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【小説】中二病の風間くん第2話 原点回帰

 内海は暗く深い海の底に沈んでいた。息苦しくなって水面に顔を出せば、大きな赤い月がじっとこちらを見ている。その視線に耐えられず再び潜ると、なだれ込んでくる過去に押し流されていく。
 ーー調子に乗るな。このレベルならそこらにいくらでもいる。
 つい魔が差して、クラスの人気者に嫉妬してコメントを投稿したことがあった。そんな些細な攻撃は、何倍にも膨れ上がって返ってきた。重力に逆らうことなく体が沈んでいく中、内海は瞳をそっと閉じた。
 たった一度、水面から顔を出して人間をつついただけなのに、もがけばもがくほど、地上へ行こうとするほど、強い潮の流れに押し戻される。月の浮かぶ夜空は、こんなにも遠かっただろうか。
 うっすらとした意識の中、針が時を刻む音を耳にした。布団から体を起こし、見慣れない部屋を見渡した。風間の家である。つい帰りたくないと口にしてしまい、厚意で泊まることになったのだ。その後帰宅した家主・叔母も快く迎え入れてくれた。
 朝日が覗き込むカーテンを開けることなくリビングへ赴くと、中二装備を完了させた風間が窓の外を眺めていた。
「ふっ……風が僕を呼んでいる。世界が終わらせてくれと叫んでいる。まあそう焦るな。必ず僕が終焉へ導いてやろう」
「……それ毎朝やってんの?」
「朝礼のようなものだ」
 内海の前に温かいコーンスープを置き、風間は切り出した。
「さて約束通り、君の一日をいただくわけだが……自ら終わらせる気だったということは、アレを書いているだろう。見せてくれないか」
 昨日の雨に濡れてヨレヨレになった遺書を差し出すと、風間は品定めするように目を通す。内海が喉を潤した頃、審査員は判定を下した。
「ふむ……なるほど。三点!」
「遺書に良い悪いもないでしょ」
「それがあるんだ、残念なことに。僕の経験上、未熟な遺書では楽に逝かせてもらえないことがわかっている。君の間違いは三つだ。内容が短すぎること。遺される者が納得するだけの理由が記されていないこと。来世への展望がないこと」
「何でこれから死にに行くやつが未来のこと考えなきゃいけないの?」
「死が真の終わりではないからだ。確かにこの体は火葬されるが、魂は別の器へ移り続ける」
「……根拠は?」
「前世の記憶があるという子どもをテレビで見たことないか? あれはおそらく魂にこびりついた記憶の断片によるものだろう。全員にその現象が見られないのは、葬式で坊さんがお経を読む際に記憶が抹消されるからだと思う。来世で新たに生を受けるために、魂から記憶を切り離す必要があるんだろう」
 その説を信じる理由などないが、妙に説得力があるのはなぜだろう。内海は口を挟むことなく聞き入った。
「前世の記憶を持つ者は、それに失敗したケースだと僕は考える。人は産声を上げた瞬間の苦しみを忘れ、またこの世を去る瞬間を覚えていない。忘れているからこそ、リスタートが可能というわけだ」
「じゃあお手本見せてよ。書いてるんでしょ? あんたも」
「当然だ」
 風間が差し出した二枚の便箋には、こう綴られていた。

 この人生に幕を下ろしたい。最初にそう思ったのは、苦しみから逃れたいが故であった。だが、例え終わりを迎えても、また別のルートが始まるに過ぎないと知った。ならば、百の小さな夢を叶えたその瞬間を、人生の一区切りとしたい。今となってはそう思う。
 ーーこの世に生まれたこと自体に後悔はない。憂いの目立つ現状だが、確かに笑顔が咲いた瞬間はあった。他人を羨み、妬むことは多かったが、僕はいくつもの夢を叶えることができた。
 ーー生まれ変わってもまた僕として、続きを歩みたいと思う。今世で叶えきれなかった夢を追いかけて。

 柔らかな風が内海の心を撫でた。こんな前向きな幕引きができたなら、確かに成仏できるだろう。まるで自分は死ぬ資格がない。そう思わせる内容だった。
「ウチ、こんなの書けないよ……」
「僕とて一発でこれを書いたわけではない。初めての遺書はまるで呪詛。人が読んでいて気持ちのいいものではなかった」
「遺書ってそんなに大事? 断末魔みたいなもんでしょ」
「いいや、遺される者に贈られる最期の言葉だ」
 内海の心に苛立ちを含んだ濁流が押し寄せてくる。
「自分で終わらせたい人間が、後のことなんか考えられるわけない……! こんな面倒な手順踏まなくても、人は簡単にーー」
「死が一瞬なのに対して、人が生まれるまでには、一年以上に及ぶ手順とそれ相応の痛みがある。これくらいの手続きは必要だろう。ちなみにそれは三十六回目に書いたものだ」
「どんだけ書き直したの。何がそんなに気に入らなかったわけ?」
「母の添削を受けたんだ。中々ゴーサインが出なくてね」
「当たり前だろ! 自分の子に『逝ってらっしゃい』なんて言うわけないじゃん」
 内海は毒気を抜かれた。風間の母に会ってみたいとすら思う。
「ちなみに僕の遺書は二ヶ月に一度、更新している」
「何その免許みたいなシステム!」
 朝食を飲み干した後、まるで作文のように赤ペンを入れられながら、今書ける精一杯を遺す。
「……あんたも引きこもってたの?」
「そうだね。あの頃は鳥籠に囚われていた。与えられた任務をこなす退屈な日々……任務の時だけは、縦横無尽に空を飛ぶことが許された」
 この男、どこまでが中二設定なのだろう。内海は深く考えるのをやめた。
「ふむ、急ごしらえにしては悪くない。頑張ったね」
 労われるなんていつぶりだろう。内海の心は緩やかに凪いだ。

