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笑う門には福来る 第5話 相手のないケンカはできぬ

 一時間目のチャイムが鳴る前——。
 先生はまだ来ていない。茂は我が物顔で教卓の前に立つ。
「えー、お天気です。今日は台風の影響により、午前中は大雨暴風に見舞われるでしょう。午後には火事・地震が起こり、夜には隕石が降ると思われます」
「この世の終わりじゃん!」石川がつっこむ。
「お次はエンタメコーナー! キラン! 話題の原作、ついに映画化です」
 チャイムが鳴るも、当然のように茂は席につかない。一人しゃべりはまだ続く。
【ある日、香取の元に宇宙人が訪ねてきた】
『俺ね、母さんの誕生日プレゼント買いに、宇宙からきたの。手伝ってくれる?』
『宇宙? 一人できたのか?』
『うん、俺たんたん!』
【たんたんが買いに来たのは、人間の心臓】
『できればね、総理のが欲しい!』
『バカ言うな!』
『あの宇宙人を捕まえろ!』
『それ何に使うの? 心臓じゃなきゃだめ?』
『うーん、でも人間は心臓とっても死なないでしょ?』
『死ぬよ!』
『そうなの……母さんね、多分今年が最後の誕生日なんだ。だから、どうしても欲しかった。ごめんなさい……』
『たんたん、総理は無理だけど、その、俺のじゃだめかな?』
【劇場版 たんたんのおつかい】

 ここで茂は予告を区切り、進行に戻る。
「タイトルの割にシリアスですね。続きが気になります。ということで今日のゲスト、香取役の南雲さんです!」
 ちょうど先生が入って来た。
「今回、初主演だそうですね。あっ、こちらにお座りください」
「藤原くん、MC降板して座りなさい」
「ガビーン!」
 茂が大人しく席に着くと、藤丸が日直の号令をかける。
「きりーつ、おすわりー、伏せー」
 もちろん、打ち合わせ済みである。
「寝るな! 何のために立ったんだよ!」
 こうして、二時限続きの図工が始まった。各々、自画像を描く作業に入る。南雲は教室内を歩き、様子を見て回る。時々、クスクスと笑う声が聞こえた。その原因は茂だ。鏡の前で変顔の練習をしていて、作業が一向に進んでいない。南雲は声をかけた。
「藤原くん、笑顔を描いたらどうかな?」
「うーん、こうですか?」
 見せられた画用紙に描かれていたのは、にこちゃんマークだった。
「清々しいほど手抜き! 決め顔でも変顔でもいいから、ちゃんと描いてください」
 授業終了時に提出されたものを見ると、明らかに本人の顔ではなかった。上手く特徴を捉えていて、誰なのかは一目でわかった。これ、俺か。自画像を描けって言ったのに。

 三時間目は教室で理科の授業を行う。課題プリントを採点しあう際、いつもと違うパターンでペアを作ることになり、茂は西岡(通称大将)と組む。
 西岡は近くの席の子に「課題やったか? 見せろ」と強奪していた。奪ったプリントには何も書かれておらず、「使えねえな」と突き返す。すると、茂の方に顔が向いた。
「お前やってきた?」
 茂が渡すと、満足げに受け取るもすぐに返される。
「何だこれ! デタラメじゃねえか! これなら自分でやった方が万倍マシだ」
「いーや、百億万倍マシだよ!」
「どこで張り合ってんだよ」
 答えを発表する南雲は、私語をする二人を当てた。
「仲のいいそこの二人! 空気中の酸素はおよそ何%?」
 西岡は目で「お前が言え」と圧力をかける。茂がそれに応えた。
「0.5!」
「死ぬわ!」
「これからは二酸化炭素を吸う時代です」
「もっと少ないぞ? 植物か」
 教室に笑いが起こり、西岡も笑った。
「やっぱお前面白えな。何で俺の子分にならねえんだよ?」
「友達からお願いします」
「これじゃ俺が振られたみてえじゃねえか!」
 西岡は舌打ちをこぼし、楯突いたことを後悔させてやろうと心に決めた。
 四時間目のテスト返却(国語)でも、どちらが上かは明らかだった。一人ずつ名前を呼ばれて取りに行く。西岡は当然のように高得点を取った。
「へへっ、見ろよ。俺90点!」
「大将すごい!」
 仲間たちの称賛の声に気分がよくなる。茂もテストを手に戻って来た。
「何点だった?」
「きゃー、見ないでエッチ!」
 西岡が奪い取ってみると、89点だった。
「はん、中々やるじゃん」
 一瞬、肝が冷えたが一点でも上回っていることに優越感に浸り、茂の回答に目を通す。

