「なにかしら」にはなれず。そしてデパスを失いつらい、つらい。
病んでおります。
てっきり発達検査の次の診察で結果が出ると思い込んでいた私ですが、行ってみたら「まだ」とのことでした。
やきもきまだは続きます。
というわけで未だに「なにかしら」でもありません。
そして、デパスを絶った事でのしんどさが今になって現れてきたかもしれない。
不安。ただそれに耐えている。
それもずっと。最近は割と四六時中。
デパスをやめて以来、胸の上に微かに感じられた小さな不安は、だんだんと成長している。
今までであれば、デパスを飲めば一旦小さくなっていたもの。
飲めばリセットに近い感覚があった。
でも今もらっている薬では、不安はほとんど小さくならない。
よく言って、一時的に成長を抑える程度の効き目しか感じられない。
デパスは偉大だったのだと思わされる。
デパスは偉大だった。
本当にそうだろうか?
効き目に限って言えば、文句なしで偉大と言えるかもしれない。
その反面、中毒性はもはやドラッグに近いかもしれない。
ならそれは薬とは呼べない。
デパスは偉大ではない。
そのように自分を納得させて、なんとかデパスを求める気持ちを抑えている。
このままでは不安は肥大化を続けるだろう。
どうすれば良いのか。
精神科には行ったばかり。
その事実がさらに不安を大きくする。次の通院はまだまだ先だ。
薬以外でどうにか楽にならないかともがく。
なんとか不安を忘れようとしていても、限界が近いとあのパニック発作の気配を感じとる。
胸の上の小さな不安がバンバンと体を叩く。ここにいるよ!
純粋に強い不安からパニック発作を起こしたのは、精神科に行くきっかけになった20代の頭の頃だけ。
それ以降、何度か発作はあったけれど、別の強い要因のせいだった。
不安だけであの感覚が甦りそうになるのは、割と深刻に参っている証拠だと思う。
そして、仮に発作が起きたとき、今の薬で楽になれるとは到底思えないのが、まあ一段と辛い気持ちを増幅させる。
副交感神経が優位になるような生活。
できそうなのはそれくらいだろうか。
でも実際はろくでもない生活を送っている。
誰かに手を握ってほしいとか思う。ムシのいい話だと思う。
自分がこれまで苦しんでいる人を目の前にして手を握ってきたかと考えたら、大概恐ろしくて逃げ出してきたからだ。
だから私が都合よく手を握ってほしいなんて考えるのは間違っている。
不安に不安する。予期不安。つらい、つらい。
なんとか今日も一線は越えずに、不安を抑え込みながら生きている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?