 次の儀式のため、二人は外へ出る。セミが奏でる夏の旋律は、ありがた迷惑なことに体温を上げていく。向かった先は「安眠館」。入店すると、ひと一人入れそうな箱がいくつも並んでいた。
「さて、君はどんな棺桶に入りたい?」
「棺桶って自分で選ぶものなの?」
「自ら人生に幕を下ろすためには、避けて通れない選択だ」
 風間は楽しげに見て回る。
「見てごらんよ。この白銀の棺桶を! 魔法陣まで彫ってあるなんて、僕にぴったりじゃないか?」
 適当に相槌を打つも、風間は気に留めず目を輝かせている。
「黒もあるのか……! うーむ、どっちも捨てがたい。いっそのこと両方ーー」
「どうやって二つに入る気!?」
「頭部と胴体を分ければいい」
「マジックショーか」
「この白銀と漆黒、どっちが僕に相応しいと思う?」
 もはや服屋のノリである。
 次に立ち寄ったのは「はにわ工房」。
「なぜはにわ!?」
「これも儀式だ」
「あんたが作りたいだけだろ!」
「いいや必要なんだ。聞いたことないか? 古墳に人を埋葬する際、いろんなものを共に詰めるという話を」
「だからって現代でそれをやる?」
 呆れながらも筒状のはにわを作ったものの、隣を見て謎の敗北感を味わった。風間のはにわは見事な中二ポーズを決めていたからだ。常連の風間は以前作ったというはにわを受け取る。完成まで一ヶ月かかると言われ、話が違うと問い詰めれば、貸すと渡された。
「ウチが作る意味なかったじゃん!」
「自分で作るという行為は必要な過程だよ。三分クッキングと同じだ」
 内海はハイハイと諦めて受け入れた。一日あげると言ってしまった手前、約束は守る。とはいえ、太陽が役目を終える頃には精神疲労がたまっていた。
「で、次は何?」
「晩餐会だ」
 風間はカフェの扉を開ける。
「ここって何ヶ月も予約取れないとこじゃ……! しかも値段たかっ」
「予約なら昨日取った」
「何で取れた!?」
「奢るよ。君の命日を遅らせてしまった詫びとしてね」
 付き合ってられるかと半ばヤケクソになっていた内海だが、次々と運ばれてくるチーズケーキやタルトを口にすれば、そんな気持ちは吹っ飛んだ。そればかりか、長らく燻っていた胸の内が一瞬にして幸福感で満たされていく。自分がどれほど味気ない日々を送ってきたのか、痛いほどわかった。
 会計を済ませると、風間は内海に目隠しをさせて、店員から鞄を受け取った。
 日が沈み星が瞬く空の下、内海はただ手を引かれていた。
「まだ何かあるの?」
「最後の仕上げだよ」
 楽しげに言う風間にどこか期待している自分がいて、内海は生きていることを実感した。足を止め目隠しを外されると、幻想的な景色が広がっていた。昨日荒れていた海が穏やかに夜空を映し、夜光虫が暗い水面を青く照らしている。
 内海は幼い頃この丘を訪れたことがあった。当時は夢を微塵も疑っておらず、些細な事で笑って泣いた。思い出が走馬灯のように流れていく。
「ここが僕たちの終焉の地だ」
 心地よい風が頬を撫で、髪を揺らす。内海はふと我に返り、繋いだままの手に視線を向けた。
「……ねえ、そろそろ離さない?」
「内海さん、僕は死ぬ前に一度でいいから、君のような美しい女性と誓いを立てたいと思っていたんだ」
「ふ、ふざけるのも大概にしてよ! こっちはもうクタクタでーー」
 告白まがいの言葉に熱が集まる。風間は無邪気に笑いかけた。
「本気だよ。未練があると自殺は失敗する。夢だったんだ。ありがとう。青春を詰め込んだ一日をくれて」
「……あんなのが青春でいいの?」
 棺桶を見て回り、はにわを作る青春とは。
「さて乾杯しよう。今世への別れと来世への祝福に!」
 水筒から注がれたドリンクを口に含んだ途端、苦味と刺激が襲う。
「これ何入ってんの?」
「ふっ秘密だ」
 ムカつくどや顔にぶん殴りたくなる。
「さあこれで揃ったよ。儀式の最後は……接吻だ!」
「バカ言うな!」
「死んだら恥も何もないだろう」
「今恥をかくことになんの! 絶対しないからね」
「困ったな……では君を殺そう」
「ちょっと待て! それ自殺じゃなくて他殺にーー」
「君が死んだらその体は君のものではなくなる。つまり僕のものになる!」
「気持ち悪っ!」
「ジョーダンだ」
「どんだけからかうつもり? ウチはあんたのおもちゃじゃない! こんなことなら昨日死んどけばよかった……」
「死を自ら迎えに行くなんて優しいね。こっちが呼ばなくても死は迎えに来る。安心しろ人魚姫」
「あんたホントに死ぬ気あんの?」
 風間は憂い顔で空を見上げる。
「僕はいつでも死を歓迎する。だから後悔のない道を選びたいんだ。君も夢を捨てきれなかったんだろう? 昨日レクイエムを捧げていたじゃないか。泡になる前にもう少し足掻いてみないか? 人魚姫」
「……確かにウチにはまだ足がないようなもんだよ。上手く地上を歩けなくて、二本足で立ってることが当然のような顔してるヤツ見てると、胸がザワザワした。ウチには合わないんだよ、こんな世界。せいぜい暗い海底に沈んでいくのがお似合いなんだ」
 内海の瞳が寂しげに揺れる。
「……尾びれで泳ぐのはそんなに退屈か。海底に行ける人間などそうはいない。いかなる科学をもってしても、その全てを目にすることはできない。深海というのは、それだけ神秘的なんだ。君にしか見えない世界がある。それだけで強みだ。いつでも泡になれるなら、少しくらい尾びれで歩く練習をしたっていいと思うけどね」
「いいんだよ……もう何もかもどうでもいい」
「そうか。ならばひと想いに心中してやろう」
 風間は二つのはにわを割った。戸惑いを隠せない内海を尻目に、風間は店員から受け取った鞄からギターを取り出した。
「心して聴くといい。これが僕らのレクイエムだ」
 眼帯を外して紡ぎだす音色は、明るくも物悲しくもあった。街灯に照らされる中、張りのある透き通った高音が響く。それは内海が最初に投稿した曲だった。とある番組内限定で結成された声優バンドのマイナーな曲。
 生き生きとした顔で旋律をなぞる風間が、憧れた声優と重なった。途端、内海の中で波紋が広がっていき、望みが顔を出す。
 応援される誰かになりたかった。
 押し殺していた感情や夢が胸の内で波打ち、負の旋律を書き換えていく。上手く歌えないと頭ではわかっているのに、浮かんでくるフレーズが背中を押す。海底の奥に沈んでいた人魚が、水面から顔を出した。

