見出し画像

笑う門には福来る 第2話 ツッコミストに休みなし

 茂の担任である南雲は、放課後の職員室でため息をついていた。ここ一週間、茂に振り回されっぱなしなのだ。南雲が授業を始めようと教室に入れば——。
「はーい、お兄さんちょっと止まって」
「何だよ?」
「思い切り息を吐いてください。あらお兄さん、飲んでますね」
「酒気帯び運転どころか徒歩だわ!」
 さらにクラスメイトも便乗してくるからタチが悪い。
「公務員なのに朝からお酒?」
「クビになっちゃうよー」
「先生! やめないで! 卒業まで見届けてよ!」

 別の日には、休んだ子の日直代理を名乗り出たものの、茂のかけた号令は——。
「起立! 礼! 土下座!」
「敬いたいのはわかるが、やり直し」
 打ち合わせ済みなのか、何人かが悪ノリしていた。
 また、授業中には質問をしょっちゅう投げかけてくる。
「なぐもん先生、好きなものはなんですか?」
「それ授業に関係ないから、後でな」
 しばらくして、再び手を挙げる。趣味は? 好きなタイプは? とプライベートのことば
かりで、中々授業が進まない。質問が止んだかと思えば——。
「日本にはこんな言葉があります。鬼の目にも〇〇、藤原くん、わかりますか?」
「鬼の目にもつけま!」
「つけまの前に服を着せろ!」
 茂はどの授業でもボケた。
「高床式倉庫がこうなっているのは、なぜでしょう?」
「はい!」
 茂が手を挙げ、クラスメイトはわくわくしてその答えを待つ。他に手が挙がらないので、
やむを得ず当てる。
「藤原くん」
「設計ミス!」
 茂が珍回答を出すたび、どっと笑いが起きた。

 給食の時間も黙ってはいない。
「この醤油の芳醇な香り! シャキッとした食感! 出汁の染み込んだ深みのある味わ
い! んー、たまらん!」
 どこの美食家だ。南雲は声に出さずとも、反射的にツッコミを入れてしまう。
 連絡係の仕事も普通にこなすはずはなく——。
「明日の時間割は、お道徳、お算数、お図工が二時間、お体育でございます。宿題は国語の
漢字ドリル、音読、理科のプリント、家庭科の包丁とぎです」
「そんなこと子どもにさせないから」
「失礼しました。家庭科はナシでーす。持参物は、体操服とのこぎりとチェーンソー」
「そんな大層なもん作らんわ」
「体操服だけでーす」
 放送委員の仕事でも、それは遺憾なく発揮された。本来は献立を読み上げるだけなのだが、
茂が担当するとこうなる。
『このカレー、なんと! 玉ねぎとじゃがいもと人参、そして牛肉まで入ってるんですね!』
「そりゃカレーだからな」
『さらに! 今なら、ほうれん草のソテーもおつけして、送料無料! 放送後30分間にご
購入いただいた方には、牛乳もおつけします! まあなんて健康的なの! 牛乳はよく振
ってお飲みください』

 提出された日記には、新聞紙を切り抜いて一文字ずつ「た」・「の」・「し」・「か」・「っ」・「た」とあった。脅迫状か。
 このボケの嵐によって、毎日ツッコミ疲れが押し寄せてくるのだ。とはいえ、クラスは活
気づいており、ムードメーカーとして馴染んでいることは喜ばしい。同僚にも「面白い
子ですね」と評価されている。南雲に言わせれば、ふざけすぎなのだが……。
 外はすっかり日が落ちている。茂のテストを前に、南雲は気を引き締めた。十中八九、大
喜利が入っていると確信して。



 休日――。
 母は忙しなく家の中をうろうろしていた。洗濯ものを二度も回さなければならない上に、
茂の修学旅行の代金を振り込まなければならない……といった具合に、無意識に独り言をこぼしている。
 長男はスマホをいじり、次男はバイト雑誌を読んで、三男は部屋にこもってゲーム、末っ
子は自室でピアノを弾いている。茂はリビングで宿題に取り組みながら、兄たちの会話を聞
いていた。
「ウェイターって料理運ぶだけだよな」
 次男の呟きに長男が答える。
「あーいや、注文取って運んで、皿片付けて、テーブル拭いて、レジやって」
「結構大変だな。コンビニは? 商品補充とかレジだよな?」
「あとゴミ捨てと、フライヤーと、配送の荷物の手続きと」
「仕事が多いな!」
「そんなもんだろ」
「誠司は? 何にするんだよ?」
「映画館のスタッフ」
「チケット売るやつか?」
「あと館内放送と、ドリンクフード販売と、グッズ販売もあるな」
「どこもこき使いやがるな」
 次男がラーメン屋に目をつけた時、末っ子がピアノを終えて部屋から出てきた。
「ままごとやろ!」
 茂は二つ返事でオーケーする。長男はしれっとリビングを出ようとしたが、次男に掴まれ
た。
「まあ待て」
 次の瞬間、次男は痛みの声を上げた。
「あー、悪い。足が滑った」
「この野郎っ!」
 次男は仕返しと言わんばかりに羽交い絞めにする。
「悪い! 手が滑った!」
「滑ったっつーか、思いきり捕獲してんじゃねえか」
「にーちゃん、てんちょーやくね!」
「全力で遠慮しまーす」
 長男は肘で次男を突いて逃げた。
「キョウちゃんとシゲにいは、おきゃくさん!」
 次男は腹をくくった。

