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肉体は男性、心は女性について:➃雄犬はやっぱり脚を上げる。

実は、「肉体は男性、心は女性」のトランス女性という言葉を一番初めに知った時、真っ先に、思ったのは、「じゃぁ、本能はどっち?」だった。
今回は、この”本能”から、この問題を考えてみたい。
(最初から読みたい方はこちら↓から)

では、まず最初に、本能の定義から確認してみよう。

ググった最初に出てきた回答はこちら。
後天的な経験・学習を経ずに、動物が先天的にもっている一定の行動様式。

そして、①同様、今回もChatGPTにも聞いてみた回答はこちら。
本能とは、生物が生まれながらにして持っている、ある種の行動を自然に引き起こす機能や傾向のことを指します。これらは遺伝的に決定されたものであり、個体が環境から学習することなく、自然に行動を起こすことができます。たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんが母親の乳房を探す行動、あるいは、食物を探す行動、危険を感じた時に逃げる行動などが本能的な行動として知られています。本能は、生物が生き残り、繁殖するために必要な行動を引き起こすために進化的に形成されたものであると考えられています。

両方とも同じ内容ですね。
生物が先天的に持っている機能、行動形式、傾向。
ChatGPTでは、それは遺伝的に決定されたもの、つまり、遺伝子に組み込まれている生物の尤も根源的機能だと説明されています。所謂、生存本能などがそれに該当します。

つまり、本能とは、脳や心同等、もしかしたらそれ以上に、生物の生命維持に関わる根源的機能であり、後天的に変えることの出来ないものと考えられます。私は、これを”衝動”という言葉で表現できるのではないかと思うのです。

今は小学校で、スカートめくりなんてする子供はいない様ですが、私が子供時代には普通にいました。自分でパンツをずり下げ自分の生殖器を見せびらかし、きゃーっと騒がれる子もいました。
スカートめくりをする子も生殖器を見せびらかすのも、全員男子生徒でした。
女子生徒は、きゃーっと逃げ回ったり、眉をしかめたりの役回り。
別に、お互い示し合わせて、役を決めたわけでもないのに。

その頃から、私は非常に不思議でした。
男子は、何が楽しくて、そんなことをするのだろう?と。

大人になっても、女性のスカートが風で捲れ、チラリとでも下着が見えると嬉しそうな顔になるのは男性。=嬉しい気持ちが起こる衝動がある。
前から歩いてくる男性の社会の窓(今でもこの言葉は生きてますか?)が開いていたら、目を背けたくなるのは女性。=嫌な気持ちが起こる衝動がある。
(注:全員ではないだろうが、傾向として)

一体、これはなんだんだ?
単なる布切れが見えるだけなのに、なぜ、こんな妙な衝動が沸き起こり、それが沸き起こらない様に出来ないのだろうか?
下着という布と上着の布との差はなんなんだ?
きっと、下着という存在ではなく、その下着に隠された生殖器の存在に無意識に反応し、こんな感情が起きるのかもしれない。
いや、そもそも、なぜ、生殖器にそこまでの特別な衝動が起きるのだろう?
それも、男女の反応の差が違い過ぎる。一方はウキウキで、もう片方はウンザリだという衝動。実に不公平だ!!

と、若き日の私は思ったものです。そして、私は子供を産みたいと全く思わなかったり、性格や考え方が男性っぽいと自覚があっても、この自分の中に沸き起こる衝動から、自分は否が応でもでも、”女性”だと自覚せざる終えませんでした。
そして、男性になりたい、男性の方が生きていて、楽しいに違いあるまい。だって、パンチラや胸の谷間が見えるだけで、ハッピーな瞬間が日々得られるんでしょう?
なんてお得な種なのだ。

それに比べ、女性は損だ。まず、毎月毎月股間から血が流れる。それも、1週間近くもだ。流れるだけじゃなく、痛みもある。下着も汚れ、漏れてスカートやパンツに滲み出たりしたら絶望しかない。
男性諸君に想像してみて欲しい。お○○ち○先から、毎月1週間血がダラダラ流れることを。君たちは、その状態でいつも通りに学校で騒げるか?仕事できるか?