 ・スポンジで(急襲)する。/正解:吸収
 ・(卯焼き)を食べる。/正解:卵焼き

 ・(人)に(世界)は変えられぬ。/正解:背・腹

 とんだ珍回答だと西岡は鼻で笑った。隣で茂が身を乗り出す。
「マルちゃん何点?」
「94―」
 上には上がいた。
「松本くんは? え、満点! すごいね」
 自慢げに見せびらかした自分がバカみたいに思えて、湧き上がる恥を押さえつけようと改めて茂の回答を眺めた。

 問一 雅人はなぜ野球選手になる夢をあきらめたのか。
   (投げるボールが全て人に当たってしまい、敵味方関係なくけが人を出し、これまで出た全試合退場になったから。)

 問二 雅人の本音の部分を本文から抜き出しなさい。
   (いいんだ、これで。俺がいなくなればみんなが野球できる。怪我しないで済む。これから俺はドッジをやろう。人に当てることが勝利につながる。素晴らしい競技だ。)

 どう転んでもそんな回答は出ない。とんだアホがいたものだ。もしわざとだとしてもアホだ。わざわざ成績を下げに行くなど、損しかない。
 給食の時間——。
 デザートにかちこち棒アイスがついていた。西岡は腰巾着からぶんどって五本食べている。もう一本くらい欲しいと思っていたところ、近くで笑い声が上がる。
「おい新入り!」
「はいこちら、しげるんです!」
「俺は今、お前の起こした笑い声でイラついてんだ。詫びとしてお前のアイス寄越せ」
 理不尽にもほどがある要求だ。それは自分でもわかっている。何か反論がくるだろうと予想したが、外れた。
「いいよ。当たり棒出たらちょうだい」
「ねえよ。当たりも外れも」
「大将が腹を下したら当たり」
「お前ふざけてんのか!」
「食あたりって言うじゃん。知らない?」
「知ってるに決まってんだろ」
 言葉遊びが過ぎるが、無抵抗に渡してきた。もっと反抗してくるかと思ったが、拍子抜けだった。こいつもちょろいと西岡は口角を上げる。
「昼休、ドッジ入れてやるよ」
「ホント? それウソだったら針百億万本飲ますよ?」
「一つの恨みがでけえよ!」

 松本は二人のやりとりを聞いて興味を持ち、茂がガキ大将にひれ伏すのかどうか、見に行くことにした。
 ジャンケンにより、茂と西岡は別チームになった。格の違いを見せてやると、西岡は意気込む。いつもふざけてばかりなのに、人気者。そんな茂に対抗心を抱いているのだ。
「大将! どうかご無事で!」
 茂は対抗心など微塵も見せない。
「余裕ぶっこいてられんのも今の内だぞ」
「キャー、大将イケメン! 痩せれば」
「一言余計だ!」
 一番最初に当ててやると心に決め、ボールを投げる。思いの外すばしっこくて、中々当たらない。外野と連携してリンチしているにも関わらずだ。
「何で当たらねえんだよ!」
「飛んでくるボールはいつも一つ!」
 作戦を変更し、周りから当てていくことにした。気づけば、大将の的はもう茂だけになっていた。茂はチャンスボールをキャッチして、西岡の股間に当てた。わざとではない。
 悶える西岡に、歓声と心配の声が上がる。松本は腹を抱えて笑った。西岡は血相を変えて、茂に迫る。
「お前、調子乗んなよ?」
「痛かった? 大丈夫? なんなら僕のも一発当てとく?」
「ふざけんな! みんなバカにしやがって!」
 西岡の顔は怒りと恥で真っ赤だ。
「でも大将のこと、みんな少しだけ好きになったと思うよ。いつも怖がられてるでしょ。こんなすごい人にも、そんなことあるんだって」
「俺が嫌われてるとでも言いてえのか、あ?」
 西岡は胸ぐらを掴む。
「どんだけ嫌いでも、一番ドッジ上手いのは俺だ! ここじゃ、俺に逆らえるやつなんていねえんだよ」
「一番上手いなら、みんなに教えてあげなよ。そしたらチームみんなが上手くなって、もっと勝てるよ」
「はっ、なんでクズに教えなきゃいけねえんだよ?」
「クズでも、鍛えてランクアップさせるのがリーダーの役目だよ。ボスって感じしない? 弱いやつ引きつれてるのと、強いやつ引きつれてるの、どっちがかっこいい?」
 茂がただのお人好しではないことは明らかだった。西岡に怯えるどころか、顔色一つ変えずに口答えする。
 松本はそれを見て、ニヤッと口角を上げた。
 西岡は殴ってやろうかと思ったが、先生の姿を捉えて手を引いた。
 休憩時間終了の合図が鳴ると、西岡は茂にボールを投げつけた。
「それ、片付けとけよ」
「ラジャー」