 末っ子の小春が提案したのは、ファミレスごっこだ。ハルは制服代
わりにエプロンをつけ、ウェイター役を名乗り出た。隣接した小春の部屋の扉を、店の入り
口に見立て、次男が客として入店する。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」
「おう」
「『きんえんせき』と『きつえんせき』どちらがよろしいですか?」
「禁煙で」
「キョウちゃん、もっとこころをこめて!」
 演技指導にイラっとしながらも、案内に従う。今度は茂が入店する番だ。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」
「うそっ! ハルじゃん! 久しぶり! え、何ここでバイトしてんの? 早く言って
よ! 毎日でも遊びにくるのに」
「友達か!」
 次男のツッコミが炸裂したところで、おもちゃの電話が鳴る。
「ごめんね? ちょっと出てくる!」
 茂は入店してすぐ部屋を出た。
「ちょっとシゲにい! なにしにきたの!」
 再び来店する時には、パーマのかつらをつけていた。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」
「やだもう、ハルちゃんじゃない! 大きくなって! いくつ?」
 今度はおばさんバージョンである。
「ひとちがいです! おかえりください!」
 追い出された後、茂は金髪ロングのかつらを被り、再度入店する。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」
「ハーイ、プリチーガール! ちょっと待ってね? アントニー?」
「いるよ!」
「イライザ!」
「はーい!」
「ウッド!」
「お腹空いた!」
 茂は器用に何役もこなす。
「今点呼すんな! 外でやってこい!」
「ただいま『くうせき』がございませんので、おまちいただいてもよろしいですか?」
「もちろんよ! ほらみんな、外に出るわよ!」

 次に来店したのは、赤タイツの茂だ。
「燃える情熱! 炎の戦士! ファミレスレッド!」
「煮えたぎる血液! マグマの戦士! ファミレスレッド!」
「溢れる果汁! いちごの戦士! ファミレスレッド!」
「危険信号! シグナル戦士! ファミレスレッド!」
「まだまだオムツ! ベビー戦士! ファミレスレッド!」
 ポーズが決まったところで、次男がつっこむ。
「全員レッドじゃねえか! 何だこの集団!」
「もしもしケイサツですか? 『ふしんしゃ』がいるんですけど」
「さらばだ少女!」
「何回行き来してんだよ、お前は! 早く席つけ!」
 次に来店したのは、サングラスの茂である。小春が呆れた顔で出迎える。
「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」
「ふっ、しがないただの一匹狼さ」
「まともな客、一人も来ねえな!」
 茂はようやく通され、席に着いた。小春は次男に問いかける。
「ごちゅうもん、おきまりですか?」
「ハンバーグセット、ライスで」
「かしこまりました。しょうしょうおまちください」
 おもちゃのハンバーグと丸ごとキャベツ、人参を皿に乗せて持ってきた。
「おまたせしました! こちらハンバーグセットでございます。ごゆっくりどうぞ」
 茂の番が来た。
「ごちゅうもんはおきまりですか?」
「いちごパフェ、お持ち帰りで」
「できません」
「そうか。それは残念だ。では代わりとして、あなたが欲しい」
「うけつけません」
「ふっ、悪い子だ」
「ごちゅうもん、おきまりになりましたら、およびください」
 茂はサングラスを外して、呼び出す。
「お冷くださーい」
「ただいま!」
 コップが届いても、間髪入れずに茂はまた呼び出す。
「お冷お願いしまーす」
「メニュー頼めや! さっさと!」
 気を取り直して、茂は注文する。
「チーズケーキ、バニラアイス、パンケーキを一つずつ」
「いきなりデザートかよ! しかも欲張り!」
 小春が注文の品を持ってきた。
「ん~! サクサクして美味しいね!」
「注文のどれ食ってんだよ! 一つもサクサクねえだろ」
 再び茂は小春を呼び出す。
「えっと、フライドポテトと、ほうれん草のソテーと、唐揚げと味噌汁とサラダ」
「サイドばっかじゃねえか」
「あっ、もう1品追加で『チーズとベーコンのホワイトソースがけ マカロニを添えて』」
「明らかにマカロニメインだろそれ!」
 茂の注文は止まらない。
「カレーライス、にんじん・じゃがいも・玉ねぎ・お肉抜きで」
「ほぼ具なし!」
「それと、『ド根性! お肉もりもり牛丼セット』と『強烈! ガリガリガーリックスティックパン』も」
「ありません!」
 小春は自らごっこ遊びに終止符を打った。茂のボケは、学校でも家でもフルスロットルである。



