くん、黒くなったね! 炭火焼きされたの?」
「何で食われる前提なんだよ」
「こんなに焦げた肉は食いたくねえな」
 松本が呟く。
「こっちだって食われたかねえわ! そういうのは西岡に言えよ。あいつの方が美味そうな肉もってんだから」
「ほとんど脂肪だろ。やっすい肉」
「大将は美味しいよ! 絶対! 本人いないのに盛り上がる。そんなカリスマ性という名の素敵なスパイスを持ってる!」
「お前ら、酷い会話してんな。フォローになってないぞ」
 坂口が苦笑をこぼした。
 約一ヵ月ぶりの教室に入り、茂は親友の姿を見て駆け寄った。
「マルちゃーん!」
「しげるーん!」
 感動の再会的に動きがスローだった。その上、それっぽい歌を口ずさみ、途中でよろめいてこけた。そんなアホらしいやりとりをスルーし、松本は着席した。
 またボケの嵐がやってくるのかと思うとため息が出るが、茂の笑かす理由を知っているため、無下にもできない。誰かツッコミ代わってくれと、切実に思う。
「大将、自由研究何やった?」
「オリジナルのダイエット法!」
 松本が吹きだす。
「あ、大将ずるい! 松本くんから笑いを取るなんて!」
「なんだよ? 俺じゃ痩せれねえってか? これ見ろよ。二週間で三キロ落とせたんだぞ」
「その割に腹引っ込んでねえじゃん」
「研究成功のご褒美に食べ放題行ったんだよ!」
「それじゃ意味ねえだろ」
 チャイムが鳴る直前、茂は黒板の前で担任のモノマネを披露した。
「ほらチャイム鳴るぞ! 席つけ!」
 本人が入ってくると、感極まったように口元を手で覆う。
「え、本物? やだ、え、マジで!」
「ほらチャイム鳴ったぞ。席つけ」

 一時間目の図工は版画である。テーマは学校生活だ。生徒たちは、クラブやリコーダー練習、休憩時間の過ごし方を描く。松本はこれといって描きたいものがないため、校内の植物にした。ちらっと隣を覗くと、茂が描いているのは走る人のようだ。
「それ何?」
「非常口のマーク」
 松本の目が点になる。
 なぜそれをチョイスした。夏の暑さにも負けずボケてくる。そのエネルギー、別のところに使えよ。
 二時間目の理科では、ミョウバン結晶を作る。藤コンビが大人しくしているはずもなく、すぐに茶番が始まる。
「ミョウバンを溶かして一日放置したものが、こちらです!」
「あらまー、底に結晶ができていますねー。でもご家庭にミョウバンなんてないですよ?」
「実は、塩でも代用できちゃうんです!」
「できねえよ。デタラメクッキングしてねえで、加熱しろ」
 三時間目の国語では、小テストを隣同士で採点し合った。松本の相手はもちろん茂だ。赤ペンを持ち、腹を括って挑む。

 問一 蚕(てんちゅう) 正解:かいこ 

 問二 並(ジングル)べる 
 正解:なら(べる)

 問三 とうげんきょう(桃元凶) 
 正解:桃源郷

 問四 たんじょうび(HAPPY BIRTH DAY)
 正解:誕生日

「どうだった? 僕の大喜利。どれが一番よかった?」
「強いていうならジングルベルかな。英語はちょっと無理やり感あった」
「善処します!」
「せんでいい。真面目に書かないとバカだと思われるぞ」
「バカは世界の宝だよ! 最上級の笑い者!」
「何言ってんだ、お前」
 藤丸も大喜利に挑戦したようで、茂に回答用紙を見せていた。周りまで真似し始めたら終わるぞ、この教室。
 四時間目の社会でも、そのボケは遺憾なく発揮された。番号の関係上、茂が当てられて黒板へ記入していく。どうせ代わりに書き直すはめになるのだろう。松本は、心のどこかでどんなボケが出てくるか、楽しみな自分がいることに気づいた。

