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まどろみの雨

こんな時、リアリストはなんて言うだろうか。
物語を共感することもできないわたしの特異な感性に皮肉たっぷりと、「あなたもリアリストでしょう」と言うのだろうか。

心や魂の微妙な変化について、日々の瞑想で感じることが多い。わたしにはそれらが「色」で感じる。その色はいつも青だけど、微妙な青の違いにわたしは戸惑う。

やさしい心の持ち主は青い色が出ると、先生が言っていた。しかしわたしが思うわたしは、ちっとも優しく思えない。目に見えないもの、特に他人の心を察することもできないし―そもそも常識という杓子定規が備わってないせいかもしれないが―、まじめで、清潔で、正直に生きていれば勘違いされないのだから単純にそう生きればいいと思っている。

人に迷惑をかけたくないが、生きていれば迷惑がかかるとも思っている。そんな時に許せる自分でいたいと思うが、ここは譲れないし許せない、ということもある。

人間と話をしたい時もあるが、要点を話せばそれで満足で、レスポンスが返ってくると悲しい気持ちになったりする。会話がキャッチボールであることは承知しているが、キャッチボールを楽しめない心をむりに遊ばせる必要はあるのか。意味のない会話を続けたり、本心では思っていない共感をすることは苦しいから、悲しくなるのだ。

ほんとうにやさしいなら。
自分に嘘をついて会話したり、相手のために生きたり、意思を曲げたっていいじゃないか。しかしわたしは、最初からそれができないのだ。これのどこがやさしいのだろうか。

そんなことより空を眺めて雲を数えるほうがいい。
庭の花を摘んで、デスクでひとり仕事をするほうがいい。
わたしはそのほうが、この世界にリアリティーを感じる。意味もなく虚ろな心を弄ぶよりも、はっきりとした「青」になる。


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