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笑う門には福来る 第23話 論より証拠

 冬休みが終わり、茂は珍しく緊張していた。ランドセルを背負い、マフラーを巻き、手袋をつけて靴を履く。深呼吸をして、不安を吹き飛ばすように声を張る。
「いってらっしゃーい!」
「行ってきまーす……」
 拓海は微笑ましくボケに乗った。頑張れという意味を込めて。茂は松本との和解を果たすために一歩踏み出した。
 公園に赴くと、登校班のメンツが顔を揃えていた。松本にあいさつするも、口を利いてくれなかった。年賀状は届いたが、視線が合うことはない。
「おいおい、休み前のまだ引きずってんのかよ」
 二人の空気感に石川が呆れる。
 教室に着いてめげずにボケるも、ツッコミは返ってこない。
「僕、冬休みどんなことしてたと思う? 実は、こんなことしてました!」
 変顔を披露したものの、無反応どころか顔を向けてもくれない。席替えで離れていたのが幸いし、気まずさは一度お預けになった。チャイムが鳴り、先生が入ってくる。
「ピンポン! 先生、時計外してください!」
「嫌だと言ったら?」
「ここを通すわけにはいきません!」
「通してくれよ~」
「ピンポン! メガネもいいですか?」
「これ何の儀式?」
「ピンポン! あとベルトも」
「どんだけはぎ取る気だよ!」
「金属いっぱいつけてますね。ほら、そこのネジもトンカチも外してください」
「そんなもん身に着けてないから! 空港の探知機か!」
 一時間目の図工では、引き続きオルゴール箱を作成し、何事もなく終えた。だが、二時間目の理科で事は起こる。
 血液循環の問題で手を挙げた茂だったが、松本の方が一歩早かった。
「心臓→大動脈→動脈→毛細血管→静脈→大静脈→心臓」
 淡々と正解する松本を見て、ボケを妨害しにきていると悟る。
 三時間目の国語でも、先に手を挙げられて回避された。四時間目の社会では対抗し、負けずにボケを炸裂させた。戦争中、広島に何が落とされたかという問いに、茂は
「とある一人の男に、ありとあらゆる女性が落ちた!」と答えた。
「なんだその平和なハーレム!」
「先生、平和なんかじゃないですよ! 恋は戦争なんですよ!」

 休憩時間は藤丸と過ごした。本を返すため、図書館に同行する。
「しげるん、大丈夫―?」
「大丈夫! 僕はこんなんじゃへこたれないよ! 松本くんと必ずや仲直りを」
 抱きつかれて、茂は言葉を切った。
「ごめんねー? 辛い時にいてあげられなくて」
 涙声の藤丸に、なんと声をかけていいかわからなかった。
「しげるんは頑張ってるよー。みんなを笑顔にしてくれる太陽。でも、もう無理しないでねー。ありのままでいいから。僕は、どんなしげるんでも大好きだよー」
 藤丸は松本との一件を見ていない。風邪で休んでいたのだ。休み中、そのことを悔やんでいた。生まれてこの方、こんなに気の合う人はいない。ラインで連絡しようとも思ったが、茂のことだ。気を遣って、ボケか気丈な言葉が返ってくるだろう。直接言わなければ。家に行ってもよかったが、休み期間は家族で過ごしたいだろうと遠慮した。
 この綱渡りは、たった少しの風で失敗してしまう可能性がある。下手に踏み込めば、傷をえぐってしまったり、無理に笑わせてしまう。とはいえ、放っておくのは友達としてどうなのだろう。
 藤丸は遅れながらも慰めずにはいられなかった。
 茂の胸に、熱いものがこみ上げる。
「僕にとっては、マルちゃんが太陽だよ。転校してきた日からずっと」
 大将からの圧に耐えられたのは、紛れもなく藤丸がいたからだ。
 途端、藤丸が泣きじゃくる。
「卒業式でもないのに泣かないでよ~、僕はマルちゃんの笑顔が見たいな!」
 袖で涙を拭い、藤丸は顔を上げて笑った。
「泣きじゃくる僕はきらいー?」
「大好きっ!」
 二人は熱い抱擁を交わした。まるで感動の再会のように。
 窓の外で、雲の隙間から太陽が顔を出した。優しい日光が二人を照らす。
「もっさんもきっと、このまま卒業する気はないと思うよー。だから思い切って本音ぶつけちゃえー。もしそれで嫌われても、しげるんには僕がいるからねー」
「こんなん惚れてまうやろー!」
「惚れてまえー。骨の髄までー」

