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笑う門には福来る 第13話 親の心、子知らず

 梅雨に入った。湿度の高い、じめじめとした暑さが続く。少し外に出ただけで、じんわり汗をかいてしまう。クーラーの効いた家の中で、茂は大人しくしていた。外は雨風が強く、電線が揺れているのが窓越しに見える。
 テレビでは台風情報が流れ、天気の隣に警報が表示されている。茂と小春は休み、高校生の長男と次男は自宅待機だ。
 各部屋で好きなことをして過ごす兄たちに対し、茂はリビングに一人だった。いつもの笑顔はない。画面に映る流れる川や土砂を見て、一年前を思い出す。

 引っ越す前のことだ。今日のように警報で休校になり、みな喜んでいた。当時はまだ他人事だったのだ。家にいれば安全と、たかをくくっていた。珍しく揃っているならと、末っ子のままごとに付き合わされ、一同は二階にいた。
 そのうち雷の音がして、雨はひどくなっていった。それに気づいてはいたものの、外へ出て避難しようとは誰も思わなかった。母はパートで不在だったせいもある。
 次男がトイレに行くため、一階に降りようとすると、階段が浸水していた。その知らせに、茂は体温が一気に下がったのを感じた。脅威がすぐそこまで迫っていたことに、足がすくむ。不安が押し寄せ、みな顔が曇った。小春は泣いていた。避難の準備などしていない。退路は断たれ、二階から外へ飛び降りても、沈むだけだ。
 その場の全員が死を意識した。このまま水に飲み込まれてしまうと、そう覚悟した。その時、長男がおもちゃの笛をふいた。
「はい注目。それぞれリュックかランドセルに、リストのもの入れてこい。シゲは窓のとこで旗振って、救急隊から見えるように」
「今さら避難したって、流されて終わりだろ!」
「幸い雨は弱くなってる。今の内にできることやるぞ。まだ水に浸かってもいないのに死んだ気になるな」
 長男が弟たちにメモを配る。テンパった茂は、ゴーグルと浮き輪を持ってきた。
「海水浴行くのか? お前」
「溺れないようにと思って」
「万一のため膨らませてもいいけど、避難できるなら持っては行かない。お前は大声出して旗振っとけ」
 小春がぬいぐるみを抱いて座り込む。
「もしたすけがこなかったら、どうするの?」
「最悪ロープで屋根の上、もしくは浮き輪使って飛び込んで助けを待つ。ハル、ぬいぐるみは一つに絞れよ」
「むり!」
「無理じゃねえ。生きてりゃなんぼでも買い直せるだろ。運がよけりゃ、避難後も家残ってるかもだし。タクもゲーム機置いていけ。向こうじゃどうせできない」
 うちわや懐中電灯、着替えなどを詰め込み、一同は助けを待った。救援ボートが見えた時、強張っていた体から力が抜けた。中学校へ避難すると、当時近所で仕事していた父と母の姿があった。
 小春は真っ先に駆けていった。感動の再会といっても過言ではなかった。下手をすれば、もう会えなかったかもしれないのだ。避難してきた他の人たちも、不安な面持ちで過ごしていた。ダンボールベッドや食料は支給されたが、プライベート空間などない体育館では、ストレスや不安が増えるばかりだった。

 茂は時々、笑かそうと体育館のステージでネタを披露した。最初は子どもが遊んでいると見向きもされなかった。歌ったり、モノマネしたり、毎日続けていると拍手や笑いが返って来るようになった。次第に、避難者が特技を披露しあうようになっていった。家や学校はこれからどうなるのだろう。そんな将来への不安を吹き飛ばすように。
 水が引いて帰宅すると、家は無事だった。家族総出で固まった泥やだめになった家具を外に出した。一階に部屋があった茂は、汚れたり水浸しになったものを手に取り落ち込んだ。ベッドも机も使い物にならない。木製のものは水浸しになると、処分するしかないのだ。
 茂がためてきたネタ帳は、字が滲んで読めない状態だった。しばらく電気、ガス、水道も使えず、トイレや調理を工夫した。突如、日常が奪われて戸惑い、不便な生活を強いられた。そのため、みなイラついたり落ち込んだりして、ケンカは絶えなかった。そして両親は相談の末、決断した。
「みんな色々戸惑っていると思うけど、引っ越そう」
「え、ようちえんは?」
「別のところに行くことになる」
 当時住んでいたのは、小さな島だった。島を出るということは当然、友達と離れ離れになる。長男は元々、島の外の高校に通っていたため転校はない。次男もちょうど卒業の年であったため、問題はなかった。だが仕事場を変える父、園児の小春、小学五年の茂、中学一年の三男は、新しい環境でやっていかなければならない。
 それから怒涛の一ヶ月が過ぎた。引っ越し準備と共に新しい家を探し、転入先を決めて手続きをする。するべきことがたくさんあって、特に両親は笑うことが減った。ただでさえ五人兄弟で、生活費は節約してギリギリだった。