 (ミカエル)は日本に(サディスト)教を伝えた。
  正解:ザビエル、キリスト

 (魔王サンド・シェイク・スパイシー・セット・ソーダ)は(勇者540円)を倒した。
  正解:明智光秀、織田信長

 織田信長は(ポ〇モンマスター)を目指した。
 正解:天下統一 

 豊臣秀吉は(中国統一)を果たし、(鬼狩り)令を出した。
 正解:全国統一、刀狩り

 将軍(得川家安)は江戸幕府を開いた。
 正解:徳川家康

 徳川家光は(イケメン)に厳しい取り締まりをした。鎖国は(三日)も続いた。
 正解:農民、二百年あまり

 (近松右左衛門)は浄瑠璃・歌舞伎の脚本を書いた。
 正解:近松門左衛門

 歌川広重は(誇張し過ぎた自画像)を描いた(ナルシ)である。
 正解:浮世絵、浮世絵師

 黒船で来航した(ブラック・シップ・ペリー)は日本を(抱腹絶倒)させた。
 正解:ペリー、開国 

 生徒たちは笑い、先生は苦笑した。尻ぬぐいには、私語をしていた大将・西岡が当てられた。松本は出席順で当たると思っていた自分を恥じた。
 雨の降る昼休み、松本は廊下で掲示板の貼り紙を見ていた。その後ろでは、茂が水道で何やら作っている。絵の具を混ぜて作った綺麗な色を、ペットボトルの中に入れて、再びシェイクする。完成し、茂は松本の方に歩み寄った。
「みてみて! なんちゃってソーダ!」
「……おう」
「飲んでみる? お腹壊すよ」
「だろうな」
「松本くん、一緒に遊びたいなら24時間365日(睡眠時間は除く)受けつけてるから! いつでも言ってね?」
「お前の笑顔ってブラック企業だな」
「やだなあ! ちゃんと週休2日・育休取得実績あり・ボーナスありのホワイトだよ!」
「苦しくねえのか」
「何が?」
「お前さ、ごまする大人が浮かべる顔とそっくりなんだよ。営業スマイルは幸せなんか呼べない。自分が疲れるだけだ。だから……」
「松本くんこそ、仏頂面じゃ幸せ呼べないよ?」
「俺はお前がちゃんと笑うまで、笑わないからな」
「オー、ソンナコト、イワナイデクダサイ! マトゥモトクン!」
 五時間目の算数――。
 松本は茂が思わず笑うことを考え、実行に移した。円周率3.14の続きをいくつ暗記できるか。そのチャレンジで真っ先に手を挙げたのは、茂だ。
「3.14の続きは~、CMの後!」
「今答えてもらいたいんだがな」
 松本は恥を捨てて、手を挙げた。
「3.14は再試、つまりその後は再再試」
 クラス中がポカンとする。松本が考えたのは、いつもと違う行動をして茂の反応を見ようというものだった。予想外の返答に、普段容赦なくツッコミを入れる先生は困惑した。
「えっと、他にわかる人?」
 松本の耳が赤くなる。せめてつっこめよ。無駄に恥かいた。
 一方、茂は目をキラキラさせた。
「ようやく松本くんも、ボケの楽しさに気づいたんだね!」
 作戦失敗だ。茂は対抗するようにボケに拍車をかけていく。
「3.14の続きは、大人になったらわかると思います!」
「だから今わかろうな? さっき答え見ただろ?」
 六時間目の学活で、クラスメイトは松本をつついた。
「さっきの、お前らしくねえじゃん。熱でもあんのか?」
 ニヤニヤする西岡を速やかに否定する。
「そうそう! 一瞬別人かと思った! 急にどうしたんだよ?」
 石川も身を乗り出している。理由を話すのは恥ずかしい。その上、本人の前で言っては意味がない。せめてツッコミ役を誰かに頼んでおくべきだったと、松本は後悔した。茂がすかさずフォローに入る。
「僕がボケてって頼み込んだの! いや~、やっぱりいいですな! 普段ボケない人のボケは!」
 平然と嘘をつく茂に呆れたが、都合がいいため乗った。
「思い切りスベったけどな」
「もっさん、最近ちょっと丸くなったんじゃなーい?」
「は? どこがだよ。西岡じゃあるまいし」
「おいおい、今さらキャラ変か?」
 松本は西岡の足を無言で蹴る。
「お前何かと俺に当たるよな! サンドバックじゃねえんだぞ」
 松本は黙々と指定された県について調べ、パンフレット制作に励んだ。
 帰り道の下校班でも、茂は笑いをかっさらう。松本は人を笑顔にすることが想像以上に難しいと痛感した。俺がふざけても意味がない。何をしたら、こいつは喜ぶのか。いつも通りツッコミをすればいいのか。それともわざと突き放して、落ち込んだところに何か仕掛けるか。
「松本くん、今日どうしたの? また面白い顔して」
「お前はつまんねえ顔してんな」
「酷い! 僕の渾身の変顔を! これは二十年かけてようやく習得したやつだよ?」
「精子の頃からやってんの? それとも前世?」
 あと半年、卒業までに本当の笑顔を引き出してやる。「人が笑うから笑う」法則なら、俺が笑えばいいのだろうか。
 密かに鏡の前で口角を上げる練習をしていると、祖父に見られてまた恥をかいた。これも
全部あいつのせいだ。

