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笑う門には福来る 第22話 旅は道連れ、世は情け

 冬休みに入った。誠司が自室で合格通知を開けると同時に、父が母を連れて帰って来た。小春の喜ぶ声が聞こえる。続いて、買い物に行っていた茂と京太郎も帰宅する。母の姿を見て茂が即座にボケる。
「おかえリンゴ!」
「ただいマンゴー!」
 その横で、誠司は出かける支度をしている。
「どこ行くの?」
「靴買いに行ってくる」
 兄は履き古した靴に足をつっこむ。
「僕も行く!」茂が名乗り出た。
 二人で寒い外を歩く。冷たい風に体が強張った。
「今日イヴだね」
「そうだな」
 誠司は密かに進めている準備について、ぼんやり考える。バタバタしていて、まだツリーも用意していない。予定をこじ開けるために、先に片付けなければならないことが多いのだ。だが、それを弟に悟られてはならない。
「お前、サンタ信じてるか?」
「兄さんは?」
「物語だと思ってる」
「サンタさん信じないなんて、まあ悪い子っ!」
「本当にそんな人がいたら、不法侵入で捕まるだろ」
「そうだよね! サンタさんかわいそう。せっかく幸せ届けに行ってるのに、捕まって仕事もこなせず上司に怒られ、しまいには給料も出ないなんて」
「そんな発想ができる時点で、お前信じてないだろ」
「まあね。でもなれるなら、僕はサンタさんになりたい」
「年一で稼げるから?」
「みんなの欲しいものがわかれば、喜んでもらえるから! 年一でも一晩の働きっぷりがブラックでしょ? 楽じゃないよサンタさんは! いい歳なのに年金暮らしも叶わず、腰や肩を痛めながら、ずっと子どものために身を削ってるんだよ?」
「お前はサンタの何を知ってんだよ」

 暖房が効いた店内には、立派なツリーが飾ってあった。茂はそれを羨ましそうに眺めている。
「兄さんって確か、177センチだったよね? あるかな?」
「身長の話だろ、それは。そんなでけえ靴あったとしても、ほぼ寝袋じゃねえか」
「何センチ?」
「26」
「デカイね」
「お前に比べればな」
「色は?」
「黒」
「金額は?」
「安いやつ」
「2600ミリの漆黒ね? わかった!」
 間違ってはいないが、不安になる返事だった。茂は嬉々として探し始めた。
「これなんてどう?」
「それサンダル。季節考えろ」
「じゃあこれは?」
「ローラースケートは普段使いに向いてない」
「これならどう?」
 持ってきたのは革靴だった。
「スニーカーに決まってんだろ。お前いい加減にしろ」
 兄のチョップに、茂は満足気である。
 ボケとツッコミが成り立つことで、茂の人間関係は構築される。だが、会う人みんながつっこんでくれるはずはない。
 候補を三つに絞り、試しに履いてみる。
「ん、悪くないな」
 茂は片方の靴を手に跪く。
「ああ、あなたが! 運命の人!」
「踏むぞお前」
 公共の場どころか、家でもシンデレラごっこなどごめんである。父と遊びに行ったのが少しは効いたのか、以前より活力が戻っている様子だ。

 帰り道、空を見上げると雲行きが怪しくなってきた。
「雨降りそうだね」
「雨どころか雪降るらしいぞ」
「やった! ホワイトクリスマス!」
「これ以上寒いのは勘弁してほしいんだけどな」
「積もったら雪合戦しよ!」
「審判ならやってやる」
 午後はバイトだ。ツリーを出すのは夜になるだろう。京太郎も今の時間はバイト、拓海と小春は飾り付けを手作りしている。父頼みだ。母にも話してあるが、退院したばかりで無理はさせられない。代わりに、食事の支度の指示役を務めてもらった。必ず間に合わせなければ。