「もうこんな時間! ちょっと誰かおつかい行ってきて」
 慌ててパートに出かける準備をしながら、母が頼んだ。だが、誰も動こうとはしない。
「あーうん、気が向いたら」
 長男がスマホから目を離さずに答える。
「今行けって言ってるの!」
「あと一時間くらいしたら行ってもいいけど、それなら他に頼む方が早いだろ」
 力持ちの次男を指名するも、引き受けてはくれない。
「頭悪いって知ってんのに、オレに頼むかよ。間違って買ってきたら文句言うくせにさ」
「たまには行ってくれたっていいでしょ」
「シゲに頼めよ」
 時間がないため、母は誰かが行くことを願いながら仕事へ向かった。ジュースを飲みに来た三男が呟く。
「キョウはおつかいもできないんだ。情けない……」
「引きこもってるお前に言われたかねえよ! 学校も行けねえやつが、おつかい行けるわけねえよな!」
 三男は転校して早くも不登校になってしまったのだ。弟たちのやりとりを聞いて、長男が口を出す。
「うるせーな。どんぐりの背比べだろ」
 その時、末っ子が泣き出した。次男がおもちゃを踏んでしまったからだ。
「あーあ、泣かせた」
「くそっ!」
 次男は、苛立ちを隠しもせずにリビングを出た。
「シゲ、ハルが泣いてるぞ。お前があやした方が一番早いだろ」
「さっすが兄さん、わかってる!」
 茂は皮肉を返し、小春の機嫌取りを済ませると、スーパーへ向かった。

 買い物セットを持ち、台車を押して歩く。メモには、大量の食品が書かれていた。大荷物は避けられないだろう。入店し、カートをからからと押して、かごに商品を次々と入れていく。
 レジの店員は目を見開いた。かごの中には、およそ子ども一人では持って帰れない量が詰め込まれている。金額は一万を超えた。
 茂は台車にエコバックとビニール袋を乗せ、リュックを背負い、片手に乗せられなかった袋をさげて歩く。
 帰宅して荷物を置くと、リビングにいた次男に驚かれた。
「お前、それ一人で持って帰ったのか?」
 次男はついていくべきだったと、わずかに後悔した。
「誰かさんが行かないからだぞ?」茂はニヤニヤと煽る。
「うっ、悪かったよ!」
「じゃあ片付け手伝ってくれたら、チャラにしてあげる!」
「おうよ。あ、そうそう。母さんから連絡来たんだけどさ、今日メシ遅くなるって」
「誰が作るの? 待てないでしょ? アニキ」
「そうなんだよな。誠司なら作れるだろうけど、やる気ねえからな、あいつ」
「お願いに行きますか!」

 長男と茂の部屋を、二人はノックした。
「失礼します!」
「入るぞ」
 長男は生徒会の作業をしていた。
「キョウはともかく、シゲは自分の部屋だろ。一々かしこまらなくても」
 茂はリポーターのように切り出す。
「みなさん、夕飯が遅くなることをご存知ですか?」
「母さんから聞いた」
「待てばいい、ただそれだけのこと。ですが、うちのアニキの腹はもたない! そこで」
「却下」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「大方、ご飯作ってくれとでも言いにきたんだろ。お前一人のために俺が作るメリットはゼロ。食いたきゃ自分で作れ」
「そこをなんとか! オレ、家庭科もろくにこなせねえんだよ。女子が包丁握らせてくれねえし、やることといや皿洗いくらいで」
 茂も頭を下げる。
「この不器用で脳筋のゴリラのためにも、どうか!」
「お前、今なんつった!」
「騒ぐだけなら下でやれ」
 次男は食い下がる。
「ケーキでも何でも奢るからよ! 頼む!」
「キョウ、前に俺から金借りたの、忘れてんのか?」
 ぎくっと次男が顔を引きつらせる。
「返済期限は明日まで。それを過ぎたら、一日あたり十円利子つけるから」
「返す! 絶対返すから!」
 茂は感嘆の声を上げた。
「いや~、兄さんはさすがだな! あえて厳しくすることで、社会に出ても恥ずかしくないように教育してるんだ! うちの長男として誇りに思います!」
「そりゃどうも」
「その優しさをぜひ、今夜の夕飯作りに!」
「却下」
「お願いお兄たま!」
「気持ち悪い」
 次男が折衷案を出す。
「せめて指示出してくれねえか? オレじゃ多分まともにできねえ」
「レシピなんか調べりゃいくらでも出てくるだろ。シゲに読んでもらえば?」
 こっちに目も向けず作業を続ける兄に、次男は腹が立ったが耐えた。茂は最後の手段に出る。
「風呂で背中流してあげるから! 肩ももんであげる! それからご飯もあーんしてあげる! これでどう?」
「俺は介護されるじじいか。何度も言うけど、俺にメリットがない。以上、解散」

