見出し画像

普通の人々、普通の暮らし、普通の人生

キラキラ輝いて見えていた世界が、いつから、どんよりとしてきたのだろう?多分、フルコース乳がん治療(外科手術、抗がん剤治療、放射線治療)を終え、残すところホルモン治療だけになり、1年半ぐらいが過ぎた頃だろうか。

半年間の休職期間を終え、カツラで、職場復帰をした時の気持ちを良く覚えている。ドキドキとワクワク、まるで新入社員の様な新たな気持ちで仕事に臨んだ。コピー取りなどの、がんになる前は、”私の人生を無駄に使っている。”様な気持ちになっていた作業さえ、”生きているからこそ出来ること”に感じ、全てが有意義に思え、多分、その時期、オフィスで一番ポジティブオーラを出しまくっていたとの自負がある。CSR(コーポレートソーシャルリスポンしビリティ)関係のボランティアリーダーになり、新たなボランティア企画を打ち出し、構築し、社員達をグローバルに巻き込み、実現化し、NPO団体から、”今年1番の貢献した人(会社)”として表彰されたりもした。

しかし、同時に、自分の脳を含めた身体の機能が、想像以上にぶっ壊れてしまっていることにも気づかされた。

”キモブレイン”という言葉をご存知だろうか?

キモセラピー(抗がん剤治療)による副作用の一種で、記憶力や集中力の低下などである。びっくりするレベルで覚えていないのだ。他人との会話、その出来事を含め、読んだ書類、自分がやった仕事まで、あらゆる所で、”記憶にございません。”が発生し、周りに迷惑をかけることもあるし、仕事の失敗にも繋がるし、何よりも自分の脳を信用出来なくなる。
それが起こることを想定し、一緒に仕事するメンバーに、「私が忘れている可能性あるから、変だと思ったら言ってね。」とは伝えていたものの、やはり、それが発生する度にショックである。

身体的には、つるっハゲになった髪の毛が、期待した様には戻らなかった。
ホルモン治療を続けなくてはいけないこともあり、生えてくる髪の毛は細く、頼りなく、変に縮れているものもあり、その上、前頭部は地肌が見えるぐらいにしか生えることがない。落武者状態の自分の姿を鏡で見るのは相当辛く、鏡を見なくなっていった。

見かけだけじゃなく、身体の機能の障害も明らかになる。
がん治療前は、その当時の国際女性ランナーレベル(マラソン3時間15分を切って走れる)で走れた自分だったのだが、流石にそこのレベルには戻れないとしても、3時間半を切って走れるぐらいまでは戻るだろうとの期待はあった。でも、3度チャレンジし、無理だと知った。前と全く違う身体に変化していると嫌でも感じさせられた。
心肺機能の低下もだが、筋肉や関節などの障害が激しく、また、脳から送る信号を身体がうまく受け取れないのか、よく蹴躓き、転ぶ様になった。手術をした右側は常にバランスが悪く、ちょっとした事で、腕や肩が故障する様になった。

色んなことが出来なくなった自分を思い知らされる日々。
そして、反比例の様に、周りは私ががん患者だということを忘れていき、”がんなのに頑張っている。”と思ってくれる、つまり、一種のハンディをくれなくなっていく。

でも、私だけは知っている。常に思い知らされ続けているから。

現実は甘くない。
キラキラしている世界は、死を意識した自分が抱いた幻想の世界だったのかもしれない。

今、がん治療開始から7年が過ぎた。
キモブレインの副作用は、2、3年ぐらいで消えたように思える。また小説を集中して読める様になった。最近の記憶障害は、普通に加齢から起こる程度だと思う。
身体は、あっちが治ったら、こっちに問題発生、という感じで、”ああ、昔、お年寄りが言っていた状態ってこんな感じなのね。”と、人より早く歳を取らされているとは思うが、上手に付き合っていくしかない。

そして、今の私の世界は、キラキラに見える時もあれば、どんよりの時もあるといったところ。

きっと、人生とは、そんなものなのだろう。
それが、Ordinary People(普通の人々)の生活であろう。
そして、それが実は、一番良いものだと、私は知っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?