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「70点がかわいそう」~個人面談から~

小学生のお母さんから、ふと出た言葉でした。
そのお子さんは、たし算やひき算の繰り下がりや、かけ算の九九が厳しく、小学校2年生で学校から見捨てられたような男の子でした。

私が算数を教えるときに、一番気をつけていることは、「教えすぎないこと」です。「教える」ではなく「学ばせる」ということが大事なのです。

その男の子は、教えられても自分が納得できないと、何も受け入れないタイプでした。(塾に入って数か月して、私たちも理解したことですが)

躓きながら、間違えながら、自分で学んでいくとうことしか、納得できないようなのです。つまり、先生も親御さんも、今まで何度も教えようと苦労して、何度説明しても、全然分からないという反応に諦めかけてしまったのかもしれません。最近は、別人のように算数ができるようになりました。3ケタ÷2ケタの筆算(学校で習っていない単元)も、自分から進んで挑戦しています。

家庭でも、漢字の勉強を一生懸命やっているとのことでした。
「こんなに努力しているのに、70点のテストがかわいそう・・・」

僕は、70点のテストがありがたいと思いますと答えました。
その男の子は、ただパターンだけを教えられ、訓練するという学習が通用しないタイプでることあることを伝えました。躓きながら、自分で考えて、理解していくという事がどんなに大事なことなのか・・・

何も考えずに、計算ができる(計算しかできない)生徒に比べて、この先、もっと大きな財産になる時が必ずくるということ。ただ、単純に100点にならないことに、感謝してほしいとお願いしました。

小学校低学年の塾では、計算を繰り返し練習させ、パターン化する学習方法が一般的ですが、それでは子どもたちが「考える」ということをしなくなり、挙句の果て「考える」ということ自体出来なくなってしまう危険があります。

また周りの子ども達より先に勉強している事で、親御さんが優越感を持つような事がありがちだが、これも大きな誤解です。これは、あくまでも親御さんの満足のための勉強であって、将来自分で考えなければならないような文章題や、自分の言葉で表現しなければならない記述問題が苦手になってしまう可能性が高くなると思われる。ゆっくり自分で考えながら問題を解くことが大切なのであり、決められた答えがないような問題を自分で想像する力を養うこともこの時期には重要なのです。

教育というものに長年携わってきて、今こそ日本の大きな教育改革の必要性を感じずにはいられません。先生という職業が聖職と呼ばれ、学校という教育の場が絶対的な存在であった時代は遥か昔のこととなり、閉ざされた環境における陰湿ないじめ問題など、子どもたちが伸び伸びと成長できる場が失われつつあるように思えてなりません。

そんな子ども時代を経て、どんな風に未来を描けばいいのかとまどいながら生きる若者たちに、就職難という厳しい現実までもが叩きつけられ、また、たとえ就職できたとしても、職場環境の過酷さや、人間関係を築くことの難しさから、ニートになって現実逃避してしまうような若者たちも増えているような現在です。

以前のように、大学の名前だけで就職できるような時代ではなく、現代社会は、「自分で考える力」や「課題を解決する力」すなわち「人間力」が問われる時代になっているのです。この「人間力」を身に付けていくステップを着実に踏んでいかなければ、現代社会を生き抜くことができなくなっているように感じます。

こんな時代だからこそ、今まさに、教育の原点回帰が必要なのだと思います。デジタル化の特徴として最たる便利なツールを導入して、ただ知識を与えたりするだけではなく、回り道をしながらも、自分で何かを発見したり、興味を膨らませたり、工夫して解決策を見出したりするような昔ながらのアナログな教育が、そしてその一貫した教育理念が今こそ必要なのだと確信しています。

今の日本の教育に、一石を投じることができるような、そんな教育システムを提案しつづけていきたいと思う今日この頃です。

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