
解釈が世界を作る
ニーチェのあまりにも有名な言葉。
それにしても、「Fact:事実」の語源が、「作られたもの」とは知りませんでした。。。この語源を知って、少しばかりかかなり複雑な気持ちです。。。
さてこのニーチェの言葉の話。
解釈のみという言葉は、正しい。と私はおもっています。
科学の世界においても、よく〇〇説で論争、とかありますが、これも同じ科学的な結果に対しての、解釈をめぐる知的論争な訳です。
科学的結果が「事実」とすれば、それよりも解釈に重きを置いている証拠です。
科学ではなく、私たちの日常に目を向けても全く同じ光景があります。
例えば、誰かとランチに行って、中華料理をシェアしながら食べても、同じ皿の料理に対して、美味しいって人がいたり、イマイチだなって人もいます。
これは各人の「解釈」が異なることに起因します。
突き詰めると、個人のこれまでの経験や知識といった、個人を構成する要素が全く異なるからです。
世界は人の数だけあるとか、あたなが世界の中心ですとか、と言うのは、こうした理由です。
あなたしか知覚できない世界が確実に存在しているからです。
だから、あなたは誰かに気兼ねすることなく、あなたの世界を楽しんだら良い、と私は常々思っています。
多分、誰かに何かを言われて、そうだなって肯定的に思うときもあれば、なんか違うって否定的に思うときもあると思います。
肯定的に捉えるときは、たぶんあなたの世界の1側面を捉えていて、誰かとあなたはその1側面の見方については、ほとんど同じ世界観を持っています。
否定的に捉えるときは、たぶんあたなの世界の見え方とは違う視点で、誰かとあなたは違う立場にいます。
否定的な捉え方をするときには、色々な学びがあると思っています。
否定的に捉える場合は、あなたとは違う視点からの情報に接触したからです。
ということは、
・世界には違う視点があるという学び
・やっぱり自分の視点はしっくりくるなという確認
・相手をより深く知る機会
・自分の世界をより客観的に見るきっかけ
要約するとこんなことを知り得るチャンスでもあります。
まあ、こうした考え方もすべてが物事の解釈という枠組みからは出ていないんですけどね。。。