 残暑が鬱陶しい季節になった。受験生の誠司にとって、進路について嫌というほど考えなければならない時期である。
「藤原くんの成績なら、指定校推薦受けられると思うんだけど、ここどうかな?」
 差し出されたのは、有名大学の資料だった。正直に言えば、興味はない。
「……考えておきます」
 誠司が受け取ると、先生は満足気に立ち去った。副会長が資料を覗き込み、口笛を吹く。
「さすが会長だな。俺なんか、いくら勉強してもそんなとこ受からねえわ」
「これ、やるよ」
「へ?」
 誠司は資料を押し付けると、移動教室のため準備を始めた。
 学校側からすれば、「有名なところに行った生徒がいる」という箔が欲しいのだろう。だが、生徒会選挙の時みたくゴリ押しに負けたら、俺は多分後悔する。四年間もやる気のないまま通えるとは思えない。ただ経歴を作るために行こうなんて、思わない。とはいえ、やりたいことがあるわけでもない。
 先生に相談したところで、望まぬ場所を勧められる。
「成績がいいから大丈夫」「しっかりしているから問題ない」
 そんなの偏見だ。俺だって人並みに迷っている。頭がパンクすることだってある。プレッシャーに押しつぶされそうになったこともある。それに気づかず、勝手に安心されても困る。
 皮肉なものだ。問題児にはよく目が行くが、従順で大人しく、ある程度のことをこなして
いる人間は放置される。「こいつなら大丈夫だ」と決めつけて。