 茂は帰宅してすぐに自室にこもった。アルバムを開き、憂い顔で写真を眺める。
 いつからだろう。兄たちが行事ごとに参加しなくなったのは。母は忙しい中、色々準備してくれていた。それは嬉しい。今年のクリスマスは復帰したばかりで、何か用意するにはきっと負担をかけてしまう。
 自分で企画してもいいが、兄たちは乗って来ないだろう。バイトや友達の都合で、家にいないかもしれない。昨年は、母と妹と三人で過ごした。
 全員揃わないクリスマスはどこか物足りない。少しでもその気にさせようと、ツリーを引っ張り出そうとすれば、兄たちは呆れた目をした。「片付けめんどい」「わざわざ出さなくてもいい」と。
 手伝ってといえば応じてくれたが、当日は参加してくれなかった。友達と遊ぶ方が楽しいのだろうか。バイトをする方が有意義なのだろうか。子どもだから楽しめるのだと兄たちは言った。正月やクリスマス、夏休みは中々予定が合わない。今年もきっと……。
 茂は途端に虚しくなった。兄と妹は部屋にこもっているし、父と母は久々のショッピングに出かけている。夜にはケーキを持って帰ってくるそうだ。バイト中の兄二人は、下手をすれば外で食べてくるかもしれない。
 今やプレゼントは三男までになり、高校生になった兄二人は、まるで関係ないとでも言うようにケーキを食べるだけで終わる。少しでも盛り上げようと何度もサプライズをしてみたが反応はイマイチだった。
 喜ぶ素振りはあったが、それが気遣いだと気づいてしまった。何かしたところで、楽しませることなどできないのだろうか。そう思うと不安になった。
 外を見れば、今にも泣きそうな雲が浮かぶ。
 僕の心には天気雨がずっと降っている。虹は出ない。そればかりか雲はどんよりし始めて、しまいには大雨が降って、水たまりをたくさん作っていく。大風が吹いて雷が鳴って、気温は下がっていく。雲の向こうに太陽はあるのに。
 茂は棚上のリュックに目をやり、立ち上がった。

 いつもの夕飯より少し早い時刻、拓海が茂を呼ぼうと部屋に行くも、不在だった。
「ハル、シゲ知らない……?」
「さっきそとでてったよ」
「そう……」
 嫌な予感がしたが、何かサプライズでも企んでいるのかもしれない。これは好都合だ。茂がいない間に準備を一気に進めてしまおう。そして帰った途端、パーティの始まりだ。
「ハル、ツリー出すよ。手伝って……」
「いいよ! でもおもくない?」
 京太郎か父に任せようと思ったが、時間が中々取れなかった。最近、少し筋トレに付き合っていることもあり、拓海が引き受けた。
「俺も男だし、それくらいやってみるよ……」
 あれこれと手段を考えては試行錯誤して、物置のクローゼットから下ろし、リビングへ運ぶことに成功した。疲れ果てた拓海は、妹に託した。
「ハル、飾り頼んだ……」
「まかせて!」

 一方、茂はバスに揺られていた。行き先は未定だ。ただ家から離れたかったのだ。自分の心に嘘を吐き、笑顔でクリスマスの夜を盛り上げてもよかったが、そうする気にはなれない。笑わすことができないと、逆に場をしらけさせてしまう。とはいえ、ボケなければらしくないと心配されるだろう。だから出てきた。
 兄たちと同じようにしてみれば、何か気持ちがわかるかもしれないと、少しの間、遠出することに決めたのだ。水筒やお菓子をリュックに詰めて、カイロやマフラー、手袋で寒さ対策をしてきた。まるで遠足の上位互換だ。たまには一人で楽しんでみよう。
 笑顔を生み出すには、まず自分が笑顔にならないと。
 バスに乗ること一時間、見慣れた店は減っていき、住居やさびれた店が窓に映る。そろそろいいかと、知らないバス停で降りた。
「布袋町~、布袋町でございます」
 人の気配がない。見渡す限り、田んぼと畑である。兄が落ち着きそうな場所だ。今度連れてこよう。きっと風景もデッサンに役に立つことだろう。
 穏やかで静かな景色に、前の家でのことを思い出す。
 茂が四歳の時だ。兄弟で雪合戦をしたことがある。長男相手に三人で雪玉を投げつけた。容赦なく兄は茂の顔面に当ててきたが、怪我の確認に寄って来たところを、茂もやり返した。雪だるまは何個も重ねて、雪団子にしたりした。
 あんな瞬間はもう、やってこないのだろうか。茂は歩き続けた。ただぼんやりと、どうしたいのかわからないまま。