 あの日からいろんなことが変わった。母のパート、出張の多い父、慣れない土地。雨の音を聞きながら、茂は悪夢の再来を恐れた。災害と言うよりも、家族の不仲に不安を覚えた。最近、母と次男が進路の話で口論している。長男も時々、頭を抱えてため息をつく。三男は不登校で部屋からあまり出てこない。
 また亀裂が入るのは避けたい。
 小六の僕に何ができるだろう。ずっと笑顔でいるのも疲れてきた。でも笑わせないと、僕の存在意義が失われてしまう。兄さんは優秀、アニキはスポーツ万能、兄ちゃんは器用な職人芸、ハルは唯一の女の子。僕ができるのはみんなを和ませることだけだ。
 まずは自分が笑う。そして笑顔は伝染する。たった一言で空気は変えられる。僕はみんなの「つなぎ役」だ。バラバラになりそうな時や孤立しそうな時、誰かが悩んでる時……。
 他に何も突出したことなんてない。僕ができるのは、それだけだ。


 とある平日――。
 いつも起きるのは早朝だ。長男と末っ子の弁当を作りながら、朝食を用意する。パンや卵、ソーセージを焼いて、レタスを千切り、おにぎりを量産する。
 息子たちが出発準備をする間も、手は止めない。ゴミ袋をまとめて括り、掃除をする。散らかった床はやりにくい。片付けながら母は気づく。
「誰? トイレの電気つけっぱなしにしたの」
「おい誰だよ?」
「さっきトイレ行ったのアニキでしょ?」
 次男が慌てて消しにいった。今度は服を脱ぎっぱなしにしているのを指摘する。母の注意に次男は苛立ち始めた。母は反論したくなる。腹が立っているのはこっちの方だ。
 末っ子を幼稚園に送った後、ようやく朝ごはんを食べる。台所に立てば、食器の無法地帯を目にする。バランスよく重ねるような気遣いもなく、倒れてひっくり返っているものもあった。片付けても次々と溜まっていく。少しは家事の大変さを知ってもらいたい。
 続いて手を付けるのは洗濯だ。ネットに黒いものを詰め込み、洗剤を入れて回す。何度か繰り返さなければ、衣類は増えていく一方である。干すのは庭と家の中、そして二階の狭いベランダだ。かごを持って行き来するのも大変で、五十代ともなると疲れるのが早い。汗をかき、息を切らして済ませると、あっという間に仕事の時間になる。
 休む暇なく車で向かい、レジ打ちや品出しをこなし、昼過ぎに末っ子を迎えに行く。帰宅後は洗濯ものを取り込んでたたみ、アイロンをかけて、夕飯の準備をする。
 風呂掃除を済ませ、配膳していると、菓子の箱が放置されているのに気づいた。
「ゴミはゴミ箱に!」
 長男が気だるげにゴミを投げた。見事に入ったが、母は褒めない。
「こら、横着しないの!」
「神業の間違いだろ」
 長男はしっかりしているものの、ああ言えばこういうスタイルだ。困ったものだと母はため息をついた。その時、風呂上がりの茂が、タオルマントでヒーローごっこを始めた。
「そこまでだ!」
 口でセルフ音楽を流し、ポーズを決める。
「げきぬれ戦隊ビショレンジャー参上!」
「汚してやろうか」
「風邪引くよ……」
「ヘンタイがいる」
「服着なさい!」
 比較的手伝ってくれる茂も、このふざけようである。
 夕飯の片づけが済むと、母は夜勤務へ出かける。帰るのは子どもたちが寝入る頃だ。場合によっては、シフトが夕飯時になることもある。そんな時、子どもたちは作らず待つか、カップ麺やレトルトを使う。たまには作って欲しいと思うのは、いけないことだろうか。

