あほみたいにしゃべってから僕は空っぽになった

幼稚園の頃、3年間通信簿に『お口にチャック』と書かれた。
先生が物語を読むから想像して聞くようにと言われ、想像した絵面がおもしろすぎて笑い続けていたら椅子を引っこ抜かれた。

小学校入学、算数の時間の『この問題わかる人?』で全部の問題に全力で『はいはいはいはい!!』と挙手しつづけたら教室を出された。

KYという言葉が流行りだした小学校高学年から、KYといわれるのを恐れてしゃべるのをやめた。中学も必死で自分を殺した。
 
高校の入学式、校長の話の最中に先輩方がターミネーターの『ダダンダンダダン!!』のテーマを足踏みで鳴らしているのを聞いて、ここで文明開化の鐘が鳴るかもしれんと少し期待した。

高3、内村プロデュースの流行でクラス内で一発ギャグや物ボケの需要が拡大した。僕は自由に泳いだ。受験期、一日8時間の勉強に没頭し、完全に受験ハイになっていった。そのあたりから僕は常に”かかって”いる人間になった。

大学に入ってからは授業をさぼりつつバイトと遊びに没頭、女の子との長電話が大好きだった。というよりしゃべるのが好きだった。ファミレスに友達と何時間でもいた。コールセンターのアポインターから採用スタッフまで学生の間に経験した。学校に通いながら月160時間はバイトしていた。

とにかくバイトも遊びもしゃべり倒した。大学3年の春休みに私語禁止のインターン(プログラミングを考え続ける、相談禁止、よって私語禁止)に参加、思考することにはまってしまい、なぜなぜ思考ハイになる。5日間ぐらい寝ないで駆けずり回っていたらあっけなく限界を迎えた。

統合失調症になり四か月入院した。激躁状態が長く続いたためか、反動で激鬱になった。病前のような感じに戻ることはなく、頭の回転は落ち、体力も落ち、疲れやすくなり、太り、表情も硬くなり、大学は卒業するのに6年半もかかってしまった。

大学を卒業してからも再発や転職を繰り返し、2年前には飛び降り自殺まで企ててしまい、今はほとんどひきこもりだ。

2年前に飛び降りて以来、友人には1回しか会っていないし、毎日ほとんど人と会話もしていない。腰も痛くてろくに運動もできないから、
きっと近いうちに身体の病気か認知症にでもなりそうだなと案じている。

人と会わないと感情の浮き沈みが少ないことだけが唯一の救いだ。
自分はあまりにも周囲に影響されやすいから。

直近の楽しみは真空ジェシカがMー1で優勝することぐらいだ。

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