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【小説】中二病の風間くん第9話 ペネトレイト

 体育祭当日ーー。
 夏が慌てて引き返してきた。太陽がじりじりと照りつける。赤いハチマキを巻いたばかりの風間は、ラジオ体操で息を切らしていた。
「開始前にバテてるじゃん」内海がつっこむ。
「食パン三枚の威力はこんなものではない……所詮これは準備運動……本気を出すまでもない」
 一転、競技になると急に元気を取り戻した。
 成上率いる白組一騎を、風間の騎馬が迎え撃つ。しばらく取っ組み合いを繰り広げ、風間のハチマキが解けた。
「勝負あったようだね」
 成上の一言に風間は口角を上げる。成上は目を見開いた。風間の手には白いハチマキが握られている。
「そんなはずは……!」
 確認の手が頭に向かう前に、風間は巻いてあった白い帯を奪った。
「……ほう。フェイクか。やるじゃないか。だが想定内だよ。ハヤブサくん」
 成上はポケットから新たなハチマキを取り出し、巻きつける。風間は驚くことなく不適な笑みを浮かべた。
「奇遇だね。僕も同じことを考えていた」
 新たな赤いハチマキを巻きつけて再戦に臨む。一連の流れを目撃した得点係の内海は叫ぶ。
「どっちも堂々と反則すな!」
「「戦略だ」」
 続いて、借り物競走ーー。
「僕の仇を取ってくれ。漆黒のマーメイド!」
「その名を叫ぶな!」
 成上の横に内海が並ぶ。合図で走り出し、開いた封筒の中にはーー。
「……エロ本?」
 内海は一気に戦意を削がれた。
 誰が体育祭に持ってきているというのか。持っていても自己申告するはずがない。
 終わったと諦めかけたその時、横の動きが止まっていることに気づいた。成上は紙を見つめたまま微動だにしない。お題を覗き込むと「眼鏡をかけている男」と書かれていた。
「そんなのそこらにいるじゃん!」
「いや、これには続きがあるのだよ」
 成上が紙をひっくり返すと、びっしりと条件が記されていた。

 身長160センチ以下 今朝はパン
 靴のサイズ24 血液型A
 本を持ち歩いている  過去一年以内に通院歴がある
 名前の頭文字が五十音順の前半にある
 誕生日が下半期
 過去一週間以内にラーメンを食べた

 内海はのけぞった。
「何この無茶ぶり! プロフィールか! 作ったの誰!?」
「私だ」
「お前かよ! そんな都合よく全部当てはまる人なんてーー」
 途端、成上は走り出した。テントから連れ出した風間に自身の眼鏡をかけさせ、勝ち誇る。
「これで完璧だ」
「ホントに当てはまってんの!?」
 内海は思い返す。

 〇名前の頭文字「か」(五十音前半)
 〇本を持ち歩いている(魔導書)
 〇過去一週間以内にラーメン(昨日食堂で食べていた)
 〇身長=内海(156センチ)とほぼ変わらない
 〇今朝パン(さっき聞いた)