 夏休み目前の日曜日――。
 祭りを控えた町内会は、打ち合わせを行っていた。その席に茂の母も参加している。グループ分けして、駐車場の確保や店出し募集、テント配置について話し合った。打ち合わせの流れで、徐々に雑談になっていく。
「茂くん元気?」
「ええ、相変わらずお調子者です」
「クラスではムードメーカーって聞いてるけど、歳のわりにはしっかりしてますよね。うちの子にも見習ってほしいわ。あの子バカ丸出しで」
 そう語る女性は石川の母である。
「藤原さんとこの長男、生徒会長なんでしょ? 何やったらあんなしっかり者になるんですか?」
「いえ、私は何も。会長とは名ばかりのぐーたら息子ですよ。要領がいいだけで」
 車での帰り道、家事・育児・仕事をこなす日々を振り返る。子どもたちと話す時間はあまり作れていない。お金の心配もあって、考えることが山ほどある。するべきことに忙殺されて、時間が飛ぶように過ぎてしまう。進路や不登校のことを後回しにはしたくないのだが、一人ではカバーしきれない。
 特に息子たちには、父の存在が不可欠だろう。いくつになっても言うことに聞く耳を持たない。脱いだ服は持って行かない。皿も片付けない。食事をしっかり食べない。ご飯の「いる」「いらない」の連絡が遅い。
 一人一人に聞いてみるべきだろうか。長男は「別に」と詳しく語らない。次男は「また今度」と後回しになったりケンカ腰になる。三男は衝突後、距離を置いている。中高生の心は複雑だ。どこまで踏み込んでいいものかわからない。
 家にいる時はほとんど家事に追われているため、詳細がわからないのだ。たまには連れ出してみようか。三男は外出しない。長男と次男は母と出かけるたまではない。ここは小春と茂が妥当だ。

 一週間後、母は実行に移した。三人は、ショッピングモールでお茶しながら駄弁っている。パンケーキを幸せそうに頬張る小春の横で、茂がボケる。
「まあなんて柔らかいの! これなら入れ歯でも心配ありませんわ!」
「コレステロールは気になるけどね」
「ねえかあさん、ハルふとってる?」
「全然! 母さんの方がお腹出てるでしょ」
「あのね、ももぐみのカスミちゃんがね、ハルのことデブ! とかブス! とかいってくるんだよ」
「ハル、何かしたんじゃない?」
「してないもん! えがヘタだからヘタっていっただけだよ」
「思ってても言っちゃだめよ。それがその子の精一杯なんだから。ハルだって、できないことあるでしょ?」
「ない!」
「その自信、兄ちゃんに分けてあげなよ」
「たしかにたっくん、いろいろできるのに『じしん』なさげだよね」
「シゲ、一緒に髪切りに行ったんでしょ? あれからどう? タクの様子……何か言ってた?」
「んー、『もし俺が死んだらどうする?』って聞かれた」
 思っていた以上に深刻なのかもしれない。カウンセリングを受けさせた方がいいのだろうか。本人は嫌がるだろうが……。
「たっくんね、こないだハルに『しゅりけん』のおりかた、おしえてくれたの!」
「手先器用よねえ、学校でもそれで馴染めないもんかな」
 不登校になる前に何があったのか話してくれない。三男は「人間関係」としか言わなかった。
「二人から見てどう? 兄ちゃんたち。年頃だから、あまり本音で話してくれないんだけど」
「兄さんはいろんなことできるし、頼りになるけど素っ気ないね。あれじゃ冷たいと言われても仕方ないよ。優しさが表に出ないっていうのは、宝の持ち腐れだと思うんだよね。それに上から目線でものを言うのもマイナスかな。アニキは親身になってくれるけど、気合で片づけがちだよね。スポーツは万能だけど、他は雑にやりがちかな。兄ちゃんは機嫌の上下は激しいけど、基本優しいよ。その優しさを他人にどう伝えるかがカギだね。このままじゃだめってわかってるだろうから、きっかけさえあれば進めるはずだよ」
 どこぞのプロデューサー並みの意見である。歳のわりによく見ている。母は脱帽した。
「まあチャンスがあったらそれなりに腕引いてみるよ。散髪の時みたいに」
「みんなで『なつまつり』いけばよくない?」
「んー、兄ちゃん人混み苦手だからな~。ちょっと厳しいかも」
 思ったよりうちの子たちはしっかりしていた。母は二人を抱きしめる。
「ごめんね。母親らしいことあまりできなくて」
「家事も育児も仕事もやってるんだよ? これを母親と言わずなんという?」
 嫌われる覚悟で向き合わなければ。
 母は子ども二人を乗せて、車のエンジンをかけて前進し、ハンドルを切った。


