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「ショートストーリー」:空の森⑧

こんな日が来ると、薄々感じ始めたのは1年ぐらい前だろうか?
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無数(かずなし)より6歳年上の私は、無数と知り合った当初、無数の直面しているセクシャリティに対する苦悩が手に取るように分かった。自分が通ってきた道だったから。でも、6年という時間は、実は近くて遠い差があり、私の思春期と言われる頃は、LGBTぐらいまでは社会に浸透していたけど、Qとかアセクシャルなんてカテゴリーは一部しか知らず、社会は(特に日本は)、無数の時より更に偏見が満ち溢れており、そこで、「何が悪いの?」とばかりに生きていた私は、恐ろしく孤独だった。
でも、孤独さを受け入れると、私は自由になった。私は、唯一無二のものとして存在していて、それで良いんだと思えたから。

本当はね、人間をカテゴリー分けになって出来ないんだと思う。だって、私と無数だって、同じアセクシャルってカテゴリーに入って、安堵を覚えたかもしれないけど、全然違う人間だよね。存在している人間全てが、いや、存在しているもの全てが、唯一無二なものなのに、それに多くは気づいていない。それに気づいたら、きっと、LGBTQ+はおろか、男とか女とかのカテゴリー分類がいかに無意味だと気づくかもしれない。(精々、”人類”、”地球人”ぐらいのカテゴリーで良くない?)

35歳に近づくにつれ、自分の肉体の変化というか、女性ホルモンの作用というか、そんなものを特に感じ始めた。多くの女性が認めたくなかったり、年齢差別だとヒステリックに騒ぐ問題の一つに、「37歳を過ぎると卵子が劣化する」というものがある。でも、これは科学的事実であり、「私の年齢は私が決める。」という気持ちで判断するものと全く別だ。そして、最近、私の女性の肉体は見事なまでに女性ホルモンの波に翻弄されていた。
簡単に言えば、私の肉体が、「後2年がリミットですよ。子供が欲しいなら今ですよ。」と訴え始めたのだ。
何だか分からないけど、子供産んでも良いかな、子供、欲しいな、という気分がムクムクと湧いてきたのだ。

男にも女にも恋愛感情を湧いたことがない自分なのに、「子供産みたいな。」って気持ちが湧くという不思議さに驚きはしたけど、もしかして、多くのストレートと思っている女性達も同じことが起こっているんじゃないか、とも想像した。つまり、結婚はしたくないけど、子供は欲しいとか、彼氏はいないけど、子供を産みたいとかだ。

でも、「父親がいないと子供が可哀想」とか「経済的に一人で育てられない」とか「世間体が悪い」とか、色々な理由と理屈で産むことに躊躇しているんじゃないだろうか?いや、きっと、それ以前に、「愛する人との子供が欲しい。」という大きな壁が立ちはだかっているのかもしれない。

その点、私は、初めから「恋愛感情」を持たないから、相手の存在など関係なく、子供を作りたければ作れる。
男性の肉体なら、そうは思っても、相手に産んでもらはないと無理だが、私の場合、妊娠までこぎつけたら、自分の判断で産めるのだ。女の肉体って最強じゃない?なのに、どうして、多くの女性は、”恋愛感情”をそんなに拘るのだろう? 大体、恋愛感情って、ほとんどが、数年で終わってない? 

と、他人を分析、揶揄する暇があったら、まずは自分の事、いや、自分たちのことをちゃんと考えないとだね。

私にとって、無数は大切な人。
傷つけたくない相手。
でも、私の人生は私のもの。人生は選択の連続だ。一緒に生活していたら、相手との兼ね合いも考えながら決めていかねばならぬ。
今日の夕食はパスタ食べたいけど、無数が親子丼食べたいなら、無数に譲るよ。
でもね、今回は、ごめん、譲れない。
私の身体が欲し、私の魂が望み、そして、現実に授かったのだ。
それを私は自分の意志で、”あなたの為に”、ないものとは出来ない。

私の説明で、無数の顔が歪む、急に呼吸が苦しそうになる。過呼吸だ。

「だ、大丈夫?」

椅子からずり落ち、ハァハァと苦しそうに喉を抑える無数に駆け寄る。

「触らないでっ!」

無数は他人との接触も苦手だ。こんな状態でも、拒否を選ぶ。










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