 教室で、机を引きずる音や黒板消しクリーナーの音がする。茂はモップを手に、床を磨いていた。だが、こすればこするほど汚れていく。
「お前チョーク引きずってんぞ」松本が指摘する。
「あ」
 松本は茂の腹の膨らみにはつっこまなかった。西岡が茂の腹(ボール)を見て、苛立ちをぶつける。
「お前は片付けもできねえのか?」
「大将とお揃い!」
「やかましい!」
「お腹出てるのが大将じゃないの? ほら、可愛らしいぽっちゃり体型」
「てめえ、おちょくってんのか!」
 先生は今いない。殴ろうと思えばできる。
「えー、横綱かっこよくない? あれ、力つけるためにわざと太らせてるんだよ。大将もそうなんでしょ? 大将ってどこにいても目立つよね。なんかオーラ? カリスマ的な」
 怒りが一瞬消える。煽てられていい気になり、まんざらでもない顔をする。
「まあな」
「単に声と体がでかいだけかもしれないけど」
「あげて落とすのやめろ!」
 黒板消しが飛んでくるが、茂は避けた。
「大将って、力強くて背も高いのに何でモテないの?」
 ぐさっと言葉の刃が突き刺さる。
「ずばり親しみがないんだよ! 怖いんだもん! いつも睨んで脅してさ。見てごらんよ。世の中のキャラクターを! ぽっちゃりは愛されるべきなんだよ」
「何を力説してんだお前は」
「黄色いくまさんも、黒いくまさんも、猫型ロボットも、〇―ミン一家も、丸いフォルムを生かして人気を勝ち得ているわけで!」
 松本が西岡をほうきでつつく。
「あ、こんなところに大型ゴミが」
「殺すぞてめえ!」
「殺してみろよ」
「あれ? それだと松本くんは大型ゴミに向かって話しかけてることになるよね。友達いないの?」
 いいぞ、その調子だと鼻で笑う西岡だったが、ふと気づいた。
「それ俺が大型ゴミ前提じゃねえか!」
「人間なんて全部ゴミでしょ? 人がゴミのようだってよく言わない?」
 西岡は茂のことがよくわからなくなった。煽てて攻撃されないようにしているのか。それとも挑発しているのか。今まで相手にしたことのないタイプを前に、戸惑う。しかし、結局は力で優る方が勝つのだ。その気になれば、いつでも捻りつぶせる。

