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【小説】中二病の風間くん第7話 夢

 今でも鮮明に覚えている。四歳の時に聞いたあの大歓声を。国を背負った父が、大きな会場で得点を決めた瞬間を。現役を引退した父がかけてくれた金メダルは、年々重みを増していく。
『お父さんのプレーを彷彿とさせる活躍でしたね!』
『オリンピックで金メダルを手にする加護くん、見たいですね!』
 オレは気づいてしまった。誰もが二世の活躍を望んでいると。オレの積み上げてきた努力は、父の名と天才という二文字にかき消されてしまったのだと。
 逃げるように無名校へ進学し、新設されたバスケ部に入った。三回戦で敗退し、悔し涙を流すチームメイトには目もくれず、メディアはオレに矛先を向けた。
「何で強豪に行かなかったんだい?」
 その問いは仲間への冒涜だった。それを払拭しようと奮起して二年後、全国を制した。これでチームメイトが舐められることはない。そう安堵した矢先、オリンピック出場候補として招集された。
 実力をつけるほど、父の背中の大きさを痛感した。ちょっとミスしただけで不調と言われ、負ければ応援の何倍もため息が返ってくる。怒りの声を上げるやつもいた。
 なぜできもしないやつらに責められなきゃならないのか。いや、できないからこそオレを通して夢を見ようとしているのだ。
「頑張ってね!」
 もう頑張ってるよ。
「応援してます!」
 その言葉の数だけ枷が嵌められていくんだよ。気づけ。
 極めつけは、チームメイトと決裂した帰り道。足早にマンションの廊下を歩いていると、強面の男達が故意に肩をぶつけてきた。
「おいぶつかっといて謝罪一つなしか?」
「さすが甘やかされてんな。有名人の息子はよ」
「躾がなってねえな! その足折ってやろうか」
「母ちゃんとお揃いにしてやる」
「……母さんに何した」
 振り返った時には、男の拳が腹にめり込んでいた。
「ほら頭擦りつけて謝れよ」
 尖りきった苛立ちが、ピンと張った糸をプツンと切った。気づけば、男の顔面を殴り、もう一人も蹴とばしていた。力の限り無抵抗の男たちに拳を振るい続けた。メディアへの怒りもプレッシャーも、孤立した自分への苛立ちも全て乗せて。
 我に返り慌てて家に帰ると、母は両足で立っていつも通りオレを出迎えた。毎日のように浴びていた称賛の声は、その日を境に罵倒へと覆った。