それだけではない。性犯罪の被害者は、もちろん男性、トランスジェンダーの方もいるだろうけど、圧倒的に女性が多い。
真っ裸にコートで待ち伏せして、女性が近づいてきたら、パッと開いて、裸を見せるのも、庭やベランダに不法侵入してまで、干されている女性の下着を盗むのも、女湯を覗くのも、ほぼ男性だ。子供時代にやっていたスカートめくり等の延長と言えばそうなるが、つまり、それがどうしてもやりたいという衝動に駆られるのであろう。男湯を覗きたい、男性のパンツを盗みたいなんて、女性、いるのだろうか?いるとしても、相当、少数派であろう。

男性からしたら、女には分からないけど、その衝動との戦いは結構、大変なんだぞ、と言いたくなるかもしれない。犯罪者にならない為に、絶対勝たなければいけない自分との戦いをしているのだから。
でも、この戦いは、自分が加害者にならない為の戦いだ。

一方で、女性側は逆だ。常に被害者にならない為に戦っているのだ。
本能という機能を使って。
女性は身を守る為に男性よりずっと防衛本能が働くのは当たり前なのだ。

女性が、自分の遺伝子を残したい(性行為をしたい)と思う男性以外の生殖器から逃げたい、逃げなければならないと感じる(=恐怖)のは女性に備わった本能という根源的機能であり、女子更衣室にいるトランス女性の男性器を不快に感じたり、恐怖に感じるのは、決して、「差別」ではない。
逆に、「差別」と言うのであれば、それは女性という肉体を持つヒトを否定していることに他ならない。

さて、話を”本能”に戻すが、上記の様に、女性と男性という肉体では、本能の働きが相当異なる。差別云々の話ではない、全く根本的に違うのだ。
人工的に女性ホルモンを増やしたり、男性ホルモンを増やしたりは出来るだろう。感情はそれで影響は受けるだろう。
だが、本能はどうなのか?

私は動物好きで、昔から犬を飼っている。
過去2匹はオス、今飼っているのはメス。全員去勢手術をしている。
オス犬は、去勢後も脚を上げてオシッコをする。つまり、これが本能だ。
そして、オスもメスも成犬前に去勢したとしても、雄犬の身体は相変わらず雌犬より骨格は大きく、体重は重い。他の犬に覆いかぶさる(性行為をする動き)行動は減少はするが、なくなる事はない。
一方、雌犬は、去勢しても、覆い被さろうとする雄犬から逃げる役割に変化はない。犬たちは知っている。去勢されても、自分が雄か雌か。そして、他の犬のことも、当たり前に雄か雌かを判別している。本能で理解しているのだと思う。本能は消えない。去勢しようがしまいが。

そうなると、肉体は男性、心は女性のトランス女性の本能はどっちだ?という答えは明白だろう。(注:両性具有(XXY遺伝子を持つケースなど)の方は個人個人で異なるだろう。)

上記の理由から、私は、肉体は男性のトランス女性の公共における女性専用施設利用は控えて欲しい派だ。
女性の多くが、自分の本能に従い、身を守る権利があります。

しかし、だからこそ、ジェンダーフリートイレや更衣室が生まれたことに、大きな喜びを感じています。

個人的には、”男性専用、女性専用、個室のみ”、を作って欲しい。何故なら、私の様な乳がん手術で、胸を失くした場合、同じ女性同士でも、裸を見られたくない人は多い。ストレート自認の男性でも、男性から性的暴行を受けた過去があったりで、男性と同じ更衣室に恐怖を感じる人だっているだろう。
そんな個人的理由を持つ者一人一人が、安心して利用できる公共施設があったら、どんなに良いだろう。スペースに問題がある場合は、女性スペース、男性スペースをお互い、ちょっとづつ削り、つまり、譲り合って、個室を増やすのは如何だろう。

これが、私の「肉体は男性、心は女性のジェンダー女性」の公共施設利用に関する見解です。

次回は、スポーツ競技問題に踏み込んでみたい。






















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