 茂たちは夏休みに入った。家の中はクーラーが効いている。セミの鳴く外へは出たくないと、兄弟全員(ピアノ教室のハルを除く)が揃っていた。
 茂は、母に頼まれたミッション「掃除機をかける」をこなしていた。つけていたテレビで、星座占いが始まる。残り三つになっても、おうし座は出てこない。最下位発表でようやく出た。茂は掃除機のスイッチを切って、耳を澄ます。
『最下位はおうし座のあなた! 寄り道には要注意! 本来の目的を忘れないで! ラッキーアイテムはかき氷』
 出かける予定はないから大丈夫。暑いし、かき氷でも作ろうか。茂がそう思っていた矢先、ことは起こった。
「これやるからアイス買って来い。カップのバニラな」
「食いてえなら自分で買ってこいよ!」
「俺チョコモナカ……」
「おい!」
「シゲは何がいい?」
「プリン!」
「もはやアイスでもねえ!」
「じゃあゴリゴリ君」
「一番下なんだから、シゲが行くべきだろ?」京太郎が言った。
「一番下はハルだよ?」
「今いねえだろ」
 長男は標的を変えた。
「シゲ、お前に託す」
「今掃除してるんだけど」
「その後でいいから」
「この後は洗濯して、皿洗って、ゴミをまとめて」
「アイスが先だ! 夏なのにアイスがないって非常事態だからな?」京太郎が吠える。
「じゃあかき氷しようよ!」
「いや、アイスだ」誠司は意見を曲げない。
 茂は口が達者な長男に挑む。
「理由を述べよ」
「かき氷は食べたら反動がある。それに、作った後の機械の片づけが面倒だ。シロップも残り少ないし」
「異議あり! それなら代役を探せばいいと思います! ヨーグルトやゼリーも冷たいデザートの一員です!」
「今どっちもねえだろ」
「ジュースをゼラチンで固めれば、ゼリーになります!」
「固まるまでが長い。非合理的だろ」
 茂は戦法を変えた。
「どうしてアイスを食べようと思ったんですか?」
 面接官のような問いに、京太郎が物申す。
「駆け引きしてねーで、買ってきてくれよ。すぐそこだろ」
「じゃあキョウが行けば……?」
「めんどくせえ」

 長男は茂に折れてもらうため、茶番に付き合った。
「家にいようと、エアコンがついていようと、暑いと思う瞬間はある。だから冷たいものが欲しくなる。飲み物じゃ物足りない時、人はアイスに手を出すもんだ」
「風呂上がりでもなく、おやつタイムでもなく、夕飯後でもない。現在の時刻は十時ですが、今すぐ食べなければならない訳を教えてください」
「世間ではあまり知られていないが、十時のおやつというものがある。時間としては何も間違っていない」
「何この屁理屈の応酬……」
「ジャンケンで決めりゃ一発だろ」
 外野二人が呟いた。
「なるほど。では、アイスの長所と短所を教えてください」
「ヨーグルトよりも甘く、ゼリーにはないほどよい固さで、プリンよりも冷たい。コーンや棒では溶けるのを恐れて焦ってしまいがちだが、カップなら自分のペースで食べることができる。時に固すぎることもあるが、出して置けばちょうどいい固さになる。短所は、強いて言えば食べ過ぎるとお腹を壊すくらいだな」
「夏だからと冷たいものばかり食べれば、アイスでなくてもお腹を壊してしまいます。それについて、どう思いますか?」
「料理の大半はあたたかい。冷やし中華やそばで冷やしても、三食のうち一つくらいは熱いものを食べる。祭りの屋台でも、揚げ物・鉄板は当たり前だ。間食で冷えたもの食べたくらいじゃ壊さない。キョウはさておき、俺はその調節に自信がある」
「なるほど。では、そもそもアイスの定義とは何なのでしょうか」
「いつまでやんの? それ……」

