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笑う門には福来る 第6話 大将

 休日、約束通り藤丸がお昼に訪ねてきた。母は仕事で、同室の長男はバイトで不在だ。
 二階に上がり、二人はカーペットの上に腰を下ろす。トークアプリでお互いを登録し、茂がお菓子とジュースを持ってくる間、藤丸は部屋を見渡した。
 棚にある大量のネタ帳は、努力の証だろう。その横のかごには、ピコピコハンマー、ブーブークッション、おもちゃの銃、テレビでよく見るマルバツ棒など、小道具がたくさん入っている。
 シュークリームとオレンジジュースをお盆に乗せて、茂が戻ってきた。
「しげるん、本当にお笑い好きだねー。あんなに小道具集めてる人、中々いないよー。っていうか、いつ使うのー?」
「妹と遊ぶ時とか、僕がボケたい時かな。あの箱にも、かつらとかストッキングとかあるよ」
「もはや芸人ばりだねー」
 おやつタイムの後、雑談交じりに少し宿題をして、ボードゲームで遊んだ。茂の書いたネタ帳をめくっていると、部屋の扉が開く。

「おいシゲ、オレの財布知らね?」
 友達がいることに気づき、次男は固まる。
「こちらうちの次男、ハイパーゴリラこと京太郎です」
「ゴリラってなんだ! 変なこと吹き込むなよ?」
「あれ? ウルトラゴリラの方がよかった?」
「何で進化してんだよ!」
「お兄さん、ツッコミ上手だねー」
 褒められているのか、いじられているのかわからない。
「まあな。毎日ボケられちゃ、嫌でも身に付くわ。邪魔したな」
「まあそう言わずに! ひとネタやってこう?」
「ツッコミは任せましたー」
「は?」
 藤コンビは待ってましたと言わんばかりに、コントを始める。おもちゃの銃を手に、茂が叫んだ。
「手を挙げろ! 金を出せ! 百万だ!」
「うちにそんなお金はありませーん」
「銀行に金がないわけないだろ? 早く用意しろ」
「本日の営業は終了しましたー。また次の機会にお越しくださーい」
 茂の友達なだけあって、ノリがいい。ここで断っては印象が悪い。京太郎には利益も損もないが、弟の、せっかくできた新たな友達なのだ。多少付き合ってやるのもいいだろう。
 発砲音に藤丸が呻きながら倒れる。
「おいおい何事だ! 大丈夫か?」
 京太郎は藤丸に駆け寄る。
「支店長、この人銀行強盗ですー。なんとかしてくださーい」
「お前、撃たれてる割には元気だな」
「中に防弾チョッキ着てるのでー」
「どんな銀行員だよ!」

 茂は未だ銃口を向けている。
「死にたくなかったら、百万をこのカバンに……」
 キョロキョロして自分の体を叩いて何かを探し、悩んだ末に靴下を片方脱いだ。
「これに金を詰めろ!」
「忘れたんか! 強盗するのにカバン忘れたんか! 無茶ぶりにもほどがあるわ!」
「そんな臭い靴下に入れたら、お金が可哀想ですー。こちらのアタッシュケースはいかがですかー?」
「何で勧めてんだよ! 相手は強盗だぞ?」
「いえ、カバンでお願いします!」
「謎のこだわり! つーか引き返せよ。カバンないんじゃ、入れられねえだろ」
「こちら茶色、黒、迷彩とございますがー」
「じゃあ迷彩で」
「従業員自らカバン用意すんな! 何屋だよここは! そしてえらい目立つやつ選んだな」
「現在諭吉さまが不在なので、全額英世さまでもよろしいですかー?」
「諭吉? 英世? 誰のこと?」
「こいつは正真正銘のバカだな」
「こちら百万円になりまーす。ご利用ありがとうございましたー」
「何から何までご親切にどうも」
 おもちゃのサイレンが鳴り、茂がうろたえる。
「はっ、警察! 嘘もう? 早くない?」
 焦った強盗はカバンを置いて逃げた。
「マジでお前何しに来たんだよ!」
 ちょうど落ちたところで、扉が開いた。

