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こんな時期だから。

ニューヨークに住み始めた数年後、実家の祖父が他界した。
私が20代後半で、祖父は88歳だったかな。

幼少時代は、近所に住んでいた事もあり、内孫として、可愛がって貰っていた。大学進学と共に地元を離れ、都会で一人暮らしをした後も、祖父の海外旅行ツアーに同行したり、祖父が上京すれば会うし、何より、日本のどこに住もうが、海外暮らしをしようと、自分が実家に帰れば、そこに”私のおじいちゃん”は必ず存在していた。

そんな祖父が入院した数ヶ月後、息を引き取ったと国際電話で聞いた時、直様、航空券を買って、実家に戻った。
葬儀が済み、また、ニューヨークに戻ると、なんというか、祖父が死んだという事実が嘘のように感じた。今でも、実家に存在しているような気がしてならないのだ。
ずっと離れて暮らしているから、日常を共有していないから、その存在が目の前にいなくなっても、大きな変化がない。つまり、私の中では、変わりなく、生き続けている感覚なのだ。

でも、年に一度、実家に戻った時に気が付く。
あれ、おじいちゃんがいないな、と。
いつも仏壇の部屋でテレビを見ていたけど、いない。
愛犬ライタのお散歩は母の役目になっている。
そして、仏壇に飾ってある写真の中に、おじいちゃんの顔がある。

そんなことを繰り返していくうちに、ちょっとづつ、私の中で、おじいちゃんの死が確定していく。

一緒に暮らしていない人の死というのは、なんと不思議なものなのか。
一気に死ぬのではなく、ちょっとづつ死んでいくのである。

東北大震災の1ヶ月後、父が亡くなった時も同じ感覚だった。
なんとかかんとかニューヨークから、被災した町に戻り、唯一使用出来た炉で、父が灰になっていく間、ずっと炉の扉の前で、父に話しかけた。あんなに号泣したと言うのに、ニューヨークに戻ると、それが夢だったように感じた。
本当に父は亡くなったのだろうか? もう二度と会えないのだろうか?

それを知るのは、後になってから。
電話をかけても、父の、「お父さんは、元気にやっているよ。楽しくやっているから、お前も楽しくやれ。」と言う毎度のセリフが聞けないとか、里帰りした時に父の使っていたバスルームが恐ろしく汚く、自分が掃除すべきか悩んだりすることがないとか、そんなことを繰り返し、思い知るのだ。
ああ、もうこの世にいないのだ、と。

去年から今年にかけて、親しいランニング友達を何人か亡くした。
病気が発覚してからの進行が凄まじく、あっという間の出来事だった。

今でも信じられない。

でも、きっと、これから、一緒に出たランニングイベントに参加する度、気づくのだ。彼らがもうそこにはいない事を。
そして、私はその度に心に痛みが走るだろう。

だけど、その痛みを感じる度、その人たちは、私の心に蘇っているとも言えるのだ。現実の死が心の中で確定していくと同時に、蘇る。不思議なものだ。

日本はお盆か。だからかな、こんな話を書きたくなったのは。









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