 放課後の生徒会はバタバタしていた。文化祭まで約ひと月である。Tシャツが届き、メンバーのテンションは上がる一方だ。試着したり、イラストを眺めたり、たわいもない話
をしている。
 そんな中、誠司はロボットのように食券作りと判押しをこなす。口ではなく手を動かせと思いながら。
「山田、二年四組のページ分、どうなってる?」
「え、まだ提出されて……あっ! 確か休み前に……」
 後輩は慌てて鞄を探る。
「すんません! もらったんですけど、失くしました!」
 清々しいほど勢いよく頭を下げた。叱っても無駄とわかっている誠司は、新しい紙を出した。
「もう一回書いてもらってこい」
「はい! 行ってきます!」
 ドタバタと廊下を走る音が聞こえた時、無口な会計が作業を終えた。
「会長、それぞれの出し物の経費一覧、できました」
「お疲れ」
 予定よりオーバーしているクラスがあった。調整のため、他の資料と見比べていると、庶務が部屋に飛び込んできた。
「会長! やばい! やばい!」
「どうした?」
 敬語が使えないことにはつっこまない。
「演劇部とダンス部のスケジュール、被ってる! 体育館一個しかないのに! どっちも
譲れないって! どうしよう!」
「譲れない理由は?」
「えーっとあれ、なんだっけ?」
「部長ここに連れてこい」
「わかった!」
 今度は書記が確認を求めてきた。
「センパイ、校内配置図のラフ案できました~」
「……頼むから漢字を使ってくれ」
「えー、読みにくくないですか?」
「逆にひらがなばっかじゃ読みにくい」
「は~い」
 誠司が忙しなく書類に目を通す一方で、副会長は楽しげに完成した垂れ幕を見せびらかす。
「見てこれ! かっこよくない?」
「いいですね~! なんかこう、色が」
 定時になって会計が帰る。いつまで経っても、演劇部とダンス部の部長は来ない。誠司が赴くと、呼びに行ったはずの後輩は、普通に練習を見学してべた褒めしていた。
「お前の記憶力どうなってんだ?」
「あっ、会長! 今の見た? アクロバットかっけえ!」
 話し合いの結果、今度は譲り合いになって時間がかかった。誠司はコイントスで決着させ
る。こんな具合に、今日終わらせようと思ったことが、いつも残ってしまうのだ。ため息をついて苛立ちを抑えながら、帰りの電車に揺られる。

 帰宅すると、末っ子が出迎えて今日の話をしてきたが、華麗にスルーさせてもらった。疲れているのがわからないのは仕方がない。だが、苛立ちは加速する。自室で作業の続きを終わらせ、今度は進路の資料を見比べる。飯の時間がとっくに過ぎた頃、母がノックをして入って来た。
「後でいいって言ったじゃん」
「それ、結局食べないパターンでしょ? だから持ってきたの。あんた夏バテするよ?」
 余計なお世話と思いながらも、仕方なくかっこむ。母が広げられた資料を見て、しみじみと言った。
「もう三年生も半分ね。進路どうするか決めた?」
「まあそこそこ。就職するか、奨学金使って学校行くか」
「高卒で就職は給料がねえ……あんたの頭なら、ちょっとくらいレベル高くても大学行けそうだけど」
「いい大学出たって、いいところ就職できるとは限らねえだろ。ニートも多いって聞くし」
「あんたはならないでしょ。能力高いし」
 誠司は舌打ちしたいのを抑える。なぜそう言い切れる。ニートで能力ある人間だっているだろ。
「能力って、具体的にどういう?」
「合理的にさっさとやることやるし、博識だし、弁もたつでしょ? それからまとめるのも上手いし、冷静な判断力とか」
「何? 俺のご機嫌取り?」
「あんたが言わせたんでしょ!」
 優等生というレッテルを剥がしたくてたまらない。いっそ髪を染めて制服を着崩してやろうかと、何度も思った。だが、俺は知っている。いい子だと思われている人間が堕落すれば、元々悪い子と思われている人間より非難されることを。
 たった一度の出来事で、人のイメージは変わる。それがいい方なら、いつか忘れ去られるが、悪い方ならずっとコソコソ言われ続ける。ああ、期待の目が鬱陶しい。称賛の声が雑音として耳に残る。周りの勝手な妄想に合わせなければ、失望される。
 できるだろうとハードルを上げるだけ上げて、失敗すれば運が悪かったと何の励みにもならない言葉が返って来る。
 全部誰かに押し付けたい。プレッシャーも、自分の中に湧き上がってくるドス黒いものも。誰か俺を解放してくれ。優等生という任務を終えさせてくれ。「頭いいんだから」とか言って、仕事を押し付けてくんな。俺は便利な駒でしかないのか。
「映画好きなら、こんなところあるけど」
 母が渡してきたのは、専門学校の資料だった。映画監督や脚本家を目指すような場所である。
「俺、別に映画作りたいわけじゃ」
「見学だけでも行ってみたら?」
「めんどくさい」
「興味があるなら学んでみるのも手よ。そんなに急いで就職しなくても、学費はなんとかなるだろうし」
「単なる寄り道なら、わざわざ高い金出して行くよりも就職した方がいいだろ」
「何か就きたい職でもあるの?」
「別にないけど」
「入る会社はよく選んだ方がいいからね。給料とか休日とか。その点、公務員は確約されてるけど」
「リストラされないために公務員やるのもアホらしいだろ。今時、転職とか中途採用とか珍しくないし」
 皿を空にして、話すのが嫌になって部屋を出る。
「ちょっとどこ行くの?」
「風呂」