 給食の後、茂は意を決した。すぐ教室を出た松本の背を追いかける。呼んでも足を止めない。外へ向かっているようだ。鬼ごっこ状態になり、足の遅い茂は追いつけず、松本の姿を見失った。
 数分探し回ると、飼育小屋にいた。うさぎを眺めている。そっと近寄り、深呼吸した。慎重にその背中へ語りかける。
「僕ね、本当はうさぎみたいな性格なんだ。独りぼっちじゃ寂しくて死んじゃいそうで、ケンカとか苦手で、すぐ逃げようとしてボケに走っちゃう。ごめんね、松本くんずっと言ってくれてたのに。僕の笑顔が不自然だって。今更遅いかもしれないけど、本音でも答えられるように練習したい。松本くん、卒業まで手伝ってくれない?」
 松本は振り返らず、ポツポツと答えた。
「……俺、別に怒ってるんじゃねえよ。どう話していいかわからなかっただけで。そんなに怯えるなよ」
「僕、こう見えてビビっちゃうタイプなんだよね。嫌われるの、すっごく怖い」
 松本は振り返った。
「……悪かったよ。柄にもなく感情的になったし、殴っちまった。ごめん」
「いいよ! 全然気にしてない! って言ったら嘘になるけど、あの、それで松本くんの見方が変わるわけじゃないから」
「あの西岡を許したくらいだもんな。とんだお人好しだよ、お前」
 松本は語り始めた。
「俺さ、お前みたいにニコニコして近づいてきた大人、腐るほど見てきたんだ。親の会社の関係で毎年やってるイベント、めんどくさいけど参加しなきゃいけなくて。最初は、褒めてくれる優しい人たちだと思ってた。でも、歳を重ねるごとに気づいちまった。愛想のいい顔も、聞き心地のいい言葉も、全部お世辞だってこと。だから初めてお前を見た時、そっくりだと思って気に入らなかった」
 二人の間に冷たい風が吹く。
「でも今は違う。お前の笑ってる理由も、ちゃんと笑えない理由も知ったから。俺はあの日、気に入らないから怒ったんじゃない。お前のボケが鬱陶しかったわけでもない。ただ苦しそうに笑う顔を見ていられなくて、どうしたらお前が笑えるのかわかんなかっただけ」
 松本は力なく笑った。
「人を笑顔にするのって、こんなに難しいもんなんだな。お前すげえよ、ホント」
「松本くんのツッコミなかったら、スベってたところたくさんあったよ。今日痛感した。ツッコミないと不安になるって」
「お前がどんだけスベっても、俺は隣にいる。ボケのキレがなくなっても、白髪生えてもな。ボケ以外のいいところ、たくさん知ってんだ。自信なくなったら、何度だって教えてやる。だからその、友達……的なさ……」
 松本は言葉が詰まり、視線を逸らした。茂の頬には、幸せが伝っていた。
「変顔よりずっといい顔してんじゃん」
 茂はたまらず抱きついた。突き飛ばされることはなかった。
「好きなだけ泣け。そして笑え」
 そこに、気になって様子を見に来た藤丸が、そっと近寄る。
「あー、もっさん泣かせたー」
「うれし涙はノーカンだろ」

 五時間目の算数で、茂は通常運転に戻っていた。
「箱の中に100円のりんごと、80円のみかんが合わせて10個入っています。りんごとみかんの代金は全部で920円です。それぞれ何個入っているでしょうか」
「はい! 店長の出血大サービスでもう一箱!」
「数字を出してくださいね?」
 いつもより晴れやかな笑みを浮かべる茂に、松本は安堵した。
 六時間目の学活でアルバム制作をしながら、早速特訓を開始した。
「冬休みどうだった?」
「プール行ったり、かき氷食べた!」
「死ぬぞお前」
 松本のジト目に茂は折れた。
「というのは冗談で……」
 茂はクリスマスのことを話した。
「ふーん、よかったじゃん」
「ごめんね! 気が利かなくて! 松本くん一人だったよね! 誘えばよかった!」
「そんな余裕あったのかよ?」
「じゃあ今度、松本くんも一緒にやろうよ。近所なんだし」
「……気が向いたらな」
 帰り道にも、松本は試してきた。
「好きな食べ物は?」
「プランクトン」
「お前はくじらか。じゃあ、ケーキの中で一番好きなのは?」
「ホットケーキ」
「お前ケーキ屋行ったことあるか? じゃあ、チョコとチーズとショートならどれがい
い?」
「うーん、チーズケーキ」
「理由は?」
「一番安いから」
「まあ、これでも前進だな」
 相変わらず授業やテストではボケが目立つが、ところどころ質問にはちゃんと答えようと努力していた。この切り替えの練習に、松本は根気強く付き合った。