「キョウちゃん、うるさい! しずかにして!」
 小春だった。
「何でオレだけ怒られてんの?」
 次男は、藤コンビの拍手に見送られ退却した。
「すごいねー。即興でできるんだ。ゴリラのお兄さん」
「うちじゃ一番のツッコミ気質だからね。兄ちゃんも兄さんも冷たく返す感じだから、あれは助かる」
 アニキを何だと思っているのかと、その場にいればつっこまれただろう。
 小道具の片づけ中、藤丸は切り出した。
「しげるん、あの手紙って西岡の仕業でしょー」
 茂は手を止めた。いじめだと広まれば、先生が動き出す。親まで呼ばれる。主犯格の西岡はもちろんだが、茂もそんなのはごめんだった。大事にせず、笑って卒業を迎えたい。
「マルちゃんなら、こんな時どうする?」
「そうだねー、何かお返しするかなー」
「でも、やり返したって終わらなくない? 白やぎさんと黒やぎさんのやりとり並みにエンドレスじゃない?」
「悪口書いたらそうだろうねー。つまりはさ……」
 作戦をコソコソと耳打ちする。
「なるほど、それは名案!」
「でしょー?」
 心強い味方に心が一気に晴れた。怖かった月曜日が、待ち遠しいほどに。

 帰宅した藤丸は、トークアプリの通知に目を見開いた。
『藤原って面白いけど、なんかつかみどころないよな』
『あんだけボケ倒して疲れないのかな』
『むしろ不自然に見える』
『何も考えてなさそう』
『でもテストの点数は悪くないんだよな、あいつ』
『あれも全部計算だったりして』
『だとしたら、相当策士だよな』
『裏の顔とかあんのかな?』
『あの手紙も藤原説あるもんな』
『あれ結局誰?』
『わかんないけど、休憩時間にはなかったのは確か』
『掃除の後に入れたってこと? じゃあ教室掃除の誰か?』
『あの手紙の意味って、結局何なの? 悪ふざけ?』
『脅しとか?』
『あの西岡にも入ってたんだろ? 相当肝っ玉座ってんな』
『入ってたのは西岡、石川、坂口、桜井、尾野、松本……共通点あるか?』
『遠足の時、なんかグループで食べてなかったか? 女子も男子も混ざってるの珍しいと思ったけど』
『あれ提案したの藤原らしいよ。まだよく知らないから一緒にどう? って』
『なんか企んでそうだな。西岡まで狙われてるし』

 クラスのグループのものだった。茂を招待したばかりである。これを読んでいると思うと、心が痛んだ。ここで茂が何か反論したとしても集中砲火、または尋問が始まるだろう。
 藤丸は慌てて個人トークの方に忠告する。どうせ西岡の仕業だ。相手にするだけ無駄なのだ。
 一方、茂は落ち込んでいた。その時、藤丸から通知がくる。
『しげるんはそのままでいいからねー。これからもクラスのムードメーカー、藤コンビで盛り上げて行こー』
 茂は笑みを浮かべてスタンプを返した。

 その日の夜、長男が勘づいた。転がったランドセルからはみ出た教科書を踏みそうになり、苛立つ反面、懐かしさを感じてページをめくる。長男は見つけてしまった。罵詈雑言の落書きを。明らかに自分で書いたものではない。
 翌朝、茂は長男よりも早く起きて下に降りていた。というよりも、長男が遅くまで寝ていた。バイトのない今日くらいは朝飯を食べようと、リビングで適当にパンをつまむ。
 テレビアニメを見ている小春の横で、茂が宿題をしている。
「朝から精が出るな。どこぞの筋肉バカと違って。あいつまだ部屋?」
「部活の試合に助っ人で出るって、さっき出ていったよ」
「金欠だなんだ言ってるなら、さっさとバイトすりゃいいのに。あ、あいつまだ15か」
 茂の手が止まった。
「兄さんって友達いる?」
「いないように見えんの?」
「人に興味なさそうだなって。生徒会長なら、もうちょっと愛想よくした方が」
「余計なお世話だ。シゲは逆に愛想笑いしすぎなんだよ。友達たくさんいても、別に得ないだろ」
 置かれた大喜利だらけのプリントを目にして、長男は思った。こりゃ先生も頭抱えるわ。
「お前、学校楽しいか?」
「楽しすぎて尻尾生えそう」
 嘘つけ。お前、いじめられてんだろ。
 深くは追及しなかった。どうせ正直に答えないのだから、聞く意味などない。