 湯船から上がると、京太郎がリビングで唸っていた。誠司と同じように、進路関係のもの
を広げて頭を抱えている。テーブルの上に散乱した資料は、書店の専用コーナーかと思うほどに、ありとあらゆる職種が揃っていた。
「医療はだめだな。注射とか手術とか、繊細なもの多いし、不器用なオレには無理だ。そもそも病院は嫌いだ。保育……は子どもに舐められるだろうな。泣かす自信しかねえわ。気抜いたら手出そうだし、美容はセンスの世界だよな。幼児のプレゼントにはっさくゼリー選ぶ
オレじゃ……」
 伸びをした時、初めて誠司に気づいた。
「何見てんだよ?」
 誠司は無言で資料を眺める。手に取ったのは、スポーツインストラクターを育成する専門学校だ。
「オレ筋トレ好きだし、運動神経いいからさ。こういうのもいいかなって」
「やるのは選手であって、教える仕事だからな? お前、教えるだけの語彙力あんの?」
 カチンときた京太郎は、警察や消防の学校の冊子を取り出した。
「じゃあこれはどうよ? 災害経験あるし、体力と忍耐もある。オレに向いてるだろ?」
「どうだろうな。特に警察は力で解決できる単純なものじゃないし、犯罪者との駆け引きと
か、結構頭使うと思うけど」
 次は介護系の資料を引っ張り出す。
「力持ちのオレなら、老人くらいちょちょいのちょいだぞ」
「人の地雷踏んで怒らせるやつが、老人労われんの?」
 京太郎は強くテーブルを叩いた。誰に言われなくてもわかる。オレは無能で価値がない。周りはみんな何かしらの特技を生かしてるのに、オレは何もない。もがいて手を伸ばしても、それが遠いことを知る。他の誰かにできないこと、オレにだってあるはずなんだ。みんなで必死に勝利をもぎ取った、あの練習試合みたいに。
「お前さ、いつも上からだよな。やってみなきゃわかんねえのに、はなから『無理』だって否定する。自分で思うならまだしも、人にそういうのはどうかと思うぜ」
「別に事実言ってるだけだろ。判断するために必要な情報教えただけ。いずれぶち当たることを、先に言っただけ」
 誠司は悪びれもせず、当然のように言った。京太郎は殴りそうになるのを理性で抑える。
「自分ができるからって、他が同じようにできると思うなよ? 確かにオレはお前と違って優秀じゃねえけど、それなりに考えてんだよ」
「それで判断ミスって後悔したら、意味ねえだろ。こういうのはもっと慎重に」
 誠司は胸倉を掴まれ、口をつぐむ。
「お前、下の気持ち考えたことあるか? 死に物狂いで足掻いてるやつの気持ちをよ!」
「逆に聞くけどさ、上に立つやつのこと考えたことあるか? できるだろって周りにやり
たくないこと押し付けられて、そのプレッシャーに応える息苦しさ。指示くれって、なんでも聞いてくる能ナシ連中のお守り。正直、投げ出したくなるぞ」
 いつもより低い声に、現場を目撃した小春が茂を呼びに行く。お互い腹の虫の居所が悪く、普段押し込めている不満が溢れてくる。
「それって、もしかしなくても生徒会のやつらか? お前には能ナシに見えても、投票で決まったんだろ? だったらただの足手まといのはずねえだろ! リーダーとして生かしてやれないお前が悪い! 頭いいなら適材適所してやれ! 伸ばしてやれ! アドバイスとかして! 周りにやりたくないこと押し付けられるだあ? そんなの断りゃいいじゃねえか。いつまでいい子ちゃんでいるつもりなんだよ。お前ホントはズル賢いし、周りハメて笑
ってるゲス野郎だろうが! 本性見せてみろや!」
「……」
「お前、大人が怖いんだろ。オレら兄弟には口答えいくらでもしてるくせに! 歯向かう力もねえのかヘタレ!」
「後先考えず感情ぶつけて済む話じゃねえんだよ! お前みたいにバカで単純なやつに、この苦労がわかるはずねえだろ」
 殴り合いに発展する寸前、茂がのんきな声を上げた。
「きゃ~! 二人ともアツアツですな!」
 二人は弟を睨んだ。
「やめて~、そんなに見つめられると照れる!」
「呑気でいいよな。お前は」
「二人で進路のこと話してたんでしょ? 僕も混ぜてよ」
「こいつ、人の進路を上から目線で横から口出してくんだよ! シゲだって嫌だろ? こんなの」
「じゃあ兄さんの面接しよう! アニキと僕で」
「は? そんな時間ねえよ」
 誠司は立ち去ろうとしたが、茂が立ち塞がる。
「まだ兄さんも決めかねてるんでしょ? 時間がないなら尚更だよ。ちょっとシュミレーションしてかない?」
 京太郎はやり返すチャンスと乗った。
「それいいな! 面接官やってやろうじゃん」
 誠司はため息をついた。やるだけ無駄のような気がしたが、部屋に戻っても鬱々とするだけだ。それに、なんとなく京太郎にだけは負けたくなかった。方向性を自分で決めようとしている姿に、柄にもなく焦りを覚えたのだ。誠司はその提案を飲んだ。