 雪が降ってきて、気温はさらに下がっていく。どこか懐かしさを感じる道をひたすら進む。線路はあるが廃止されていて、見かける標識の数も少ない。目印は鉄塔くらいだ。使われていないであろうおんぼろ小屋をいくつか通り過ぎ、日が暮れてきた。
 思いのまま、凍える寒さの中足を動かしていた茂は、我に返った。スマホで現在地を確認しようとすると、はっと気づく。家にスマホを忘れてきてしまった。
 新鮮だった気持ちが、一気に不安へと変わり押し寄せる。帰れなかったらどうしよう。急いで引き返し、来た道と思われるところを辿る。
 申し訳程度の明かりを頼りに、暗闇の中を歩く。見渡しても、かろうじて家があるのがわかるくらいだ。雪が積もると、さらに風景が一体化して違いがわからない。犬の鳴き声ですら、足がすくんだ。
 心細くなって、歩幅は小さくなる。興味本位で小道に入ったがために、迷ってしまった。手がかじかんで足は凍え、白い息を吐きながら帰路を探す。
 茂は遠出したことを後悔した。ただ少しだけ、家から離れて自分を見つめ直したり、気分を変えたかっただけなのに。
 すぐに帰って、クリスマスを盛り上げようと思っていたのに。

 一方、藤原家では茂を除いた家族全員が揃っていた。ケーキはすでに受け取っている。ツリーも飾りも完璧だった。夕飯の準備をそろそろしなければならない。だが、肝心の弟の姿がない。
「シゲは?」
「わかんねえ。昼過ぎに出たっきり、戻ってきてねえらしくて」
「スマホも試したんだけど、部屋に置いてあったから連絡つかないよ……」
「誰か行き先聞いてないの?」
 母の顔が不安に染まる。
「ごめん。出かける音はしたんだけど、行き先までは……」
「探そう。この雪の中、何時間もほっつき歩いてたら倒れてしまうよ」
 父は車を出し、京太郎は自転車を出す。近所の人に聞いて回るしかない。誠司は副会長の堤に連絡を取る。
「突然悪い。バイク出せるか? 弟が行方不明でさ」
 小春は兄を喜ばせようと気合十分だったが、肩を落とす。
「シゲにい、どこいっちゃったんだろ」
 母がなだめる横で、拓海は茂のスマホを握りしめた。