 算数を終えて、六時間目の学活——。
「これから修学旅行の班を決めます!」
 南雲の一言で、生徒たちは一気にテンションを上げる。六人班を作るよう指示され、各々動く。
 藤コンビが当然のように組む。その後、渋々な松本、石川、委員長と揃っていく。あと一人だ。一方、西岡のグループは一人多い状態だった。先生がいる手前、お前がいけと口には出せない。子分に目で指示したものの、先生が先に気づいてジャンケンする羽目になった。西岡は一発で負けてしまい、泣く泣く茂のグループに入る。
「やーい、ハブられてやんの」
「一人じゃ何もできないのにな。可哀想」
 西岡は足を踏んで松本をけん制する。当然、松本はやり返す。委員長が見かねて注意した。
「お前らそれやめろ。今からそんなんじゃ、当日楽しめないぞ」
「やめてほしけりゃ、土下座しろ」
「土下座してお前に何の得があるんだよ。それより係決めないと、先生こっちくるぞ?」
 西岡は舌打ちを返した。
「班長・副班長・レク係二人・食事係・保健係、やりたいのあったら立候補してくれ」
 茂が第一声を上げる。
「はんっ」
「藤原、レクリエーション係やってくれよ! 面白いし」
「いいよ」
 松本は聞き逃さなかった。
「お前、今班長って」
「班長やりたい人! って言おうとした」
「……あっそ」
 西岡は班長以外やらないと言い張った。委員長の坂口が副班長、レクは藤コンビが、食事係は松本、保健係は石川が担当することになった。
 西岡はメンバーに不満があった。言うことを聞かないやつが多すぎる。その上、余りもので入れられた。下校前、階段の踊り場で、茂に八つ当たりする。
「おい新入り、明日学校におやつ持ってこいよ」
 ついでに腰巾着の一人にお前もなと追加した。ビビりの腰巾着は頷くが、先生にバレたらと恐れているのが見え見えだ。対して、茂は嫌な顔一つしなかった。
「おやつか……大将、何が好き?」
「そうだな、ドーナツがいい」
 こいつ恐れ知らずか。全然ためらう気配がない。

 翌日、茂が持ってきたのは手作りの焼きドーナツだった。
「揚げたやつしか食わねえぞ。俺は」
「これ以上脂肪たくわえて、何に使うつもり?」
 頭にきたものの、西岡は受け取った。そして、教卓に置く。西岡の思惑通り、先生は朝会でドーナツについて言及した。
「誰だ? おやつ持ってきたの」
「はい! 僕です!」
「学校は何するところですか?」
「青春するところです」
「間違ってはないけど没収」
「なぐもん先生、欲しいならこっちあげる。愛情たっぷりこめて作りました! いつもお世話になってます!」
 茂はラッピングされたもう一つのドーナツを差し出す。
「ありがとう。でももう持ってくるんじゃないぞ? この後、職員室な」
「僕を連れ込んで何するつもり⁉」
「反省文だよ!」
 痛くもかゆくもなさそうな様子に、西岡は舌打ちした。このままで満足できるはずがない。思いついた妙案を仲間に耳打ちする。
 反省文でボケまくり、二枚書く羽目になった茂が、教室に戻って来た。家庭科の授業が始まり教科書を開くと、手書きの文字で埋め尽くされていた。それも、マジックで。
『変人』
『頭いかれてる』
『キモイ』
 それを見た茂は数秒固まった。西岡はほくそ笑む。書いたのは子分だ。バレたところで怒られるのは自分以外である。
 茂は藤丸をつついて話しかけた。
「マルちゃん、この落書きどう思う? センスなくない?」
「ないねー。誰が書いたのー?」
「わかんない。ここ、僕ならこうするかな」
 西岡は呆気に取られた。人に見せるとは思わなかった。その上、自分で上書きしている。
「しげるん、何かされたら言ってねー。僕がそいつの股間蹴ってあげる」
「あらやだ、マルちゃんったら大胆!」

 休憩時間になって、西岡のドッジの誘いに応じ、茂は教室を出て行く。護衛と言わんばかりに、普段あまり外に出ない藤丸も参加した。だが、護衛の意味などなかった。教室に残った子分が西岡の指示を受け、机の中にゴミを大量に入れていたのだ。内心謝りながら、子分の東山が浮かない顔をして実行する。
 その様子をトイレから帰ってきた松本は見ていた。自分も標的にされたことはある。止めてもいいが、子分に注意したところで意味はない。西岡が主犯格だという証拠がなければ、先生に突き出せない。
 三時間目が始まり、準備しようと机に手を入れて、茂は異変に気づく。
「一足早くひねくれたサンタさんが来てる」
 茂は普通に捨て直しに行って対処した。落ち込む様子を見せない茂に、西岡は不服だった。掃除時間にはゴミ袋を押し付け、持って行けと三袋渡してみたが、茂は二つ返事で持って行った。気に食わない。仕掛けているのに平然としていることが。この程度では足りないらしい。
 翌日、西岡は上履きを隠した。すると茂は、黒板に上履きの絵を描き、迷子の猫のごとく、「探しています」と告知した。消さなければと思ったが、チャイムがなってしまい、手が出せない。入ってきた南雲がそれに気づいた。
「これ、書いたの誰だ?」
「僕です! 先生は見なかった?」
「いや、見てないけど……」
 南雲は書かれた文字を消しながら思う。下駄箱に置くのだから、落としたということはないだろう。週始めでもないのに忘れたというのも不自然だ。まさか、いじめではと疑念がよぎる。