 全てを照合している時間はないが、概ね満たしている。
 内海はキョロキョロしながら望み薄なお題に挑む。ふと目が合ったのは見覚えのある金髪。制服の加護だった。
「来てたんだ!」
「アイツと約束したからな」
「あのさ……突然なんだけどエロ本持ってる?」
「は?」
「ないよね! 知ってた!」
 半泣きの内海に朗報が降ってくる。
「いや……さっき捨てられてたやつならあそこに」
 茂みの中を覗くと、ボロボロで草木のついた雑誌が鎮座していた。
「でかした!」
 受け取って走り出し、気づく。
 これ持ってゴールしても嬉しくない。むしろ恥。
 だが結局、内海は吹っ切ってゴールした。
「……ロックだなアイツ」
 加護はそう呟き、風間の方へ激励にと思ったがテント下に姿がない。クラスメイトが何やら騒いでいる。
「リレー出れるやついる? 山本が熱中症らしくてさ」
「マジ? さっき風間も救護テント行ったぞ」
「この組はもう終わりだァァァ!」
 クラスメイトの嘆きを後にして、救護テントへ向かう。風間は冷えたシートを額に貼り付け、喉を潤していた。
「お前出れんの?」
「全然元気だよ? 特訓のおかげでね」
「ラジオ体操でへばってたくせに何を言うか」内海がチョップを入れる。
「やあ加護くん、待っていたよ。キミの脚力なら代役も軽くこなせるだろうね」
 成上が差し出したのは、加護の体操服とハチマキだった。
「……何で持ってんだ?」
「私が今朝、キミの母上から預かったのだよ。着替えたまえ」
 いくつか疑問は浮かんだものの、加護は準備を終えた。
 入場前、アンカー風間の後ろに並ぶ。
「これなら一位狙えるな」
 ニッと口角を上げる加護に風間は笑い返す。配置で別れる直前、加護は教え子の肩を軽く叩いた。
「繋げよ」
 三人目から二位の状態で風間にバトンが繋がれる。次々と追い越される中、周囲からヤジが飛び始めた。嘲笑もところどころ聞こえるが、前だけを見て走り続けた。
 気づけば最下位になり、前を走るランナーの背中が遠くなっていく。肩で息をしながら、自分を待つ大きな手へバトンを託した。
「安心しろ群衆ども。全部ひっくり返してやる」
 低く呟いた加護の目は、獲物を狙う鷹のように鋭く光る。爆速で他のランナーを追い抜いていく。
 高すぎたハードル。重すぎた期待。あの頃心をすり潰していった応援の言葉が、今は何も気にならなかった。望まれている逆転劇はちっぽけな勝利だ。オリンピックに比べれば、石ころみたいなリレーである。だが、加護にとっては世界大会よりも意味のあるものだった。
 ただの勝利じゃない。全てはアイツが積み重ねてきた努力を水の泡にしないため。何が何でもアイツを勝たせてやりたい。
 その想いがさらに加護を加速させた。あと数メートルで一位に並ぶ。無意識のうちに口角が上がっていた。相手は陸上部のエースだが、ハンデなど不要だった。
 同時にゴールテープを切り、グラウンドが熱狂する。退場後、加護は拳を握り震わせて俯いていた。
「悪い……」
「最高に楽しいリレーだったよ。順位なんて二の次だ。僕は最後まで走り切った。それに何より、君と走れたことが嬉しい!」
 風間は満面の笑みで言い切った。加護の目頭が熱くなる。謝るのは筋違いだったか。風間の頭をくしゃっと撫でる。
「よかったな。夢一つ叶って」
 教え子は、最下位とわかっていても足を止めなかった。自分に繋げるために。それが何より誇らしかった。感傷に浸る加護にバスケ部員が興奮気味に声をかける。
「お前、幽霊部員のくせにいいとこ全部持ってくじゃんかよ!」
 湧き上がるクラスメイトの輪。その様子を冷たく見つめる私服の青年がいた。
「随分と穏やかなツラしてんなァ。哀れな二世さんよ。お前には地獄の方がお似合いだぜ?」
 悪意に満ちた瞳が加護を狙っていた。

 暖かくも哀愁を漂わせたオレンジの光に包まれ、三人が歩く。内海は呆れた目をして、加護に背負われた風間を眺める。
「せっかく走り切ったのに、なんかかっこつかないね」
「たった二週間で体改造できたら苦労しねえよ。そういうのはプロに頼め。恨むなら、なり損ないのオレに頼んだ己を恨めよ」
「恨んでなんかいないよ。感謝でいっぱいなんだ。……君は覚えてないかもしれないけど、僕は一生忘れないよ。三年前のあの日を」
「どっかで会ったか?」
「やりとりしたのはたった数分。だけど僕の見込み通りだったよ。君は僕の無様な姿を笑わなかった。ちゃんと教えてくれた」
「そりゃ約束だったし……でも大したことしてねえよ。結局一位取れなかったろ」
 分かれ道を前に、風間は大きな背中から降りた。
「僕にしてみれば大したことだよ。小さい無謀な夢に、一緒に手を伸ばしてくれた。一度夢を諦めた君がだ」
 赤信号で加護が足を止める。
「ペネトレイト……君はその名の通り、突破したんだ。目の前に立ちはだかっている最初の壁を」
 投げられた言葉に、加護は口角を上げる。加護は背中を向けたまま、青の合図で一歩を踏み出した。
「じゃ、また休み明けにな」
 振り向きもせず、手をひらひらと振る。
 オレの何かが解決したわけじゃない。ただ、もう少しで証明される気がした。これまでの努力も、虚しい足掻きさえ、無駄ではなかったのかもしれないと。


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