そして、時間は平等に流れる。
「黒リス、ニューヨークはもう慣れたか?あの蟹をハンマーで割って食べる店はもう行ったか?」
私がニューヨークに住み始め、日本に里帰りした際に伯父の家に遊びに行った時の会話。伯父は定年退職前は大手デパートで働いており、ニューヨークに何度か出張に来ていたらしい。
「ああ、そんなお店あったみたいだね。もうないけど。」
「え?わしが行ったのは、ほんの10年前だぞ。」
え、ほんの10年前って・・・。10年も前だよ。そりゃ、入れ替わりがあって当たり前でしょう。
20代半ばの私は60歳過ぎの伯父の感覚に衝撃を受けたのを覚えている。だって、20代半ばの人間からしたら、10年前って、中学や高校生だからね。めちゃめちゃ、前なのよ。子供だった自分と大人として働いている自分の差は歴然で、膨大な時間がそこに流れている感覚がある。
だが、最近、あの伯父の感覚が分かるようになってきた。10年って、そんな昔じゃないのよ。ほんのつい最近に感じられる。それに気づいた時、”私も歳を取ったんだなぁ。”と思った。10年前の自分と今の自分はそんなに差がないと信じている自分がいる。その錯覚そのものが、歳を取ったということなんだろう。
「俺がXXで働いていた時はさ、これを使っていてさ。」
偶に、相方が前の会社に勤めていた頃の話をする。
「ねぇ、前に働いていたって、もう何年前?」
ほんの少し意地悪な気持ちを入れて聞いてみた。
「うーん、15年前ぐらいだな。」
「その話さ、私にするのはいいけど、会社のXXちゃんとかにはしない方が良いよ。彼女にとって、15年前って、10歳の子供だから。」
黙る相方。その後、ポツリと呟いた。
「そんな話、されても困るって内心思ってるんだろうなぁ。」
ようやく気づいてくれましたかっ!
その後、相方は続けて言った。
「俺、よく、『俺がアメリカ来たばかりの時はさ』って話すんだけどさ、それ30年前の話なんだよな。でも、俺にとって2週間前ぐらいに感じるんだよなぁ。でも、最近、3歳の万博の記憶は鮮明に残っているのに、2、3日前とか、下手したら今朝の記憶がないんだよ。」
「あのさ、それ、アルツって言うんだよ。」
「え?!」
こうやって私たちは歳を取っていくのだ。
時間の流れは万物の上に平等に流れているのだ。
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