マンガに現実の音楽が引用されるとなんか嬉しいよねって記事①

くろまいです。


ちょっと前からジャンププラスで軽音楽部についてのマンガが連載されてますね。




バンド系の音楽マンガは登場人物が自分の趣味嗜好を開陳する際、好きなアーティスト名を架空で匂わせるか実名にするかの分岐があって、こちらは後者の方です。自分の好みもタイトルで書いたとおり基本的にはそっち派で、やや弱めの日曜連載メンツの中、モテキ並みの同族嫌悪をお届けしてくれる劇薬枠として(現代からひと昔前の楽曲を意図的に引用するカンジが最高にそれっぽくて好き)、毎週楽しく読ませて頂いています。



マンガも音楽もネットにおいてはレスバの温床になりやすいジャンルで、この作品もそれら2つのハイブリッドである都合上、もれなく1話の時点でコメント欄が若干香ばしくなっており、このままコメント民のおもちゃ枠になるのかな…と勝手に心配してたんですが、話数が進むごとに改善されてきてよかったです。続きも楽しみ。



音楽を題材にした話の中へ音楽アーティストが出てくるのは当たり前と言えば当たり前ですが、マンガではそれ以外のストーリーものにおいても、実在する楽曲やアルバムが時々引用されたりします。



作品の世界観が壊れるから苦手、という人もいますが、個人的には現実に存在するツールを介して、作者側から読者に対してなにかしらのコミュニケーションをとろうとしているように感じられるため、それを引用した意図について考えを巡らせたり、知らない曲なら調べて聴く事で、作者と嗜好や感受性の一部を共有することにも繋がるので好きです。


自分の本棚の中にも該当する作品がいくつかあるので、今回からはそれらを順番に紹介しつつ、作中で引用された意図についてあれこれ考察していこうと思います。曲名→YouTube リンク→引用先の作品名→作品の軽い解説→引用箇所についての考察、の順番でいきます。曲じゃなくてアルバム単位で作中に登場してるやつもあるので、その場合は作品の雰囲気に合わせたアルバム内の曲を独断で貼ります。



性質上引用された前後の文脈を説明する必要があり、どうしてもストーリーをほんの少し話す形になってしまうため、ネタバレを踏みたくない方は作品名が出た時点で読み飛ばすか、もしくはブラウザバック推奨。



探したらそこそこの数になったので、3~4作品ずつ何回かに分けて投稿していきます。こんな場末のアカウントで連載形式にして誰が見んの?って話ですが、しばし自己満にお付き合い下さい。4回ぐらいで終わるのが目標。




①b-flower / October Song 


引用先の作品


竹書房、小坂俊史
『中央モノローグ線』より


作品解説


中央線の中野~武蔵境の各駅に暮らす、8名の女性によるオムニバス形式の4コマ作品。吹き出しによるセリフがほぼなく、徹底して心の声(モノローグ)の移り変わりによって起承転結をつけているのが特徴。


今だとSNSの単発マンガでよくあるスタイルだけど、Twitter黎明期かつスマホも普及してなかった頃(2008年~2009年)の紙面連載で、しかも4コマ形式であることを考慮すると大分攻めた設定。


年齢も職業も違う人間達のほんの僅かな悲喜こもごもを、東京のど真ん中で誰に聞かせるでもなく流しては消していく、という構成が、承認欲求の絡まない原始的な気持ちと現実との軋轢にも繋がっていて、ギャグマンガ枠では収まりきらない儚さとエモさを呼びおこす名作。続編もあります。


引用箇所の考察


同上、P40より


登場人物の一人、中野在住のイラストレーターなのかが作業中にiPod(懐かしい…)で聴いていた曲。秋の夜中に聴く音楽は切ない→聴いてるのは懐メロばっか→これ切ないのは季節だけじゃなくて人生の秋のせいでは…?というネタ。秋にまつわる話なので、聴いている曲は『October Song』。


b-flowerはほんの一瞬だけスピッツとかフィッシュマンズと同列に括られてメディアに取り上げられたことがあるバンドで、箱庭的世界観にて、聴き手との1対1の付き合いを望むタイプの音楽、というのが一応の共通項。そういったある種の閉じた雰囲気と、自営業で自室に籠りながら社会へ作品を送り出して生活するなのかというキャラクター、ひいてはモノローグ=自分の世界だけで物語が進行する本作そのものの構造が完全にマッチしていて、見つけた時に物凄く膝を打った記憶があります。


あとなんかで読んだことあるんですけど、b-flowerって確か作者のお気に入りのバンドなんですよね。なのかというキャラクターはオムニバス形式の本作における狂言回しの役割を担っていて、モノローグだけでも物語をドライヴさせられるよう、いわゆる私小説的要素がふんだんに盛り込まれているので(中野在住の自営業という設定は作者と同じ)、『これは作者の分身だよ』という隠れたメッセージなのかもしれません。


②Chara / Duca




引用先の作品


講談社、豊田徹也
『アンダーカレント』より


作品解説


有名どころ。寡作なこの作者の代表作。


主題はジョハリの窓的なカンジで良く言えば普遍、悪く言えばベタなんだけど、写実的ながらくどくならない絶妙な絵柄と、モチーフの反復や徹底管理された登場人物の役割分担などが合間り、淀んだ底流の上澄み部分を本当に泳いでいるかのような、スッキリした読み心地に終始なっているのが特徴。