 三人はテーブルにつき、向き合った。名前と出身は練習するまでもない。志望動機は会社や学校を決めないと言えないため、割愛した。京太郎が咳払いをして質問を投げる。
「あなたの長所を教えてください」
「冷静で合理的なところです。常にトラブルやハプニングに対して、客観的に考え、実現可能な方法を取るように心がけています」
 顔色一つ変えずにスラスラと述べる兄に対抗し、内容を掘り下げていく。
「トラブルやハプニングの具体的なエピソードを教えてください」
「以前起こった水害で、救助を待つ間に弟たちへの避難準備の指示を出したり、生徒会で行事の準備をする際、クラスの出し物やスケジュールのダブりを修正したり……といったところですね」
 茂も伊達メガネをくいっと上げ、長男に挑む。
「では次に短所を!」
「……」
「おいおい、いつものスピード回答はどうしたんだよ?」
「……俺の短所ってどこ?」
「は? お前マジで言ってんのか!」
 誠司は真顔で考え込む。
「長所と短所は紙一重っていうからな。冷静は冷たい印象を与える、でもいいんだけど、短所への改善とか聞かれたらムズイんだよな」
「兄さんの短所? ん~、酒癖が悪い!」
「未成年だよ。アホ」
「短所めっちゃあるだろ! 見下すところ、冷めてるところ、めんどくさがり、人に無関心、魚の食べ方汚い」
「ハチの巣じゃねえか。つーか最後ブーメランだろ」
「シゲはどう思うよ?」
 茂はテーブルの上で肘をつき、手を組む。
「ふむ。ちょっと遊び心が足りないかな? それと笑顔が少ないね。やっぱりアイドルとして売れるには悩殺レベルの笑顔だよ! あとは、バラエティ進出のためにもリアクションを磨いた方が」
「どこのプロデューサーだよ」
 だが、的を射ている。バカでも人当たりのいい方が、面接では有利なのかもしれない。いくら成績がよくても、無愛想ではとってくれないのだろうか。自信を失くし始めた誠司に、茂が助言する。
「見下すところは多分、無意識だろうから、ひとまず相手のいいところ見つけて、褒める練習してみようよ。試しに僕のこと褒めて?」
「ムードメーカーでしっかり者」
「そうそう! その調子! アニキは?」
「……馬鹿力で元気」
「褒め方雑だなおい! つーかバカって言ってる時点で、褒める気ねえだろ」
「シゲ、こういうの得意だろ? 手本見せてくれ」
 長男のリクエストに茂は二つ返事で答えた。
「兄さんって、いつもクールでかっこいいよね! めんどい言いながら、なんだかんだ手伝ってくれたりするところ好き! 愛してる!」
「お世辞にしか聞こえねえのは俺だけか」
 そこへ末っ子が乱入してきた。
「ハルもほめて!」
「リーダーシップがあって可愛い!」茂は秒で対応した。
「にーちゃんもほめて!」
「あー、活発で自分の意思ちゃんと言える」
「それ褒めてんのか? オレも手本見せてやろうか?」
