見出し画像

サウィンの祭壇と祈り、黒猫 魔女暮らし日記 10.20.2021

今宵、満月。
突然だが、世の中は嘘にまみれていると思った、瞑想。
その嘘を隠すため、あるいは嘘を本当にするために、様々なものがまやかしであるにも関わらず、信じる人がいたり、いなかったり。

わたしは時折そんなことを酷く考え、そしてすべてが嫌になる、そんな時期がある。

最近では、わたしの地区では3人の衆院選挙立候補者がいるのだが、○○党は嫌だし、○○党も嫌だ。
残りの人は熱い想いだけ語るので信用できん。
なぜ選挙はそういうシステムなのだろう。
芸能人が選挙行けと呼びかけるが、正直、票を入れたい人がいない。
地区分けせずに投票できればいいのに。

たまたま住んでいるところでこのように分けられ、たまたまそこで立候補している人にしか投票できない。
この、偶然にみえるものは、果たして偶然なのだろうか?

コロナコロナ言う人も、ワクチンワクチン言う人も、稼げるを連呼する人も、もうなんにも聞きたくないな、と思ったとき、これらに共通するものは未来がないのではと思った。

来年の春分のホロスコープを少しずつ読んでいて、確実に世界中で物価が上がる。
岸田内閣発足で一時期下がりまくった日経平均株価も上がってきた。
が、日本の景気はまだ悪いから、これ以上経済が喘ぐと円の価値が下がって、世界の国々から相手にされなくなるのではと、勝手に危惧している。
(素人の考えなので間に受けなくていい)

それなのに選挙では、農家の米の価格が下落してもう暮らしていけないよ、と言う。
言い分はわかるが、ほしいのは一時凌ぎの保障と救済金ではなく、安定的な収入ではないのか。
安定的な需要と供給を保つことではないのか。
安定なんてあり得ないのだが、甘い話で目狂わせをする言い方に悪意を感じる。

同じように、稼げるやり方を教える系セミナーも。
それは株でもハンドメイドでもジャンル問わずあることにまずびっくりだが、稼げるやり方はわたしはひとつだと思っている。(もちろん正攻法)
そしてそれを書いてしまうとアンチの嫌がらせが来るとわかっているので、教えられない。
裏でこそこそタグ打ちをしている。

本当のことなんていつだって隠れているもので、表立って言われていることは嘘ではないが、本当のなかの一部にすぎないと思っている。
SNSのプレゼント企画なんて、サクラだって透けてるのになぜ応募するのか。だいたいZOZOTOWN社長のせい。

前置きが長くなってしまったが、そうして世間に擦れて生きているが、べつに偏屈になっているわけではない。
汚い社会が時々いやになるという、性格なのだ。
アイルランドかデンマークあたりに移住したい気持ちを今は抑えて、こういう心が落ち着かないときは、祭壇を作るのだ。

祭壇は、心の鏡。
自分と向き合う場所。
目に見えないものに祈りを捧げる場所だから。

サウィンの祭壇に変えた。
黒、ワインレッド、白のキャンドル。
さつまいも、リンゴ、かぼちゃ。
死神、黒猫を飾って。

なぜかカメラが光ってしまって神々しい写真が撮れた。(霊現象とかではない)

祈りのなかで、お金がなくて心が荒んでもやはり倫理観はわたしはなくせなくて、何がなんでも食らいついてやるとかのハングリーさもなくて、ただ魂が嘘偽りなく正直に生きることがしたいのだと思ったのだった。

単純に物欲的とか、精神的などといった言葉で片付けるのは違うくて。
何も知らない若い頃ならまだ野心もあり、なんでもやってやるという勢いがあった。
でも魔術を勉強して、魔女の暮らしをしていると、悩みなんてなにもなくなる。

それはただ自然の一部として生かされていて、人も動植物も分け隔てなく、心も体も平和に生きようとする、そんなことなのだが。
そうして生きていると社会からは擦れて、ある意味非常識と言われ、物欲や将来の不安がなくなるのだ。

もう肉体なくてもいいんじゃないかしらと思うときもある。でもそれはまずいと思って運動や食事をする。正直に、嘘をつかず、愛と倫理(正義ではない)をもって生きているだけで幸せだし、だいたいのお金は回るし、ほしいものは引き寄せられてくる。
ランボルギーニムルシエラゴに憧れていたときもあったが、今では羊と機織り機のほうがほしい。

植物に囲まれているのも幸せで、先日冬越しのためにリストアップしたら、魔女畑の植物は100種ほど植え付けられていた。
これをよく脳内で管理していたな、わたし。

仕事としてはそれらの植物をマジカルなものに加工したり、レシピを作っているのだが、仕事=生きがいというか、もうライフワーク化してしまっていて、感覚のラインが引けない。
好きな仕事を、とよく言うが、もうそれを通り越して呼吸や重力のように当たり前になってしまったのだ。

その経緯から、小手先の願いを叶える方法を伝えるよりも、悩みがなくなる方法を伝えたほうがいいのでは?と思い始めている。
ところが、すでに仕事という感覚を失っているわたしは、新たなビジネスモデルをイメージできずにいる。
自分のあたりまえの生活だからだ。

こんな祭壇をつくって、と怪しむ人もいるかもしれないが、これはわたしにとってはあたりまえで。
わたしは自然の一部であるから、聖書にもあるように高ぶらず低くいようと(傲慢にならず謙虚に生きよという意味)確認する場所。

炎や、お香の煙を見つめていると落ち着くし、冷静に、客観視できる。
たとえば未来とか、他人などが信じれなくなっても、この場所にある目に見えないもの(自分の心含め)は絶対的に信じられる。なぜなら、正直だからだ。

つまるところ、信じれるものと信じられないものをわけて考えている。
先述の、汚い社会が信じられなくても。
コロナでできないことがあっても。
自分を信じることができるから、心に従ってできることをしようと思った。

その結果生まれたのが、編み物だった。

わたしは以前、編みぐるみ作家だった。
祖母は和裁、母は洋裁、わたしは編み物、という具合で、うちではなにかしらの手仕事を学ばさられる。
当時は「手に職」とよく言われたものだ。

これは黒猫のあみぐるみのキーホルダー。
中にはハーブとマジカルオイルが入っており、本日、バステト(エジプトの猫の女神)のお香で浄化と祝福をした。

黒猫は「素早く幸運が訪れる」という意味がある。
ちょうどハロウィン(サウィン)なので、少しだけ作ってみた。
目の色や瞳孔が違うので表情が豊かだ。
この子達の販売はまもなく。


自分にできることを、こつこつと。
わたしはずっとそんな感じ。
今宵は善い夢を。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。