 週明け——。
 藤丸と茂は、朝イチで黒板にせっせとチョークを走らせた。「大将」という大きな文字を中央として、周りに動画コメントのように「大好き!」「僕らのリーダー!」「出てるお腹かわいい!」「たくさん食べてるの見ると幸せ!」「天才!」「万能!」など、褒め言葉を散りばめる。
 それを見た委員長の坂口は疑問を持ったものの、褒めているのならいいかと看過した。石川は面白がって書き加え、松本も珍しく悪ふざけに参戦した。
 西岡は登校して早々恥をかく。
「何だこれ!」
 悪口でも腹が立つが、褒められるのも逆に恥ずかしい。クラスメイトに冷やかされ、西岡の顔は真っ赤になった。苛立ちを覚えながら黒板消しを手にする。
 藤コンビはそれを見てハイタッチした。これが、傷つけずにやり返す方法である。
 あの西岡が恥をかいて黙っているはずもなく、休憩時間に呼び出された。
「まだ懲りてねえみたいだな」
「いやいや、それほどでも」
「褒めてねえよ! 何で笑ってられんだよ! ムカつくな!」
「これが大将のコミュニケーションの取り方でしょ? だったら駆け引きを楽しまないと。明日は何してくれるのかなって、毎日楽しみにしてるんだよ? それにどう対抗しようかって悩むのも」

 西岡が掴みかかった時、松本の声がした。
「まだ学習してねえのか。そいつは何したってヘラヘラ笑ってる。もう諦めろよ」
「助けたつもりか? お前だって力ねえくせに」
「お前には頭がねえよな」
「テストの点、知らねえのか?」
「テストで頭の出来競ってる時点で、器が小さいんだよ。体ばっか大きくなって、親が泣くぜ」
 怒りが沸点に達して、拳をこきっと鳴らす。
「お前から泣かしてやろうか」
「殴られて俺が一度でも泣いたことあるか? まあ、その腹に目と鼻と口描いて踊ってみせたら、笑い転げて涙出るかもな」
 これでは拉致があかないし、休憩時間が終わってしまう。西岡はドッジでストレス発散しようと、鼻を鳴らして立ち去った。
「助けないんじゃなかったの?」
「別に助けに来たんじゃねえよ。お前、プリント出すの忘れてんだろ」
「あ」
 西岡に呼ばれて慌てて出て行ったため、失念していたのだ。
「俺はそれを回収して、さっさと先生のとこ持っていきたいだけ」
「そうはいっても、待ってくれるところ優しいよね」
「つべこべ言ってないで、はよ出せ」
 そういう割に、松本は茂を保健室に連れて行った。手当をするためだ。
「相変わらず嘘つきだな」
 松本は見たことがある。一人で俯く茂の姿を。先ほどの「仕掛けを楽しみにしている」というのは強がりもいいところだ。

