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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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#乳がん

その曲に救われる

背筋が冷んやりとした。 一昨日は、年に1度受けるマモグラムとウルトラサウンドの日。2015年に乳がんのフルコース治療後は、それこそ、結果が出るまで不安な時間を過ごす。だが、治療から5年が過ぎ、9年目となる今まで、特に問題なく過ぎてきたので、少し気を抜いていたかもしれない。 「去年11月に受けた両胸のMRIの結果から、インプラントを入れた右胸に何かが写っているので、ウルトラサウンドをするように指示があったわ。今回は右胸もウルトラサウンドをしますね。」 ウルトラサウンドのあ

ああ、今年も終わる

夏が終わると、なぜ、こんなに今年という時間は駆け足になるんだろう? そして、11月が過ぎると、フィニッシュストロングを目指すかのような時間の流れ。その隙間を練って、暫し、今年を振り返ってみるって大切よね。 正直、9月まで、何事も順調だった。 相方も再就職し、私もそれに合わせ、ほぼ毎日、お弁当作りに励み、時々、バイトをし、ランニングチームの練習会で汗を流した。 愛犬の胡桃は、お転婆が過ぎて、腰をぐきっとやったり、膝がカパっとしたり、蜂に刺されて顔が腫れたり、眼球を傷つけたりと

キャンサーギフトな毎日

セミリタイヤしてほぼ3年の月日が流れた。 2020年11月半ばに、約20年勤務していた会社から、突然、ポジションクローズでレイオフと、Zoom画面越しに通告された。 某日系商社でレアメタルの貿易の仕事をしていたのだが、新型コロナウィルスの影響で、100%自宅勤務になり、仕事量が激少。他の部署でも次々に同様にレイオフ行われていたので、まぁ、さもありなん、という具合であった。 ショックじゃなかったか? と、問われると、確かに、ショックではあった。 でも、理由は皆様が、想像してい

あの絶望が今の自分を作っている。

人生で一番辛かったこと。 乳がん告知を受けたことより、術後、リンパ転移が見つかったこと。 それなりの時間を生きてきて、傷つくこと、辛かったこと、死にたいと思うほど、思いつめたこともあった。だけど、それが全部吹っ飛ぶぐらいの絶望を知った。何をどうポジティブに考えようとしても、その先にあるのは死しかなく、すべての目の前の出来事が意味をなさなくなる感覚。 そこからどう立ち直ったのか。それをどう乗り越えたのか。 自分ひとりの力ではない。乳がん先輩たちの声、家族や友人の支え、そ

誰もわたしを傷つけられはしない。

ノートで、繋がった24歳で乳がんになったRinataさん。 ”コトバとココロ”というテーマで、がん患者やその家族の経験をインタビューし、書いています。私にもインタビュー依頼が来たので、協力しました。 「誰も傷つけたくない。」という思いから、匿名性を重視しており、私のことも〇〇さんとなっています。 昔から、私も、言葉に関して、こだわりがあるので、このRinataさんが、 こんな取り組みをしたいと思う気持ち、理解できます。 がん告知を受けた後、その時々で、多くの人の言葉に、

明日、あなたは死ぬとして、何に後悔しますか?

私は乳がん患者だ。2014年大晦日にがん告知を受け、2015年は、がん治療一色の1年で、未だに治療は続いている。 がん告知を受ける2ヶ月弱前、私はNYCマラソンを自己ベスト3時間10分で駆け抜けていた。健康だと思っていた。でも、その時から既にがんだったんだ。 告知を受けて、ショックだった。だが、どこか夢の話にも思えた。だけど、検査検査の毎日が過ぎ、実際に、胸を摘出する手術を受け、摘出した 腫瘍のがん細胞が思った以上に悪性度が高く、微小とはいえ、転移まであったと告げられた時

わたしの居場所

昨夜、乳がんサバイバーになって以来、ボランティア活動をしている乳がん・卵巣がん、子宮がん患者支援団体SHARE(シェアー)のスタッフさんと、今後のセミナー企画についてZoomミーティングをした。 企画の一つがこちら↓。乳がんサバイバーに運動がとっても良い効果を示すというもの。乳がんになる前から、長距離ランナーの自分には、実に納得のいく内容である。 なぜなら、がんになった時、そして、外科手術・抗がん剤・放射線治療という身体に相当なダメージがある治療中、”走っていて良かった。

私が、がん患者だと気づく人はまずいない。

10月は乳がん月間ということで、自分も何か記しておこうと思う。 さて、何を書こうと、考えた時、”きっと、もう誰も私ががん患者と思わないだろうな。”と思った。間も無く、治療開始から、5年になる。髪の毛も、随分、普通の人に近づいた。抗がん治療で、つるっぱげ状態になり、金髪のボブのカツラが意外に似合うことを発見した後、地毛デビューしたのはいいけれど、ホルモン治療の影響もあり、髪の毛が全然伸びない、増えない。 ベリーショートが似合うね、なんて言ってくれる心優しい友達たちに感謝しつ

大きな乾杯、小さな乾杯

抗がん剤は投与2日目から、どーんとくる。 全身の毛細血管まで渡り切った抗がん剤が、私のがん細胞と戦う。その戦いは熾烈で、健康な細胞達も巻き添えを食う。 だから、身体が動けなくなる。気持ちが悪くなる。目も霞む。 私は、傷を癒す野生動物の様に身体を丸め、戦いが終わるのをじっと待つ。 1週間程で、戦いは終焉し、私の身体は必死で細胞の修復作業にかかる。徐々に身体は、元気を取り戻し、普通に過ごせる週がやってきて、そして、また抗がん剤投与が始まる。それを3週間に1回、合計6回が私