 一方、茂は疲れ果てていた。足の感覚もなくなり、頭に雪が積もる。彷徨う中、ようやく目印となる鳥居を見つけた。近くには祠が作られている。
 その奥に、わずかな灯りが見えた。成長しすぎた雑草をかき分けると、小さな喫茶店があった。木が看板を覆い隠すように育っているが、かろうじて「ほほえみ」の文字が見えた。あたたかい灯りの下には、見覚えのあるキャラクター像が立っている。
 扉を開けると、穏やかな笑みを浮かべたふくよかな老人が出迎えた。
「おや、いらっしゃい。寒かっただろう。こっちへおいで」
 茂は暖炉の前へ案内された。店内には丸テーブルが三つほどあり、椅子にはふかふかのカバーが敷いてあった。天井にはアンティークのランプがぶら下がり、小さな本棚には古い書籍が並ぶ。
 鳩時計の音に耳を傾けていると、老人が店の奥から温かいスープを持ってきてくれた。
「飲むといい。元気が出るよ」
 茂は寒さと疲労で、会釈しか返せなかった。一口飲むと、安心感が広がった。足先から心までポカポカだ。
「君一人かい? どこからきたの?」
「えっと、母さんのお腹の中」
 つい癖でボケてしまった。老人は穏やかに笑い、迷子だと見抜いた。
「面白いことを言うなあ。家の電話番号わかる?」
「うん」
「名前は?」
「藤原茂」
 老人は店の固定電話で、メモした番号にかけた。しばらく話し、受話器を置く。
「ずいぶん遠くから来たんだね。途中の駅まで送っていくよ。体が十分温まってからね。合流地点に家族が迎えに来てくれるそうだ」
「ありがとうございます」
 来店の音がして、細身の男が大きな袋を持って入ってきた。
「いやー、寒い寒い! 親父、これで全部?」
「ああ、ありがとう。そこに置いてくれ」
 男は不思議そうに茂を見た。
「すまんが、この子を青山駅まで送ってやってくれんか。迷子のようでね」
 息子は快く了承し、車を温めるため外へ出た。
 老人は袋からおもちゃを取り出し、楽しげに語った。
「明日、孫たちが二階に泊まりに来るんだ。会うのは一年ぶりくらいかな。茂くんも一つどうだい?」
「いいの?」
「もちろん。これも何かの縁だよ」
 茂はオルゴールを手に取った。回すと、きれいな音色を奏でた。
「茂くんは、どうしてここに来たんだい?」
「……ただなんとなく、家にいたくなかった」
「そうか」老人は微笑んだ。
「大人になったら、クリスマスも誕生日も全部、普通の平日になっちゃうの? 家族の時間、取れなくなるもの?」
 いつもなら大喜利で返すところだが、頭がうまく回らない。思ったことが素直に口をついて出てくる。
「そうだね。子どもはどんどん成長して、独り立ちしたその先で家族を作る。全員とは言わないけどね」
「おじいさんは寂しくないの?」
「そりゃ寂しいさ。でも、ゆっくりした時間を過ごせているよ。友人とたまに出かけたり、お客さんと話したり……ここは私が一人でやっているんだがね。悪くないものだよ。こうして時々、孫や息子が訪ねてきてくれるのが楽しみで仕方ないんだ。年賀状も毎年くれる」
「家族なのにずっと一緒にいられないの?」
「隣にいなくたって、遠くにいたって離れちゃいないよ。むしろ独り立ちしていった後の方が、息子たちのことをよく考えるようになった。どうしているかなってね。例えどこにいようとも家族だ。茂くんが大人になっても、親にとっては息子だし、お兄さんにとってはずっと弟だよ。立派に巣立っていったって、頼ってはいけないなんてことも、甘えてはいけないなんてこともない。寂しくなったら、疲れてしまったら、いつでも帰って来られる。それが実家だ」
 用意ができたと、息子が声をかける。
「茂くんの家族みんな、君を探していたそうだよ。迷った時に探してくれる人がいる。それだけで君はもう、一人じゃない。さあ、お家に帰ってケーキをお食べ」
「はい! お世話になりました!」
 茂はようやく笑うことができた。外へ出ようとした足を止め、振り返る。
「家族でまたここに来てもいいですか?」
「もちろんだよ。いつでもおいで。私の命ある限り、ここにいるから」

 助手席に乗り込み、オルゴールを大事にリュックにしまう。
「しっかし、よく見つけたね。親父の喫茶店、結構な穴場なんだけど」
「あそこだけ灯りがついていたので」
「茂くんって何年生?」
「テッカテカの六年生です」
「何を塗ったのかな」
 男は苦笑でツッコミをくれた。
「俺にも、茂くんくらいの歳の子がいてね。ヤンチャすぎて毎日手を焼いているよ。一日一個なにかを壊してママに怒られてる」
「うちのアニキも妹の物壊して、よくケンカしてます」
「兄弟多いんだね。さぞかし苦労したことだろう」
「そりゃあもう、兄三人と妹の面倒を見るのは大変ですよ! ケンカするし、面倒なことは押し付けてくるし。でも、嫌じゃないんです。一人でも欠けると物足りなくて……」
「じゃあ今日茂くんがいなかったら、みんな笑顔で過ごせなかっただろうね。大切な人ってね、そこにいるだけで頼もしいし安心するんだ。そりゃゴタゴタも起こるけど、悲しみや喜びを分かち合える場所があるだけで、人生180度ひっくり返る。一人でいる時と、見える景色が全く違うんだ」
 それを今日、茂は痛感していた。