 一方西岡はドッジで完勝し、下駄箱までの道のりで吹聴していた。
「あの変な手紙、犯人誰か知ってるか?」
「藤原じゃないの?」
「俺、聞いたんだよ。教室出る前、藤丸が藤原に『今度はどんな手紙出す?』って言ってたの」
「マジで? そういやあの二人、仲いいよな」
「藤丸もいまいち何考えてるかわかんないとこあるよな」
 掃除時間終了後、藤丸は机の中にいくつもの手紙があるのに気づいた。
『犯人お前だろ』
『自白しろよ』
 これは西岡が子分に書かせたものだが、まるでクラス全体の意見のように大量にあった。
「人づてに聞いたんだけどさ、あれお前がやったの?」委員長までもが疑っている。
 藤丸が何か言う前に、茂が否定した。
「違うよ。だって僕がやったもん」
「何のために?」
「笑って欲しくて」
「むしろ怖かったよ。あーいうの、やめてくれ。なんか悩んでるなら俺が聞くからさ」
「さすが委員長、頼りになるね!」
 西岡がニヤついているのを、茂はじーっと見つめた。
「何だよ? なんか文句あんのか?」
「もう! マルちゃんにまで手を出すなんて、大将の浮気者!」
 セリフはふざけていたが、目が笑っていなかった。西岡がこそっと耳打ちする。
「友達傷つけたくなかったら、放課後、俺の言う通りにしろよ。一旦帰って、村崎第一公園に集合な。すっぽかしたら、もっと酷くなるぞ」

 藤丸にはこのことを話さず、兄たちにももちろん黙って、茂は公園へ向かった。そこには、西岡とその子分の東山が待っていた。
「待たせたな少年、真っ赤な帽子に黄色いシャツ、ジーパンとは……まるで信号機のようだが、似合ってるぞ」
「御託はいい。こい」
 東山は青い顔をして俯いている。連れてこられたのは、スーパーのお菓子コーナーだ。
「好きなの取れよ。バレねえようにな」西岡は口角を上げた。
 これはいわゆる万引きである。監視カメラがあるのだから、バレるに決まっている。東山は不安な面持ちで、一番安い菓子を手に取りポケットに入れた。催促が来て、茂も手に取った。言い出しっぺの西岡は何も取らなかった。三人はレジも通らず店を出る。
 西岡が満足そうに盗んだ品を食べている横で、東山は黙り込んでいた。ついに犯罪に手を出してしまった。罪悪感に襲われる東山に対し、茂はポケットを探り呑気な声を上げた。
「あ、僕カギ落としたかも」
 西岡が舌打ちする。
「取って早く戻ってこい」
 カギなのでさすがに放置できない。悪ガキでもそれくらいは配慮する。家に入れなくて困ったことがあるからだ。
 茂はカギなど落としていない。まっすぐレジに向かうと、店員に報告した。
「すいません、さっき友達と万引きしちゃって。これ全額です。あとこのゴミでバーコードを」
「万引き? 本当に?」店員は戸惑う。
「店長を呼んでください。お願いします。僕が止めなきゃいけないんです」
 呼ばれた店長も自己申告してきたことに驚いたものの、軽く事情聴取した。家の電話番号と学校名、名前をメモして、レシートが欲しいという茂の要望に応えた。
 これ以上、誰かが傷つくのは嫌だ。
 茂たちは、万引きだけしてその場で解散した。東山と途中まで一緒に帰る。茂は自販機でジュースを買い、東山に渡した。
「ねえ、東山くんはさ、今の大将のこと好き?」
「え……」
 周りを見て西岡がいないのを確認し、首を横に振る。
「じゃあ、どうしてついていくの?」
「ついていかなきゃ脅されるし、子分になったらその、もういじめないって言われて……」
「ごめんね。僕のせいで明日、先生に呼び出されるかも」
「何……したの?」
 茂は答えず笑った。
「その時は嘘ついちゃだめだよ? 例え大将が言わなくても、東山くんが言わなくても、僕は正直に言うから」
 まるで楽しく遊んだ帰り道のように、茂は笑顔で手を振って帰っていく。
 東山の足が止まった。嫌な予感がする。学校を休む選択肢が浮かんだが、自分だけ逃れるなんて、大将に怒られるのが目に見えている。最悪の場合、大将にまたいじめられるかもしれない。
 身震いする東山の耳に、遮断機の音が入ってくる。まるで、何かの終わりを告げるカウントダウンのように。

