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下手の横スキー57

第57回 今シーズンこそフォーメーション!(7)

【前回までのあらすじ】
 観光旅行と称してエジプトへやって来た僕は、カイロの土産物屋で、この世のものとは思えぬほどに美しいアラブ人女性と出会った。
 黒く大きな瞳。すっと尖った高い鼻。子供のような愛らしさと大人のあでやかさを併せ持った唇。僕は出会ったその瞬間から、彼女に恋をしてしまった。
「いらっしゃいませ」
 彼女が笑みを浮かべる。
「名物のピラミッド最中、いかがですか?」
「そんなものはいらない。君がほしいんだ」
 衝動を抑えることができず、僕は彼女の手を強く握りしめた。
「結婚しよう」
 アラビア語でプロポーズする。
「……無理」
 表情を歪め、彼女は答えた。
「私、恋愛ってまだ一度も経験したことがないから」
「僕が手取り足取り教えてあげるよ。だから、一緒に日本へ行こう」
「日本は素敵な国だと思うけど……」
「君も日本人になるんだ。素晴らしいことだと思わないか?」
「だけど、あなたのことを好きになれるかどうかもわからないし……」
「大丈夫。ああ、自己紹介がまだだったね。僕は原太郎。結婚すれば、君は原夫人になる」
 原夫人!
 なんて素敵な響きだろう!
 感動に打ち震える僕を冷ややかな目で見つめ、
「やっぱり遠慮しときます」
 彼女はそう答えた。
「私、原夫人よりアラブ人のほうがいいですから」

 3月17日、金曜日――クラブ対抗戦前日。
 怪我で出場できなくなったOさんの代わりに、新メンバーとして加わったIさん。今日は、彼にすべてを叩き込むための練習会であります。
 明日は大会当日。もうあとがありません。もしも雨が降ったらどうしよう? とひじょーに心配しておりましたが、見上げれば曇り空。この時期、あまりにも天気がよすぎると雪が緩みすぎてしまうため、僕たちにとってはもっともありがたいコンディション。といっても、気温は高めだったので、午後を過ぎれば、雪はどろどろに溶けてしまうでしょう。つまり、勝負は午前中の数時間ということになります。
 それだけの練習で、果たしてどこまで仕上げることができるのか、正直かなり不安でした。しかし、さすがはIさん。あっという間に構成を覚え、数回滑っただけでほぼ完璧な演技をこなしてくれるまでに至りました。
「やっぱりIさんはスゴイや! これなら大丈夫です!」
 笑顔で叫ぶ僕。しかし、なぜかT君とYさんは不満顔です。
「あ、あれ? みんな、どうしたの?」
「確かに、Iさんは大丈夫だよ。でも……」
 僕に向かって人差し指を突きつけるT君。
「おまえの演技がめちゃくちゃだああああっ!」
「ひいいいいいっ! ごめんなさああああああいっ!」
 4番手から先頭へとポジションを変更した僕。フォーメーションを始めて5年以上になりますが、まさか先頭を滑ることがこれほどまでに難しいとはまったく思っていませんでした。
 いや、滑るラインを自分で決めなくちゃならないとか、もしも失敗すれば後ろの3人にも影響が出るから責任重大であるとか、そんなことは最初からわかってましたよ。でも、それだけじゃなかったんです。
「いつもと同じ滑りをしていてもダメだからね。僕らが合わせやすいように、もっと動きにメリハリをつけてもらわないと」
 昨年のクラブ対抗戦で先頭を務めたT君に、厳しく指導されます。もっともな意見なので、返す言葉もありません。
「たとえノーミスでゴールできたとしても、自分の滑りだけに集中していたら、フォーメーションは絶対に成功しないよ。ほかの3人と同じように、くろけんさんもみんなの滑りに合わせてくれなくっちゃ」
「えええええ?」
 ほかの3人に合わせる? 先頭を滑ってるのに? それはちょっと無理な注文なのでは……。
「なに? 不満そうな顔して」
「だって……先頭を滑ってたら、後ろの人たちは見えないんだからさ。合わせようがないぢゃん」
「たわけっ! 背中で気配を感じろ!」
「ひいいいいっ。すみませえええんっ!」
 超能力者じゃあるまいし、そんなことできるかいっ! と一度は心の中で毒づいた僕でしたが、あれ? あれれ? 実際に背中へ意識を集中すると、なぜかフォーメーションの成功率が高まるんですよね。どゆこと? もしかして、これが心眼ってヤツなんでしょーか? いや、これはマジで不思議でした。やっぱりスキーは奥が深いや。

 背中に意識を集中させることで、僕もなんとかそれなりに滑れるようになってきましたが、問題はまだほかにもありました。ゴールインのタイミングです。全員が同時に演技を終えるためには、先頭のスキーヤーが手を挙げてストップの合図を送らなくてはなりません。このタイミングが実に難しい。3回に1回は、失敗してしまいます。せっかくそこまでの演技が完璧でも、合図を出すタイミングがずれたら、すべてオジャンです。
「またタイミングがおかしい! やり直し!」
「今度はライン取りがおかしい! 何度いったらわかるの?」
「ひいいいいっ。ごめんなさああああいっ!」
 Iさんのために始めた練習会だったのに、いつの間にか僕の特訓会になってます(涙)。研二、負けないわ。必死で練習を続け、まあ、なんとかそれなりに形になってきたところで本日の練習は終了。
 不安です。
 憂鬱です。
 みんなで晩飯を食べに行きましたが、食事もなかなか喉を通ってくれません。
 大きなミスをせずにゴールインできれば、優勝の可能性もあると思います。それだけの努力を、僕たちはしてきました。
 でも、もし構成を間違えたら……途中で転んだら……ゴールの指示をうまく出せなかったら……。
 僕、めちゃくちゃ本番に弱いタイプなんです。大会のときはいつもガチガチに緊張しちゃいます。スタート前に頭が真っ白になったらどうしよう? 脚の震えが止まらなかったらどうしよう? イヤな想像ばかりが頭をよぎります。

 晩飯のあとは宿舎に泊まって、今日撮影したビデオを見返しながらの自己チェック。それでも不安は募るばかり。
 布団に入ってからも、緊張でなかなか寝つけません。悪いイメージばかり思い描くと、身体が萎縮して、本当に失敗するかも。イメージは大切です。成功シーンを思い描かなくちゃと、表彰台に立つ自分の姿を想像しました。
「優勝おめでとう」
「ありがとうございます!」
 大会委員長から表彰状を受け取ろうとしたところで、なぜか激しい尿意が。
「うっ……おしっこ」
 表彰状を受け取らず、トイレへ駆け込む僕。
「おーい。表彰状はいらんのかあ?」
「表彰状はほしいですけど……ただ今、尿ジョージョーで動けません」
 ってなところで目が覚める。
 やばっ。漏らすとこだった。トイレ、トイレ。
 トイレへ駆け込み、用を足しながらふうっとため息。
 あああああああ、不安だよおおおおお。
 このまま逃げちまいたいよおおおお。
 次回、フォーメーション完結編に続く!
 ……ようやく終わってくれますか。

【お詫び】
 今回、【前回までのあらすじ】を書くべきところに、【恋愛まだのアラブ人】を書いてしまいました。お詫びして訂正いたします。

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