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【小説】中二病の風間くん第1話 疾風の渡り鳥・ハヤブサ

 夏疾風が雨の匂いを連れて、内海の髪を揺らす。傘など持ってはいない。それどころか、鞄の中は空っぽだった。長い休みが明けたばかりだが、読書感想文や大量に出された課題プリントには一つも手をつけていない。
 制服のスカートに水滴が降ってきた。これはカエルが喜ぶことだろう。やかましく鳴くはずのセミは、どこかで息を潜めている。日焼けもしていない白い肌に冷たい一滴が伝う。
 もっと降れ。大洪水を起こしてしまえ。そしてこの憂いを流し、命すら飲み込んでくれ。
 内海は学校へ向かわず、人気のない公園へ足を踏み入れた。ブランコが風に揺れ、遊具が寂しげに鎮座している。
 内海は滑り台の階段を上がり、物憂げに景色を眺めながら片耳のイヤホンをつけた。流れ出るイントロに合わせて息を吸う。途端、突風が吹いた。
「伏せて!」
 駆け上がってきた制服の青年は、片目に眼帯をしていた。左腕には包帯が巻かれ、胸元で首飾りが揺れる。ひょろっとした右腕は白く、淡雪のようだった。
 小柄な青年は物陰に屈み、その体を難なく隠した。緊迫感のある青年の声とは裏腹に、内海の心は萎えていた。見るからにアレを患っている。
 青年は唇に指を立て静かにするよう指示し、ただならぬ雰囲気を纏い、辺りを警戒する。内海は呆れた目でこそっと耳打ちした。
「ねえ、何してるの?」
「僕は今、やつらに追われている」
 青年の視線の先には、ランドセルを背負った少年が二人いた。
「……あっそ」
 内海は付き合ってられないと立ち上がり、その場を離れようとするも、青年が制する。
「動くのは危険だ! まだやつらの力が判明してーー」
「みっけた! 包帯のにーちゃん」
「はさみうちだ!」
「くそっ、なぜここがわかった……!」
 お前が大声出すからだろ。
 内海はツッコミを胸にしまい、滑り降りて逃走を図る青年を眺めた。青年は、滑り台の傍らに置かれた内海の鞄につまずき転倒したところを捕らえられた。
「次はにーちゃん鬼ね!」
「悪いが僕には時間がない。見ての通り僕は青の使徒。招集を受けているんだ。もう行かなければ」
 どう見ても中二病をこじらせた男子学生である。素直に小学生は退き、手を振って去っていった。青年は立ち上がろうとするもすぐに膝をつき、タッチされた肩を押さえる。
「くっ……! やつら厄介な呪いをかけていきやがった」
 終始冷ややかな目で眺める内海と視線が交わる。
「その制服……君も青の使徒か!」
 実際、内海は青山高校に通っているが、仲間認定されるのはごめんだった。
「僕としたことが、招待状の暗号文を読み違えてしまったんだ。この辺は迷宮のように入り組んでいて解きがいがあるが、いかんせん時間がない」
 要は迷子である。
「君も招集を受けているなら共に行こう。このままでは遅れてしまう」
「ウチ行かないよ。ここでサボる」
「ではなぜその服を着ているんだ?」
 その問いかけに内海は口をつぐんだ。
「なるほど。親の目を搔い潜ってきたのか。君も追われているんだね」
「……なんでそう思う?」
「さっき蹴とばした鞄が軽すぎた。サボるだけならわざわざ家を出る必要も、制服を着る必要もない。何も入れなかったのは、家を出る時から登校する意思がないからだ」
「……片目隠れてる割にはちゃんと見てるんだね」
「ふっ、当然だ。僕にはこの世の全てを見通す魔眼がーー」
 べちゃっと汚い音がした。青年が犬のフンを踏んでしまったのだ。靴の裏を見て叫び声を上げる青年に、その魔眼は節穴かと鼻をつまむ。
「さてはケルベロスの刺客か……! こんな陰湿な仕掛けをするとは小癪な」
 青年が汚れを砂場でこすり落とす中、内海の足元にキーホルダーが落ちる。鞄につけていたチェーンが外れてしまったのだ。被った土を払い落すと、波のようなマークが露わになる。
「それかっこいいね。どこのものだ?」
「これは……」
 遠くから響くチャイムが内海の代わりに答えた。
「遅刻だね」
「頼む。この通りだ。君がサボることに異議を唱える気はない。だが、この迷える羊をどうか導いてほしい」