 茂が変わろうと踏み出した一方で、拓海にも転機が訪れた。ふれあい教室に週3で通うまでに成長した拓海に、先生からのヘルプの声がかかる。
「放送室に新しいマイクを設置したいんだけど、手伝ってもらえないか? どうも文系の
頭には難解でな」
「……今の時間、どれくらい人いますか……?」
「職員会議で部活もないし、みんな帰っちゃってるよ。俺は非常勤だから詳しくは知らないけどね。放送室には、放送委員一人しかいない」
 先生も同行すると聞き、拓海は重い腰を上げた。
 校舎の中を歩くと、誰一人おらず安堵した。放送室の扉を開けると、唸りながら機材を持つ男子生徒がいた。拓海が突き飛ばしてしまった、クラスメイトだった。途端、気まずさや罪悪感が支配する。
「だあー! もう何でだよ! これ不良品だって絶対! これどの配線? どこはめんの?」
 先生が声をかけると、生徒は目を見開いた。拓海は視線を逸らした。
 恨んでいるだろうか。冗談の通じない、嫌なやつだと思われてないだろうか。ここでやり返されるんじゃないか。
「これ、わかるか?」
 生徒は説明書を差し出した。設置が先決と判断したらしい。
「……やってみる」
 説明書を読んだ後、カチャカチャと部品を動かす。
「これでどう……?」
 スイッチをつけて試してみると、声が響いた。
「すげえ! お前天才かよ!」
 生徒は興奮して肩を掴む。拓海は驚いて、ぱっと離れる。
「あっ、ごめん。こういうの嫌だったんだよな」
 生徒がショボンと肩を落とす。
 拓海は悟る。これまで誤解されてきたのは、自分の気持ちを口にしてこなかったからだと。
「苦手だけど、でも喜んでもらえて嬉しい……」
 生徒は途端に明るくなった。
「俺ちょっと距離感つかめないところあってさ! ホントごめんな? 怖い思いさせて」
「こっちこそごめん……。突き飛ばしてケガさせちゃって」
「もう治ったし、わざとじゃないし、いいんだよ! てか、来れたのな学校!」
「いや、ふれあい教室っていうちょっと離れたところで勉強してる……」
「へー、不登校の間って辛かった? もし俺のせいなら……」
「違う!」
 自分でも驚くくらいの大声が出た。
「俺がちょっと臆病だから、社会に適応してないっていうか……」
「何言ってんだよ! この機材セットできる能力、俺にも先生にもなかったんだぞ? でもお前にはある。それだけで十分じゃん!」
 ニカっと歯を見せるクラスメイトに、拓海は力なく笑い返した。

 残りの三ヶ月はあっという間だった。茂は松本と特訓し、京太郎がボランティア先で子どもに懐かれたり……。
 バレンタインに小春がチョコを作っていて、好きな男がいるのかと京太郎が問い詰めたり――。
「どんなやつ? まさかマジでいた? 誠司の上位互換!」
「うるさい! ジャマしないで!」
 京太郎はキッチンから締め出された。チョコをもらって帰ってきた誠司と茂を見て、京太郎は嘆いた。
「食べる?」
「嫌味か!」
 結果、家族と友達用に作っていたため、小春から唯一のチョコをもらった。感極まっていたが、小春がとどめを刺す。
「どうせもらえないとおもって」
「一言多いわ!」
 一方、石川はというと――。
「これ、保健室まで運んでくれたお礼……」
 桜井が差し出す包みを、石川は目を輝かせて受け取った。義理チョコではあったが、それでもいいと血涙を流して喜んでいた。