「キョウちゃんはいい! どうせちゃんとほめてくれないもん」
 小春は母に呼ばれ、立ち去った。
「さあ兄さん、僕を心ゆくまで褒めたたえて!」
 茂を真似て誠司が挑戦する。
「シゲって、いるだけで騒がしいよな。ふざけてるくせに気遣い上手いし、そういうところマジ尊敬」
「言葉選べよ、お前! 騒がしいじゃなくて、もっとなんかあるだろ」
「もっとなんかあるって言いながら、その例えが出てこない時点でお前の負けだ」
「何の勝負だよ!」
 再びケンカが始まりそうなので、茂がストップをかける。
「とにかく、人に欠点を言う時は、必ず長所も言うこと! いいね?」
「はーい」
「あからさまにやる気ねえな。他のところ直した方がいいんじゃねえの? 冷めてるところとか」
「それは性格だからどうしようもないだろ」
「でも、たまにお茶目なところを見せると、印象が違うんだよ? 試しにバカになりきってみたらどう? ほら、いいお手本が目の前にいることだし」
「おいコラ! どういう意味だ!」
 反応している時点で負けである。
「とにかく声は大きく、語彙力は最小限に、なにかと突っかかって。この三つに気をつけれ
ば、バカは作れるよ」
「おい、オレの短所暴露大会になってんぞ」
 京太郎を真似て誠司が声を張る。
「んなことねーよ! つーかそっちが始めたんだろうが! もうアレだ! こんなのただのアレ! やってらんねーよ!」
「そこまで酷くねえよ! オレの語彙力」
「さっき例え出てこなかったくせに」
「うるせえ」
 続いて、無関心への対策をする。
「興味がないんじゃ、どうしようもないだろ」
「質問をひねり出すのはどう? 興味を持ってるよって、相手に印象づけさせるためには質問をすることだよ」
「お前、本当に小六か? アポトキシン飲んでないか?」
「なあ、誠司ばっかじゃなくて、オレにもアドバイスしてくれよ。ほら、オレってバカだからさ」
「アニキに足りないものっていうと……」
「知識・配慮・落ち着き」
 カチンとくるものの、その通りなので言い返せない。
「我が家の落ち着き代表、兄さんの真似してみたら? まずテンション低めにして、大抵のことには『えー』『あっそ』『ふーん』で返すの」
 試しに誠司が揺さぶりをかけた。
「そういえば、ハル好きな人ができたんだって。それも十歳も上の(嘘)」
「は⁉ マジで⁉」
「だめだこりゃ」
「別にオレはお前になりたいわけじゃねえよ」
「短所もアイデンティティだからね。無理やり直すことはできない。でも、工夫はできるんだよ? 冷静じゃないって頭の隅で気づいたら、一度深呼吸してみるとか。普段は関心なくても、時々労ってみるとか。『いつも助かってる』『頑張ってるな』人はこれだけでやる気出るから。生徒会長ならこれくらいできるでしょ」
 六個下の弟に言われるなんて、俺も大概だ。
「じゃあその案もらう」誠司は素直に受け入れた。