 眼帯に手を添えて、腕をクロス。どう考えても人に物を頼む態度ではない。
「僕にはわかる! 君には人を導く力がーー」
「はいはい。送ってあげるから黙ってついてきて」
 これ以上恥をまき散らされてたまるか。そう思い、内海は折れた。
「恩に着る! この借りは必ず倍にして返そう」
 なんで恨むみたいになってんの。そのツッコミは胸にしまうも、正直隣を歩くのも恥ずかしい。格好はもちろんだが、スズメ相手に会話していたり、気配がすると口にしてはコソコソ電柱に隠れたり……。早くこの恥晒しを手放そう。
 校門に辿りつくと、青年は息絶え絶えにお礼を述べた。体力なさすぎか。毒でも盛られたのか。そうつっこまざるを得ない。
「僕のことはいい……。君は先に行くんだ。僕も必ず後から……」
 それは絶対に死ぬやつだ。
「さっさと立って。保健室までだからね」
「それは助かる……お礼に呪いのかけ方を教えてやろう……」
 ありがた迷惑である。
 青年は日の下に引きずり出された吸血鬼のように、よろよろとベッドに座り込む。道を知らなかったことから察するに転校生だろう。内海は渋々職員室へ向かった。
 入室すると、担任の守谷先生が低くも穏やかな声で内海を呼ぶ。先生は、ちょうど進路について話したいと思っていたところだと口にした。嫌な予感がして、内海は中二病の彼へと話をすり替えた。
「そうでしたか。では、先に教室へ向かってください。ご報告ありがとうございます」
 帰りたい気持ちを抑え、三年四組の教室に入った。同級生が楽しげにたわいもない話をしている。おはようなどと声をかけてくる者はいない。汚染されていく心にふたをして、内海は席についた。
 程なくして担任が生徒を連れてやってくる。
「今日からこのクラスに加わる風間くんです」
「疾風の渡り鳥こと、ハヤブサだ。魔界を統べるイブリースの傘下、ケルベロスの一員だったが抜けてきた。あと半年よろしく頼む」
 何一つ理解できる情報がない。クラスメイトはポカンとした後、クスクス笑いをこぼす。
「ところで風間くん、その眼帯とネックレスは校則違反ですよ」
「この世に僕を縛れる者などいない。僕がこの学校の面汚しだというなら受けてたとう! 最高風速二十八メートルの僕にかかれば、こんな校舎ひとたまりもーー」
 小学生に追いつかれてたくせによく言うよ。内海は内心毒を吐く。
「後ほど反省文をお渡しします。風間くん、席はあそこですよ」
「ふっ、恐れ入ったか。当然だな。この疾風の渡り鳥・ハヤブサの力はーーおや? 君は今朝の……」
 よりによって隣だった。
「君には返しきれない恩がある。礼に何か一つ願いを聞いてやろう」
 今後一切関わるなと言えば、どんな顔をするだろう。
「何でもいい。世界を滅ぼしたいだとか、意中の人を振り向かせたいだとか……僕は喜んで君の願いに協力するよ」
 命を摘みたいと言っても、本当に手を貸してくれるのか。
「何だ? 聞こえていないのか? まさか魂が抜かれて……!」
「うるさい」
「これは失敬。名前を聞いても?」
「名乗るほどの名前はない」
「では僕がつけてやろう! そうだな。暗黒のシーサイドというのはどうだろう?」
「却下」
 朝礼の後、二人は別件ながら共に職員室へ連れられた。
「風間くん、高校三年生という自覚はありますか?」
「無論だ」
「ならなぜそのような格好を? その包帯、けがでつけているわけではないのでしょう?」
「これを外すと古傷が疼くんだ」
「ではそのネックレスは?」
「かつて共に戦った相棒の形見でね」
「眼帯は?」
「魔眼を制御するためにつけている。僕は余計なものが見えすぎてしまうタチでな」
「逆に視界が遮られて邪魔になると思いますが」
「……先生にとって僕は学校の面汚しだと?」
「そうは言ってません。このままだと、あなた自身がこの先困るんです。もし今から会社の面接をすると言ったら、その格好で受けられますか?」
「無論だ」
 即答する風間に二人が呆れる。
「速攻落とされますよあなた。まず敬語を使いなさい。常識がわからない歳ではないでしょう」
「……そうだね。周りに合わせて溶け込んでいなければ、人間はすぐにはみ出し者として弾かれてしまう。世間的な『普通』の範疇を超えれば、誰もが異常として批判される」