 駅に着くと、男は電話をかけた。雪は止んでいる。数分もすると、バイクが近づいてきた。誠司と副会長である。
「すいません。弟がお世話になりました」
「いえいえ、見つかってよかったですよ」
 茂は車を降りて、礼を言った。
「どうする? 電車止まってるし、バイク二人乗りだけど」
 副会長が言った。
「バスで帰る。急に呼び出して悪かったな」
「いいってことよ! 今度焼肉奢ってもらうから」
「おい」
 助っ人は笑ってバイクを走らせ立ち去った。
「シゲ、何か言うことあるか?」
「ごめんなさい」
「二度とすんなよ。心臓止まるかと思ったわ」
 誠司はスマホでバスの時間を調べた。
「バスも遅れてんな。親父待ってると凍死しそうだし、ちょっと先のバス停まで歩くか」
 安心感と疲れで、茂は大あくびをこぼした。誠司は、茂に背を向けて屈む。
「ん」
「……ニワトリの真似?」
「おんぶだよ。寝ぼけてんのか」
 兄の大きな背中に乗り、体温を感じる。いつもより目線が高い。
 続いて、京太郎が自転車で駆けつけた。
「遅っ」
「うるせえ! これしかなかったんだよ」
「チャリじゃ無理だろ、この雪で。しかも二人乗り禁止」
「ママチャリなんだから、後ろ乗れるだろ」
「お前何歳だと思ってんだよ。ハルはともかく、シゲはもう乗れねえよ。俺らバスで帰るから、そのまま来た道帰れ」
「そりゃねえだろ! こちとら必死だったんだぞ!」
 そのやりとりを聞きながら、茂は睡魔と戦った。
 結果、バスが空いていたら乗せてもらえないか聞いてみることにした。暖房の効いたバス内には幸い、自転車を置くだけのスペースがあった。
 茂はまどろみながら考えた。あとどれくらい、兄弟一緒にいられるだろう。
「兄さんはさ、あまり笑ってくれないよね」か細い声だった。
「昔より表情に出なくなったからな。何も不思議じゃねえよ。大人になりゃ、嫌でもため息つく方が多くなる」
「……僕のボケって鬱陶しい?」
 茂にしてはネガティブな発言だった。きっとそれが本音だと、誠司は悟る。
「たまにな。そりゃ寝不足とか疲れてる時にボケられたら、イラっとするって。でも正直助かった時もある。落ち込んだり、現実逃避したくなったり……。お前がいつもそれに気づいて笑かしに来て、もやもやしたもん取り除いてくれた。バカみたいなこと、俺はプライド高いからできなくなったんだよ。人前でふざけてると舐められるかもって。シゲが生まれる前は、もうちょいいたずらとかしてたんだけどな。人って、どっかでバカになりたい瞬間がくる。でも、かっこ悪いからできない。お前のふざけに乗っかれば、紛れることができる」
「ツッコミ入れるの、めんどくさくない?」
「毎日ボケてくるおかげで、ほとんど反射。面倒とも思ってねえよ」
 兄の笑みに、茂もつられて口角が上がる。呆れられはしても、あまりスルーされなかったことを思い出した。
「芸人だってさ、24時間365日ボケたりツッコミ入れたりしてるわけじゃねえんだよ。真剣に取り組むことの方が多いし、泣くことも悩むことも絶対ある。人間なんだから。だからお前も、切り替えられるようになれたらいいな」
「……そうだね」自信なさげな声だ。
「言っとくけど、俺はお前が泣いてももらい泣きしねえし、落ち込んでても感情つられたりしねえからな。一番面倒くさいのは、いつまでもウジウジされることだから、とっとと吐いて楽になれ」
「兄さん、今日デレデレだね。すっごい優しい」
「いつもは意地悪してるみたいな言い方だな」
 そこに、静かに聞いていた京太郎が口を挟む。
「言い方がきついんだよ。お前はいつも」
「でけえ声で怒鳴られるよりはいいだろ」
「それはもしかしなくてもオレのことか? あん?」
 茂は声に出して笑った。
「シゲも笑ってねえで否定しろ」
 京太郎は弟の頬を優しくつねる。

