見出し画像

僕が大好きな水溜りボンド

くろねこです。

いきなりですが、僕結構Youtube見るんですよ。ビジネス系のも見るんですが、いわゆるTHE Youtuberみたいな方々のも見ます。東海オンエアさんとかヒカルさんとか。

もちろんこの人たちも大好きで、毎日のように見てるんですが、Youtubeで1番長く見てるのは水溜りボンドさんです。


そもそも僕がYoutuberの動画を見るようになったきっかけは水溜りボンドさんです。はじめしゃちょーの存在とかはそれより前から知ってましたが、動画は見たことなかったです。

Youtubeでたまたま他の動画を見ている時に流れてきたのが水溜りボンドさんの動画(なんの動画かは忘れました)。それが結構面白くて、初めてチャンネル登録なるものをしました。


そこから過去の動画を遡って、毎日更新される動画を即日見て、水溜りボンドさんが日常生活の中に組み込まれていきました。

水溜りボンドさんがいなければ僕はYoutubeをエンタメとして見ることもなかったし、東海オンエアさんやヒカルさんのような他のYoutuberに出会うこともなかったと思います。

そんな水溜りボンドさんが先日こんな動画をアップされていました。

ファンの方(?)が水溜りボンドさんの歴史をイラストとナレーションで紹介しているのをご本人たちが発見した、というもの。

「僕もやりたい」

これを見たときそう思いました。水溜りボンド愛は負ける気がしません。

ただ、残念ながら僕はイラストは描けません。だから物語で書いていきます。

それではご覧ください。


【非公式】水溜りボンドのキセキ


1.出会い

201X年春、カンタとトミーは青学のお笑いサークルで出会った。2人はダウンタウンに憧れてお笑いの道を目指していた。

しかし、最初から2人がコンビを組むことはなかった。カンタは高校からの友達に誘われてサークルに入ったので、そこでコンビを組んだ。トミーは別の人と組んだ。

そんなある日、トミーの電話が鳴る。

「トミー、ライブやるんだけど、MCやってくんない?漫才とかやって欲しいんだよね。」

バンドをやっている先輩からだ。やりたかったので、すぐに相方に電話とする。

トミー
「先輩のLIVEでMCやらしてもらえるらしいんだけど、やらねーか?」


当時の相方
「え!まじか!?やりてー!!でもその日、用事あるんだわ、、、まじでごめん!!」


トミー
「まじかよ、分かった。」


トミー
(用事ってまじかよ、でもやりてーしなー、、、そうだ!カンタ誘ってみるか!)


トミー
「カンタ!俺の先輩のLIVEでMCやらせてくれるみたいなんだけど、お前一緒にやらん?相方が用事あるらしくってさ」


カンタ
「やるやる、面白そうじゃん」


水溜りボンド結成の瞬間である。(コンビ名はまだ決まってはいないが)


結果、先輩のLIVEは大盛況に終わった。そこから2人でも活動は増えていき、キングオブコントの予選にも出場。


1回戦、2回戦、、、と順調に勝ち進んでいき、準々決勝まで来た。

トミー、カンタ
(あと一つでダウンタウンさんに会える!)

キングオブコントの準決勝にはダウンタウンが審査員に入る。

ダウンタウンに憧れていた2人は準決勝まで進んでダウンタウンさんの前でネタができたら芸人になろう!そう決めていた。

そして、2人にはその自信があった。

カンタの考えるネタは新しい、これは単に面白いネタを考えるよりもはるかに大きなことをうちの相方は実現している。

トミーはそう思っていた。



しかし、現実は厳しかった。

どれだけ面白いネタでも聞いてもらえなければ意味がない、見てもらえなければ意味がない。準々決勝の舞台に立った2人だが、誰も水溜りボンドに興味はなかった。これまでに出て来たプロの芸人、あるいはこれから出てくるTVに出ている芸人を見に来ているお客さんがほとんどだ。無名の大学生コンビを見に来ているお客さんなんてほとんどいない。2人のネタ中に顔を上げる客さんはほとんどいなかった。

2014年キングオブコント、水溜りボンドは準々決勝で敗退。


2.Youtuber水溜りボンド誕生

キングオブコント準々決勝の帰り道、トミーとカンタはお笑い芸人としての道のりの厳しさを痛感していた。確かにカンタのネタは面白いし、新しい。でも見てもらえない。見てもらう、短い時間でお客様を引きつけるには地名度が必要。しかし、養成所にも入っていないただの大学生2人が地名度など持っているはずがなかった。


トミー
(地道に知名度上げていくしかないか、、、でも、、、)