読後感がめっちゃ映画に近いなーと常々思ってたけど、少し前にとうとう実写化されたらしいです。



引用箇所の考察


同上、P155より


失踪した夫にまつわる調査の中間報告時、夫の生育歴が知ってたのと全然違った事に主人公がショックを受けていたのを気遣ってか、探偵の山崎が無理やりマイクを渡して主人公に歌わせた曲。直前に山崎自身がダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『裏切り者の旅』を歌っているのがミソで、人間はそんなキレイなもんじゃないから、奥さんもここでぐらい言いたいこと言いなよ、と促してるわけですね。だから大人じゃなくて子供目線で語られる曲にしてる。


Ducaは飼い犬の名前の事で、主人公も犬飼ってるんですが、歌ってる途中で夫と犬と一緒に海で遊んでるシーンがフラッシュバックして、同時に自分の感情へ『罪悪感』『寂しさ』という名前を与えられて涙がこぼれ、そのままヤケクソ気味に曲の続きを歌い上げる、という流れがめっちゃエモいです。


終始静かな雰囲気で進む本作において、珍しく動的な演出がなされているので印象に残ります。ストーリー上でも結構重要な転換点だと思うんですが、ちょっとだけ惜しいのはChara歌える?と突然訊かれて、Yesと答えられる奥さんが現実世界にはあまりいなさそう、というところでしょうか(ぶっちゃけムズくないですか?妻に確認したら少なくとも自分は無理との事)。


映画の方は未履修なんですが、この場面ちゃんと再現されてるのかな…。


③Mr.Children / シフクノオト(アルバム)



引用先の作品


集英社、井上雄彦
『リアル』
YJC第5巻より


作品解説


超有名どころ。バガボンド以上に完結をちゃんと読めるか怪しい連載ペースなので、スラダンの映画終わったしこっちの方へ作業のリソース割いてほしいな、と愚痴ってみたり。


物語開始時点で障がい受容が済んでおり、自己実現のための努力や苦悩がちゃんとできるステージにいる戸川、五体満足で思考もバリアフリーだけど、自分の人生はなんだか壁に阻まれてばかりの野宮、スクールカースト上位で高慢な態度をとっていたところへ、中途障がいで人生がガラっと変わることになった高橋、という3名の群像劇にすることで、障がいについての視点を相対化し、そのスキマから時々かいま見える、人の一生の中心核のような何かを作者も読者と一緒に覗きながら書いてる、というカンジの作品。


作者は全く意識してないだろうけど、ある1つのテーマについて、3者3様の視点を持ち込んで語られたドラマへ厚みを持たせる、という手法は、少しだけ仮面ライダーアギトに通じるものがありますね。


引用箇所の考察


同上、P163より


戸川の元チームメイトで、筋ジストロフィー患者のヤマというキャラクターが作中で聴いていたアルバム。


同世代で自分より大変な境遇にも関わらず、それでも前向きであろうとするヤマのことを戸川は出会ったときからずっと尊敬していて、ヤマが病状を理由に車椅子バスケができなくなってからは、定期的に自宅へ通ってチームの近況報告をしています。



だけどヤマは病気の進行とともに心の余裕が段々なくなってきて、(戸川の方は表向き順風満帆に見えることもあり)いつも通り報告にきた戸川に対してヤマはひどいことを言ってしまうんですね。その後一人自室で自分の言った言葉を思い出し、やっちゃった…ってなってるのが今回の場面。


シフクノオトにはリンクを貼ったHEROという曲が収録されており、上記場面の後ヤマが戸川に対して、反省の意味も込めつつ弱音を吐くようなメールを送り、それを受けた戸川の方はヤマに向けて

これだけはいっとくぞヤマ
お前は俺のヒーローだ
今でもそうだ

同上、P169より


といった返信をする流れがあるので、今回の引用はそれに向けての前フリとしての役割があるんだと思います。


あとミスチルは良くも悪くも世俗を象徴するバンドなので(軽薄でダサいけど俺にもお前にもそういうとこあるし、なんならそれも含めて悪くなくない?という思想がいつも曲の中にある)、これまで強さばかりフォーカスされていたヤマというキャラクターの弱いところを描写するにあたり、そういうある種の俗っぽさ、人間臭さの部分をより強調したかったんじゃないかな、と個人的には思っています。

ヤマには戸川と出会うよりも前、一番しんどい時にレゲエミュージック(多分ボブ・マーリィ)で命を繋げた、というエピソードが後々追加されるんですが、今回の場面で聴いてるのがレゲエだったとすると、ちょっと他者への愛憎入り雑じった関わりの気持ちが見えづらいというか、もっと言えば自己完結で達観し過ぎな印象を受けます※。ここはミスチルで正解。


※(逆に連載が進んでからは描写がより普遍的な人の気持ちへ踏み込むようになってきているため、世俗を表すポップスよりもビートの強靭なレゲエの方が、心の奥底まで届く音としてはよりふさわしいジャンルのような気がするので、その辺は適材適所だと思います)



ヤマの物語には連載長期化に伴う作者の心情の変化が割と色濃く反映されつつも、初期から提示されていたものへは14巻の時点で一応の区切りがつけられたっぽいので、今後はどんな形で登場していくことになるのか、好きなキャラクターなので興味深く見守っています。早く続き書いて。





文字数がちょうどいいカンジになったんで、ここらで一旦区切ろうと思います。次回更新時期は未定ですが、気が向いてるうちに手をつけないと一生やんないので、なるべく早めにしたい。


無事更新できたらこの下に次の記事のリンク貼っときます。

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