 茂は誠司の卒業式を見に行って、変化をしみじみと感じた。兄は生徒会長として登壇し、口を開く。
『卒業するという実感、正直あまり湧きません。三年間ただ目まぐるしく過ごしていたので、思い出もすっと出てこないような心持ちです。生徒会長になったのも、周りのごり押しというか、半分ヤケでした。投票で決まった時にはため息ついて……。でも今は、引き受けてよかったと思っています。きっかけは文化祭でした。独りよがりで何でもやろうとしていた自分がバカだったと反省しつつ、生徒会メンバーの頼もしさを実感しました』
 誠司は生徒会メンバーの方に向き直り、頭を下げた。
『一年間、ついてきてくれてありがとう』
 嬉しくて笑うやつ、感動して泣くやつ、ドヤ顔を返すやつ。反応は様々だった。
 式が終わって別れを惜しむかと思いきや、誠司は早々と帰り支度をした。涙は出ていない。親の車に乗り込もうとすると、母が苦言をこぼす。
「もうちょっとおしゃべりしてもいいんじゃない?」
「言うべきことは全部言った」
 そこに、涙でぐしゃぐしゃの副会長が駆け寄ってきた。茂はすぐに気づいた。クリスマスの日、バイクに乗っていた人だ。数分言葉を交わす誠司は、嬉しそうに見えた。

 そして来る、茂の卒業の日――。
 体育館には多くのパイプ椅子が並び、六年生はみな胸元に飾りをつけている。一人一人、名前を呼ばれて証書を取りに行く。
「藤原茂」
「イエス!」
 茂は、最後に呼んでもらえるよう頼んでおいた。その訳は――。
 証書を受け取った茂は、ステージ上で振り返る。奥の方で母が涙している。茂は笑みを浮かべ、校長からマイクをもらう。
『私、しげるんもとい藤原茂は、本日をもって卒業します!』
 生徒たちは「えー!」と反応を返した。父兄がキョトンとする。在校生も、隣のクラスにも打ち合わせ済みだ。南雲は知っていて止めなかった。
『これまでそんなこと、こんなこと、あんなこと、いろんなことがありました』
 抽象的すぎて、思い出が浮かばないと松本は苦笑する。
『これからは、村崎小学校六年一組のしげるんではなく、ただの山田太郎に戻ることを許してください』
 茂は感極まったように口を覆い、言葉を切る。その演技に呼応するように生徒たちは声を揚げ、証書を入れた筒をペンライトのように振る。
「がんばれ!」
「泣かないで!」
 この茶番のことを先生方は知らされている。止める者はいない。茂は最高の笑顔で答えた。
『ありがとう! みんな! 今まで応援してくれたこと、一生、いや三日、いやあと三十分は忘れません! しげるんは不滅です!』
 ライブ会場のように生徒たちは盛り上がる。浮かんでいた涙も吹き飛ばして、そこかしこで笑顔が咲く。校長も微笑ましく拍手を送った。松本も、口角を上げていた。
『転入してきた僕にとっては、たった一年間でしたが、原液のカ〇ピスのように濃く、そして遊園地の全アトラクションを一日で三周したかのような、楽しい日々でした。ではまたいつか! 会える日まで!』
 茂はようやく降壇した。父兄からも拍手が送られる。
 式は幕を閉じ、教室に戻ったクラスメイトたちが頬を濡らす。
「なんでこの日に限って休むんだよ、桜井!」
 石川は別の意味で泣いていた。告白しようと決心した矢先、風邪で休んでしまったのだ。

 教室ともさよならして、門の前――。
 桜をバックに写真を撮る。松本は最後くらいいいかと、嫌がらずに引き受けた。茂は笑いながら涙を流し、藤丸と抱き合っていた。
 歩いて帰りたかったため、母には先に戻ってもらった。班の人数は減っていき、松本と二人きりになる。進路は別だ。
「お前のおかげで、一生忘れられない卒業式になった」
「でしょ? 堅苦しい式じゃ、きっとみんな忘れちゃうと思ってさ。僕がそこにいたってこと、頭の隅にでも残しておけたらなって」
「忘れねえよ。だってじじいになっても、隣で茶すするんだろ? 俺たち」
 茂はまた涙が込み上げる。
「……長生きしようね」
「ははっ、小六が言うセリフじゃねえな」
 温かい春風に吹かれ、二人は屈託のない笑顔を浮かべた。


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