確かに路上ライブを続けて少しずつ知名度を獲得して、いずれは準決勝の舞台に立てるかもしれない。ただ2人には時間がなかった。

2人とも両親が厳しく、大学を卒業する頃にはちゃんとした仕事をしていなければいけない、そういった縛りがあった。とすると、就活が始まるまでには結果が出ていないといけない。大学3年の冬、つまりあと1年余り。

今から知名度獲得のためにコツコツと活動するのは無理だ。時間がなさすぎる。



その時


カンタ
「トミー、Youtubeやらん?」


カンタは映像系の学部にいたこともあり、多少の動画編集のスキルもあった。そして、真っ当に知名度を獲得していっても間に合わないのはカンタも痛感していた。だから新しいことに挑戦してかなければならない。それで行き着いたのがYoutube。


トミー
「Youtube?俺はよくわからんけど、カンタが言うならやってみるか!」


Youtuber水溜りボンドの結成である。


次の日から2人は来たるYoutuberデビューに向けて準備を始めた。当時はヒカキン、はじめしゃちょーなどのソロのYoutuber、東海オンエア、フィッシャーズなどのグループ系Youtuberはいたが、2人組のコンビYoutuberは珍しかった。枠が空いている状態だった。

2人が最初に決めなければいけないのは、デッドライン。

芸人を目指すにしてもYoutuberを目指すにしても世間一般的に就職活動開始と言われる時期までに仕事として確立していなければ、やめなければいけない。

2人は大学3年の1月(2016年の1月)までにチャンネル登録者数が10万人達成しないとやめると決めた。



初投稿は2015年1月1日。つまりデッドラインまでの期間はちょうど1年。

2人はスタートから勢いをつけるために、12月から動画を撮り溜めしていた。その中でも1番出来がいいものを1本目の動画として世に送り出した。

水溜りボンド初投稿の動画がこちら↓↓

自信を持って送り出した動画だったが、誰も見てくれない。投稿翌日にYoutube studioで見た再生回数は「2回」。カンタとトミー、それぞれが1回ずつ再生したもの、それ以外の人は誰も見ていなかった。


撮り溜めした中で、もっとも自信を持って送り出した動画。それが全く誰にも見てもらえない。その現実を目の当たりにしても2人は折れなかった。何者でもない素人の大学生二人の動画なんて見てくれるわけがない。目の前でネタをやっていてもお客さんは見てくれなかった。キングオブコントの経験が2人を強くしていた。

水溜りボンドチャンネルの毎日投稿が始まった。(彼らはこの時から2020年4月現在も毎日投稿を続けている。毎日投稿の最後の砦と言われているとかいないとか。)

動画の内容としては実験系、都市伝説、ドッキリなどを上げていった。テーマとしては「みんなの代わりに俺らがやっていく」。自分でやるほどではないけど、結果はちょっと気になる、というような内容を中心に動画を作っていった。

企画の新しさ、コンビとしての良さ、掛け合いの面白さにより徐々にチャンネル登録者数を伸ばしていく。

先輩Youtuberであるおるたなチャンネル、Fischer'sとのコラボも1年目に実現する。

そして、2015年11月23日ついにチャンネル登録者数10万人を突破!!

水溜りボンドチャンネルの存続が決まった瞬間である。そしてその年、水溜りボンドは2015年の最優秀新人賞を獲得する。


3. 順風漫歩の中で生まれた知られざる分岐点


2016年以降も水溜りボンドの勢いも止まらない。

9月には登録者数100万人を突破。単独イベントも開催するようになっていった。サブチャンネルも開設していたので、動画は1日2本。そしてイベントの準備。それ以外にも仕事が入るようになっていった。