 気になった南雲は、朝会後に茂を職員室に呼び出した。
「上靴がなくなったこと、何か心当たりがあるんじゃないか?」
「最近反抗期だったから、家出かもしれません。今のがきつくなって、新しいのを買ったばかりなんです。拗ねてるのかな?」
 こういう時もボケで返してしまうのは、もはや病気だろう。
「最近、誰かとトラブルにならなかったか?」
「んー、特には」
 応急処置として、職員室にあったフリーの上靴を貸すことになった。南雲の心配をよそに、茂は何事もなかったかのように、いつもの調子でふざけていた。
 一時間目の道徳では、指定のところをアドリブに変えてみせた。二時間目の算数でも通常運転だ。
「たけるくんとまもるくんが、それぞれの地点から五キロ歩く。たけるくんは一分で五十メートル、まもるくんは一分で三十メートル進む。同時に出発して何分後に合流するか」
 茂は元気に手を挙げる。
「はい、藤原くん」
「雨が降ってきて二人とも帰った」
「せめて合流してくれ!」
 再度手を挙げる茂に、ボケるのはこれで最後と指名する。
「まもるくんが寝坊して六時間後に行ったものの、たけるくんは道中でセールに寄り、買い物袋を家に置きに行くついで、洗濯、炊事、掃除を済ませた。再度出かけたら、結果合流したのは六時間五十四分」
「寄り道多いな! つーかたけるくんは主夫か」
 西岡は不機嫌だった。数々の嫌がらせに対し、笑顔すら見せているその余裕が気に食わない。腹いせに給食のパンを強奪したが、効果はなかった。
 茂は昼休憩に、藤丸と校内を探し回って上履きを無事に見つけた。それを聞き、西岡はやり方がぬるいと子分に叱責する。
「どぶに捨てるとか、もっとやり方あったろ」
「……ごめん」
「代わりに体操服盗んでこい」
 午後の体育直前、茂が困っているのを見てられず、子分の東山は大将の目を盗んで、トイレにあることを告げ口した。せめてもの手助けである。もはや自分がやったと白状するようなものだが、茂は笑顔で礼を言った。
 トイレに赴くと、便器に浸された体操服を見つけた。腹をくくってポロシャツで参加しようとしたが、先生に止められた。体育館とはいえ、破れたりすると困るとのことだ。ちなみに体操服は忘れたということにしている。大人しく見学するなんて選択肢はない。茂はドッジに励むクラスメイトを応援して過ごした。
「ナイス顔面セーフ!」
「フォローになってねえ! めちゃくちゃ痛えんだぞ?」
 石川が半泣きで叫んだ。
 ドッジは西岡無双で終わった。茂が見学なのも相まって、機嫌がいい。まだまだこれでは足りない。
 俺の底力、見せてやる。

 帰り道——。
 茂は、クラスメイトと放課後に学校のグラウンドで遊ぶ約束をした。おかげで足取りが軽い。歩道橋の下で石川が離脱し、松本と二人になる。
 橋の影で松本は立ち止まった。日光に照らされた茂の「どうしたの?」と言う声は、パトカーのサイレンにかき消された。
「お前、いじめられてんだろ」
「誰に?」
「西岡だよ。あの腹出たやつ」
「大将みたいな人って偉そうにしてるけど、意外と劣等感持ってると思うんだよね。じゃなきゃ、あーいうことしない。僕にあって大将にないもの、それは超絶かわいい見る人イチコロの笑顔!」
「自画自賛にも程があるぞ」
 松本は再び歩き出す。
「よく同情できるな。いつまで笑ってそんなこと言えんのか、見ものだ」
「同情じゃないよ。先生にバレないように人にやらせてるのも、自分の好感度を下げたくないからでしょ? どうしたらあんな子に育つのかしらねえ? 松本さん」
「知らね。あいつの言いなりのまま、一年間過ごすつもりか? 長いぞ」
「もちろん、そんなつもりはないよ。ちゃんとみんなで笑って卒業したいから」
「言っとくけど、俺は助力しねえからな。お前がその貼り付けた笑顔を崩すまでは」
「そんなこと言って、僕が心配だからこんな話してるんでしょ? もうツンデレ男子!」
「その口ガムテープで塞いでやろうか」
「松本くんは来ないの? この後」
「行かねえよ」
「そっか。大勢イヤなんだね。いつか僕と二人で遊んでくれる?」
「さあ? 気が向いたらな」