 めんどくさがりの長男がここまで付き合うのは珍しい。よほど外に出たくないのだろう。
「アイスは直訳で氷だが、正式名称はアイスクリーム。牛乳をはじめとする原料を使って、冷やしながら空気を入れてできたもの。他にもソフトクリーム、ジェラート、アイスキャンディなど名称は様々だが、全てカテゴリは氷菓子だ。ヨーグルトやプリンはそれに該当しない」
 強い。どんな質問にも的確に答えてくる。
「くっ、参りました!」
「よし頼んだ。スーパーのが安いからそっちな」
「でもおつかい、ちゃんとできるかな? 自信ないな。レジ通り忘れて万引き通報されないかな? 買ったもの土手に落として流されたりしないかな? 途中サルに強奪されないかな?」
「そんなドジじゃないでしょ……」
「つーかお前、一人で行ったことあるだろ」
「大丈夫。お前もう小六だし」
「大丈夫! 兄さん高三だし、熱に強い体!」
「アイスないと力出ない」
「どこのアンパンだよ! 俺、〇―リッシュな」
 抵抗も虚しく、茂は結局買ってくることにした。

 扉を開けると、セミが存在を主張してきた。熱風で体はすぐに火照り、汗が出る。太陽がギラギラ輝き、発火するのではと思うほどの熱を放っている。ラジオ体操の時は涼しかったのに。
「あら茂くん、こんにちは」
 近所のおばちゃんである。手にはダンボール、そばには車。家から運び出しているようだ。
「それ何が入ってるの?」
「ガラクタよ。処分しなきゃいけないの。もう運んでも運んでも終わらなくてねえ。ホント老いって嫌だわ」
「僕も手伝います!」
 十分ほどして運び終えた後、汗びっしょりの茂はお礼にジュースをもらった。
 アイスのために歩みを進めていると、既視感のある坊主頭が見えた。
「あれ? 藤原じゃん!」
 手には水着の入った袋を持っている。
「これから撮影? 石川くんもついにモデルデビュー?」
「需要がねえわ! 学校のプールだよ。お前も来る?」
 行きたい。この日差しと気温の中、冷たい水に入れたら、さぞ気持ちいいことだろう。
「任務があるからまた今度!」
 公園の近くを通ると、大将と東山がバスケをしていた。
「藤原! お前もやろうぜ!」
 東山は日陰で水筒を手に休んでいる。良い飲みっぷりだ。返事を聞く前に、大将は茂の腕を引く。
「東山が体力ねえからさ、ちょうど相手が欲しかったんだ。なんか用事ある?」
「おつかいという名のパシリ」
「じゃあ一ゲームだけな!」
 大将の服は汗で色が変わって見える。
「いい旨味が出てるね」
「やかましい!」
 大将からボールを奪えたものの、シュートが入らなかった。リバウンドで大将が取るも、それをまた茂がスティールする。これがエンドレスで続いた。しぶとい茂に大将の息が上がって来た。やっとの思いで大将がシュートを決め、勝負がつく。
「はあ、やるじゃねえか」
「ふっ、そっちこそ」茂は汗を拭った。
 さて、急がねば。兄たちに文句を言われてしまう。

