見出し画像

ドライブマイカー

呪術廻戦の上映時間調べてたら去年見逃したと思ってた映画戻ってきてた。これは見に行くしかない。
でも3月3日まで。
これは月曜日の休みに行くしかない。
しかし私がみたい邦画は毎度一日一本。昼イチから16時過ぎまで。なかなか長いな〜と思いながらもいざ鑑賞。
…あっという間の3時間だった。

始まってちょいとして、あぁそうだ。村上春樹の小説って、丁寧な性描写だったなぁと。しまった。苦手かなと思ってしまったけど、霧島れいかの背中の美しさと声で苦にはならなかった。あとからこのシーンがなければ主人公の苦悩も理解できないところだった。必要な描写だったんだな。と納得。
西島秀俊が演じる主人公の家福も霧島れいか演じる妻の音も、三浦透子が演じる渡利も、自分を責め立て追い詰めている。
それを語りながら演じながら溶かして車からの景色、エンジン音とともに流れ許し、日常の中に帰って行く。受け入れて生きていく。
岡田将生演じる高槻だけはこの映画の登場人物の中で一番感情の起伏が激しく、己をコントロールできない。オーディションのシーンの岡田将生の演技は映画を見ているのに役に入り込む岡田将生が怖くなるくらいの迫力で、ストップの声がかからなかったら目を閉じていたかも。大袈裟な音響や美術セットがあるわけじゃないのに演技だけで怖かった。悪人の時もそうだったけど、ちょっと投げやりなコントロールできない悪い若者の役が本当にしっくりくる役者さん。

イ ユナ演じるパク ユリムの手話のお芝居は圧巻だった。西島秀俊の背中から二人羽織のように語りかける物語の最後を包み込んでいった。
ラストに渡利が赤のサーブに乗っていたのはどういうことなんだろって最後に想像させてくれるのも楽しかったし、スーパーで買い出しという日常を見せてくれて、歩き出している姿が見れてそれだけで幸せな気持ちになる映画だった。

映像が美しいのはもちろん、音が音楽ではないおと。
演技の声、車のエンジン音とか。机をコンコンと叩く音、鍵の音。全てが視覚とともに目に響き渡る感覚。

最後のワーニャ伯父さんのクライマックスの手話のシーンは音楽が流れていたわけではないけど、何かが流れていた。ダンスを見ているときのような視覚から音が溢れて来る感覚は初めてだった。

主要人物はみんな後悔と責め立てる気持ちで溢れていたけど終わる頃には許し、許され、見ていたら毎日の生活を丁寧に生きないと。コツコツ仕事して日々を大切にしたいな。と思わせてくれた映画だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?