 一度帰宅した茂は、着替えてまた学校へ向かう。ケイドロのために、女子も含めて七人ほど集まっていた。警察は石川と坂口、他はみな泥棒だ。警察二人が十秒数えてスタートする。
 サッカー部の坂口と野球部の石川は、足が速い上に体力もある。二人が他の子を追いかけている間に、茂は藤丸と共に隠れた。
「しげるんはさー、いつも笑ってるよねー」
「笑顔大事だからね」
「苦しい時も笑ってるよねー」
「苦しい時ほど笑えって言うし」
「泣いてもいいんだよー」
「マルちゃんの優しさに今泣きそう」
「僕はしげるんの笑った顔好きだけど、泣いた顔も見てみたいなー」
「マルちゃんのドS!」
「ドSな僕は嫌いー?」
「大好き!」
 坂口の声が聞こえてきて二人は逃げる。ハイタッチして二手にわかれた。茂は足が速くないため、障害物を上手く使って逃げる。しかし数分後、捕まってしまった。
「すいません。ついむしゃくしゃして、コンビニ一軒つぶしちゃいました」
「どんな犯罪者だよ。巨人かなにか?」
 次々と捕まっていき、残るは桜井と藤丸となった。普段ぼんやりしている藤丸だが、意外とすばしっこい。脱走させないため、あとは石川に任せて警備しようと、坂口は足を止めた。
 円の中に捕まっている茂は、女子を追いかける石川の様子を見て、青春だなと微笑んでいた。
 足の遅い桜井が慌ててこける。石川は迷った。捕まえるべきか。それとも藤丸に標的を変えるべきか。膝から血を流す桜井は、逃げる気ゼロだった。
「石川くん、私を捕まえて」
 石川はその姿に心を射抜かれ、桜井と共に円の方へ歩く。
「坂口、俺を捕まえてくれ! 俺は桜井と一緒なら泥棒になる!」
 もはや告白である。
「お前いないと破綻するだろ。このゲーム、全員捕まらないと終わらないんだから。見張りがいないと、脱獄し放題だぞ?」
 ところが数分後、捕まる気配のない藤丸に、二人は作戦を変更した。見張りを捨てて、賭けに出ることにしたのだ。挟み撃ちして、ジャングルジムに追い詰める。
「大人しく投降しろ!」
「うるせー、殺すぞー。こいつがどうなってもいいのかー」
 藤丸が棒読みでポケットから取り出したのは、おやつだった。
「いいよ別に! それお前のだろ」
「見逃してくれたら、あげてもいいよー」
 途端、石川は坂口を抑えた。
「悪いな」
「何で裏切ってんだよ! おやつにつられんな!」
 藤丸が逃げる間、石川は坂口を妨害する。藤丸はみんなを解放し、石川はおやつをもらい満足する。
「お前ふざけんなよ!」
 最初からやり直しになって、坂口が叫んだ。

 帰り道、茂はひとしきり走り回った楽しい時間を噛みしめた。どんなに辛いことがあっても、あんなに楽しいことが待っているなら、学校行かなきゃ損だ。明日は何をされるだろう。何があろうとも、明日を乗り切れば二日の休みが待っている。
 翌日、そんな茂の希望に西岡は砂をかけた。子分にバケツをひっくり返させたのだ。朝会前だというのに、制服は砂で汚れてしまった。ここは校舎の陰、先生にも生徒の目にも届かないところだ。目撃者は物言わぬ百葉箱以外にはいない。咳き込む茂に西岡が問う。
「気分はどうだ?」
「公園の砂場で、ちびっこに埋められそうになったアリの気分」
 まだ折れないのか。
「何で誰にも言わねえんだ? 友達いっぱいいるくせによ。それとも何か? あいつら全部ニセモノか? 巻き込まねえようにってヒーロー気取りか」
「そんなんじゃないよ。大将はいじわるしてると思ってるんだろうけど、僕はきっと愛ゆえの行動だって信じてる! あー、大将! そんなに僕のことを愛してっ!」
「誤解を招くようなこと言うな!」
 西岡は笑い続ける茂を前に、少し不気味だと思った。チャイムの鳴る時間が迫り、西岡たちは引き上げる。
 茂はほっと一息ついて、水道で砂を洗い流す。

