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「当事者性」と活動に対するモチベーションの関係。

子どもたちのために活動できなくなったのは、
自分の中の「当事者性」を失っていく感覚に、
活動へのモチベーションが保てなくなったからでもある。
私にとって、その活動分野の「当事者性」が自分にあることはとても重要。

それはたぶん、
誰かのために、じゃなく
自分のために、やりたい
からなのだ。


じゃあ、今の私の活動分野は何か、というと
オープンダイアローグ などの対話の世界といえる。
もちろん、自分自身が双極症なので、その病気にまつわる活動をしてもいいのだが、それだとなんだか狭すぎる感じがして、メインではなくサブの活動にとどまっている。

なぜ私は対話の世界にいるんだろうか?
そこにある、わたしの「当事者性」とはなんだろうか?

根底にある想いは、
死にたい自分を生きながらえさせてくれたのが
聴いてくれるオトナたちの存在だったから
だ。


死にたい私を思いとどまらせてくれたのは、
ただ真剣に向き合ってくれた姿勢だった。
名前も知らないネットのオトナが
安否を気にかけてくれたり、
声をかけてくれた。

私は周りの人に本音を隠して生きていた。
だから、ネットの世界や
ワークショップの世界で
日常から離れた世界で
自分の本音を吐き出していた。
ありのままの自分を受けとめてほしい。
無様でちっぽけな、弱い自分であっても
ここに存在していいのだと感じたい。
家庭に居場所がなかった私にとって
外の世界こそが、最後の希望だった。

誰だって
話を聴いてほしいときがある。
オトナも子どもも、だ。
今、自分は子どもの活動をしてはいない。
けれども、話を聴けるオトナを増やすことは、きっとよりよい世界をつくることに繋がっていくはず。

私の対話の世界へのモチベーションは、
「恩送り」だ。
あのとき、私を支えてくれたオトナたちに返せない恩を、出会う人々に返していくこと。
私とあわない人もいるだろう。
でも、もしかしたら、私のつくる空間が
その人のちからになるかもしれない。

そう信じて、これからも場をつくっていきたい。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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