【読書メモ】読書の価値(森博嗣)【#15】
2021年最後の読了は森博嗣の読書の価値でした。これを書いているのが夕方の5時半くらいなので、もしかすると途中まで読んでいる何かをもう1冊くらいは読み終わるかもしれませんが、英語の音読とかもあるので、恐らくこれが最後です。
第1章は森博嗣の前半生、作家になるくらいまでの読書経験について書いてあります。遠視だったので読書するのが辛かったとか、日本の小説ではなく翻訳小説などをよく読んでいたとか、漫画についてとかです。森博嗣個人に興味があれば面白いと思いますが、読書という視点で見ると第1章は特に必要ないかなという感じでした。
第2章からが面白いです。特に共感できたのは、
とにかく、なんでもかんでも読んでみること。自分の勘を信じて、背表紙のタイトルだけで手に取ってみること。(p102)
読書メモを見ていただくと、私も乱読派というか、なんでも興味を持って読めるタイプなので、この意見にはすごく賛成できます。さらに、私も研究者だったので、発想を得るために、様々な本を読んで色々なアイデアのトリガーにすることは絶対に必要だと思っています。自分の関連分野の論文しか読んでない人たちの発想力の貧困さといったら・・・焼き直し論文ばかり増えるのは、こういうところの大切さが伝わっていかないからだろうなと思います。
ベストセラーを避ける点も同じでした。僕もベストセラーは数年経ってから読みます。ただ、僕の場合は森博嗣の逆張り的な理由ではなくて、単に反メジャーでマイナー贔屓なだけです。
第3章、第4章はアウトプットについて書いてあります。ここに文章が下手な人のことや、校正するときの根拠について書いてありますが、これは本当に実感しています。歳をとっていても文章が下手な人はたくさんいますし、根拠もなく、自分の単なる文体の好みで校正しちゃう人も大勢います。研究所や会社では、科学論文や報告書を書くのですが、論理展開(ストーリー)ができていない、「とても」「非常に」「限りなく」のような主観的な表現を多用する、統計的な根拠を書けていない、という文章がめちゃくちゃたくさんありますし、赤を入れてわざわざそういう文章に校正してしまう年配者もたくさんます。こういう人に限って根拠を聞いても答えられないし、こういう文章が美しんだ!という訳の分からない自信(防衛機制?)で押し切ろうとするので困ります。部長、所長、理事あたりに文章が下手な人がいると、そういう変な校正を受けた文章が外部に出てしまって、2回目の記事の執筆依頼が来なくなるので、組織のブランド価値を下げているなあと思います。
最後の第5章の読書の未来については、興味深く読みました。現時点で想像できることを、的確に指摘していると思います。数年で変化は起きないでしょうけど、10年20年単位では指摘通りに変わっていくことと思います。
買って読んで欲しいのですが、森博嗣がこういう書評のような、抜書きなような、感想文的なブログが嫌いというか、批判的に書いているところがあります。なので今回は敢えて、本の紹介的に書いてみました。僕は割と書評とか、紹介ブログを見て買うことが多いので、アリじゃないかなと思います。
人生の時間は限られているし、全ての情報目を通すことは難しいですが、だからと言って王道だけ読むのはつまらないので、自分と価値観が似た人や、自分と違う価値観を持った人の紹介を興味深く読みながら、新しい本との出会いを楽しんでいます。
おわり
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