 特訓初日、校門前でバイクに跨り佇んでいると、六限目を終えた風間が駆け寄ってきた。ヘルメットを投げて寄越すと、風間は目を輝かせる。
「こういうのを愛機というらしいね! 僕も欲していた時期がある」
「免許持ってんならコレ貸してやるけど?」
「遠慮しておくよ。メフィストフェレスにどやされる」
「それお前のユーザー名だろ」
「由来は僕の使い魔でね。人間界でいうところの犬だよ」
「犬は乗るもんじゃねえだろ」
「まあそもそも、最高風速二十八メートルの僕には、乗り物など不要だけどね!」
「台風か。法定速度ぶち破ってるじゃねえか。じゃあ特訓なんて必要ないな。余裕で一位取れるだろ」
「待て、早まるな! 今のは現役時代の記録だ。何万年も前に魔界で測った時のもので……!」
「悪魔に現役とかあんの」
 面白そうに笑う加護の後ろに乗り、腰に手を回すと、引き締まった筋肉の感触がした。
「そのグローブ……ベルフェゴールの気配がする! 封印してるのか?」
「……中二病ってどこ連れてきゃ治るんだっけ」
 走り方を伝授する代わりに格闘ゲームの相手をしてほしい。そう持ちかけた加護は、わずかに後悔の色を見せた。
 二人は早速、デジタル音の鳴りやまない空間に飛び込み、画面の中でぶつかり合う。
「何をしようと君の敗北は覆らないよ。すぐに血の海にしてやろう!」
「やれるもんならやってみろ。敗北ってのはな、勝負が終わって初めて確定すんだよっ!」
「ふっ、この時を待っていたよ。最終奥義・断末魔!」
 分身が倒れたにも関わらず、加護は嬉しそうだった。
「コレだよコレ! やっぱライバルいねえと張り合いがねえもんな!」
 大人びた見た目に反した年相応の顔である。
「まだ辛酸を舐めたいというなら受けて立つよ。強者になるほど、敗北の味は苦くなる。大したものだよ君は」
「別に負けるのは怖くねえよ。まだ上がれるって証でもある。……一番怖えのはな、勝負自体ができなくなることなんだよ」
 二人は河川敷に場所を移し、特訓を開始した。まずは風間の実力を見ようと、タイムを測る。
「……遅っ」加護は思わず呟いた。
 息を切らして肩を上下させる風間に、言葉を続ける。
「アンカーって言ってたよな。あれ、オレの穴埋めか? 今からでも遅くねえ。断って来いよ。それじゃ本番大ブーイング受けるぞ」
「構わないよ。僕は周りの評価が欲しいわけじゃない。ただ走ってみたいだけなんだ。勝ち負けなんかついでだよ」
 曇りのないまっすぐな目だった。そよ風が応援するように風間の髪を揺らす。
「……あっそ」
 加護はおもむろに上着を脱ぎ、風間と同じラインを軽やかに駆け抜ける。
「さすが金色の鷹匠……! 地に足つけてこの速度とは!」
「鷹匠……?」
「どんなトレーニングをすれば、その脚力が身につくんだ? ぜひ伝授してくれ!」
「筋トレで足鍛えるってのも大事だけど、まずは体の軸な?」
 加護は風間をまっすぐ立たせた。
「足裏に体重かかってんのわかる?」
「ああ……! 大地の波動を感じる!」
「お前んとこだけ地震起きてんのか」
 ジャンプするように指示すると、風間は膝を曲げて思い切り跳ぶ。
「確かに体沈めるほど高く跳べる。けど、走るのに高さいらねえだろ? 行きたいのは上じゃなくて前。だから蹴らない」
「じゃあどうやって進むんだ? 加護くんの足裏にはロケットでもついてるのか?」
「そんなもんあっても顔面から突っ込むだけだわ。地面ってのは、踏んでりゃ勝手に反動くれんの」
「大地が意思を持って応えてくれるのか!?」
「そうそう。トランポリンに乗ってるイメージで跳んでみ? もっと肩の力抜いてさ」
「加護くんは優秀な伝道師になれそうだね」
「……ぜんぶ親父の受け売り」
 空気椅子や縄跳び、ランニングなどのメニューを終えると、風間は力尽きた。途中で徒歩に切り替えても、河川敷を一周することはなかった。
 バイクでは振り落とされてしまうだろう。そう考えた加護は小さな体を背負う。
「お前、よくそれでリレー出ようと思ったな。そんなに目立ちてえの? たかが体育祭だろ。苦しむことねえじゃん」
「……僕の夢なんだ。一度でいいからリレーに出てみたくてね。卒業した先にそんな機会はないだろう。最初で最後のリレーになる。頑張って損はないと思うよ」
「頑張るのは勝手だけどよ、夢ってのは残酷だ。手を伸ばすほどケガをする」
 声色に混じった闇を吹き飛ばすように、風間は楽しそうに語る。
「夢は一つじゃなくたっていいさ。どれか一つ叶えられたなら、きっといい人生だよ。僕の夢は、そんなに遠いものだと思う?」
「……一位取るってのはハードル上がるが、走り切るくらいには鍛えてやるよ」
 風間を送り届け、バイクで帰宅した加護の脳内は、トレーニングメニューで埋め尽くされる。
 もしアイツが成し遂げたら、もう一度夢を見ていられるだろうか。


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