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フォスター・チルドレン 90(終)

エピローグ

 事件から一年が過ぎた。
 今、僕と蘭はリカードに会うため、ボリビアへ向かっている。まさかこんなに早く、リカードと会うことになるとは思っていなかった。
 きっかけは僕の作った曲だった。
 再びチャレンジした「ロック天国」のチャンピオン戦で、僕は一連の事件によって悟ったことを歌にした。親が自分の子供に愛しさを伝える歌なのだが、子供のいない僕はリカードを思い浮かべながら、曲を書いた。
 僕はこの曲で最終戦を勝ち抜き、プロデビューした。人気のほうはいまいちぱっとしなかったが、それでも毎日は充実していた。
 僕はギター一本だけを抱え、日本中の福祉施設を慰問に回ったりもした。
 皆に僕の歌声を聞いてもらいたかった。僕の歌声で、たった一人でも笑顔を見せてくれる人がいるなら、それで満足だった。
 僕の歌を――とくにリカードのために書いた曲を、僕はどうしてもリカード本人に聴かせてやりたかった。しかし、カセットテープを送っても、彼らには聴くことができないだろう。
 僕はリカードに歌を聴かせてやりたい一心で働き続け、お金を貯めた。
 新たな夢――それがついに実現の運びとなったのだ。
 さきほどから僕は、初めて電車に乗った子供のように、落ち着きなく窓の外を何度も眺めている。そんな僕を見て、蘭は苦笑した。
「あの……すみません」
 一人の老齢の女性が僕の横にやってきて、色紙を差し出した。
「息子がファンなんです。サインをもらえませんでしょうか?」
「え? サイン?」
 それほど顔が売れているわけではない。サインをねだられるようなことは滅多になかったので、なんだか照れくさかった。
「よ、有名人」
 蘭が冷やかすように僕の脇腹をつつく。
「旅行ですか?」
「ええ。うちの息子、昔からブラジルに興味がありましてね、今回、夢が叶いました」
 母親と一緒にブラジル旅行――ちょっと妙な気がした。この女性の息子なら、おそらく僕と同い年ぐらいにはなっているだろう。
「じゃあ、息子さんもこの飛行機に?」
 サインをすると、彼女は丁寧に挨拶をして、それからためらいがちに口を開いた。
「実は……そうなんです。この飛行機にあなたが乗っていることを知って、さっきからはしゃいでいるんですよ。……会ってやって、握手をしてあげてくれませんか?」
 彼女はちらりと前方に視線を移した。
「どうして本人がここへ来ないんですか?」
「ああ……」
 彼女は言葉を濁しながら答えた。
「障害を持っているものですから。子供の頃事故に遭って……視力を失ってしまったんです」
「でも、歩くことはできるんでしょう?」
「ええ……でもあまり積極的な子ではなくて……」
「彼にここへ来るようにいってくださいよ」
 僕がそういうと、彼女は困ったような表情を浮かべた。
「じゃあ、そう伝えてみます」
 もう一度頭を下げ、女性は去っていった。
「ちょっと、樋野君。なんでそんな意地悪なこというのよ。行ってサインしてあげたらいいじゃない」
 蘭が僕の耳元でいう。
「どうして? 君は『握手をしに席まで来てくれ』なんていう傲慢なファンに、はいはいと従ったりするかい?」
「でも、目が見えない人――」
 そこまで喋って、蘭は僕の気持ちに気づいたらしい。
「そうね。あなたのいうとおりだわ」
「目が見えなくても、ブラジルへ旅行に行こうとしている――変わらないんだよ。俺たちとなにひとつ変わらないんだ」
 杖をついて、僕の前に一人の青年がやってきた。やはり、僕とそれほど年は変わらないようだ。
「はじめまして――」
 彼は緊張したおもむきで右手を出した。
「応援、ありがとうございます」
 彼の手を握り返す。
「これからも頑張ってくださいね。いい曲をたくさん作って、僕らに聴かせてください」
「ありがとう。頑張りますよ」
 彼は笑った。握る力が強くなったので、僕もさらに力をこめて握り返した。
「ブラジルへ観光に行くんですってね」
「ええ。夢だったんですよ。子供の頃に読んだ冒険小説の影響で、ずっとアマゾン川に憧れていたんです。僕はこのとおり目が不自由ですけど、でもその分、他の人以上に肌で――においで――耳で――アマゾンを感じ取ることができます。いや、僕にしかできないんですよ」
 彼の表情は誇らしげに見えた。
 僕はもう一度、青年と握手をして別れた。
「……リカード君に会ったら、どんな話をするの?」
 蘭が興味深そうに声をかけてきた。
「話って――通訳がいるわけじゃないんだから、言葉なんてわからないよ。俺は自分の歌を演奏して聴かせるだけ」
「そうね。言葉なんて必要ないもんね」
「ああ」
 まもなく着陸します、と機内アナウンスが流れる。
 僕はシートベルトをしめ、シートに深くもたれかかった。
 目を閉じて、母さんと――そして親父の顔を思い浮かべる。
 僕は頑張ってるよ。
 小さく口を動かして呟くと、どこかで親父がかすかに笑ったような――そんな気がした。

終わり

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