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フリーランスライターになりたいあなたへ(#ライターアドベントカレンダー)

すっかり年の瀬ですね。はじめましての方も、そうでない方も、こんにちは。ライターの黒木と申します。

昨年に引き続き、ライター仲間たちと企画した #ライターアドベントカレンダー 。今年は、フリーランスライターになりたいと思っている方に向けた記事を書いてみようと思います。

ライターと言っても、専門性や得意領域などで細分化されるため一括りにはできないという前提で、今回はあえて少し大きな「フリーランスライター」の話をしようと思います。

私がライターの仕事を始めて6〜7年ほど、フリーになって4年ほど。その間に、ライター(とりわけ、フリーライター)になる方は圧倒的に増えている実感があります。それと並行して、ウェブ記事の数も世の中に氾濫するようになりました。ほとんどの企業がオウンドメディアを持ち、日夜発信を続けるなかで、フリーランスライターの需要が減ることは(今のところ)ないように感じます。

さて、私のSNSには毎日のように「ウェブライターならいつでも・どこでも働ける!」「フリーランスライターで自分らしい働き方を手にしよう!」といった類の広告が流れてきます。それらの広告を否定するつもりはありませんし、フリーランスライターの中にはそういう「自由さ」を手にしている方がいるのも事実です。

ただ、現実はそんな簡単な話ではありません。かく言う私自身、フリーランスライターになって、一度も「自由さ」を感じたことがないからです。

これから書くお話は、ひとりのフリーランスライターの経験談です。すべてのライターさんに当てはまるわけではありませんが、これからフリーランスでライターを目指したいと思っている方には、この「リアル」を知っていて欲しいなと思います。

書くことが好きだから、ライターになる?

よく「文章を書くのが好きだからライターになりたい」と言う声を見かけます。その気持ちはとても尊いものですし、素敵なモチベーションだとも思います。

私自身も、子どもの頃から書くことは得意なほうでした。読書感想文や作文で賞をもらったこともありますし、大学のレポートや論文も「書くこと自体」が苦になったことはありません。インスタよりもTwitter(X)のほうが性に合っているのも、「書く」SNSだからだと思います。

ですが、誤解を恐れずに言えば、私は「書くことが好き」ではありません。文章を書かなければ死んでしまうほど、書くことへの熱量に溢れている人を見るたびに、その才能を羨むほどです。

書くことが「好き」と「得意」は、似ているようでまったく違います。そして、ライターに向いているのは後者である、と私個人は考えています。自分の表現を追い求めたい人、自分らしい文章を書きたい人も、実はライターにはあまり向いていません。それは作家の仕事であり、ライターに求められるのは、「自我」ではなく「筆力」だからです。(筆力とは、という話はまたどこかで)

もちろん「好きこそものの上手なれ」ということわざがあるように、「好き」という気持ちが上達の原動力になる場合は多々あります。ですが「文章で自分の気持ちを表現するのが好き」なのであれば、自分のブログやSNSでお金を生む仕組みを作ることをオススメします。

自分の興味の範囲外の事柄に対する知的好奇心を持てますか?
自分の表現ではなく、各メディアに合わせたトーンや表現を追求できますか?
書きたくないと思うときでも、歯を食いしばって書けますか?

フリーランスライターは本当に自由?

どういうメディアで書くかにもよりますが、もしあなたがインタビューもできるフリーランスライターになりたいと思うのであれば、「いつでも・どこでも」働ける自由は意外と少ないかもしれません。

クライアントから「何月何日の何時から取材いけますか?できればオフラインで」と言われるたび「いや〜その日はちょっと対応できないです」と言っていては、段々と引き合いもなくなります。

もちろんワークライフバランスは大事ですし、自分の人生や体調よりも大切な仕事はありません。ですが多くの場合、フリーランスライターの仕事は「クライアントワーク」です。とりわけ、駆け出しのころはクライアントの要望にできるだけ応え、信頼貯金を貯める必要があります。