 扉を閉められ、2人は途方に暮れる。次男は腹をくくった。弟がおつかいを頑張ったのだから、いつものように放り投げるのは忍びない。
「オレが、作るしかねえだろ」
 茂は息を飲む。
「まさかあの伝説の! 卵かけごはんを」
「そんな園児でも作れるもん選ぶかっての」
「じゃあポーチドエッグ? いや、エッグベネディクトか!」
「チャーハンだ!」
 早速下に降りて、キッチンに立つ。茂がレシピを検索して読み上げていく。
「まずは玉ねぎを木っ端みじんにして、アメ色になるまでいためつける」
「痛そうだな!」
「玉ねぎを放置プレイで喜ばせている間に、ボールに牛の成れの果て、パン粉、牛乳を」
「それハンバーグ! チャーハンだって言ってんだろ」
 茂は改めてレシピに目を通す。
「まず火をおこします。湿っていない枝をこすって摩擦熱で」
「誰がそんな原始的なやり方するよ! ガスコンロなんだから一瞬だろ。材料入れるとこから」
「ねぎ刻み(五)、卵をといて(七)、ご飯入れ(五)」
「俳句? ざっくりしてんな」

 次男は腕まくりをして、玉ねぎの皮に手をつける。その様子を茂がスマホで撮影する。玉ねぎにアテレコしながら。
「いや~、変態! この私を脱がすだなんて! 百年早いわ、小童!」
「皮むきくらい朝飯前だよ!」
「今は夕飯前だけどね」
 朝飯前という割に、手こずった。見かねた茂が口を出す。
「みじん切りの仕方わかる?」
「……とにかく細かくすりゃいいんだろ」
 目をやられながら刻んだものの、荒く大きな具になった。茂は裏声で応援する。
「あなたの力はその程度? もっと完膚なきまでにぶちのめしなさいよ!」
「恨みでもあんの? つーかドM?」
 次にフライパンに油をドバっと入れる。
「あら大胆!」
「え、多かったか? どうせ蒸発するし、大丈夫だろ」
 火をつけて玉ねぎとミンチを入れると、油が暴れた。
「あちっ!」
「私に手を出すなんて馬鹿な男、近づきすぎたら火傷するわよ?」
「もうしとるわ」
「次は王子を火あぶりの刑に!」
「玉子な」
 割ったはいいものの、殻が入ってしまった。スプーンで取ろうとするが、滑って中々うまくいかない。次男は逃げる殻に舌打ちする。ようやく溶いたところでフライパンを見ると、具が焦げていた。やり直しだ。中身を出して、乱暴にフライパンを置く。

 炒める工程まできて、テレビで見た返しに挑戦しようと手首をひねる。もちろんこぼれた。素人にあんな技ができるはずがなかった。その後も、いくら火を通しても水分が飛ばなかったり、フライパンの底にこびりついたりして、多くの失敗作を生み出した。
「くそっ! 何でパラパラにならねえんだよ!」
 時計を見ると、飯の時間だった。リビングで映画を見ていた長男が、顔を出す。
「できたか?」
 次男は唇を噛みしめた。失敗作を出しても、文句を言われるのが目に見えている。ここは奥の手を使うしかない。そう思い、湯を沸かし始めた。

 母が帰宅した時には、山盛りの失敗作を消化する次男と、カップ麺をすする子どもたちの姿があった。
「あんたら待ってることもできないの! よりによってカップ麺って」
「情けない……」
 三男の呟きに次男は言い返せず、代わりにチャーハンもどきを飲み込んだ。キッチンに入った母の怒号が飛ぶ。焦げついたフライパン、飛び散った米がそこにあったからだ。
「片付けなさい! これやったの誰?」
「アニキです!」
 次男は黙って悔し涙と共に、失敗作を流し込むしかなかった。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,218件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?