 茂はいつのまにか寝ていて、気づけばバスを降りていた。誠司の背中から降りて、積もった雪を踏みしめ、帰宅した。
 待っていたのは、泣きじゃくる母の抱擁だった。
「シゲにい、おっそい!」
 妹の後方にツリーや飾りがあり、茂は目を見開いた。拓海と父は餃子の皮に具を包んでいる。茂は疲れを忘れて手伝った。
 夕飯が遅れることを、誰も気にしていなかった。ただ、茂が無事に帰ってきたことを喜んだ。
「あ、破れた」
「ヘタクソ」
「いれすぎだよ! キョウちゃん」
 ボケる気力はなかった。茂は懐かしさに心が暖かくなる。家族総出で餃子を作り、母と拓海が焼いている間、茂は父と風呂に入った。
「今日ね、サンタさんに会ったよ」
「へえ、どんな人だった?」
「お腹が出てる優しいおじいさん。喫茶店やってる人でね、スープ作ってくれたんだ。オルゴールもくれた」
「そっか。よかったな」
 嘘でないことは表情でわかった。久しぶりに見た子どもらしい笑顔だった。
「父さんはさ、実家出る時さびしくなかった?」
「寂しかったよ。一人暮らしは自由だったけど、仕事から帰ったら誰も『おかえり』って言ってくれないし、電気だってついてない。自分の帰りを待ってくれる人がいることが、きっと幸せってやつなんだと思った」
「僕もそう思う。いつも出迎える側だけど、今日帰ったらみんながいて、嬉しかった。僕ね、怖かったんだ。いずれ兄さんたちは、ここを出て行っちゃうでしょ? だから段々離れていっちゃうみたいでさ。でもさっき思いついた。その時は、僕が兄さんたちの家に遊びに行けばいいんだって」
「そうだな。父さんや母さんが行くと、煙たがられるだろうけど、きっと茂なら喜んで迎えてくれるよ。家族の時間を誰より大切にする茂なら。一人暮らししたら、誠司は栄養不足になるだろうな。キョウは料理できないし、拓海は引きこもってるだろうし、みんな苦労しそうだな」
 父は息子が巣立つ日を想像すると、少し寂しくなった。ただでさえ出張で家に帰れず、まともに話す時間がないのに。
「僕はこの家出ない! 一人暮らしできる気がしないもん。寂しくて死んじゃう」
「無理しなくたっていいよ。いたいだけいればいい。ここはお前の家なんだから」
 ニカっと笑う息子に、父は先にプレゼントをもらってしまったと心があたたかくなった。
 茂は湯船から上がり、ボードゲーム中の兄妹に混ざる。
「最下位のやつが片づけな」
 結果、京太郎が担当することになった。
 餃子が焼き上がり、食卓に家族全員が席につく。奇跡だった。まるで幼い頃のような光景である。
 ケーキを食べた後には、ビンゴをした。両親が用意したプレゼントを、ランダムに分け合うのだ。小春は野球の試合観戦チケットを引き、京太郎が大きなぬいぐるみを引いた。お互い利害は一致しているはずだが、口論が勃発した。
「キョウちゃんずるい!」
「何もずるしてねえよ」
「こうかん!」
 京太郎は渋った。
「お前ぬいぐるみ好きだっけ?」
「サンドバックにでもする気……?」
「違えよ! そのチケット、実は同じの買っちまってんだよ。だから欲しいかっていうとさ」
「つべこべ言わずに『こうかん』して!」
「僕のボディバックならどう? これなら三人で交換すれば」
「だめ! それはシゲ(にい)の!」
 二人は声をそろえた。当てた瞬間の喜びを目にしている以上、その案を飲むわけにはいかない。
「キョウちゃん、そのコどうするつもりなの?」
「売る」
「だったらちょーだい!」
 結局、京太郎は折れた。観戦チケットは、同級生を誘うために使おうと決めたのだ。
 両親には、こうなることがわかっていた。何が当たっても、お互いに欲しいものであれば交換しあうだろうと。ビンゴはただの余興だ。
 その夜はみんなで夜更かしをして、ボードゲームで締めくくった。小春は大きなぬいぐるみを抱きしめ、観戦している最中に寝落ちした。
 そろそろ切り上げようと、連敗中の父が勝負から下りる。
「負けたままでいいのかよ! 仇取ってくれよ親父!」
「父さんもう疲れちゃった」
 兄が気を遣ってくれたが、茂は片づけを譲らなかった。
「迷惑かけたからお詫び!」
 片づける手を止め、茂はポツリとこぼす。
「今日すっごく楽しかった。大人になっても、たまには集まってお酒飲もうね」
「気が早すぎるわアホ」
「誰も成人してねえしな」
「でもいいと思う、そういうの。今回よくわかったよ。シゲが極度の寂しがりだってこと……」
 その時、茂には兄弟の絆が目に見えた。キラキラと光る、暖かい光景だった。
 茂は、寝る前にたくさん撮った写真を眺め、そっと枕元に置いた。


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