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お前はつまらない人間になってやしなかと胸倉を掴まれて、今は泣くしかできない

こっそり尊敬している倉成さんのnoteがとっても良かった。ほとんどすべてのnoteが自分をチクリとしてくるとても大切な私のnote。

で、2020年12月18日に掛かれた以下のnoteはやばかった。

私もいつも自分で考える人物になりたいって思っていて、自分の中では色々とやっているとおもっていたのだけれど、それはまだまだ甘い話だったって気づいた。いま、このnoteは泣きながら書いている。

自分で考えるってこをの「とっかかり」となるヒントを2つご紹介して下さっている。

<1つ目のヒント>
自分世間受けする優等生や、試験で良い点を取るという、「システムや他者からの評価」から距離を置く。
そして、人間としての自分が何であるかを本気で考える。闇を真剣に掘り続ける。文芸的に。ということが1つのヒント。

日経新聞日曜文化面の、坂井修一さんのコラムから。2020/9/13 『うたごころは科学する 「真面目」を探し求めて』

まずここで、私は「お前はつまらない人間になってやしなか?」と詰め寄られました。かなり、この時点できつかったんです。

<2つめのヒント>
自分の頭で考える → 人と違うその逸脱回答を褒めてくれる大人がいる。ということで、自分の頭で考える文化的習慣的ループが個人にも社会にもできる。子どもや若手は、枠からはみ出た発想を。大人は、その回答を受け止める準備を。

黒澤明著「蝦蟇の油〜自伝のようなもの〜」(岩波現代文庫)

この部分は以下の「4時間目:「三種の神器について、所感を述べよ」 中学時代の黒澤明監督の答案と、先生の採点。に詳しく書いてあり、その中の黒澤監督の中学校の時のやり取りを読んだところで涙が止まらなくなった。

それは、以下のようなものだった。

「ある期末試験の時のことである。問題は十問ほどあったが、私には殆ど出来ない問題ばかりだった。(中略)私は窮余の一策で、十問目の『三種の神器について、所感を述べよ』という問題だけ取り上げて、答案用紙に三枚ほど勝手なことを書いた。」
「三種の神器は、話にはいろいろ聞いているが、この目で見たわけではないから、所感を述べよ、と云っても無理だ。八咫(やた)の鏡にしても、実物は誰も見た者はいないのだから、本当は四角かも知れないし、三角かも知れない。私は、自分の眼でしっかり見たものについてしか語れないし、証明されたものしか信じない。自分は見たことしか信じない。」
「ところが岩松先生は、その歴史の答案を採点して生徒たちに返す時、大きな声で云った。『ここに一つ、変な答案がある。私の問題の一つについてしか答えていないが、なかなか面白い。私は、こんな独創的な答案は初めて見た。こいつを書いた奴は見どころがある。百点だ。黒澤!』」

 私はつまらない人間だなと思えて、涙がいまも止まらない

お前はつまらない人間になってやしなかと今も胸倉を掴まれたまま

私はこれからどうしていったら良いのだろうか、よくよく考えていかなきゃいけない。

今この瞬間も僕は目の奥をじっと見つめられたまま

枠からはみ出た発想をしていきたいし、そしてそれを受け止める大人になりたい。

そうなったら、面白い社会になると思うんですがね。
周りから。始めてみましょうか。

倉成さんの締めくくりはその通りだと思う。
自分ができるところから始めるしかできない。

泣きながら書くことが今できることだと思って一気に書きました。
面白い社会ってのは、どんな形か分からないけれど、そこの一員でありたいと思うんですよね。

単純に参加しようって思っていたけれど、参加する人を増やして面白い社会になるような動きも自分にできるかもしれないって今回のnoteで思うようになりました。

やっと涙も止まって、バクバク感も収まって、冷静になりつつありますが、久々にこんな感じになれてありがたないなぁと思いました。

「僕はもう大丈夫だよ」と、
僕の胸倉を掴んでいる手といつか握手できるといいなぁ。

#COMEMO #自分で考える #システムや他者からの評価 」から距離を置く #枠からはみ出た発想 #受け止める準備 #出来ることをする

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