 まだまだ面接は続く。
「では、苦労したことはなんですか!」
「え? んー、ちょっと今のところ思いつかない」
「嫌味かコラ!」
「逆に聞きたい。お前の苦労話」
「いつも出来のいい兄と比べられてうんざりしてんだよ。こちとら!」
「兄ちゃんに『あれやれ』『これやれ』って押し付けられたことを、一生懸命にこなしました!」
「めんどくさがりで悪かったな」
「では次、『ここ潰れるな』どんな会社?」
 茂がフリップとペンを渡す。
「大喜利じゃねえか!」
 誠司が筆を走らせる。
「従業員の平均年齢6歳」
「んー、もうひと捻り欲しいな」
 誠司まで遊び始め、京太郎が軌道修正を試みる。
「尊敬する人はいますか?」
 どうせいないと答えるだろうと思ったが誠司は即答した。
「Mr.ドーナツ」
「それ人じゃねえから! 店の名前!」
「じゃあミッ〇―マウス。世界中の人々を現実逃避へと導き、また増殖していつでも会えるという親近感を」
「言い方考えろや! それも人じゃねえし!」
「いや、ミッ〇―には中の人が」
「夢壊す気満々じゃん! 尊敬度ゼロじゃん!」
「自分を動物に例えてください!」
「ねずみだな。体より頭使うタイプ」
「お前、集団より単独行動の方が多いだろ」
「じゃあねこ」
「にしてはやることやるよね」
「じゃあ犬」
「にしては従順じゃねえだろ。屁理屈ばっかり並べ立ててよ」
「じゃあ俺は一体なんなんだよ?」
「蛇? 毒吐くし」
「丸呑みにしてやろうか」
「では次、面接官が泣いた。そのわけは?」
「だから大喜利やってどうすんだよ!」
「愛想ない分、ユーモアでちょっとカバーしたいじゃん?」
 理にかなってるんだか、なっていないんだか。もうお前がふざけたいだけだろ。京太郎は呆れたが、律儀にも誠司が答える。
「推しが尊い」
「満点! 今のいい! 飛躍があっていい!」
「お前ら芸人の練習してんじゃねえんだぞ!」
 その時、京太郎は気づいた。長男の表情が少し和らいだことに。こいつも、案外バカやりたい派なのか。
「そんなに言うならお前も受けてみろよ。最近気になったニュースはありますか?」
 楽しそうな誠司の急な振りに、頭をフル回転させる。
「赤ちゃんパンダの名前が決まったことです」
「はいアウト」
「続いて、独特な面接官とは!」
「ふんどし一丁」
「アウトだろ」
「次に、あなたのストレス発散法を教えてください」
「ぶん殴るか声出す」
「スリーアウト、チェンジ。お前それ速攻落とされるからな」
 誠司の怒りはとっくにおさまっていた。ここ最近、ずっと根詰めていた自分を客観的に見られるほどに。
 いつもふざけて、時にはうざいとすら思った茂のボケに、今だけは少し救われた。口にするのは柄じゃない。誠司は茂の頭をくしゃっと撫で、部屋へ戻る。何か解決したわけじゃないが、息抜きにはなった。階段を上がる足は、いつもより弾んでいた。


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