 翌日、茂の予告通り、三人は先生に呼び出された。空き教室の中は、静寂とピリピリした空気で支配されている。
「スーパーあさがおさんから、万引きの報告があった。心当たりあるか?」
「ありません」西岡は平然と嘘を吐く。
 東山は迷った。正直に言うべきか。それとも一緒に嘘を吐くべきか。
「すいません先生、僕がやりました」茂が両腕を差し出す。
「手錠はかけないから、その腕は引っ込めてくれ。どうして万引きなんかしたんだ?」
 先生の反応に、さすがの茂もおふざけモードをオフにする。
「大将、なんで?」
「俺はやってねえよ!」
「だって大将が遊ぼうって誘ってくれたんじゃん」
「知るか。お前が勝手にやったんだろ。俺がいない時に」
 西岡の発言を南雲は否定する。
「防犯カメラには三人とも、しっかり映ってたぞ。それでもやってないって言えるか?」
 言い逃れできないことを悟り、東山は恐る恐る白状した。
「僕もやりました……ごめんなさい……」
 大将の視線が痛いほど突き刺さる。それでも、嘘を吐き続けることで首が絞まっていくのは、耐えがたい。
「聞くところによると、藤原くんが直々に店長さんに報告したそうだ。初犯で自己申告、そして後払いしているから、お咎めはない。二度としないと約束してくれ」
「待ってくれよ先生! 俺はやってねえんだ! 盗ったのはこいつらだろ?」
 西岡が反論する。
「盗ってなくても、その場にいて止めなかっただけで共犯者になる。それを、西岡くんは知っているね?」
 大将は一瞬青ざめた顔をしたが、すぐに開き直った。
「やってくれたな藤原! どうしてくれんだ! お前のせいで俺の成績下がるじゃねえか。東山、お前もだ。俺はやってねえよな? なんとか言えよ!」
 黙り込む子分に腹が立ったが、殴りかかれば自分に火の粉が降りかかる。西岡はぐっと堪えた。
 しんみりとした空気に耐えかね、茂は口を開いた。
「ねえ、大将は僕らに何を求めてるの?」
「は?」
 責めるような口調ではない。いたって平常心であった。
「何かとやらせたがるけど、どうして?」
 不機嫌丸出しの大将は、答えなかった。
「放課後、親御さんがくる」
 南雲の宣告に、大将の顔が再び青ざめる。
「少し時間をやるから、もう一度ちゃんと考えて欲しい。なぜ万引きをしてしまったのか」

 昼休憩、先生の目の届かない体育館裏で、茂と東山はボコボコにされた。
「お前ら俺のことバカにしてんだろ。なあ! 心の底でいい気味だって笑ってんだろ!」
「笑えないよ。だって大将、苦しんでるもん」
 されるがままだった茂の目は死んでいない。
「苦しんでるの見て笑いたかったのは、大将じゃないの? 自分より下がいるって、満足したかったんじゃないの?」
 心配を匂わせる優しい声でも、大将の心は鎮まらない。
「ふざけんな! どいつもこいつも俺にたてつきやがって! 弱いくせに口だけは達者だな、おい!」
「大将、すごく苦しそうだよ」
「お前らのせいだろうが! バレなきゃこんなことには!」
「バレないって本当に思ってた? 大将、そこまでバカじゃないでしょ? 悪いことして、何か埋めたいものがあるんだよね? 話してくれたら嬉しいな」
「同情なんかいらねえんだよ。お前ら俺を下に見てんだろ? なあ、だからそうやって口答えすんだろ? 気に入らねえんだろ? でかい図体してるくせにやること小せえなって!」
 今にも泣きそうな怒りだった。茂は見た。大将の心の闇を。刺すような叫びだが、どこか怯えたような声色だ。
「下に見るほど大将やわじゃないよ。すごいと思う。ドッジ上手いし、テストも点数高いし、みんな大将の一声で動いてる。でも気づいてるでしょ? 怖がられてること。すごいって認めてくれてるんだから、脅しなんかしなくたって、大将にはついてきてくれる人がいるよ」
 西岡はやり場のない感情を小石にぶつける。
「おい東山、リベンジ行ってこい。今すぐ」
 今学校を抜け出すのは……と躊躇う子分に、西岡はヒステリックに叫ぶ。
「病欠にしといてやるから! 早く行け!」
 東山は慌ててその場を去った。嫌な空気から逃げたかったのか。それとも、命令に忠実に動くためか。