私はインタビュー記事をメインで執筆するので、基本的に平日の日中は在宅で仕事をしています。たまに、平日に出かけたり休みを取ったりすることもありますが、クライアントから取材の依頼が来れば、取材を優先できるようにプライベートの予定を調整をします。また、インタビューではセンシティブな話やオフレコの話も出るため、基本的にカフェなど不特定多数のいる場所では取材も執筆もしません。

「いつでも・どこでも」働けることは魅力的な文句ではありますが、フリーランスライターになったからといって、それが叶うわけではないのです。何でも引き受ける「イエスマン」になる必要はまったくありませんが、急な取材依頼や短納期の原稿など、クライアントが困っているときに「なんとかしますよ」と言える環境を作っておくことが、後々の仕事に好影響を及ぼすことは割とあります。

この原稿で良かったのか、誰も教えてくれない怖さと向き合えますか?

「今回書いた原稿、これで良かったかな」「面白いものになっているかな」「ちゃんと書けているかな」

原稿を納品し、クライアントからOKをもらい、世に公開されてからも、私はずっと自問自答を続けます。何年やっても、何本書いても、どんなにタフな経験を積んでも、毎回取材の前には吐きそうになり、原稿を書くときにはのたうち回り、公開されれば不安でいっぱいになります。誰かを傷つける表現をしてはいないか、何本書いても消えない怖さと戦っています。

フリーランスライターは孤独です。先輩やメンターが付いて、文章にフィードバックしてくれることはありません。クライアントが満足すれば次のお仕事につながり、微妙な書き手だと思われればそれきりになる。

ごく稀に丁寧にフィードバックをもらえることもありますが、クライアントからしてみれば「プロ」に仕事を発注しているので、わざわざ教育コストまで上乗せはしません。エゴサで記事に対する反応は得られても、どうすればもっと良くなるかを知ることは難しい。ひたすら書いて、ひたすら他のライターさんの記事を読んで、勉強し続けるしかないんです。

記事単価が上がれば上がるほど、クライアントの期待は大きくなります。期待が大きくなればなるほど、不安は大きくなります。期待に対して、成長実感が持ちづらいこともライター職の特徴かもしれません。

これで良かったのかという不安
スキルアップしているのかという不安
クライアントや読者は本当に満足しているのかという不安
誰かを傷つけてはいないかという不安
「次も」と言ってもらえるかわからない不安

ずっと一人で、そういうたくさんの「不安」たちと向き合い続けられますか?

それでもライターになりたいあなたへ

いつでも、どこでも、自分のペースで働ける
サラリーマンより稼げる
自分らしく自己実現を叶えられる

それは事実でもあり、世の中が作り上げる虚構でもあります。書き続けること、書くことで食べていくことは想像以上に苦しい仕事です。引き合いがなくなったり、体調を壊せば途端に収入は途切れます。自分の書いた記事が原因で企業や個人を傷つける可能性だってあります。

そういう怖さや、永遠に答えの出ない自己評価と向き合わなければならない「しんどさ」を抱えなければなりませんが、それを伝える広告は存在しません。

どんな仕事にも良い面と辛い面があるし、ずっと楽しい仕事は存在しません。楽して稼げるなんてこともありません。それは、フリーランスライターも同じです。

でも。

この仕事をしていなければ、絶対にお会いすることのできないような方に取材できたり、「本当にあなたに書いてもらえて良かった」とインタビュイーに言ってもらえたり、たくさんの方に長く読んでもらえる記事が(奇跡的に)書けたりすることもあります。

心から尊敬する仲間・同業者、本当に素晴らしいクライアント先の方々、取材のたびに好きになってしまうインタビュイーの皆さん……ライターという仕事をしていなければ出会えなかったであろう人たちとの縁は、人生をとても豊かに彩ってくれています。

ライターという仕事は苦しく辛い。だけど、30本に1本くらい、半年に1回くらい「ライターやってて良かったああああああああああああ」と叫びたくなるくらい嬉しい瞬間はやってきます。

この記事をここまで読んでくれたあなたに伝えたいです。

きっと、きっと、大丈夫ですよ。苦しいけど、辛いけど、乗り越えられます。来年も、一緒に書き続けていきましょう。

年末年始は自分を労わりましょう。どうか良いお年を。それでは、また来年。

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