 今日まで生きてるキミに愛を贈ろう
 冷えた心へと枯れぬ希望の花
 キミが終わる一瞬まで

 身をよじった日々に問いかけては知る
 空虚な存在意義
 まるで世界が僕を
 拒んでいるようなゲンジツで
 ただひたすらゲンソウにしがみつく
 課せられた運命(さだめ) 
 焦がれた自由は窓の外

 幕を下ろせないなら息をする理由は?
 人を羨むたび枯れ葉が踊る
 手首の傷の数だけ明日を嫌って 
 悲鳴を上げた心

 「終わらせるには早い」
 「あと何年生きればいい?」
 「キミの小さな夢が百叶う時まで」
 産声を上げたはじまりなら
 おわりまで泣かなくたっていいだろ

 今日まで生きてるキミに愛を贈ろう
 冷えた心へと枯れぬ希望の花
 笑っていられるようにその手を握ろう
 キミが終わる一瞬まで

 心なしか、いつもより喉がスッキリしていた。原曲より低い内海の声に風間が合わせ、ピタッと二つの音が重なる。憂鬱を塗り替えるほどの興奮が、竜巻のようにマイナス感情を蹴散らした。
 ピリオドに辿り着いた時、内海の涙腺は崩壊していた。
「それが君の本心だ人魚姫。二本足が欲しいなら僕が与えよう。代償は歌声ではなく死への願望だ。僕と契約すれば人間になれる。全てを諦め泡になるか。それとも満たされたハッピーエンドを迎えるか。できるかできないかではない。後悔のない選択をするんだ。さあ、君の願いを聞かせてくれ」
「……教えて。こんなウチでも自分を活かせる生き方」
 絞りだした本音は震えていた。
「それでいい。ルサールカになりたがっていた君は、あそこに破片となり転がっている」
 視線は壊されたはにわに向けられた。最初から止める気だったのだ、この男は。
「君は今生まれたんだ。僕が名前をつけてやろう。漆黒のマーメイド、それが君の二つ名だ!」
「ださいからやめて!」
 月と星が見守る中、二人は帰路を辿る。明日への光を抱きしめて。


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