 内海は眉をピクリと動かした。
「普通とはなんだ? それが模範となるのか? いや大多数が取る選択肢にすぎない。今はスマホを使うのが当たり前になったが、ガラケーは非常識だと思うか? 少し前までガラケーが普通だったんだ。つまり『普通』という基準は変わる。時代と共に」
「……ええ、最もな意見です。ですが組織に属するからには、規則を守らなければなりません。それはわかりますね?」
「ならば規則を変更し、全員この格好をすればいい!」
「反省文二枚に増やしましょうか?」
「いいだろう。受けて立つ!」
「明日の朝までに提出してくださいね」
 なぜわざわざ逆風の中を歩くのか。内海には理解できなかった。だが、どこか芯のある風間の言葉は妙に耳に残った。
 先生は進路希望の紙を取ると、視線を内海に移した。
「就職ですか……。確か内海さんは昨年、小泉専門学校の声優科を希望されていましたよね」
「何!? それは本当か! 素晴らしい夢だ」
 目を輝かせる風間を担任はスルーした。
「本当に就職でいいんですか? それも給与の低い事務職……もう一度考えてみませんか? 他にしたいことがあるのならーー」
「構いません」全てを諦めたような光のない瞳だった。
「……そうですか。また気が変わったらいつでも相談に乗りますからね」
 機械的に礼を述べる内海の横で、風間はペンを走らせる。
「僕はケルベロスという組織を抜けてきたので、いつ殺されても不思議はありません。よって、この装備でなければ僕の身に危険が及びます。とはいえ先生には、相手の能力と僕の技を事前に言っておくべきだったと猛省しておりーー」
「風間くん、反省文もう二枚増やしましょうか?」
「なっ! 時間がループしているだと!?」
「真面目に書かないと終わりませんよ?」
「終わらない夢か。いいだろう。校則違反で反省文を書くのが、僕の夢だったからね」
「叶ってよかったですね。でも終止符は打ってください。原稿用紙がもったいないので」
 くだらないと一蹴し、内海はその場を後にした。鞄の回収のため教室へ戻ろうとしたが、ふと足を止める。廊下には話し声と共に一つの旋律が響いていた。自分にはない透き通った高い歌声が、内海の精神をすり減らす。
 鞄は空だ。置いて帰ったところで何の支障もない。引き返そうとした時、拍手喝采が起こった。
「プロじゃん!」
「さすが声優志望! カワボ~」
「私なんかまだまだだよ~。表現力も足りてないし、こんなんじゃ声優やってけないって! 受験は死ぬ気で頑張るけどね」
 明るく答えるフォロワーの多い彼女の言葉に、耳も心もズキズキ痛む。あの子と一体何が違うのだと、足りないものを数えては、暗く冷たい海底に深く沈んでいった。
 いっそのこと、泡になって消えてしまえたら楽なのに。
 内海は早退届を書き、鞄を放置したまま門を出た。風は強くなり、雲行きが怪しくなってきた。髪から水滴が落ち、頬を伝っていく。内海の代わりに空が泣いた。


 予鈴が鳴る数分前、風間は動画を見ていた。そのチャンネルには歌の投稿がいくつもされている。顔はわからないが特徴的なハスキーボイスに惚れ込んだ。かれこれ五年ほど応援しているが、一年前から加工された歌声が投稿されるようになった。
 そして、それは回を重ねるごとに低評価が増えていきパタリと消息を立ったのだ。アイコンには見覚えのある波のようなマークが設定されている。
 風間はイヤホンを外し、雷の音を耳にして席を立つ。
「こ、これは……スサノオ逆鱗の前触れ! 先生、悪いが僕はお暇させてもらう」
 注意を叫ぶ先生の声には目もくれず、隣の席に置かれたままの空鞄を手に、教室を後にした。
 傘を差し、口笛を吹く。すると、黒い大型犬が馳せ参じた。
「さすがメフィストフェレス、僕の使い魔! 矢のように迅速な反応だ」
 風間は愛犬に鞄の匂いを嗅がせた。

 一方その頃、内海は防波堤に腰かけ物憂げに海を眺めていた。風が吹き荒れ大きく波打つ姿は、毛並みを逆立て世界に威嚇する獣のようだった。
 内海は掠れた声で音を外しながら、己への鎮魂歌を叫んだ。

 脈打つたびに痛むのは抉られた古傷
 深く暗い海の底 漂う船の破片