 西岡は茂を睨んだ後、殴っても晴れない気持ちをどうにかしようと歩き去る。親が来るならもう、何もかも終わりだ。積み上げてきた全部が崩れ落ちてしまう。
 下を向いて歩く西岡と同じように、東山は校門の前まで来て、座り込んでいた。親から叱られる恐怖と、大将に怒られる恐怖、罪悪感が混ざり合って、大蛇のように心をしめつける。本音を言えば、全て話して謝って、解放されたい。
 こんなはずじゃなかった。昔の大将はもっと優しかった。
 思い出が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。
 出会ったのは三年生の時だ。その頃の西岡は、まだスリムな体型をしていた。
給食で嫌いなものを残した時には、代わりに食べてくれた。重い荷物を持っていれば、手助けしてくれた。体が大きくて、頭もよくて、運動もできて、優しくて、いつも人に囲まれていた。憧れだった。あんな風になりたいと思った。
 だが、いつしか大将は変わってしまった。その訳を話してはくれなかった。何か気に障るようなことを言ってしまったのかと考えたが、他の子にも同じように接していた。
――一人じゃ何もできねえくせに、俺にたてつく気か? 怪我したくなかったら、大人しく従ってろ。
 意地悪になるにつれて、西岡の腹は膨れていった。
 どんなことを言われたって、何をさせられたって、僕が耐えてこられたのは、昔の大将を知っているからだ。何があったかなんて聞く勇気はない。こんなことはやめようと、止めることもできない。
 でもこれはチャンスだ。もしかしたら、心変わりしてくれるかもしれない。今年で最後なんだ。嫌な記憶で終わらせたくない。
 東山は立ち上がった。花壇のチューリップが、その気持ちを後押しするように揺れた。

 一方、大将はトイレの個室の中にいた。もう万引きの事実は覆せない。ならば少しでもダメージを減らすしかない。
 今まで威張ってきた分、藤原に脅されたというのは通用しない。あくまで止めようとしたことを主張するか。「殴っても止まらなかった。見てみぬふりはできずに付き添った」と言えばいい。そして二人を庇うように、俺がお菓子を分けてやらなかったからこうなったのだと、未熟な自分のせいだと、反省したふりをすればやり過ごせる。
 藤原どころか、東山も頼りにはならない。自分の身は、自分で守らなければ。

 放課後――。
 三人は処刑を待つ罪人のように、その時を迎えた。校長室に集められ、南雲先生と校長先生、そしてそれぞれの親と対面する。家庭訪問を長男に任せた茂の母ですら、駆けつけている。
 普段入ることのない校長室に、三人は落ち着かない様子でソファに腰掛けた。沈黙の中、口火を切ったのは校長先生だった。
「まずは、逃げずにこの場に来てくれたことを褒めたたえよう。責められると思って、怖かっただろう。大丈夫、反省する気持ちがあるなら、やり直せるからね」
 その言葉を南雲が引き継ぐ。
「どうして万引きをしたのか、教えてくれるか? 六年生なら、それがいけないことだと知っていただろう」
 茂の母は困惑した。まさか息子が……それも一番聞き分けのいい息子が、犯罪に手を出すなど考えもしなかったからだ。
 重い空気の中、茂が口を開く。
「先生、これレシート」
「ああ、後から払ったことは聞いている。今は……」
「これって未遂になりますか? それとも汚点になりますか?」
「汚点だな。一度商品を持って外に出てしまっている。これは紛れもなく犯罪だ」
「先生は万引きしたことありますか?」
「ないな」
 話題を逸らそうとしているのかと南雲は一瞬疑った。
「じゃあ、万引きした人の気持ちはわからないですね」
 茂の反抗的な言い方に、母は驚愕した。東山と西岡も目を見開く。
「僕が思うに、お菓子が欲しかったわけでも、お金がなかったわけでもなく、心の中の何かを埋めたかった。もしくは刺激が欲しかった。どっちかじゃないかと考えます。僕は誘われて空気を読んでやってしまいましたが、後悔はありません。この機会に二人にはもっと仲良くなって欲しいから。万引きはもうやりません。僕からは以上です」
 再び沈黙が訪れる。それを破ったのは、西岡の父だった。
「いい友達を持ったな、優太。お前が誘ったんだろう。正直に話しなさい」
 厳格な空気を纏う父を前に、西岡は迷う。考えてきた言い訳をするか。それとも罪を認めてしまうか。

