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蝉の声,桜の喪失

わたしの耳には、いつでも蝉がいた。

みぃん、みぃんと、絶え間なくそれは鳴いた。

その蝉は、誰でも耳の中に飼っているものだと思っていた。

しかし、蝉の音が聞こえるのはわたしだけだった。

わたしが「蝉の鳴く音が聞こえる」と言うと、

「蝉は夏に鳴くものよ」と一蹴された。

それから、わたしの耳の中で、頭の中で、鳴り響く蝉の音がなんなのか。

あるいはその蝉の正体について、とてつもなく興味が湧いた。

おそらく誰にも感じ取れないであろう何かの音が、
わたしには蝉の鳴き声に聞こえているのだろう。

ほかにも、蛍が飛ぶ音、霧が漂う音、
人間の瞬きの音、虹が消えてしまう音などが聞こえる。

ただ耳がいいというのではなく、
実際には音にない音を、感性で感じているのかもしれない。

同じように、朝日が降り注ぐ光の粒、
原石が発する光に溶け込む意思の粒子、
紅葉する椛や楓の最後の生命力、
特にそうした自然現象の中で、

色によってそれを見て感じてしまう。
アナウンサーが「紅葉が綺麗ですね」という意味がわからなかった。

わたしには、椛は鮮血に見える。
血を流して一度死んで、春にまた生まれるからなのかと思っていた。

「桜が満開を迎えています」という意味もよくわからなかった。
良い意味でそれを言っていることにピンと来なかった。

若々しいピンク色が緑色へと成長するとき、
可愛らしい殻を破るのだと思っていた。
「散りゆくものが儚く美しい」というのはしっくりくる。

まるで処女喪失のように、イニシエーションのように、わたしには感じていた。
あからさまに誰が見ても美しいというよりは、悲しげで、哀愁がある強さという意味の美しさに感じた。

「わたしが見たままの絵」を描くと、色使いが独特で、カラフルで、まったく現実とかけ離れていると言われた。
わたしの目には、細胞のような小さなものが上から降ってくるのが見える。

水飛沫のような、水面を見上げるような光の屈折が見える。
秋の風景画などはそれが顕著になって、風景が歪んで見えるのだった。

カラフルな毛糸は好きだ。
編んだだけで微妙な色や模様を作り上げる。まるでわたしが見ているものに似ている気がして。

わたしはその景色の邪魔をしたくないので、黒い服ばかりを着る。
魔女にとっては、黒は防御の色なのだ。

すべてのエネルギーの螺旋、渦巻きから身を守ることができるような。
何色にも流されないような気がする。


こうした摩訶不思議な話は、だれも信じてくれないので心の奥底にしまいこみ。

魔女は畑仕事をする。
目の前の植物の声を聞く。
土の味をたしかめる。
水の流れを感じる。
虫の居場所を聞く。


こういう音や感覚は、いやじゃない。
自然の、魔女の庭のすべては調和している。

整えられた渦巻きは、心地よい。


わたしの凸凹スキルの「知覚過敏」
これは霊感ではなく脳の構造のちがい。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。