 スーパーに入ると、心地いい冷風が出迎えてくれた。メモしてくるのを忘れたが、とりあえずアイスコーナーへ向かう。
 兄さんは確かバニラだった。アニキは〇―リッシュだが、売り切れている。兄ちゃんはチョコだったはずだ。
 レジを通って、再び灼熱の外に出ると、松本に遭遇した。
「へえ、塾行ってるんだ! 通りで満点なんだね。僕のをカンニングしてるのかと思った」
「お前のほぼボケだろ。カンニングする価値ねえわ」
 日陰を歩いていると、今度は子どもの泣き声がする。周辺に親はいないようだ。声をかけると、わがままを言って置いていかれたのだと話してくれた。といっても、家は近くらしい。母との根比べで外にいるそうだ。このままでは熱中症になる。そう諭すも、子どもは断固として動かない。
 茂は先程買ったゴリゴリ君をあげた。機嫌を直した少年は、家へ帰っていった。もう少しで任務達成だ。ところが、家の前で酔っ払いのおじさんに絡まれた。
「ちょっとそこの僕」
 スルーしたが肩を掴まれる。
「無視はいけねえぞ? おじさん困ってるんだけど、助けてくれない?」
 茂はキョロキョロした後、自分を指差す。
「そう君しかいないの。お金恵んでくれない?」
「何に使うの?」
「パチンコ」
「ごめんね、おじさん。そんな大金持ってない」
「一円からでもいいんだよ。持ってるだろ? ほら飛んでみ? 小銭あるだろ」
「人が空を飛べる時代、来るといいですね。飛行機は墜落が怖いっていうか、ほら重力かかるじゃないですか。乗る前の手続きもめんどくさいし、海外の荷物検査とかで引っかかると何時間も拘束されて、予定だだ狂いですよね。怪しいって疑われた時点でもう終わりですよ。なんの許可もなく、人が自由に空を羽ばたける日が来たら、それはもう、ダーウィンの進化論を凌駕するでしょうね!」
 長文を高速でしゃべられて、おじさんはポカンとその場に立ち尽くす。その隙に逃げて帰宅した。

「お、やっと帰って来た」
「遅いぞ」
「めんご! めんご!」
 袋からアイスを取り出すと、文句が飛び交う。
「カップのバニラって言ったろ。何でコーンなんだよ」
「〇―リッシュねえんだけど」
「売り切れてたから〇ピコで代用」
「できるか! そもそもバニラでもねえじゃん」
「チョコモナカって言ったんだけど……」
「だめだな。お前はもうちょいまともだと思ったのに。おつかいもこなせないとは」
「耳ついてんのか?」
「メモするの忘れてた。てへっ」
 デコピンを食らったが、茂はめげない。
「これでも暑い中、一生懸命弟が買ってきたんだよ? アイスと僕、どっちが大事なの?」
「アイス」兄たちの声が揃う。
「アイスより冷たい!」
「やけに遅かったけど、どこほっつき歩いてたんだ? まさか迷子ってことはないだろ」
「いやー、逆ナンされてお茶してたら遅くなっちゃった」
「それはない」
「待ち伏せしてたスタンド使いに手間取って」
「ホントのことを言え」
 事実を話すも納得してもらえなかった。
「いいことしてるのはわかるんだけどさ、そもそもメモしてたら間違えなかっただろ」
「コーンも香ばしくていいと思うよ! カップにはないパリッと食感!」
「カップじゃなきゃ許さん」
「〇ピコソーダに牛乳と砂糖入れて、レンジでチンするとバニラ味になるらしいよ!」
「なるか! レンチンって溶けてるだろそれ!」
「モナカの代わりに食パンどう?」
「モナカって何か知ってる……?」
 茂は探偵ばりに部屋の中を歩き始めた。
「なぜ、こうなったのか! そう、あれは紀元前五〇〇年前」
「買い直してこい」
「犯人はお前だ!」
「濡れ衣もいいとこだわ!」
 こんな具合に問答を繰り広げている間に、アイスは着々と液体化していく。それに気づいた兄たちは黙った。
「あらら、僕の兄ちゃん愛が溶かしちゃったみたいだね!」
 そこへ妹が返って来る。
「あ、アイスずるい! ハルのもある?」
「ねえよ」
 不機嫌な兄の返しに、小春がムッとする。茂は嫌な空気を悟り、言い放った。
「かき氷しよっか!」


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