 大将が何か言う前に、東山が思いを口にした。
「僕、ずっと大将に憧れてました。何でもできて、頼りになって……。でも違った。大将だって僕と同い年の子どもだから、できないことだってある。大将、謝ろうよ。もう威張らなくていいんだよ。嘘つくの、苦しいでしょ?」
 大将の睨みにも屈さず、涙ながらに続ける。
「これ以上、僕が憧れた大将が汚れるの、嫌だ! 戻ってきてよ! このまま卒業するなんて、辛すぎるよ……」
 東山は震える声で先生に宣言した。
「ごめんなさい。もう二度としません。大将がしろって言っても、しません。嫌われるのも怒られるのも怖いけど、ここで変わらなきゃ、きっともう二度と変われない」
 西岡は歯を食いしばる。
 これじゃ、俺だけが悪いみたいじゃねえか。謝ってない俺だけが。
 子分のすすり泣く声が聞こえる。
「西岡くんは、何か言いたいことはないのか? 何でもいい。引っかかっていることがあるなら、話してくれ。俺たちは責め立てるために、君たちを集めたんじゃない。正しく進めるように、背中を押すために呼んだんだ。後ろ暗いことなく、みんなには卒業してほしい」
 南雲の言葉に続けて、西岡の父が追い打ちをかける。
「お前は、後悔しているか? これまで行ってきた何かに、疑問を持ったことはないか?」
 重々しい声だった。
「……ある。数えきれないくらいある」
 西岡はかすれ声で答えた。このプレッシャーから解放されたい。藤原も東山も、すっきりした顔をしている。自分だけが苦しむなんて、まっぴらだ。
「気に入らないから脅したり、殴ったり……俺はどうすれば、いい子になれますか?」
 本当は知っている。どうするべきか。でも、プライドを捨てきれていない。もう否定されたくない。させてたまるかと、もがいてきたから。

 ターニングポイントは、三年生の後半だった。俺には好きなやつがいた。一緒に委員長をしていた活発なやつだった。それなりに仲は良かったと思う。
「それ、持とうか?」
「お、持ってくれるの? じゃあ全部頼む!」
「半分だよ! さすがの俺でも無理だ」
 全ての発端は、バレンタインの日に盗み聞いたことだ。
「誰かあげる人いる?」
「女子くらいじゃない?」
「えー、一人くらいいない? 気になる人」
「い、いない」
「ん? 今怪しい感じがしたよ? 気のせいかな?」
 ニヤニヤする友にほじくられて出てきた名前は——。
「ま、松本……」
「あげちゃいなよ! 今年で最後でしょ?」
 そいつは転校することが決まっていた。
「意外だね。委員長だと思ってた」
「ないない! だってすぐ怒るし」
 俺は好意を伝えるべきか悩んでいたが、その一言で諦めることにした。よりによって松本かよ。愛想もないし、毒舌なのに、あんなやつのどこが……。
 ふつふつと松本への妬みが湧いてきた。
 いや、好かれていると勘違いしたのは俺だ。松本は悪くない。確かに減らず口でムカつくけど、あいつが好きなら、いいとこだってあるんだろ。俺なんかより、ずっと。
 自分に嫌気が差した。どこがだめだった。本当はみんなも俺のこと、何とも思ってねえんじゃねえか。
 結局、松本はチョコを受け取らず、あいつを泣かせた。俺は松本を殴った。せめて受け取ってやれよ。俺が、喉から手が出るほど欲しかったそれを。
 松本は「委員長なら学校に菓子持ってくんなよ」の一言で切り捨てた。
 あいつを慰めるよりも先に松本を責め立て、暴力をふるってしまった。そのことで先生に呼び出され、しまいには「何で殴ったの?」とあいつにも睨まれた。お前が傷ついたからだとは言えなかった。