その中で徐々に役割分担が確立されていく。

メインチャンネルの企画・編集はカンタ。

イベント関連の仕事はトミーがメインで担当する。

そしてサブチャンネルの編集は最初はトミーがやっていたが、トミーが忙しくなりだした頃に後輩たちが担当することになっていった。


チャンネルを開設して、2年ぐらい経ったある日。

カンタ
「トミー、この動画あんま伸びんかもしれんわ」


トミー
「だろうなw俺もそう思う」


カンタ
「どうする?もう1本別の撮っとく?」


トミー
「撮るのはいいけど、これは出したらいいんじゃね?」


カンタ
「だよな、じゃあ今日はこの動画編集するからもう1本は明日撮るか」


出した動画は二人の予想通り、あまり数字は伸びなかった。


カンタ
「やっぱり伸びんかったなー」


トミー
「まぁあの企画は伸びにくいよな。でも俺はいいと思うよ。やってて楽しかったし。」


カンタ
「これから数字狙っていくべきだと思う?正直な意見を教えて欲しい」


トミー
「んー、俺は数字とか細かいことはよくわからんけど、視聴者さんのことを考えると、数字狙うのは違うんじゃね?」

「俺らの視聴者さんて、ずっと昔から見てくれてる人もいるから数字狙いだした瞬間、今までの俺らじゃなくなったな、て気付くんじゃねーかな。」


カンタ
「やっぱそうだよなー、俺もそう思ってて、数字を追いかけるって視聴者さんを裏切りかねないなって。これからも今まで通り企画考えていくわー。」


水溜りボンドは2年間で約1000本の動画を投稿した。(メインチャンネルで毎日投稿、サブチャンネルも1年近く毎日のように投稿している。)

約1000本の検証により彼らは動画を出す前にだいたいどれ伸びるか伸びないかが予測できるようになっていた。だから今後出す全ての動画を伸びる動画にすることもできた。


しかし、2人はそれをしなかった。数字を追いかけるということをしたくなかった。元々は影響力をつけたくて始めたYoutube。影響力の一番の尺度はチャンネル登録者数である。伸びる動画を打てばチャンネル登録者は増える。しかし、Youtubeを通じて視聴者さんと交流し、オフ会でより近くで会話することで、今の視聴者さんを大切にしたい、その気持ちが強くなっていった。

だからカンタはそれからも今まで通りの企画をしたし、トミーはカンタの企画を全力で演じた。


4. かつての夢を実現して見えてきた景色

その後も水溜りボンドは走り続けた。チャンネル登録者数は400万人を突破し、かつて目標としていた影響力は十分すぎるほど手に入れた。

幕張メッセで数千人規模のライブも実現した。もしあの時のキングオブコント予選で準々決勝に進んで、芸人の道を進んでいたら5年でここまでは来れなかったかもしれない。幕張メッセで数千人のお客さんをトークとコントだけで沸かせるのはできなかったかもしれない。不思議な縁。奇跡と呼んでいいのかもしれない。



5年前と今見えているものは違う。

今までは視聴者さんとともにがむしゃらに頑張ってきた。幸い、カンタの思いつく企画は割と世の中が求めているものが多かった。だから1年目で10万人登録を達成できたし、派手な数字狙いの企画をしなくても登録者数を伸ばすことができた。

その生活を5年続けた結果、カンタは「自分が知らない世界」へ興味を持つようになった。芸術、音楽、古典など。

この5年間、カンタが世の中に発信し続けてきたものは「今、自分の周りの人が求めていること」。だが、そこからさらに上を突き詰めたいと感じるようになった。

さらに上とは?

それは「説明できないすごいモノ」。芸術、音楽、古典はそれに当たる。

音楽は聞いているだけでなぜか惹きつけられるし、惹きつけられる要素も曲によっても違うし、聴く人によっても違う。メロディーに魅力を感じる人もいれば、歌詞に魅力を感じる人もいる。あるいはボーカルの声が好きな人もいるだろう。

芸術に関してもそう。絵から不思議なエネルギーを感じる。


カンタはYoutube始めてから6年目にして始めて10日間の休みを得た。(某企画でトミーが10日間不在になったから)

その期間何をしたいか?カンタは「ルーブル美術館に行きたい」そう思った。

今までこんなことはなかった。芸術なんて自分の動画には必要ない。水溜りボンドを見ているポップ層が求めているものではない。そう理解しながらもカンタはルーブル美術館でアートに触れたいと思った。心からすっと出た本心だった。

今までは周りの目を気にしながら生きてきたのかも知れない。でも今は自分を素直に表現できる。自分軸で行動できる。6年目にして始めて訪れた変化である。


かつての夢は叶った。しかし彼らの物語はまだ終わらない。これから実現していくこと。それは水溜りボンド2人だけでは達成できない。視聴者さんも巻き込んでより大きなことを成し遂げる。5年前には想像もできなかったこと、その目標に向かって今後も二人は走り続けるだろう。

画像1


あとがき

僕が好きな水溜りボンドさんを好きなように書かさせていただきました。この動画が好き!とかカンタとトミーのここが好き!とか語りだせば色々あるんですが、それらは全部外して今回は2人の物語にフォーカスして書いて生きました。このnoteが水溜りボンドファンの皆さん、ひいては水溜りボンドのお二人に届くとめちゃくちゃ嬉しいです。

P.S. イラスト描ける方、このnoteはご自由に使っていただいて構いませんので、イラスト使ったストーリーにしていただいて構いません。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?