 手放したい命 息をすることさえ 忘れたい日々の中でのど震わせた
 生きていてよかったと 生まれてきてよかったと
 そう思えたのなら どんなによかっただろう
 抱く望みは泡沫

 その旋律は暴風にかき消されていく。歌い終えると拍手が鳴った。
「実に素晴らしい低音だ。断末魔にしては趣がある。魂が揺さぶられたよ。その荒々しい心の叫びに。確か『アラナミ』といったか。名が体を表しているね」
 そこには風間が犬を連れて立っていた。内海は忌々しげに顔を歪める。
「……どこで聞いたの? その名前。クラスのやつ誰一人知らないはずだけど」
「ある日偶然見つけたんだ。君の動画を。いや、運命だったのかもしれない。その妖艶なハスキーボイス、一度聞いたら忘れられなくてね」
「忘れてくれていいよ。もうすぐいなくなるから」
 瞳の奥で悪魔が笑った。
「君はルサールカになりたいのか?」
「何? それ。また中二用語?」
「美しい歌声で男を惑わし、水底に引きずり込む悪魔の名前だ。人魚に間違えられるが、その正体は若くして亡くなった女性でね。復讐のために人をつけ狙うとされている」
「ふーん、いいねそれ。来世は悪魔にでもなろうかな。少なくとも今より歌が上手くなる」
「悪魔にならなくても上手くなる方法はーー」
「ないよ。さっきの聞いたでしょ。途中で咳き込むわ、音は外すわ、発声も抑揚も何一つできてない。それどころか嗚咽する始末……」
 苛立つ内海の声に呼応するように、近くで雷が鳴った。世界が割れるような耳をつんざく音だった。途端、内海は足の力が抜けてうずくまる。瞳孔が開き、体は震えて顔色が悪くなっていく。
「雷が怖いのか?」
 風間の問いかけに答える余裕もなく、呼吸が乱れていく。動悸がおさまらず、押し寄せてくる不安の波に成す術がなかった。周りの音が遠のいていく。代わりによぎるのは、諭す親とバッシング。
 ーーあんたには無理よ。いつまで夢見てるの。
 ーー人気者を妬む時点でお前の負け。実力ないって言ってるようなもんだろ。
 雨風に晒され冷えていく体に、もふもふした温かいものが触れた。くーんと耳元で鳴き声がする。黒い犬が護衛のように内海の周りをうろついている。気づけば傘の下だった。
 内海は消え入りそうな声で呟く。
「もうほっといて……ここで安らかに眠らせて……」
「この荒波で安眠を望むというのか」
「……バカなことだと思う?」
「いいや、僕もちょうど心中相手を探していたところだ。楽に死ねる方法を知りたいか?」
 弱々しく頷き、内海は大人しく腕を引かれる。辿り着いたのはマンションの一室だった。
「……何でウチの家知ってるの?」
「君の家など知るよしもないが?」
 そう言って風間が開けた扉は、内海家のすぐ横である。風間は呆然と立ち尽くす内海を玄関に招き、タオルを被せた。
「ねえ、なんでウチを止めたの? どうせ楽に死ねる方法なんてないんでしょ?」
 ブラックホールのように吸い込まれそうな、闇を帯びた瞳だった。
「語るより見せた方が早そうだね。できれば人の目に触れさせたくはなかったが、背に腹は変えられない」
 風間は手首に巻かれた包帯を外した。露わになったのは、古くおびただしい切り傷。内海は目を見開いた。
「これが何を意味するか、君ならわかるだろう。幾度となく死を求めたが未遂に終わった。だから僕は考えた。この命を終わらせるには、然るべき儀式が必要だと」
 こじらせた言葉にしては妙に重みがあった。
「君はきっと今すぐにでも実行したいのだろうが、あいにく今日はこの悪天候だ。手順を踏むには晴天が必須条件でね」
 風間は眼帯を外して顔を拭く。
「明日の空は機嫌がいいそうだ。だから一日だけ僕にくれないか。君の最後の日を。共にこの腐りきった世界に終止符を打とう」
 まっすぐ見つめられ困惑し、内海は思わず目を逸らす。
「……あんた、お節介だってよく言われない?」
「僕はただ忘れ物を届けに来ただけだよ」
 差し出されたのは置き去りにした鞄だった。中身は空っぽなはずなのに、なにか大事なものを受け取った気がした。


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