 教室——。
 茂は漫才の時に流れる音楽を再現して、先生を迎えた。
「ネタはやらないぞ?」
「先生、仕事してください」
「教師は生徒を笑かすためにいるんじゃない。勉強を教えるためにいる。座りなさい」
「はーい」
 南雲はその時、茂の服が濡れていることに気づいた。ところどころ砂がついている。先日の上履きのこともお菓子のことも、違和感を覚えていた。
 朝会後、寝ていた藤丸を起こして呼び出した。仲のいい彼なら何か知っているのではないかと。
「最近、『藤原くん、変だな』と思ったことはない? いつもと様子が違うとか」
「多分、西岡が嫌がらせしてると思いまーす。証拠はないけど」
 具体的な名前が出てきたことで、南雲は確信する。何らかのトラブルが起こっていると。本人たちに聞いても正直に答えてはくれないだろう。どうしたものか。
 南雲は二人を注意深く観察することにした。
 一時間目の体育のバスケでは、特に変化は見られなかった。茂はラジオ体操でオリジナルの振り付けを取り入れ、西岡は少しラフプレーがあったものの、すぐに謝罪していた。目立って二人が揉めている様子はない。
 他の授業もいつも通りで、茂は習字で英語を書いていたり、西岡と物の貸し借りをしていて、むしろ仲良さげに見えた。とはいえ、藤丸の発言が嘘とは思えず、西岡にカマをかけてみる。
「最近、藤原くんと仲いいね」
「まあ席隣だし、面白いし、あいつ嫌いなやついないと思いますけど」


 先生のいない掃除時間、西岡はまた仕掛けた。
 午後の授業開始前、数人の生徒が疑問の声を上げる。
「何だこれ?」
「『いつもあなたを見てますよ』だって、気持ち悪い」
「これ書いたの誰? お前にも入ってたのか?」
 西岡はあたかも被害者という顔をした。
 男女数人の机の中にあった手紙には、「差出人H」と書かれている。石川はまっすぐ藤原の席へ向かった。
「これ書いたのお前だろ? こんなふざけたことすんの、他にいねえって」
「僕ならもっと面白いこと書くよ!」
「そうだよー、しげるんはこんな嫌がらせみたいなことしないよー」
「じゃあ誰なんだよ? Hって」
 藤丸は西岡に視線を移す。
「このクラスだと、原、東山、藤丸、藤原くらいだな」坂口が推測した。
 先生が入ってきて、生徒たちが手紙のことを報告する。
「誰がやったのかはわからないが、今度やったら親御さんを呼ぶからな」
 問い詰めたとして、このイニシャルが差出人のものとは限らない。犯人捜しなんかやったら、それこそクラスぐるみのいじめになる。

 茂はボケを忘れずに授業を受けたが、手紙のことが頭から離れなかった。確実にはめにきている。次やられたら、先生の尋問が始まる。ピリピリした空気は嫌だ。その状況でボケを返せば怒られる。ニコニコしていれば不自然だ。
 兄たちならどうするだろう。長男なら頭を使って相手をはめ返して、先生に見つけさせる。次男なら、問答無用で殴る。三男は無抵抗で逃げる。妹でも大人しくやられはしない。負けん気が強いから、やり返すくらいするだろう。
 だが、それでは終わらない。西岡とどうにか平和条約を結べないだろうか。考え込んでいると、藤丸がじーっとこちらを見ているのに気づく。
「何? マルちゃん、僕の顔に返り血でもついてる?」
「土曜日空いてるー?」
「空いてるよ」
「しげるん家、遊びに行ってもいいー?」
「いいよ! 大歓迎」
 先生に注意されて、藤丸は前を向く。
「僕はしげるんの味方だからねー」


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