 あいつはそのまま転校した。俺はこのやるせなさを、どこにぶつけていいかわからなかった。全部人のせいにして、自分が傷つきたくなくて、情けない自分から目を背けようとして、八つ当たりを繰り返した。
 これじゃ嫌われて当然だ。松本だって、酷いことを言ってる。何であいつは好きになれたんだ。松本にあって俺にないものってなんだ。
 考えれば考えるほど疑心暗鬼に陥って、自信を失くしていった。その反動で、暴力も脅しも増えていった。後悔しかない。自分の気持ちを伝えられなかったことも、不満を他のやつにぶつけてしまったことも。今さら、俺は変われない。
 いや違う。あのビビりの東山が、俺の前であんな大口叩いたんだ。子分ができて大将ができないなんて、かっこ悪い。どのみち俺は、友達も成績も親の信頼も全部、失ってしまう。だったら潔く、一人になろう。孤高の一匹狼ってのも、それはそれでいいかもしれない。
 大将は顔を上げて口を開いた。
「万引きのことも、今までいじめてきたやつらにも、もう手は出しません。すいませんでした」
 鼓動がうるさかった。緊張の糸が張り詰めて、息が苦しかった。厳格な父の手がこちらに伸びてくる。覚悟して、ごくりとつばを飲む。
 静かに頭を下げた息子に、優しい父の手が添えられた。
「よく言った」
 緊張の糸が解けて、一気に安心感に包まれた。涙が込み上げてくる。男なんだから、大将なんだから、人前で泣くんじゃねえよ。そう思いながらも、頬を伝っていくのを止められなかった。
 校長先生は笑みを浮かべ、三人を見回した。
「みんな、ありがとう。どうかその気持ちを忘れないでくれ。親御さんも、どうか褒めてあげてください。罪を認めて謝れる勇気を」
 一同は解散した。
 父が出す帰りの車に乗ろうとした時、茂が駆け寄ってきた。
「大将! 僕、感動した! 新たな一面見たって感じ! 今度遊ぶ時は、もっと楽しいことやろうね」
「……おう」
 どんなことがあっても変わらず向けてくる笑顔に、また涙が溢れそうになった。

 翌日——。
 登校した途端、西岡は茂に金を渡した。
「これ、万引きの分」
 東山も慌てて取り出すが、茂は受け取らない。
「あれは僕が二人に奢ったの!」
 構わず西岡は机に封筒を置く。
「これまでの謝礼だと思ってくれ。こんなんで許されるとは思ってねえけど」
「貸し借りなしでいきたいんだ。だから受け取ってくれない? 藤原くんのおかげで僕、変われた気がするから」
「じゃあ遠慮なくちょうだいします!」
 クラスメイトは噂を聞いて、「あの西岡がついに万引きした」とコソコソしている。西岡は黙って席についた。浮かない顔の大将に、茂は笑いかけた。
「大丈夫。誰が大将を悪者にしても、僕の大将は西岡くんだけだから」
「相変わらず生意気だな」
「それが僕のチャーミングポイントでしょ? 大将のお腹と同じ」
「……そうだな」
 こいつは俺のことを悪く言わない。いじりはするが、どんだけ俺が貶しても必ず褒めてきた。それが少し、嬉しかった。
 東山も声をかける。
「大将、ドッジやらないの?」
 こいつも、あんなことがあっても俺から離れない。とんだバカだ。
 西岡は笑みを浮かべ、二人に言った。
「お前らは何がしたいんだよ?」


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